三国同盟の揺らぎ
1567年秋 井伊谷 お虎
設楽ケ原の戦いで今川方は大勢の重臣方が討死したという大敗の報せが届けられました。旦那様は殿軍を務めて、松平家康を討ち取る活躍であったそうですが、大将である今川氏真様も重傷を負われているそうです。
井伊勢にも帰らぬ者がおります。朝比奈泰寄は松平家康に致命傷となる一番槍を付けた功を上げたそうですが、敵方に囲まれて討死したのです。その様な鬱々とした報が行き交う渦中、寿桂尼様から駿府に来るように、妾宛の文も届いたのです。行きたくなかったのですが、旦那様からの添状もあり、渋々旦那様の居る駿府に向かうことになりました。
「お虎、待っておったぞ。あまり公には話せぬが、お館様の具合が良くないのじゃ。瀬名殿がだいぶ気落ちしている。そなたが励ましてもらえぬか」
妾は旦那様に促されて瀬名様のお部屋に向かったのです。瀬名様のご実家関口家は当主の正長様と弟の道秀様が討死し、後継が居なくなる事態となっています。瀬名様のご両親は悲嘆に暮れていると聞いておりました。
「お虎様、よう参られました。兄上達の訃報を聞いて泣いておりました。お館様との面会も叶わず、心細くて悲しくて気が狂いそうでありました」
瀬名様は顔色が悪く、酷く狼狽えています。内心、駿府には良い印象がなく、早く井伊谷に帰りたいと思っておりましたが、瀬名様の様子が心配で側に居てあげなければと思ったのです。お館様の容態は深刻なのかもしれません。
しばらく瀬名様を慰めていると寿桂尼様からの呼び出しがありました。旦那様と共に寿桂尼様のお部屋に向かいました。駿府に着いた途端にたらい回しです。少しもゆっくりする事ができません、瀬名様の悲しみを聞く僅かな時間さえないのです。
寿桂尼様は体調がすぐれないのか、床に臥せっていたようです。寿桂尼様は侍女に支えられて上体を起こすと、脇息に肘を着いて居られました。お部屋には重臣の三浦氏員様が控えておられますが、お二方とも顔色が悪く憔悴している様子だったのです。寿桂尼様が重い口を開きました。
「直元殿、今川の命運もここまでやもしれませぬ。まだ皆には伏せておるが、お館様は既に身罷られておりまする」
「なんと、それは真にございますか。寿桂尼様」
「真じゃ。最期を悟ったお館様は、熱に浮かされながらも今川の行く末を案じておられました。家督を譲れる者が居らぬゆえな」
「そのような大事を某に打ち明けてもよろしいのでしょうか。一門衆としての自負はございますが、一門衆としては新参者です。露骨に警戒する者もおります」
旦那様の言う通りです。厄介事は今川の一門衆で解決して欲しいです。一応、妾も義元公の養女となっていますが、今川一門という意識は希薄なのですから。井伊家が今川家の家督争いに巻き込まれるのは御免こうむりたいのです。
「嫡流の男子は武田家に行った長得こそおりますが、今に到っては呼び戻すのは難しい。氏員とも諮ってのことだが、北条家から養子を迎えるつもりじゃ。直元殿には陣代としてその後見を努めて貰わねばならぬ」
「寿桂尼様、それでは御一門衆が納得されるとは思えませぬ。某の実家ではありますが、北条家に乗っ取られるのではないかと重臣方も反発されるでしょう」
「もう反発できるような状態ではありませんよ。設楽ヶ原でどれだけの者が失われたと思っているのです」
そう言うと寿桂尼様は指折り数えて名を挙げていきました。今川一門の蒲原氏徳・江尻親良・久能元宗・久能元経・久能氏忠・堀越氏延・関口正長・関口道秀、譜代の朝比奈泰朝・三浦正勝・三浦義就・由比光教・由比光広・一宮宗是・庵原之政・庵原忠縁・庵原忠春・庵原忠良・松井宗信・飯尾連龍・天野景泰・葛山長嘉・葛山元清……最初は重臣の名前を挙げているのかと思いましたが、それが設楽ヶ原で討死した者達だと気付いて空恐ろしい気持ちになりました。
「重臣達も家を繋ぐ事に必死なのです。瀬名姫も関口家に戻して婿を取らせて、家を継がせることになるでしょう。こんな時だからこそ今川家が強くなければならないのです」
「寿桂尼様の仰せは理解できますが、そこまで北条家を信じて頂けるのですか」
「今の北条家の武威であれば、今川家を掌中に収める事も容易でしょう。されど、北条氏親殿が井伊家を継いだ直元殿を蔭ながら支援している様子も承知しているのです。そんな北条家ならば懐に入った今川家を見殺しにはしないでしょう」
「寿桂尼様の御信頼を嬉しく思いますし、父も兄も喜んで下さることでしょう。されど、武田家は宜しいのでしょうか? 奥方様も武田家の御方です。今川家嫡流の今川長得様も甲斐におられますが、諍いの呼び水となりますまいか」
「梅姫も北条家から養子を迎え入れることに納得しております。と謂うのも、武田家で家督を巡る父子相克が起こっているのです。同母兄の義信殿が廃嫡されることになったそうじゃ。梅姫も武田家に不安を感じているようです」
「分かりました。寿桂尼様の仰せに従いましょう。非才の身ではありますが、今川家の為に身命を賭してお尽くし致しましょう」
旦那様の返事を聞いて寿桂尼様は安堵したようです。侍女に支えられて横になると退出を促されたのです。臥し処を退出すると、旦那様は三浦氏員様から声を掛けられておりました。
旦那様は遠州の旗頭として三河勢に対する最前線を任されることになったのです。井伊谷を小野に任せて【曳馬城】の城主となることも決まりました。妾も曳馬城に移らなければならないのですが、正直な気持ち面倒だなと思ったのです。
1567年秋 黒川城 蘆名徳
蘆名家と争っていた二階堂家が降伏したことで、二階堂家に肩入れしていた伊達家ともようやく和平となり、我が子蘆名盛興に伊達家から【彦姫】が嫁いで来たのです。
彦姫が嫁ぐにあたり伊達家ではまた一悶着あったようです。前当主晴宗殿は縁組に反対し、縁組推進の現当主輝宗殿と仲違いしているようです。問題は伊達家だけではありません。蘆名家でも大問題があります。それは盛興と彦姫の仲が思わしくないというのです。
「義母上様、盛興様にお酒を控えるように進言いただけませぬか。このままでは世継ぎを儲けることも叶わぬと存じます」
彦姫の訴えにうんざりした気分になりました。盛興の酒癖の悪さに妾も口煩く言っていたからです。
「盛興様は閨に入る時には、いつも前後も判らぬ程に酩酊しているのです。最初こそ陽気で面白いお方だと思っておりましたが、御子を成さねばならぬという気概が感じられないのです」
驚いた事に、嫁いで来てから三月も経とういうのに、未だに子種を授かってさえいないというのだ。
「素面で閨に来られた事もございますが、何と申しましょうか、積極的という感じがしないのです。妾が胸を熱くして待っているのに適当な感じで妾も腹が立ってくるのです。そうして気が付けば鼾を掻いて寝ているではありませんか」
それには妾も覚えがあります。盛氏様もあまり閨事には積極的では無かったからです。世間では側室も持たず御正室一筋と言われておりますが、実際には最中に面倒そうにしている盛氏様のお顔しか印象に残っていないのです。ひょっとしたら衆道を好むのかもしれないと残念に思ったものです。なので彦姫に相談されても適切な助言が出来なかったのです。
「喜多、彦姫に何か良き思案はないか。このままでは御家の為にならぬ」
「それでしたら、小田原養生訓を試してみては如何でしょう。北条家の交合の作法が書かれた書物ですが、妾も読んでみて刮目させられたのでございます」
「ほう、それはどの様な物なのじゃ」
小田原養生訓は武家の至上命題である子孫繁栄を目的として書かれた書物であるそうだ。交合を子を成す手段として観ながらも、男女がお互いの事を思いやり理解しなければ多くの子宝には恵まれないと記されているのだ。
「彦姫様のお話しを聞いただけでは解りませぬが、盛興様は仕手気質の高い若気なのかもしれませぬ。若気は己の高揚を奔放に求める質なので相手を気遣う事が苦手なのです」
喜多の話しは驚くべきものでした。男衆が攻めたてて、女衆の気が満つることで交合が成り立つと思っていたのですが、男衆を攻めたててその反応を見ながら高揚する女衆もいるというのです。その場合、女衆が念者となり男衆が若気となるのだそうです。
そして驚く事に小柄で可愛らしい喜多は寄手資質の高い念者で、旦那の松田殿は大きく逞しい身体でありながら攻められる事を好む若気だというのです。
「妾の手管で身悶える旦那様を見ると、堪らなく愛おしく胸が熱くなるのでございます」
そう言う喜多の顔は獲物を見つけた蛇のような妖艶な笑みを浮かべていたのです。普段の喜多からは想像もできないような表情に、女である妾でさえゾクリとさせられたのです。
喜多の予想では彦姫も盛興も若気であり、お互いが相手に身を任せることで高揚を得ようとしていると指摘したのです。
「攻められるのを殿方が待っているというのですか」
彦姫が驚き半ば呆れたように喜多に言葉を返しておりましたが、盛氏様との事を思い出すと喜多の話しが腑に落ちました。もっと早くこの事を知っていれば、もう少し違った関係が築けていたのかもしれません。盛氏様が衆道に走らずにすんだのかもしれないと思ったのです。
「はい、殿方であろうと女衆であろうと誰もが攻め受け両方の資質を持っているのです。人それぞれ資質の割合は偏っておりますが、己の気質を知り、相手の気質を見定めて、お互いを尊重するのが大事なのでございます」
彦姫は心底面倒だという表情で喜多の話しを聞いております。彦姫は喜多に盛興に寄手の手管を指導して欲しいと言っていました。若気同士の交合は難儀なことなのかもしれませぬ。
1567年冬 小田原城 北条氏親
強固であった三国同盟に綻びが見え始めたようだ。まず武田義信殿が蟄居させられたとの報せが届いた。武田信玄の奥近習であった武藤昌幸が更迭騒ぎに巻き込まれて、真田俊綱の元に出奔して来たのだ。
すぐさま甲斐に使いを送ったことで竹姫の身の安全は確認できた。同盟継続の意思は伝えられたのだが、武田家の内情は思うように掴めていない。
更に今川家では当主今川氏真殿が討死するという事態となっていた。今川家から東堂丸を養子に貰い受けたいとの申し出に、北条の家中も騒然となったのである。
寿桂尼殿からは、母上や松姫に実家である今川家の窮状を救って欲しいと、切実な文が届いたそうだ。小田原の父上からも今川家の事態を重く見て、東堂丸を駿河に送る方向で検討せよとの指示が届けられたのである。
東海方面では織田家の勢いが盛んと成っていた。今川家だけでは織田家の勢いを止めることは難しいと思われたのだ。松平家康亡き三河を、織田家がすぐさま平定に乗り出したからである。
織田信長は三河湾の良港を抑えるように西尾城に腹心の森可成を入れた。吉良義安を東条城城主として据えた上で、弟の織田信興を吉良義安の養子に送り込んで吉良氏興と名乗らせ、更に弟の織田信治には桜井松平家から正室を迎えて岡崎松平家を継がせた。弟達を使って三河の名家を乗っ取らせたのである。
今川家との交渉を経て東堂丸を駿河に送る事が決まった。傅役の遠山綱景が付家老として従い、東駿の興国寺城を北条家の領地として割譲される事となり、興国寺城には黒備の多目元興が遠山綱景の与力として駐留することが認められたのだが、ここで大問題が発生し急遽小田原に向かうことになったのである。
ドスドスドスガラッ、と歩む勢いの儘に荒々しく戸を開いた。
「父上、どういう事か説明していただけますか」
父上の執務室には【上機嫌な父上】と【そわそわしている母上】、呆れ顔の幻庵大叔父と頭を抱えている松田憲秀と多目元興が顔を揃えていた。
「これはこれは北条武蔵守殿、某は伊勢新九郎盛康という牢人者にござる。此度は瑞渓院殿の御供として駿府まで護衛仕る所存じゃ」
「馬鹿な事を言わんで下され。狂言もここまで来ると皆の迷惑ですぞ」
「父に向かって馬鹿とは聞き捨てならぬぞ」
「某の父上は北条陸奥守氏康様であって、伊勢新九郎盛康という得体の知れない牢人者ではありません。母上も父上をお止めして下され」
「武蔵守殿、後生じゃ妾を駿河に行かせてたもれ。母上様(寿桂尼)の余命幾許くも無いと聞いては、居ても立っても居られないのじゃ。最後に一目でも会いたいのじゃ」
どうやら発端は母上のようでした。それに父上が便乗して駿河に行くつもりのようです。しかも用意の良い事に母上が駿河に来ても良いという許可を、寿桂尼殿から貰っているというのです。
「解りました。母上はお見舞いという事で許しましょう。しかし父上が行く事はなりませぬ。万一の事があったら如何いたします。隠居したとはいえ父上には某の後見を務めて頂かねばなりません」
「儂もそのつもりであったのじゃがな、後見どころか仮に儂が居なくなろうともそなたは十分にやっていけるではないか。儂も長く総領の座にあって気儘に過ごす事もできなかったのじゃ。我儘を言っている事は承知じゃ。頼む」
「いいえ、成りませぬ。小田原城主としての務めもございます。武田も今川も不穏な情勢なのですよ」
「小田原の城代は松田に任せればよい。どうしても城主が必要なら三郎を元服させれば良いではないか。そなたが何と言おうと儂は行くぞ」
必死に説得を試みたのですけど、父上は駿河に行くと言い張って聞かず、最後には自分が死んだ事にしても良いと言い出す始末。仕方なく駿河行きを認めざるを得なくなったのです。
「武蔵守殿、大殿様の葬儀の喪主は妾で良いのか」
「いや、母上、父上の葬儀を偽装しません。正使として駿河に行ってもらいます」
みな疲れ果てているようだ。




