悔返し
1567年春 躑躅ヶ崎館 武田義信
「長得、武田家と北条家の寺社や商人の対策にこれほど差があるとは思わなかったな」
「武田家が寺社を手厚く遇するのは良き事ですが、武田家直属の領民にまで寺社の影響力が及んでいるようです」
「寺社や商人からの借金を返せぬ領民が逃散しておったとは痛恨であるな」
今川長得の元には望月六郎を通じて、北条家の政に関する報告が次々と上げられている。真田幸綱が薦めていた長得と望月家の縁談は父上の横やりが入り頓挫していた。望月家には信繁叔父上の次男信頼が入り望月信雅の養子となったのだ。そこで分家の望月六郎を儂の直臣として与力に貰い受けて、長得と共に北条家の政策を調べさせているのである。
「武蔵守殿がまるで商人のようだと言っていたお竹の言葉には納得いく内容であるな」
北条家では八年前の大凶作の時に徳政令を出していた。借金を棒引きにしたことで領民の負担を減らしたのだが、根本的な解決にはなっていなかったのである。農民達は種籾・肥料・農作業用具を揃える為に商人や寺社から借金をすることが常態化していた。不作の時には領主と掛け合い年貢の減免もあったが借金はそのまま農民達の負担となっていたのだ。
「徳政令の後に北条家が定めた政策に、金利の上限を定めることと返済が滞っている者への賦役を科す制度を作ったようです」
「なんとも強硬な政策じゃな。貸す方の寺社や商人からも借りる農民側からも反発がありそうじゃ」
「先ずは直轄領から始めたようですが当然反発はあったそうです。武蔵守殿は【雨宮主水】という早雲寺の【行人】を抜擢して土倉役に任命し、貸金をする者達の取り纏めを行ったようです。雨宮主水はその功績により評定衆にも名を連ねております」
行人とは寺社の実務を司る者達で仏法を学ぶ【学侶】と区別されていた。僧兵や寺社の経営、金貸し業に従事する者達も行人に含まれている。雨宮主水は【倍返しの主水】と呼ばれる金貸し業の領袖であったそうだが、土倉役に就任するや北条家を胴元とする金貸しのための【大倉所】を設立した。
次に寺社奉行の板部岡江雪斎が主導して、学侶の人数や寺社領の大きさに対して行人の割合を段階的に制限する政策を発布し、寺社の本分に立ち返るように促した。当然の如く行人達の反対の声を上げたのだが、その行人達を適性によって北条家が吸収してしまったというのだ。
「僧兵の多くは北条家の足軽となったようです。また街道整備や治水事業の物頭となった者や馬借・廻船といった流通を司る者、大倉所や勘定方の役人にもなった者もいるようです。変わったところでは村々に寺子屋と呼ばれる学問所を寺社奉行所の監督下に設置し、読み書き算盤を教える教導となっている者もいるようです」
「とてもではないが武田家で同じ事は出来ぬな。まず貸付するだけの銭が足らぬ。それに甲斐の寺社の発言力はあなどれぬ」
「北条家でも銭不足は深刻になったようで、農民に対する貸付は現物となっています。春先に種籾を貸し付けて秋の収穫期に回収するようです。北条家では四公六民を謳っておりますが、実質は六公四民くらいではないかと六郎は申しておりました」
「それでも四割は民に還元されているのだな。しかも種籾や肥料の代金を差し引いた上での四割じゃ。甲斐の農民が小田原を羨む気持ちが理解できる。しかし、中には借金を返せぬ農民もいるのではないか」
「凶作の年には困窮する者もあるようですが、借金を返せない場合は賦役として弁済させるようです。伊豆金山や街道整備、治水工事に動員されるようです」
我等は甲斐で出来るところから手を付けていけば良いと長得は報告を締めくくった。武田家主導での門前市が盛況となり、物の価格も安定してきたところなのだ。特産品の開発にも力を入れている。お竹の提案で干し柿を参考に葡萄や林檎の果実を乾燥させて保存食にする試みも始めたところだ。
領内の政の成果は報告しているが、父上が直接話しを聞きたいと言うので越後に向かう事になっていた。久々に見られる海の風景を心待ちにしながら報告の準備を整えさせているのだ。
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内藤昌秀と共に春日山城を見上げる山裾に到着した。山頂に聳える城は二年前の籠城戦の様子を感じさせない美しい姿である。以前の城は上杉輝虎が火を放ち全て焼け落ちてしまったが、父上が一年を掛けて再建したのであった。城内に案内されたがそこに父上の姿は無かった。通された部屋には奥近習の金丸昌続と公事奉行の今福虎孝が上座に並び、甲斐に居るはずの穴山信君が脇に控えていたのだ。
「昌続、虎孝。お館様の御前であるぞ。上座から降りよ」
内藤昌秀は怒気を含んだ声で二人に命令したのだが、二人は能面の様に表情を崩さずに「甲斐守様、大殿様の上意でございます」と低い声を発すると懐から書状を出して読み始めたのである。それは儂に対する父上からの折檻状であった。
一。甲斐守は甲斐の統治を任されておりながら、寺社や商人からの評判が甚だ悪く、満足な統治も出来ていない。
一。鮫ヶ尾城の戦いの後、越後平定を目前にしながら弾薬を切らせた事。補給も満足に出来ぬのかと落胆する思いであった。
一。勝手気儘に戦陣を離れる事も許し難いことではあるが、よりによって勝手に北条家と領土分割の話しをまとめるなど言語道断である。
一。春日山城の戦いでの諏訪勝頼や一条信龍の働きはめざましく天下に面目をほどこした。しかし甲斐守は夜陰に紛れて攻め込むのみにて臆病なることこの上なしであった。
一。甲斐守には穴山信君、小山田信友など有力な国衆を付けているにも関わらず、国衆の段銭にまで口を挟み、その信頼を失うとは旗頭として器量不足である。
一。同盟を結んでいるとはいえ、今川家と北条家に備える心構えが足りない。甲斐で安穏として無為に時を過ごし、駿河や小田原へ調略を掛ける気配が見えない。
一。何より武田家の本国である甲斐の地から信濃に居を移そうとするなど棟梁の気構えを疑うものである。
「大殿様はこの七つの罪状により甲斐守様への家督継承の譲状を撤回し【悔返し】とすると仰せです。更に反省を促す意を込めて春日山城で謹慎していただくことになります。以上が甲斐守様への御沙汰でございます」
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その後の事はあまり覚えていない。昌秀が激高して何かを叫んでいたが思い出す事ができないのだ。ただ穴山が口元を歪めてニヤリと笑っていたのだけが印象に残っている。
一人きりで座敷牢に入れられて、もう何日過ごしたのかも解らない。ただ、竹姫達の事だけが気がかりであった。虚ろな気持ちで月を眺めていると頭上の梁の上に人の気配が感じられた。億劫であったが何気に声を掛けてしまった。
「何者じゃ。儂の寝首を掻くように父上に命じられたのか。今更じゃ好きにせよ」
「真田弾正家臣の出浦清種と申します。弾正様は甲斐守様が御無事と知り喜んでおられました」
「そうか真田は無事であったか。良かった。外の様子がどうなっているのか儂は知る術がないのじゃ。お竹は無事であろうか」
「奥方様達は三条の方様の元でお元気に過ごされております。御安心下さい」
どうやら母上がお竹達を引き受けてくれたようで一安心であった。母上は儂が囚われたことで父上と険悪な状態にあるようだ。一緒に囚われた内藤昌秀は父上に誓紙を出して許されたが、領地を返上して隠棲しているらしい。山県昌景と今川長得はお竹らを護りながら母上の元に身を寄せているそうだ。
無事かと思われた真田幸綱も処分を受けたようだ。儂が春日山城を訪れる直前に、この沙汰を知った武藤昌幸が大反対したというのだ。昌幸は儂に報せようとしたが失敗し、そのまま逐電してしまったそうだ。真田幸綱はその責任を取り家督を真田昌輝に譲り隠居することになってしまった。
「儂の力が及ばず皆に苦しい思いをさせておるのじゃな。儂は無事じゃと皆に伝えて安心させてくれ。そして儂の事は気にせずに己を護る事を優先するようにと伝えるのじゃ。頼んだぞ」
儂の頼みを聞くと出浦清種は梁の上に飛び乗りスッと姿を消したのである。あれは幻であったのだろうか。
1567年春 井伊谷 お虎
今川家と松平家の争いは小康状態であるそうです。妾には良く解らぬが旦那様が井伊谷に戻ることができたのは嬉しい限りです。けれども旦那様が妾の話を上の空で聞くことが増えております。何か考え事をしているのでしょうけど妾と居る時くらいと腹が立つのです。
また小野政次がやって来ました。傍に居る妾を完全に無視して旦那様と政次が戦の話をするのだと思うとうんざりさせられるのです。遠い美濃の話など我等には関係ないと思うのですが、戦好きの男共というのはいつまでたっても子供の如しなのかもしれません。
「直元様、玄蕃からの報せでは一色家はもう家を保てぬやもしれません」
「拙いな。松平勢と佐久間勢だけでも今川家と互角に争っておる。美濃が落ちると尾張勢が遠江に雪崩れ込んでくるぞ」
「そうですね。決戦となれば背に腹は替えられませぬゆえ、お館様は武田家と北条家にも助力を願うようです」
「美濃の詳しい様子を話してくれ、玄蕃からの報せには何とあったのじゃ」
「東美濃の遠山氏は織田と誼を結び、中美濃の関城が織田方に降ったことで一色の落日は日を追う毎に加速したようです。更に西美濃の国人衆が織田方へ寝返るのではという噂があります。一色家は稲葉山城だけとなり、丸裸にされたも同然です」
丸裸とは破廉恥な物言いをするものです。堅物の政次とは縁遠い言葉ではありませんか。男前の玄蕃あたりなら女子を口説く姿が様になるのですが、それを言うと玄蕃の妻お夏が拗ねるのであまり話題にしてはいけないのです。でもお夏は本当は政次の事が好きだったというのが、女衆の知る秘密ではあります。お夏は男の趣味が悪いですね。
旦那様方が話し込んでいる中、廊下をサササっと走る足音が聞こえてきました。あの足音は大久保監助かもしれませんね。中野直之や朝比奈兄弟はドタドタっという下品な足音なのです。案の定、襖の前で足音が止まり、監助が入室の許可を求めてまいりました。
「監助入れ。如何したのじゃ」
「月ヶ谷城の朝比奈様より鳩が参りました。急ぎの報せと思われます」
旦那様は監助から小さい文を受け取ると険しい表情となったのです。旦那様の険しい表情も凛々しくて嫌いではないのですが、また戦かと思うと嬉しくない表情のひとつではあります。
「菅沼貞景が松平に寝返ったようじゃ。睦平鉱山を松平に押さえられるとなると苦しくなるぞ。戦に必要な鉛弾が不足するやもしれぬ」
「お館様は一色家が織田の軍門に降る前に、睦平鉱山を取り返そうとなさるやもしれませぬな。事と次第によっては大軍となるやもしれませぬ。兵糧や弾薬の確保を急がねばなりませぬ」
「そうじゃな。万一に備えておこう。監助、鳩を飛ばして清水康英と繋ぎを取ってくれ。兵糧と弾薬を確保せねばならぬ。政次は気賀の港にて康英を待て。金子の用意を忘れるな」
政次達に指示を出す旦那様の横顔は惚れ惚れするものでした。けれどもまた戦になるのですね。憂鬱な気分になります。




