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平宰相〜北条嫡男物語〜  作者: 小山田小太郎
武蔵守の巻(1558年~)
92/117

琉球の使者

 1566年夏 東蕃 楊家荘 里見義弘


 東蕃に入植してから早二年となった。温暖な気候で冬が短く、驚くことに稲の収穫が年二回も行うことができた。食糧となる果実や海産物も豊富な土地であると感じたのだ。しかし、疫病には困難を強いられた。少なくない者達が命を失ったが、蚊帳と除虫菊の粉末から作られた線香の使用を徹底することで、疫病を抑えることができている。


 最初に入植した地は、東蕃の北端に位置する平野部であった。棟梁である陳東殿(島津尚久)の名を冠して【陳家荘】と名付けられた場所である。島の各地に倭寇の残党が集落を形成しており、陳家荘もそんな拠点の一つであったのだ。


 陳家荘にて農耕地を拡げていく過程で、現地の住人との軋轢が発生していた。現地の住人達は、一部は稲作も行われているようであったが、主に狩猟と採集によって生活している部族社会であった。


 陳家荘の近隣にはクラバン族・カタガラン族・バサイ族・クーロン族といった部族が縄張りを持っており、度々争いとなっていた。クーロン族の族長の娘を陳東殿が娶ったことで、四部族との争いが収まることになり、ようやく安心して開墾ができるようになったのである。我等は陳東殿の依頼で、北東の平野部に新たな荘園を開拓しているのである。ここは陳家荘に対して【楊家荘】と呼ばれている。


 しかし、友好的な現地民の影響力が及んでいるのは平野部だけであり、山岳部ではアタヤル族・セデック族・タロコ族といった剽悍な部族との緊張は続いていた。成人の通過儀礼として、他族の男子の首を狩る習慣がある部族もいるため、油断はできないのだ。


挿絵(By みてみん)


 考え事をしていると伏姫が声を掛けて来た。


「旦那様、難波田三楽斎様が執務所でお待ちですよ」


「解った、すぐ行く」


 伏姫に茶の用意を頼んで執務所に向かった。執務所は中華風の土間に机と椅子を並べる形式であり、楊文理を始めとした文官達が執務をしていた。その一角が衝立で仕切られており、私の執務室となっているのだ。


「三楽斎殿、こちらの生活には慣れましたかな」


「水が合わずに腹を壊す事もあったが、だいぶ慣れてきたところじゃ。犬達も元気に走り回っております」


「それは重畳です。最近では現地の者達も大人しくなっておりますが、警戒は必要でございます故、犬達の働きには助かっております。何か不自由はありませんか」


「伊勢と争って、野山に潜伏していた頃を思えば、不自由などござらぬ。明の言葉にもようやく慣れたところでござる」


 倭寇集団の多くは明国人である。したがって通常の会話では明国の言葉が使われているのだ。明人風の名乗りも必要に迫られたので【楊志業】と名乗っている。船頭の楊泰隆を始め楊姓が多かったのでそれに倣い、(あざな)は楊文理に候補を考えて貰って、自分で選んだのだ。


 義兄の足利頼純殿は小弓公方から名を取り【楊小弓】としていた。三楽斎殿は当初、役立たずの三楽斎という意味の楽無用と名乗っていたが、発音が同じという事で【楽呉用】と認識されてしまい、そのまま名乗る事になったようだ。


 表が騒がしくなり、楊文里が入ってきた。


「楊大哥、楽小哥、琉球王国の使いとして、琉球の王族と名乗る者達の船が港にやって来ております。如何しましょうか」


「琉球国だと。我等だけで対応してよい相手ではないな。陳東殿と相談せねばなるまい。陳家荘に小早を遣わせて先に報せよ。我等も琉球の船を先導して陳家荘に向かうことにしよう」


 楊文里を通じて、琉球の使者に対して陳家荘に誘導することを伝えると、楊家海賊衆の旗艦百合静(ゆりしず)に乗船したのである。百合静は伏姫が名付けた屋久船で、旗艦の風格を備えた大型の新造船であった。


「櫂出せ。出港じゃ」


「「「応っ」」」


 ◆◆


 陳家荘に到着すると陳東殿と屋久水軍の沈南山殿(新納忠光)が出迎えに来ていた。船を降りると使者を出迎える準備ができているようであった。陳東殿の館に通されて、琉球の使者と対面となったのである。


 公式の場であり会話は全て明国の言葉である。早口になると聞き取れないが、陳東殿の薩摩言葉よりは聴き取り易いのは、皮肉な事実である。


御主加那志(うしゅがなし)の使いとして参りました【尚弘業】と申します。東蕃の島に新たなる荘園を興す者ありと知り、様子を伺っておりました。そちらは島津尚久公とお見受けするが、島津家がこの島に入植する意図をお伺いしたい」


「おいおい。琉球王国の王族と聞いて身構えていたが葉麻(ようま)じゃねえか。まさか生きているとは思ってなかったぞ。それより堅苦しい挨拶はやめろ。腹を割って話がしたいんだろう」


 返事を返した陳東殿だけでなく、沈南山殿も琉球の王族と面識があるようだった。事態が呑み込めず口を挟む。


「陳東殿は琉球の王族と面識があるのでござるか」


「楊志業殿は初対面であろうな。此奴は琉球の王族でありながら【葉麻】という名の倭寇の頭目でもあった男だ。徐海の野郎と揉めて殺されたと思っていたが、生きているとはしぶとい男だな」


 尚弘業殿は陳東殿の態度に呆れたようであった。


「陳東は相変わらずだな。儂等が徐海と揉めたのは、奴が琉球の進貢船を狙ったからだ。琉球の国益に反する行為を見過ごす訳にはいかぬ。其方等にしても島津家の益が最優先ではないか。再度問わせてもらう。島津が東蕃の島を領有する訳を申せ」


「端的に申せば、琉球の様に明国と日の本との交易の仲立ちを狙っておる」


「それは難題だな。明国は日の本との交易を認めておらぬ。寧波の騒乱に対する報復と表明しているではないか」


「葉麻、明国は変わるぞ。南蛮人の船が明国に交易を求めている。明国の高官共は鎖国を諦めて開港するという動きがあるのだ」


「それがどうした。その動きは琉球も掴んでいるぞ。潭州の月港を開港し交易を認めるというのであろう。しかし、港を一つだけでははないか」


「果たして一つの港だけで収まると思うのか。明の高官の中には商人と倭寇を表裏一体の存在とみなして、開港することで、正業に立ち戻り倭寇が沈静化すると考える者も出てきておる」


「明の高官にも実態を把握している者もいるのだな。ならば琉球も交易に参入すれば問題無いだろう」


「そう簡単な話ではないぞ。明国は表向き日の本との交易を禁止しているが、日の本との窓口として南蛮人を優遇する可能性が高い。琉球は日の本と明国の間を取り持つ事で利を得ているのであろう。南蛮人に取って代わられてからでは遅いぞ」


「琉球が南蛮人の後塵を拝するとでもいうのか」


「琉球に南蛮人の武力を抑える力があるとは思えぬな。南蛮人には強訴にて明国を開港させるだけの武力を持っているのだぞ」


「くっ」


「王直が処刑された経緯は聞いたであろう。王直は豊後の大友家に売られたも同然だ。大友家は倭寇集団を切り捨てて、南蛮人と結ぶ事で明国との交易を狙っておる。裏で糸を引いているのは、神屋や島井あたりの博多の商人共かもしれぬがな」


「成る程、南蛮人の影響力は明国にも日の本にも及んでいるようだな。南蛮人に対抗するための拠点を東蕃にということだな」


「そうだ。南蛮人は耶蘇教会を先兵として日の本にも影響力を強めているが、南蛮人に交易を独占させるのは面白くないからな」


「考えは理解したが、其方等島津の者では日の本との窓口には成れても、明国との窓口には成れまい。どうするつもりだ」


「琉球と同じだよ。南蛮人に対抗できる程の勢力を築いたら、島津でも足利でもない別の国として明国に冊封を求めるつもりだ。冊封国ならば明国も交易を認めざるを得まい。潮州の海商である林国顕も協力を約束している」


 林道乾が林家荘を興した経緯は聞いていた。嘉靖期の大倭寇の後に台頭してきたのが、福建地方の海賊集団を束ねる海商【林国顕】や王直の残党を継承した【李旦】らであった。李旦は耶蘇教の洗礼を受けて南蛮人勢力や博多商人・大友氏らと結び、王直の交易路をそのまま支配していた。それに脅威を感じていた林国顕と陳東殿が、南蛮人に対抗する為に手を結んだのである。


 林国顕は一族の海賊大将【林道乾】を澎湖諸島に入植させて林家荘を形成しているのだ。陳東殿の話を聞いていた葉麻殿の顔色が悪い。南蛮人の脅威を感じているのかもしれない。葉麻殿が返事に窮する様子を見かねて、葉麻殿の部下が進み出た。


「尚弘業様、ここは一度王府に報告し、御主加那志の判断を仰ぐべきかと存じます」

 

太郎(たるー)の申す通りだな。陳東、すまぬがすぐに返事をする事は出来ぬ。評定衆と相談してから改めて使いを寄越すが構わぬか」


「当然だな。南蛮人と如何に対応するべきか、じっくり話し合って決めてくれ」


「それともう一つ、この毛龍唫(モウリュウギン)を受け入れてくれ。其方らの真意を確かめねばならぬ」

 

「ほう、三司官まで伴って来ているとは聞いて無かったぞ。毛親方と言えば、尚元王の腹心ではないか。琉球には南蛮人に対する一翼を担って欲しいと儂は考えておる。当地での毛親方の滞在を歓迎しよう」


 毛龍唫は壮年の偉丈夫であった。琉球王国で王家の家督争いが起こった際に、尚元王の即位に貢献した功臣であったそうだ。尚元王の治世では三司官を務めた側近である。三司官とは琉球王国の摂政を務める三人の高官のことで、葉麻殿は我等の東蕃勢力と交渉する必要性を認めたのだと思われた。


 陳東殿と葉麻殿の問答を聞くまでは、私も陳東殿の目指すところを知らなかったのだ。里見家を再興する事が目標ではあるが、陳東殿の壮大な計画に協力しても良いという気持ちになっていた。




 1566年秋 江戸城 北条氏親


「お絹殿、京に戻られると聞きました。関東の様子は如何でしたかな」


 桂姫と共に江戸に下って来ていたお絹殿であったが、十年ぶりの帰郷ということで、半年程小田原や江戸に滞在していたようだ。北条家の家督継承に伴い小田原から江戸に評定衆が移り、江戸衆の軍制度にも変更が加えられて忙しく、中々会う事が出来ずにいたのだ。お絹殿が京に戻るということで、江戸城に挨拶に寄ってくれたのである。


「京に店を構えて十年も経ってしまいましたね。あっと言う間でした。けれども江戸の町を観たら実感しましたよ。十年前の面影が全く無くなっていて仰天しました」


「あまり実感はないが、それ程に変わっておるのかな」


「武蔵守様はずっと江戸に居られるので解らないのでしょうが、江戸の賑わいは京の都を凌いておりますよ。まず上水道がある事に驚きました。なんでも多摩川から水を引いているそうですね」


「上水道の完成が江戸の発展の礎となったのは間違いないな。荒木右衞門の働きには感謝しておる」


 江戸は水の確保が困難な地であった。井戸を掘っても小田原と同様に微かに塩を含んだ水だったのだ。荒木右衞門は七年の歳月を掛けて多摩川の上流から水を引き、江戸の町を潤す水道網を完成させたのだ。この働きを賞して偏諱を与え【荒木親治】と名乗らせ水番屋を設立し治水奉行となっている。


「それに街道が広く整備されていて、人も物も忙しく動いていておりました。京よりも江戸で商売する方が儲かるのではと思い至り、京に店を出した事が貧乏籤を引いたような気分ですよ」


「いやいや、江戸の繁栄はお絹殿の相模屋が作り上げた販路があってのものじゃ。畿内の様子を知る事ができるのも風間衆の働きがあってこそなのだ」


「そうですね、散々扱き使われておりますが。武蔵守様には十分に報いて貰っております。風間衆は日陰者ゆえ、まさか佐渡一国を任せて頂けるとは思ってもおりませんでした。ありがとう存じます」


 お絹殿は嬉しそうに笑いながら頭を下げたのだ。


「それにしてもお絹殿の武芸の腕は少しも衰えておらぬな。幸千代もお稲も犬姫が一瞬にして負けた事が信じられなかったようじゃ」


 先日、大学別曹の設立式典があり、その中で武芸師範による試合興行が行われたのである。武芸者同士の立合いは息を呑む程の緊張感があり、見事なものであった。優勝したのは新陰流の免許皆伝を持つ【北畠具親】殿であったが、女流武芸者部門で波乱を起こしたのがお絹殿であったのだ。


 女流部門の参加者は新陰流の幸千代、香取神道流の香取姉妹、由良成繁殿の息女妙姫の四人であった。勝ち抜き戦を制したのは香取の姉姫であったのだが、紫の頭巾を被った正体不明の女性が飛び入り参加し、優勝者の犬姫に対戦を挑んだのである。


 立会人として勝負の判定役を務めていた雨宮主水が「母上、勘弁して下さい」と頭を抱えて呟く中、薙刀を八双に構えた犬姫に対して、紫頭巾は左足を前に出し、手の平を見せて両手をやや下段の前方に突きだした【前羽の構え】をとったのである。


 犬姫は相手が武器を持っていないことで馬鹿にされたと感じていた。紫頭巾の様子から只者ではないと感じてはいたが、重心の置かれているであろう紫頭巾の左足を狙い、薙刀を横薙ぎにビュンと一閃したのである。しかし、紫頭巾は軽く猫足の如く左足を上げて薙刀を躱す。いつの間にか右足に重心を移していたようだ。紫頭巾はそのまま左足で踏込み薙刀の懐に入り込むと薙刀を持つ犬姫の両手を掴み、ぐっと押し込んだのだ。犬姫が体制を崩させぬと前掛かりになったところで、紫頭巾は自ら後ろに倒れ込み犬姫を巴に放り投げたのである。


「勝負あり」


 雨宮主水が声を掛けた時には犬姫に馬乗りになっている紫頭巾の姿があったのだ。


「おほほ。お恥ずかしい限りです。若い娘さん達の見事な武芸を見せられて、嬉しくなったんですよ。あたしにも身に覚えがありますから、娘さん達が厳しい修練を積んだ事が解りました。良い娘達ですね。あまりにも可愛くて、思わず手合せをしたくなったんですよ」


「早雲寺で学んだ者達は、すぐにお絹殿と気付いたようであったぞ。皆、投げられた事が一度や二度ではないからな」


 女流武芸者の試合の後、香取姉妹や由良の妙姫には婚姻の依頼が殺到したようだ。強い世継ぎをと望むのは武家の習いであるので当然のことなのかもしれない。香取家と由良家の意向を尊重して、彼女達の嫁ぎ先が決められたのである。


 香取家の強い要望で、妹の稲姫が儂の側室となった。姉の犬姫は北条家の武芸師範となった北畠具親殿に嫁ぐことになり、夫婦で志学院の武芸教官となっている。香取姉妹のお蔭で北畠具親殿と合婿として、縁を繋ぐことができたのだ。最近では幸千代や稲姫も犬姫を手伝って、志学院に出入しているらしい。


 由良の妙姫は由良成繁殿の意向で、忍城主成田長泰の嫡男成田氏長に嫁ぐことになった。これには成田氏の家督相続に介入する意図もあったのだ。長泰は藤原氏の流れを汲む名門という意識が強く、北条家に対しても同盟者としての態度であった。長泰は次男の長忠に家督を譲ろうとして、氏長と対立する事態となっていたのだ。


 成田家の家中分裂を怖れた宿老の豊嶋美濃守が、氏長に由良の妙姫を娶るように提案したのだ。成田氏に影響力を強める好機として妙姫を儂の養女とし、北条家から成田氏長に嫁がせる段取りとなったのである。これにより成田長泰は隠居し、親北条の成田氏長が当主となったのである。


「ところでお絹殿は、どのような経路で京へ向かうのか」


「佐渡の様子を見てみようと存じます。利根川を上り三国峠を越えて、越後から佐渡に渡ります。佐渡からは船で近江に回ろうかと思っております」


「そうか。東海道ではないのじゃな」


「武蔵守様、何か気になることでもありましたか」


「いや、良い。東海道を通るなら【織田家】の様子を見て貰おうと思ったのじゃが、他の者を遣ろう」


「武蔵守様は織田家が気になっているのですか。それ程に脅威とお考えなのでしょうか」


「織田家の勢いは侮れぬ。美濃の一色家も織田家の軍門に降るのではないかと感じておる。濃尾平野を抑えて伊勢湾水運を牛耳るとなると、今川家では織田家に対抗するのも難しいと思うのじゃ」


「武蔵守様がそれほど気に掛けているのであれば、あたしが尾張に行きましょう。この目で織田家の様子を確かめてまいりまする」


 お絹殿が請け負ってくれるのであれば安心できる。織田家の急速な拡大が始まる可能性がある。織田信長の動向は、これから常に注意しなければならなくなるのかもしれない。

~設定~

台湾の諸部族:平野部と山岳部で分ける分類もあるようですが、言語系統を重視し語族の括りにて部族の性格付けをしております。


~人物紹介~

葉麻(?)倭寇の頭目の一人。琉球人というのは架空設定です。

尚弘業(1512-1576)浦添朝喬。妹は聞得大君きこえおおきみ

毛龍唫(?-1567)新城安基。琉球史劇『大新城忠勇伝』の主人公大新城親方として有名

林国顕(?)倭寇の頭目の一人。

林道乾(?)倭寇の頭目であったが後にアユタヤ王朝の高官となる。華僑の英雄

李旦(?-1625)倭寇の頭目。王直の後継。

妙姫(?)由良成繁と妙印尼の娘。甲斐姫の母。名前は架空です。

成田長泰(1495-1574)上杉輝虎に馬上から挨拶した人

成田氏長(1542-1596)甲斐姫のパパ

織田信長(1534-1582)織田信忠のパパ

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― 新着の感想 ―
[一言] 里見といえば義弘の弟、もしくは庶長子といわれた義頼は1554年の安房陥落前には11歳ぐらいでしたけど、出てはこないのでしょうか? というか義堯の子は義弘以下、堯元、堯次、義政、義頼?の兄弟が…
[一言] 日の本が直接交易するのは中華思想上明の配下扱いされてしまうので対等に交易するなら間に傀儡国家挟んで両者に冊封させて仲介させるのが1番ですな。
[良い点] 織田信長の人物紹介w 安定(定番)の第六天魔王で来ると思いきや、まさかの織田信忠のパパww 良い意味で裏切られましたwww [気になる点] 琉球王朝の関係者が今回の話で初めて登場しまし…
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