表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
平宰相〜北条嫡男物語〜  作者: 小山田小太郎
武蔵守の巻(1558年~)
90/117

二階堂盛義の驚愕

 1566年春 須賀川城 二階堂盛義


 父上が亡くなり家督を継いで二年となったが、儂には乱世を生き抜く力が足りなんだようだ。蘆名家の攻撃を受けて松山城と横田城を奪われてしまった。蘆名家の軍門に降り、幼い嫡男亀王丸を人質として送ることで、なんとか家名を保つことができたのだ。


 奥州での武家の興亡は、良くも悪くも伊達家の動向に左右されてきた。伊達家が揺れると奥州全体に波及するのだ。それは先代の伊達稙宗殿と伊達晴宗殿の方向性の違いによるものであった。積極的に他家へ子弟を送り込み、洞を拡大してきた伊達稙宗殿と、内部を固めて強固な家を作ろうとした伊達晴宗殿の争いであったが、晴宗殿が勝利し、稙宗殿が他界したことで伊達家が安定するかに思えたのだ。


 しかし、伊達家の混乱の隙を突くように、蘆名家と佐竹家が台頭してきたのである。我が二階堂家はその三つ巴の狭間にあり、結局は蘆名家に呑み込まれてしまったのだ。そんな中、関東の覇者である北条家から一人の使僧が二階堂家にやってきたのである。


「お初にお目にかかります。板部岡江雪斎と申します。我が主、北条武蔵守より二階堂家にお願いの儀があり、罷り越しました」


「お役目ご苦労ですな。儂が二階堂盛義でござる。御存知の通り我等は蘆名家の軍門に降り申した。蘆名様と同盟を結んでおられる北条家が、二階堂家に何用でございましょう」


「蘆名様には話を通しておりますので、御警戒召さらずとも宜しゅうございます。お願いの儀というのは二階堂家の祖であられる二階堂行政公のお墓を立てさせて頂きたいというお願いなのです」


「なんですと」


 突拍子もない申し出に開いた口が塞がらなくなっていたようだ。北条家と二階堂行政公との関連性が全く以て解らない。


「江戸城の鬼門、北東の方角に浅草寺という寺がございます。そこを護国寺として定めることになったのです。浅草寺に白旗神社を勧進し、北条家の守り神として源頼朝公のお墓である、法華堂を建立することになりました。その法華堂の周囲に、頼朝公をお支えした十二人の重臣達のお墓も共に祀りたい、との意向なのです」


 鎌倉の世の北条家は頼朝公の執権として権勢を振るった家であった。その威信を復活させようという狙いがあるのだと思われました。二階堂行政公もその重臣の一人として顕彰したいというのです。選ばれた十二人は錚々たる面子でした。【北条時政公】【北条義時公】【大江広元公】【千葉常胤公】【小山朝光公】【結城政光公】【三浦義澄公】【八田知家公】【新田義重公】【佐竹秀義公】【宇都宮朝綱公】そして【二階堂行政公】が選ばれたというのです。


「北条家ではこの春に近衛家の姫君をお迎えすることになりました。更に平氏の大学別曹の設立という吉事が重なります。二階堂家のお許しを頂き、鬼門を閉じることで江戸の護りを万全としたいのです」


「成る程、頼朝公の側近として顕彰して頂けるのであれば、当家としても名誉なことです。しかし墓とはどのような物かは、当家の者を遣わせて確認させて頂きますが、宜しいか」


「承知いたしました。北条家といたしましても二階堂家に恥を掻かせる訳にはまいりませぬ。それ故、建立に当たっては誠心誠意努めさせていただきまする」


 北条家の申し出に同意し、重臣の【保土原行藤】を呼び出した。江雪斎殿に行藤を引き合わせて、共に江戸に向かい様子を探らせることにしたのである。


 ◆◆


 江戸に送っていた保土原行藤から文が届いた。近衛家の姫君の一行が到着した様子が書かれており、盛大な婚礼の様子と、振舞われた澄酒の味が素晴らしいと書かれてあった。行藤の酒好きにも困ったものだ。楽しんでおるばかりではないかと心配になる。二階堂行政公の塔頭は立派な物であるとの報告に一安心したところだ。側近の【浜尾行泰】が、北条家からも文が届いていると差し出してきた。


「殿、北条家からの文には何と書かれておりましたか」


「頼朝公と重臣達の法要を行う故、江戸に参らぬかとの誘いであった」


「危険はありますまいか。代理として某が参りましょうか」


「いや、儂が行こう。行藤の様子からも北条家には害意は感じられぬ。法要には頼朝公の重臣達に縁のある諸大名も呼ばれている。小田氏治殿や佐竹義重殿、宇都宮広綱殿も参加されるそうじゃ。実際に北条家の治める江戸の様子も見てみたい故、良い機会かもしれぬ」


 北条家の影響力は少しずつではあるが、確実に奥州にも及んでいるのだ。北条家と同盟を結んだ蘆名氏。下野国の宇都宮氏に与して北条家に対抗しながらも、矛を収めることになった佐竹氏。それに結城氏と小山氏の洞は、北条家の武力を背景に白河結城家にまで及び、影響力が身近に迫っているのである。


「殿のお考えは解りました。某も御供いたしましょう」


 江戸への道中、最初に立ち寄ったのは白河結城家であった。先代の結城晴綱殿が隠居し、小山家から重高殿が養子となっていた。家督を継いで一年程であるが、家臣団を完全に掌握している様子であった。重高殿は拡大する小山領の統制を経験していて、新領地の統治は慣れていたそうだ。「領民が小田原式を受け入れてくれるので統治しやすいのです」とのことであった。北条家の統治を研究しなければならないと驚かされたのだ。


 宇都宮城からは、小山秀綱殿と合流して江戸へ向かうことになっていた。小山家も法要に参加するのだ。思川を船で下りながら、秀綱殿と会談する機会が得られたのは僥倖であった。小山勢が精強である理由を知る事ができたのである。


「傍から見ると小山家と結城家を中心とした洞に見えるかもしれませんが、実態は北条家の家臣団と言っても過言ではないのですよ」


 秀綱殿の言葉は、大勢力に臣従することになった小勢力の当主、という悲観的なものではなく、北条家の中で大部隊を率いる旗頭として、小山家を拡大するという野望に満ちたものであった。


「先鋒として使い潰される事は無かったのでしょうか」


「先代当主の父上はそれを心配しておりました。北条家から結城家に結城秀朝様が養子に入る際に、兄弟で北条家に対して如何にするべきかを相談したのです。まずは古河公方様を押し立てて北条家に対抗できるかという所からでした。その為に小田原や江戸に人を遣って北条家の様子を探らせたのですよ」


 小山兄弟は北条家統治の状態や政への取り組み、商業政策から軍事機構に至るまで入念に調べたのだそうです。その上で対抗するよりも協力する方が良いと判断したのだそうです。本拠地であった祇園城は結城家に譲る事になりましたが、宇都宮城を本城とし北下野の旗頭として認められ、更に白河結城家にまで枝を広げることになったのです。


「北条家の政はそれほど優れた物なのでしょうか」


「技術的な事でいえば常に新しきものを取り入れております。造船技術や鉱山開発などには力を入れておりますな。我等も足尾の鉱山開発を許されて取り組んでいるところですよ。しかし、それが優れていると判断するかは人それぞれかもしれませんな」


 秀綱殿の話では、政に関して国人衆の領分にも北条家は干渉してくるそうだ。嫌がる者も居るのではないかという答えであったが、北条家の民に対して真摯に向き合う姿勢は見習うべきだと力強く語ったのが印象的であった。


「成る程、北条家の政を知る良き機会ですから見聞を広めてみたいものです」


「それならば利根川の改修現場を視察されると宜しいかと存じます。利根川は下流の武蔵国では坂東太郎と恐れられる暴れ川なのですが、その流れを関宿で分水し、香取海に流す普請が行われておるのです」


「なんと、そのような事が本当にできるものなのですか」


「人も銭も時間もかかるでしょうが、江戸を発展させるためには成し遂げなければならない、と武州様は仰せであったと聞いております」


 この旅で何度目か解らない驚愕の事態であった。


 ◆◆


「二階堂家のお世話を務めまする、明智家家臣の三宅秀満と申します。江戸滞在中に不自由がございましたら、何なりとお申し付け下さい。明日は江戸城にて我が殿との面会となっておりますので、今日は旅の疲れを落としてお寛ぎ下さい」


 江戸に到着すると真新しい屋敷に案内されたのです。屋敷には保土原行藤が待っていて、さも自分の屋敷のように振る舞っていたのには驚かされた。三宅殿が暇を告げた後に、行藤から江戸の事情を聞き出すことにしたのです。


「行藤、この屋敷は如何したのじゃ。てっきりどこかの寺に滞在することになると思っておったが、訳が解らぬぞ」


「このお屋敷は二階堂家の者が江戸に滞在する為に作られたものとのことです。某が江戸に着いた時には完成しておりました。某も最初は面喰いましたが、気兼ね無く過ごせるようにと言われて、監視下に置かれるよりは良いと好意を受けることにした次第です」


「そうであったか。三宅殿に案内されて屋敷内を見分したが、中々の造りじゃな。屋敷の周りには水堀があり、塀の高さも十分にある。物見矢倉もあってちょっとした砦と言われてもおかしくない程の十分な備えであったぞ」


「某も最初は驚いたものです。しかし三宅殿は急拵えの屋敷故、不備も多く申し訳ないと仰せでした」


「なんと、この屋敷にどれ程の不備があるのじゃ」


「三宅殿が申すには堀の幅が十分に取れず、心配をかけるかもしれないと恥じ入っておりました。また門構えの手違いで桝形虎口を作れず、平入りの虎口となっていて申し訳ないと仰せでありました」


「言われてみればそうかもしれぬが、戦をする訳でもあるまいに、そのような屋敷を我等の為に作ってくれたというのか」


「はい、江戸に滞在している間は安心して過ごして貰わねばならぬという配慮だそうです」


「北条家の配慮には恐れ入る。明日には面会することになるが、武蔵守様はどのようなお方であろうか」


「某も一度お会いいたしました。ごく短時間の挨拶程度のものでしたが、穏やかそうな印象でございました。伝え聞くところでは農政や交易に関して造詣が深く、江戸発展の礎を築いた名君であるとのことです。されど戦での武名は聞こえておりません。個人の武名にはあまり頓着しない方だという話です」


「当主の陸奥守様や北条上野介殿などは河越夜戦での武名があるが、武蔵守様の勇名は確かに聞かぬな」


「ああっ、お伝えし忘れておりましたが、近衛家の姫の輿入れを機に、陸奥守様から武蔵守様へ家督が譲られたとのことです」


「そうであったか。明日の面会の際にはお祝いを申し上げねばならぬな。それと今一つ疑問があるのじゃが、武蔵守様には今川家から迎えた正室がいたと聞く。近衛家の姫は如何なる立場となっておるのか」


「近衛家の姫も正室となるとお聞きしました。江戸城の奥向きはそのまま北の方様を正室として置き、長野御前と千葉御前が側室として従っているそうです。近衛家の姫のために西の丸にも奥を整えたそうです。香取神宮から姫を召し上げて西の丸様付の側室とするのではないかとの噂です」


「正室が二人となるのか。近衛家の姫に男子が生まれたら嫡男の問題が出るのではないか」


「そこは予め近衛家と取り決めがされており、家臣にも話が伝えられているようです。武家としての北条家棟梁は北の方様の御子に限るとのことです。西の丸様に男子ができても神宮や寺社の別当となるのだそうです」


「宮中や寺社への影響も考えておるとは、抜かりのないことじゃ」


「一つ気になる事がございます。此度の法要に関しての家中の反応なのですが、恐れ多くて文に書くことが憚られた内容なのです」


「何か問題でもあるのか」


「北条家は足利家の権威を必要としていないのではないか、と感じるのです。頼朝公を顕彰する事で、関東に新たな権威を示す狙いがあるのではないか、と思えるのです」


「なんと」


 開いた口が塞がらなくなってしまった。明日の武蔵守様との会見が無事に終わるようにと、祈る気持ちが強くなってきたのです。

  ,r';;r"            |;;;;;;;;;;;ヽ;;;;;;;;;;;

 ,';;/             /;;;;;;;;;;;;;;;ヽ;;;;;;;;

 l;;'            /;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;',;;;;;;;

. ,l;L_      .,,、,--ュ、 ';;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;iソノ

ヾr''‐ヽ,  ,、ィ'r-‐''''''‐ヽ ';;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;|

 l rO:、;  ´ ィ○ヽ    'i;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;、l

 | `'''"/   `'''''"´     !;;;;;;;;;;;;;;;/ l |

. ,'  /   、        |;;;;;;;;;;;;;ノヽ'/

. l  ,:'   _ ヽ       .|;;;;;;;//-'ノ

 ', ゞ,' '"'` '"       i;;;;;i, `' /

  ', i、-----.、       `''"i`'''l

.  ヽ ヾ゛゛゛゛ニニ'\        ,'  ト、,

   ヽ ヽ〈    i|          Vi゛、

    ゛, ,ヽ===-'゛ ,'     ,   // ヽ

.    ',.' ,  ̄ , '    ノ  /./    ヽ,

.     ヽ.  ̄´   / ,、 ' /     / \

     ノ:lゝt-,-‐''" / ,.ィ゛     /

,、 - '''´  |  ヽヽ /,、ィ     /

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] AAには笑った。
[一言] 現時点でまだ未登場の奥羽の諸将の中で、親北条勢力になりそうなのは、最有力候補としては、2名挙げられるでしょうかね・・・? 1人は、大宝寺(武藤)義増(出羽尾浦城主)。 越後小泉庄の旗頭となっ…
[良い点] 最低限坂東での足利の世を終わらせる象徴になりそうですね、頼朝公の墓再建立。 宿題扱いだったことにびっくり! 享徳地震+今川氏鎌倉乱入で(多分)破壊された墓を直すことで頼朝公に対する御恩と…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ