元康の決断・義重の決断
1564年冬 井伊谷 お虎
西三河の情勢は終局を迎えているそうです。瀬名様の説明では、織田家が佐治氏に浮気して水野氏が拗ねたようです。水野信元様が吉良家を見限り、松平元康様の支援をしたことが決め手になったのだそうです。
まあ、拗れた浮気話はどうでもいいですが、旦那様のご活躍が認められて、井伊家の再興を許されました。妾も四年ぶりに井伊谷に戻ることができたのです。涙が出るほど嬉しいことなのです。
「母上、ようやく井伊谷に戻ることが叶いました。嬉しゅうございます」
「お虎も元気そうでなによりです。松千代や虎松も病気などしておらぬようですね」
松千代と虎松は旅の疲れも見せずに庭を駆け回っています。こんなに寒いのに元気なものです。母上は侍女に抱きかかえられた幼児を、楽しそうにあやしています。昨年に生まれた女の子で【とわ】という名です。
松千代がいるので、子を産む痛みはもう経験したくないと思っていたのですが、虎松の様子を見ていると、また子が欲しくなったのです。とわは痛いのは痛かったけれども、松千代の時より痛みも少なく、すんなり産まれてくれたとても良い子なのです。
「井伊谷は変わりませんね。安心いたしました」
「あら、お虎は井伊谷が変わったことに気が付いていないのですか」
「えっ。そんなに変わったものがあるのですか」
「直元様が井伊谷にお帰りになる事が決まってから、皆に笑顔が戻ったのですよ。領民達も嬉しそうに出来た作物を献上してくれるのです」
母上は子供達に囲まれて、だいぶ浮かれているようですね。旦那様が井伊谷に帰れるようになったから、妾が井伊谷に帰れたのです。その前の様子など、妾には知りようがないではありませんか。
「祐椿尼様、一大事でございます」
そんな和やかな雰囲気を打ち破るように、また、小野政次が蒼白な表情で駆け込んで来たのです。
「政次殿、如何したのじゃ。今日は井伊谷に松千代達が戻れたのです。めでたい日なのですよ」
「それが、三河の松平殿が謀反との報せでございます。先程、弟の玄蕃から早馬が参りました」
母上の顔が真っ青になりました。唖然として言葉も出ないようです。たぶん妾の顔も同じように真っ青なのでしょう。急に胸が苦しくなってきました。
「だ、旦那様は御無事なのか」
「玄蕃の報せでは、直元様は上ノ郷城にて謀反を知ったようです。すぐさま鵜殿様のご家族を海路で吉田城に避難させ、軍勢を纏めて退却中とのことです」
「じゃから、旦那様は御無事かと聞いておるのじゃ」
「お虎、落ち着きなさい。直元殿は御無事です。政次殿、状況は解りました。次の報せがあったら、すぐに伝えて下され」
「はい、すぐにお伝えします。こちらからも人を出して探らせます」
そう言って政次は一礼すると、足早に去っていったのです。それからは毎日のように報せが届くようになりました。二日目には旦那様の御無事が伝えられたのです。西三河から吉田城への撤退には、豊川を渡らねばならかったのだそうです。旦那様は出入りの商人から大量の小舟を借り受け、船橋を作って見事に大河を越えたのだそうです。
妾はようやく安心することができたのです。心に余裕ができたことで、少しは周りのことまで考えられるようになりました。そして、瀬名様のことが頭に浮かんだのです。
「お虎!瀬名様に文を出したいなど、何を考えておるのじゃ」
「鶴にとやかく言われる筋合いは無いぞ。瀬名様は寂しい思いをしている筈じゃ。励ましの文を送って何が悪いのじゃ」
本当に政次は冷たい男じゃ。謀反をしたのは元康殿であって、瀬名様ではないと言うても、全く取り合ってくれなかったのだ。状況が悪いとか何とか言っていたが、妾も聞きたくないので無視する事にしたのだ。
政次も妾を無視することにしたようで、母上に向かって報告を始めた。興味は無いけど、旦那様の話題もあるかもしれないので、聞き耳を立てておく事にしたのです。
「松平様の謀反の経緯が判明致しました」
正直、どうでもいいです。妾は松平様が謀反した理由なんかより、旦那様がいつ帰れるのかが知りたいのです。
吉良家を討伐する過程で、松平様は調略を用いて、多くの国人衆を寝返らせたのだそうです。本領安堵に安心していた国人衆宛に、駿河の今川家から臣従の挨拶に来いとの文が届いたのです。
国人衆は鳴海城主であった山口教継の事を引き合いに出して、駿府行きに難色を示したようです。山口教継は帰順した今川家に誅殺されて、所領を奪われていたのです。
駿府は恐ろしい所です。旦那様も妾も捕らわれました。大爺様も父上様も大叔父様達も、駿府に呼び出されて命を落としたのです。国人衆の気持ちが痛いほど理解できます。
吉良一門から帰順した荒川義広というお方は曳馬城主・飯尾連竜の陰謀だと言って、駿府行きを拒否したそうです。水野信元様も松平元康様に話が違う、と詰め寄ったらしいのです。
松平元康様は国人衆と今川家の板挟みとなり、三河の仕置を任せて欲しいと申し入れたそうですが、今川氏真様は申し入れを退けて、松平様と国人衆への駿府出頭を命じたのです。
今川氏真様の強硬な態度に、松平元康様も身の危険を感じたのではないかとのことでした。浮気話が益々拗れているみたいです。
1564年冬 古河城 菅谷政貞
北条家に対する合従は崩壊し、お館様の暴走によって奪われた小田城も、正木三浦介様を始めとする北条勢の援軍を得て、なんとか奪還することができました。宇都宮家や那須家が滅亡するという衝撃的な結末となりましたが、我等の小田家は命脈を保つことができたのです。
北条家は常陸国と下野国の諸勢力に対して『惣無事之儀』を通達したのです。関東の争いは終結し平穏が訪れた、関東の国境の争いは鎌倉公方様が調停なさるので、直ちに弓矢を収めよというものでした。そして諸侯に対して古河城への出仕を求めたのです。私はお館様と連れだって古河城へと赴くことになったのです。
引見の席でお目見えとなったのです。謁見の大広間に入室すると、北条方の大勢の武将が詰めておりました。最奥の一段高いところに鎌倉公方様と北条武蔵守様が並んでおり、大広間の右側には結城秀朝様を筆頭に、結城小山衆や青備の諸将が並び、左側には正木三浦介様を筆頭に、千葉衆や赤備の諸将が並んでおります。
右側の末席を見ると坊主姿となった【宇都宮広綱】殿の御姿がありました。宇都宮殿の引見は我等の前と聞いておりましたので、安堵したそのお顔から、命は許されたのだと思われました。
「小田氏治殿、菅谷貞政殿、御前に進まれよ」
お館様と共に躙り寄ると、武蔵守様から声を掛けられました。
「小田殿、面を上げて下され。此度の戦が収まったのも、其方等が早々に御味方して下さった故でござる。小田殿は領民の信頼も厚く、内政に秀でていると聞いております。今後とも良しなにお頼みいたす」
お館様は責められる覚悟で参上していたので、武蔵守様に褒められて呆気に取られておりました。まあ、戦が下手ということを、遠回しに言われたような気がしないでもないですが、褒められて悪い気はしないものです。戸崎城と宍倉城は北条勢が詰めることになりましたが、小田城と土浦城は安堵されたのです。
「菅谷殿、其方は小田殿を支える忠臣であるな。今後は小田殿と共に三浦介を与力するよう申し渡す」
意外にも私に対しても武蔵守様からお言葉がありました。そして三浦介様の与力として、大広間の左側末席に席を用意されたのです。
我等の次に呼ばれたのは、白河結城家の結城晴綱殿であった。白河結城家は以前から小山家や北条家と誼を結んでいたが、ここ数年は佐竹氏の攻勢を受けて羽黒山城を奪われるなど、厳しい状況にあったようだ。
初対面の挨拶が交わされた後、武蔵守様は晴綱殿に対して、優しく声を掛けたのでした。
「晴綱殿、佐竹の攻勢に苦心しておられるようですな。北条家が後ろ盾となります故、心配ご無用にござる」
「ご配慮、有り難くお受けいたします」
「ところで眼病の加減は如何でしょうか。気弱になられて一門衆の専横を許してるように、お見受けいたします」
武蔵守様の言葉に晴綱殿は驚いておりました。当主の個人的な情報まで掴んでいるとは、恐ろしさを感じてしまいます。
「そこまでご存知とは恐れ入ります。最近は馬に乗る事も叶わず。弟に家督を譲り、隠居も考えておりました」
「御舎弟は小峰義親殿でしたな。家督を譲る事に躊躇が見られるが、やはり義親殿では家を保てませぬか」
晴綱殿は観念したように告白したのです。眼病を患い、政務を執る事が難しくなりました。弟の小峰義親殿に力を借りようと働き掛けたのですが、小峰義親殿は晴綱殿を蔑ろにして、当主のように振る舞っているというのです。その様子を苦々しく思っている家臣も少なくない、とのことでした。
「晴綱殿、いっそのこと養子を取っては如何でしょう。小山の兄弟衆ならば、白河結城家とも縁戚です。晴綱殿を敬い、佐竹家とも渡り合える者達です」
「それも良いかもしれませぬな。一度戻って重臣と図ってみようと存じます」
「晴綱殿、待たれよ。北条家から白河結城家に小山重高を養子とするように申し入れましょう。晴綱殿が、小峰義親の恨みを買う事の無いようにいたします」
「重ね重ねのご配慮、誠に有り難く存じます」
結城晴綱殿は肩の荷が降りたような、晴れやかな表情で退室していきました。晴綱殿の姿が見えなくなると、三浦介様が武蔵守様に尋ねました。
「兄上、結城晴綱殿の眼病を如何にして知ることができたのでしょうか」
「ふふふ、氏親兄上は千里眼をお持ちなのさ」
「秀朝、茶化すでない。氏時が本気にしたらどうするのじゃ。実は晴綱殿が踊り巫女に、眼病払いの祈祷を頼んでいたのじゃ。」
「なんだ、秀朝兄上はいつも冗談ばかりですね」
「氏時、白河結城家の様子を調べたのは秀朝であるぞ。お手柄は秀朝なのじゃ。儂は聞いた話をしただけじゃからな、何もしておらぬのじゃ」
北条家の兄弟は軽口が叩けるほど仲が良いようです。白河結城家の後は府中城の【大掾貞国】、水戸城の【江戸通政】、上那須衆の【大関高増】が謁見し、本領安堵を許されたのです。最後に引見されたのは、太田城の佐竹義重殿でありました。
「武蔵守様、お初にお目見えいたします。佐竹義重でござる。北条家に弓引いた我が父、義昭はこれまでの行いを悔いて隠居致しました」
「ほう、殊勝であることじゃな」
「某が家督を継ぎましたからには、北条家に忠誠をお誓い申し上げます。何卒、帰順をお許し下さいますようお願い申し上げます」
佐竹義重殿は降ったとはいえど、若いながらも堂々たる態度で謁見に臨んでいました。風格を備えた姿勢には、周りの者を惹き付けるだけの魅力が感じられたのです。
「そうであるか。先程、家督を継いだと申されたが、既に家督は譲られていたのではないのかな」
「政に関しては既に引き継いでおります。しかしながら出師に関する事柄は、我が父の掌管するところでありました。漸く全て引き継ぐ事になったのです」
「ふむ、あい分かった。本領安堵を認めるが、条件があるが宜しいか」
「はい、本領安堵をお認め頂けるなら出来る限りのことを致します」
「まず、難波田三楽斎を引き渡すこと。次に羽黒山城を白河結城家に返還すること。河川改修の賦役を請け負うこと」
佐竹殿は不敵な笑みを浮かべていましたが、最後の条件に顔色を変えたのです。
「八溝などの鉱山を北条家の直轄とし、代官を置くこと。以上じゃが良いかな」
佐竹氏の潤沢な資金の供給元は、どうやら金山にあるようです。佐竹殿は表情を消していましたが、顔色の悪さは隠せないようでした。それでも堂々とした態度で「お受けいたします」と答えると頭を下げたのです。
~登場人物~
結城晴綱(1520-1573)白河結城家10代目当主。周りが強くて大変な家です。
小峰義親(1541-1626)白河結城一門衆。後に家督を簒奪か?
大掾貞国(?-1577)府中城主。常陸南部で小田氏・江戸氏と抗争。
江戸通政(1538-1567)水戸城主。佐竹洞中に含まれます。
佐竹義昭(1531-1565)太田城主。作中時点で34歳です。
佐竹義重(1547-1612)鬼義重。今後に期待
~佐竹氏の常陸支配~
佐竹氏に常陸支配は、伊達氏の奥州支配に見られるのと同様に【洞】を用いたものです。洞による軍役の観点から見ると、常陸の半分程を支配下に置いているとも言えます。しかし、佐竹氏が国人衆に対して所領を宛がうという意味での支配ではなかったようです。




