小一郎の嫁取り
1564年秋 宇治 風間小一郎
「小一郎、儂の娘を嫁に貰ってくれぬか」
「はぁ」
突然の松山様のお言葉に、一瞬、何を言われたのか考える事ができず、間抜けな返事をしてしまったようです。
「そうか、引き受けてくれるのか。其方なら安心じゃ。相模屋には儂から申し入れる故、娘のことを頼んだぞ」
馬上の松山様は満面の笑みでそう仰せになると、「はいやっ」と馬に鞭を入れて走り去って行ったのです。
「松山様、お待ち下され。一体、何の事でしょうか。松山様」
◆◆
三好家は家督相続の混乱の渦中にあるようです。昨年、当主の三好義興様が若くしてお亡くなりになり、気落ちした三好長慶様の様子がおかしいとの噂がありました。
後継者が定まらない事態となり、長慶様は後継者の相談をするとして、弟の安宅冬康様を呼び出したそうです。しかし、経緯ははっきりしませんが、安宅冬康様は長慶様に討たれてしまったようです。
結局、三好家の家督は三好義継様に決まったそうです。義継様は長慶様の弟・十河一存様のご子息で、九条様の血筋が決め手となったそうです。しかし、その影響は小さくなく、三好宗家・分家の阿波三好家・安宅家・十河家を巻き込んだ混乱となっているのです。
松山様は長慶様の居城である飯盛山城にて、長慶様をお支えしていたそうです。ところがこの秋になって家督を猶子の【松山広勝】に譲り、宇治に居を構えて隠棲してしまったのです。松山様は松永様からの出仕依頼を断りながら、相模屋や新陰流の道場に顔を出しては、私や上泉行綱様らと時を過ごしております。
冗談だと思っていた縁談話を松山様が正式に申し入れたことで、私はご隠居様と女将さんに呼び出されることになったのです。
「小一郎、このような大事の報告が無いのは如何なることじゃ。松山様からの申し入れに驚かされたぞ」
「申し訳ございません。まさか松山様が本気で仰せになっていたとは、考えてもおりませんでした。一介の商人に三好家の重臣である松山様のご息女を嫁がせるなど、思いもしなかったのです」
「そうかい、小一郎も驚かされた口のようだね。あたしも変な話だと思って、色々探りを入れてみたんだよ。ちょいと厄介な事になってるようだね」
女将さんの話しでは、松山様のご息女は飯盛山城にて、長慶様のお世話をする侍女の一人だったようです。ただ、長慶様の噂話は最近では鳴りを潜めていて、あまり聞こえて来ないのだそうです。
「儂の推測ではあるが、ご息女は何らかの問題に巻き込まれたのではないかと思う。松山様は輿入れにあたり、船岡山城で伊勢様をお助けした話まで持ち出して、借りを返すつもりで引き受けてくれと仰せになったのじゃ」
「あれには驚かされたよ。直ぐにでも嫁がせたいと、必死の形相だったからね」
「それ程とは存じませんでした。しかし、ご息女には相応しい相手が他にもいるのではありませんか。やはり釣り合いが取れないと思うのです」
「あたしも分不相応ですって申し上げたのさ。でも松山様は三好家中の者は嫌なんだとさ。華の松山軍団も、松山様が隠居した途端に分裂しそうな勢いなんだよ」
松山様の軍勢を引き継いだのは【松山広勝】という猶子でしたが、松山様の本拠地であった摂津には、本家筋の【松山守勝】がいて、所領は本家の物となっているようです。また、松山軍団の中核たる精鋭部隊を率いていた【中村新兵衛】も、独立した動きを見せていて分裂状態になっているそうです。
「無下にお断りする訳にもいかぬ。商人相模屋としてはありがたくも厄介な話であるが、風間衆としては三好家の中枢にも繋がる面白い縁談じゃ。其方次第では受けても良いと思うが如何じゃ」
「松山様には今まで大変良くして頂いております。これまでの恩を返せるのであれば、松山様の意に従っても良いと思います」
「小一郎の気持ちは解ったよ、松山様には了承の返事をしておくから、あんたは身の回りの整理をしておくんだよ」
◆◆
松山様に了承の返事をしてから、一月という異例の速さでご息女は嫁いで来られました。松山様は婚礼に際して、極近しい親族のみを列席させただけで、家臣の方々の列席はありませんでした。商家の相模屋に配慮したとお仰せでしたが、あまり大々的にはしたくなかったようです。
婚礼の後は床入りとなります。二人きりになると三つ指をついて頭を下げられました。
「父が無理を通してしまったようですね。お詫び申し上げます」
床入り前に詫びられるとは思ってもいませんでした。私も二十五歳を数えるいい大人なのです。それなりに経験もありましたが、筆おろしの時のように狼狽えてしまったのです。
筆おろしは経験豊富な踊り巫女の太夫が、お相手をして下さいました。太夫の手管に散々搾り取られた記憶しかありません。『小田原養生訓』では交合の作法に関しても多くの事が記されております。
その中でも【気を満ちさせる】までの作法として【寄手】と【仕手】の概念があります。本書では一般的な交合における男性を【寄手】、女性を【仕手】と定義付けており、衆道における年長者の念者を【寄手】、年少者の若気を【仕手】の関係であると記されております。
しかしその神髄は誰もが寄手と仕手の資質を備えており、その割合によって本性が決まるというのです。男子であっても仕手資質の高い者は奔放に高揚を求め、女性であっても寄手資質の高い者は、相手の気の満つる様を感じて高揚するというのです。
どうやら私は寄手資質が高いようで、仕手資質の高い太夫の手解きを受けて、手管を学んでおりました。
「小一郎様、妾のことは【那加】とお呼び下さいませ」
松山様のご息女は那加というお名前です。問題なのは、私の【おっかあ】の名前もナカだったのです。褥を伴にする相手から母親と同じ名前を呼ぶように求められてしまったのです。
姫の名を聞いたのは婚礼の席でした。名前を聞いた途端に、那加姫の白い肌がおっかあの作った大根に重なってしまったのです。
おっかあの邪念を振り解きながら、那加姫に集中しました。黙ったまま那加姫を抱き寄せると、名前を呼ばずに済むようにと優しく口付けを交わしたのです。
しかし、考えないようにする事は考える事と同じなのです。おっかあの高笑いが聞こえたような気がしました。
那加姫に集中する為に着物の上から、その冬瓜の如き二つの膨らみを揉みしだきました。少し強すぎたようで、那加姫は「あっ」と声を上げたのです。おっかあが冬瓜を撫で回すさまを思い出し、焦りを抑えて優しく撫でるように加減しました。
手を差し入れると那加姫の二つの膨らみは張りのある、搗き立てのお餅の様な肌触りでした。搗き立てのお餅はおっかあの大好物なのです。錯乱しつつある事を自覚しながらも帯を解き、胸元から下の方へと右手を滑らせたのです。
着物の上からは解りませんでしたが、那加姫の下腹は、大きく膨らみかけている事が感じられたのです。
膨らみかけたお腹を撫でながら、ようやく冷静さを取り戻す事ができました。松山様が必死になっていた理由に合点がいったのです。那加姫は飯盛山城に上がっていたのですから、ひょっとしたら夜伽の務めもあったのかもしれません。また、よくない事に巻き込まれていたのかも知れません。
ただ、松山様のお立場であれば、相手に責任を取らせる事もできた筈ですし、秘かに出産した後に取り繕う事もできた筈です。それをしなかったという事は、松山様は那加姫だけでなく、お腹の子供も護りたいのではないかと思われました。それも三好家中に知られずにです。
那加姫のお腹を撫でながら、物思いに耽っていたせいで、那加姫が身を固くして震えている事に気付くのが遅れてしまいました。
「すみませぬ。考え事をしていました。那加姫は辛い思いをしていたのですね。後は私に任せて心安らかに過ごされるとよいです」
「小一郎様はこのような妾を受け入れて下さいますのか」
那加姫は掠れ声で、怯えたように聞いてきた。
「何の問題もありませんよ。貴方達を養えるくらいの甲斐性はあるつもりです」
「……小一郎様」
那加姫は呆気に取られた様な反応をした後、私の胸に縋り付いて、赤子の様に泣きじゃくったのです。那加姫が泣き疲れて眠るまで、優しく髪を撫でることにしたのです。
◆◆
翌朝、女将さんに呼ばれました。婚礼の際の花嫁の様子を見ていて、女将さんは那加姫が身重である事に気が付いていたようです。
「床入りで問題は無かったかい」
「それが、姫のお名前が私の母と同じナカだった事で戸惑いがございました」
「小一郎、お前は何を言っているんだい」
「床入りでの問題のことではないのでしょうか」
「だから、姫は身籠っていなかったのかい」
「はい、身籠っているようです。それが何か問題なのでしょうか」
「……あんたは細かなところまで気が利く癖に、とんでもないところで抜けてるようだね」
子供はいずれは出来ると思っていたので、育てられるのかを心配をされているのかと思っていたのですが、女将さんの心配事とは父親が誰かという事でした。
松山様も身重である事は判っていた筈です。松山様がお話して下さらなかった以上、那加姫に聞いても答えてくれるとは思えませんでした。
私の生まれ育った農村ではありふれた話でした。農村では身籠った娘が【関係を持った男達】の中から夫となる相手を選ぶのです。
男衆も【通った事実があれば責任を取るのが当たり前】であり、選ばれたくない相手のところには、最初から夜這いなどかけないのです。
二人目以降は夫婦の子供である事に間違いないのですが、一人目は何となく父親に似ているかも知れないという子供もいない訳ではないのです。最初の子供はそういうものだと漠然と考えていたのですが、女将さんに呆れられてしまいました、
「まあ、いいや。小一郎が納得してるならいいんだよ、そっちの意味では安心したよ」
女将さんは脱力したような感じで改めて助言してくれました。
「那加姫にあんたの故郷の村の話をしてはいけないよ。御武家様の子供となるとそんな訳にはいかないんだ」
女将さんの話では、不義の子となると奥方様でも打首になるような問題なのだそうです。那加姫はそれこそ死を覚悟して嫁いで来たかもしれないのだそうです。私はそんな大事とは思ってもいなかったのです。
「女将さん。那加姫に呼び名を替えさせてもらうのは問題にはなりませんか」
「そんなどうでもいい事はさっさと二人で解決しなさい」
私にとっての重大な事は、女将さんにとっては大した問題ではないようでした。
~おことわり~
【小田原養生訓】の内容は架空のものです。作中にある【寄手】【仕手】は造語です。S気質・M気質を表すしっくりとくる表現がありませんでしたので造りました。
農村部における【夜這いの作法】のついても様々な形態があったようです。夜這いは平安時代からある逢引の文化ですが、妻問婚の形態にもみられるように、責任を伴う暗黙の規則があったのではないかと思います。




