真宗寺の会見
1564年夏 飯山平 北条氏親
十日市平の平定を成して、大井田城の改修を進めながら、ふと思い立った。当主という立場であるが故に、気軽に旅に出る事が出来ない。しかし、それほど遠くない飯山平に武田家の当主がいるのである。僅かな時間であれば軍議と称して会談が可能なのではないか、と考えたのだ。
直ぐに樺沢城の父上に伝えて、なんとか許可を取り付けたのである。武田康信を使いに出して、一刻程してから会談の了解を伝える先触れが来た。陣幕を張り、矢立を机替わりにして中央に置き、左右に四つずつ床几を並べる。対等な立場での会談なのである。
入口から見て右奥に座して待っていると、賑やかな康信の声と共に、緋色に統一された甲冑姿の武田の諸将が入ってきた。康信は左側の席に武田方を案内すると、右側の自分の席に腰を下ろしたのである。
儂の正面に座ったのが武田甲斐守殿であるようだ。大柄で落ち着きがあるが、全身から覇気が漲っている。初陣で多数の首級を上げた武勇の士という話も誇張ではないようだ。
「武田甲斐守殿とお見受けいたす。北条武蔵守でござる。此度は急な申し出にも関わらず、御足労いただき誠に忝い」
「御挨拶、痛み入ります。武田甲斐守でござる。武蔵守殿の高名は甲斐にも聞こえております。身共も一度はお会いしたいと考えておりました。会談の申し出、誠に忝い」
初対面の挨拶を済ますと同席している者達の紹介となった。北条方は並び順に松田憲秀・武田康信・風間秀吉の四人である。松田憲秀は父上から付けられた目付でもあった。
武田方は武田甲斐守殿・穴山信君・小山田信茂・内藤昌秀の四人を紹介されたのだ。甲斐守殿の背後に立っているのが山県昌景であるようだ。小柄ながらもがっしりとした体躯で、儂の背後に控える宮田光次と比べると対照的な印象である。
「甲斐守殿に嫁いだお竹は壮健でしょうか。身共の知るお竹はまだ子供でした故、今どのようになっているか想像もつきませぬ」
「竹は良く奥を纏めてくれております。我が家の奥が穏やかなのは、竹姫のお蔭じゃと家中の者が申しておりました。身共も康信の元気な姿を見て安堵いたしました。ありがたいことです」
竹姫の話をすると、横に控えている内藤昌秀や山県昌景も柔和な表情になっていた。兄弟親族の話をしたことで、少し空気が和らいだようだ。武田家との共同作戦にて、問題になっている事を話せる雰囲気になったようだ。
「重臣同士のやり取りで、越後における境界をどうするかが問題になっております。北条家からの提案が御座いますが、宜しいでしょうか」
越後を制圧した訳でもないのに、境界の話をするというのも変な話ではあったが、境界を定めていなければ、先に制圧した方が得ることになる。北条家としては越後上杉の討伐が大前提であり、絶対に失敗できないものなのだ。功を焦って無謀な進軍から失敗する、そんな事態だけは避けたいのである。
「この場ですぐに返答は致しかねるが、お伺いしましょう」甲斐守殿は少し警戒しながらも、話を聞く姿勢のままでいてくれた。
「双方での懸念は柏崎の領有を如何にするか、という点です。柏崎の領主に【武田康信】を置いてはどうかと考えております。北条家家中にも柏崎湊を領有したいとの声もありますが、武田家との係争地となるのは本意ではないのです」
「ふむ。悪くない提案ですな。しかし、柏崎に庁南武田家が移封となると、上総の地は北条家の蔵入地となるのではありませんか。今少し武田方に利が薄いようにも思われます。代替地か何かの利権を譲っていただきたいところです」
「恒久的なものとなると難しいですが、金銭的な補償では如何でしょうか」
「成る程。折り合いがつくか解りませぬが、緩衝地帯を設けることに否やはありません。前向きに検討させましょう。武田家としても、北条家と争うのは本意ではありませんからな」
甲斐守殿は少し悩んだ顔をしていたが、最後には笑顔を引き出すことができたようだ。細部は重臣達に任せることになるが、大筋で武田康信を柏崎に入れることで合意できそうなのである。
「武蔵守殿、中越の様子は如何でしょうか」
甲斐守殿は武田家の上越侵攻の様子を話してくれた後、北条家の現状を尋ねてきた。武田家も北条家の中越侵攻を把握しているようではあったが、折角の交流の機会という事でもあり、細部まで説明することになったのである。
雪解けを待って北条勢は三国峠を越えた。いつものように先鋒は綱成叔父上の黄備と上野衆の、総勢一万の軍勢である。叔父上は樺沢城を制圧すると、河田重親の守る坂戸城を包囲したのである。
父上の率いる小田原衆一万が魚沼平に到着すると、坂戸城の包囲を小田原衆が引き継ぎ、叔父上は更に駒を進めたのである。
対する越後勢は、古志長尾景信が率いる五千の中越衆を下倉山城に入れて、魚沼平から越後平への進路を封鎖したのである。
下倉山城は、破間川が魚野川と交わる位置の北側に聳える、権現山に築かれた山城である。下倉山城は渡河した上で、背水の陣を敷いて急峻な斜面を攻め上がらねばならず、多大な犠牲を覚悟しなければならない城なのだ。
叔父上は急戦を避けて対岸の小出山に陣を敷き、長期戦を見据えて小出山を砦として改装していった。丁度その頃に魚沼平に到着した我等江戸衆は、父上の命を受けて樺沢城の側の間道から十日市平へと進軍したのである。
江戸衆一万は琵琶懸城を足掛かりに、十日市平を制圧することになった。樋口兼豊の説得で今井城と大井田城を開城させると、大井田城を駐留拠点として改修しているのである。
「という訳で、我等はまだ本格的な交戦には至ってはいないのです」
「成る程、じっくりと足場を固めておられるのは解りました。然れど、越後の冬は早い。三国峠に雪が降り始めると困るのではありませんか」
「心配ご無用です。我等は越後で冬を越すつもりで準備をしております」
「なんと。それは真なのでしょうか。大軍を長期に滞在させるとなると、負担はかなりの物となるでしょう」
「慣れぬ雪国での駐留となりますが、越後の冬を知る大熊朝秀と樋口兼豊が指南役として、従軍しております。駐留させる準備は整っているつもりです」
坂戸城はなんとしても制圧しなければならないが、魚沼平の小出山砦と十日市平の大井田城が機能してくると、後方の安全を確保しながら越後平に圧力を掛けられるのだ。
「今でも下倉山城を牽制したまま、我等江戸衆が越後平に侵攻することは可能ではあります。然れど、敢えて危険を冒すつもりはありません」
「北条家の壮大な戦略には圧倒されますな。ここまでじっくりと足場を固められると、北条家に意を通じる国人衆も出てくるでしょう」
甲斐守殿が言われるように、既に調略の手を伸ばしている。大熊朝秀や樋口兼豊を通じて、本領安堵を願いでている国人衆もいるのだ。
「今は明らかにする時期ではありませんので、多くは語れません。我等が越後平に兵を進めた時に、合力してくれるように懐柔しているところです」
北条と武田、双方の進捗を確認したところで会談を終えたのである。武田方を見送ると陣幕を畳んで帰路についたのだ。
◆◆
琵琶懸城に戻ると、何故か父上と綱成叔父上が待っていた。甲斐守殿との会談の様子を報告させられたのだ。
「柏崎の事は武州の申す通りに話を進めよう。ところで甲斐守殿はどのような男であった。竹の事などは話しておらぬのか」
「甲斐守殿は立派な御仁でしたよ。竹も大事にされているようです。竹の話になると配下の内藤昌秀なども優しげな表情をしておりました」
「であるか。竹と甲斐守殿の間には男子がおらぬ故、心配しておったのじゃ。一安心じゃのう」
「義兄上も武州様も呑気なことじゃな。ここが敵地の越後である事を忘れておられるようじゃ」
「叔父上、忘れている訳ではないのです。確かに此度は軽率な行動であったと反省しております。然れど会談の機会を逃したくなかったのですよ」
「綱成、良いではないか。竹の様子も聞けたし、甲斐守殿の為人を知る事もできた。懸案であった柏崎の事も話が進み、竹が武田の者達から慕われているのも解ったのじゃ」
「……義兄上が竹姫をとても心配しているのが良く解りました。それより、今後のことにござる。義兄上も武州様も越後で冬を越すおつもりではありますまいな」
「………」
「綱成、越後の仕置は儂が……」
「成りませぬぞ。下野や常陸の仕置もございます。上杉征伐にと大変な準備をして、成り行きを見守りたいという、並々ならぬお気持ちは解りますが、それは棟梁のなすべき事ではありません」
「「………」」
「お返事が聞こえませぬ。宜しいか」
「「はい!!」」
「小田原衆も江戸衆も某が一時の間、お預かりいたします。連携も必要となります故、配下の者達に言い含めておいて下され」
綱成叔父上に諭されて、越冬の体制を決める事となったのである。樺沢城に叔父上が入り、総勢二万五千の越後駐留軍の陣代となる。【松田憲秀】らの江戸衆が叔父上の周りを固める事になった。
小出山砦には叔父上の嫡男【北条氏繁】が城代となり、大熊朝秀が補佐をして黄備が詰める。大井田城には叔父上の次男【北条氏秀】が城代となり、樋口兼豊が補佐をして、江戸衆の山上氏秀と風間秀吉が詰める事になったのだ。江戸衆の原胤貞と明智光秀は琵琶懸城と今井城の抑えとなる。
父上は尚もゴネていたが、叔父上の「黙らっしゃい!」との一喝で大人しくなったのである。




