里見家再興への道筋
1564年春 里見義弘
八丈島に流されて隠棲生活を送ることになった。お伏と過ごした日々は、この十年の逃亡生活を思うと心休まるものであった。その隠棲生活も屋久水軍・新納忠光の使いとして現れた明国人によって、僅か一年で終わりを告げることになったのだ。
「里見様ですね。私は【楊文理】と申しマス。里見様に北条様からお話がありマス。私達の船で江戸まで同行をお願いしマス」
怪しげな物言いをする者であったが、渡された文には北条家の花押があり、従わない訳にはいかなかったのだ。お伏は酷く怯えた様子で、二度と会えないのではないかと心配していたが、何とか言い含めて船に向かったのだ。
「爸爸、里見様を連れてきました。里見様、彼はこの船の船頭です。私の父上でもありマス」
問答無用で引っ立てられるのかと思っていたが、丁寧に船頭を紹介されたことで面食らってしまった。
「おお、某が里見左馬頭じゃ。宜しく頼む」
「里見様、私は【楊泰隆】言いマス。この船の船頭です。江戸まで一緒に行きマス。お願いしマス」
江戸までの航海中、海賊衆が気軽に話し掛けてくる事に驚いた。どうやら彼等は儂のことを、新しい仲間だと認識しているようであった。少しでも状況を知るために、積極的に語り掛けることにしたが、明国と大きな商いをするらしいということ以外は詳しいことは判らなかった。
「里見義弘であるな。面を上げよ。儂が北条武蔵守じゃ。牛久での其方等の戦いぶりは、敵ながら見事なものであった。江戸に来てくれたことを嬉しく思う」
江戸に到着してから、あれよあれよという間に衣服を整えさせられて面会となったのだ。面を伏せたままお答えする。
「北条様の御厚情で命を永らえております。此度のお召に驚いておりますが、如何なるご用件でしょうか」
「里見殿、面を上げて貰わねば話もできぬ。其方に頼みたい事があるのじゃ」
武蔵守様が少し砕けた物言いに変えたのを受けて面を上げる。頼みと言われたが、断ることは難しい話になると思われた。武蔵守様の側には島津忠貞殿と新納忠光殿という二人の側近が控えていた。
「北条家では明や南蛮との貿易に力を入れておるのじゃ。鉄砲・硝石・鉛弾などはこれからも不足することが予想される。これまでは海賊衆の助けを借りて行っていたが、数年前に海賊衆の多くが、倭寇として明に討たれたのじゃ。今は海洋の秩序が崩れて混沌としておる。新たな秩序が必要なのじゃ」
近年までは【王直】や【徐海】といった、倭寇の頭目が交易の仲立ちを行っていた。鎖国の強化を目指す明国は【招安】と呼ばれる、罪を許して官に登用する制度を用いて王直を懐柔したのである。
反発した徐海の大攻勢を明軍が退けると、明軍は招安した王直をも処刑したのである。大勢力を誇った頭目達を失ったことで、小規模な海賊衆が乱立割拠し、鎬を削る戦乱の時代となっていたのだ。
「武蔵守様は某に海賊衆を束ねよと申されるのでしょうか」
「その通りじゃ。それだけではないがな。里見殿の器量を見込んで、国盗りをして貰おうと考えておる。その地は治める者は居らぬ。朝廷の威光も幕府の権威も及ばぬ土地じゃが、九州程の広さがある。切り取り次第じゃ。その地であれば里見家を再興することも思いのままにするが良い」
「そのような土地があるとは驚きです。そのような地が本当にあるのでございますか」
「ある。薩摩から南に数千里、琉球から更に西に進んだ所じゃ。明国では【東蕃】と呼ばれておる。そこは瘴癘の島と呼ばれておるのじゃ。島に近づく者は魔に魅入られると言われておった故、これまでは島に近付く者も居なかったのじゃ」
瘴癘とは南方の暑い地域で発生する伝染病のことだ。
「そのような島を統治することができるのでしょうか」
「できる。既に一部に拠点を築いておる。まだ小さい拠点であるが瘴癘の正体も解ってきた。対策も効果が出てきたという報告であった。其方等には本格的な東蕃開拓の先兵となって貰う。里見旧臣と其方に組した正木の水軍衆を返すつもりじゃ。よいな」
断るという選択肢は無かったのだが、旧臣達と再び会えることを思うと、心が躍るような感覚となっていた。
東蕃の開拓事業は北条家だけでなく、薩摩の島津家も参画しているそうだ。むしろ島津家傘下の海賊衆が倭寇と関係が深いこともあって、主体的に動いているようだ。他にも伊勢商人の角屋、根来水軍の佐々木党などからも人が集まっているとのことであった。
「承りました。里見家再興の為、足掻いてみる事に致します」
了承の返事をした後、すぐにお伏に手紙を書いた。必ず迎えに行くので頼純義兄上と共に待っていて欲しいと伝える。旧臣との面会では、儂の姿を見た岡本随縁斎と安西又助が泣き崩れて喜んでいた。彼等の無事な姿を見た時は嬉しくて、儂も涙が止まらなかったのだ。再会を喜ぶ間も惜しむように、すぐに楊泰隆の屋久船に乗り込むことになったのだ。
最初の目的地は大隅国の屋久島であった。四艘の船団を組んで十日程の船旅であったが、その間に旧臣達と屋久船の船員との交流が行われたのである。
船頭の【楊泰隆】は四川省出身の塩商人であったそうだ。塩の密輸が元で倭寇に身を投じたそうだ。
最初に迎えに来た【楊文理】は楊泰隆の息子で語学の天才とのことであった。商才もあり、明国の言葉だけでなく朝鮮・日本・南蛮の言葉にも精通しているそうだ。
海賊衆というだけあって腕っ節の強い者もいる。大越国出身の【阮文孝】は人食虎の渾名を持つ猛将で、切り込み部隊を率いている。軽く手合せをしてみたところ、小柄ながら鍛え上げた肉体で大きな曲刀を振り回し、鋭い攻めの剣筋であった。
【宇蘭夫】は騎馬の扱いが巧みで騎射の名人なのだそうだ。北方遊牧民族出身で明国の捕虜となったが、牢を破って海賊衆に加わったのだそうだ。
屋久島は水軍の拠点に適した入江の多い島であった。新納忠光殿に連れられて、楊泰隆と共に楠川城に案内された。楠川城で島津方の海賊衆との顔合わせが行われたのである。
中華風の調度品が並ぶ、異国情緒溢れる部屋に通された。草履を脱がずに部屋に通されたので、戦の最中であるのかもしれない。
部屋には円形の机とそれを囲むように椅子が並んでいた。椅子に座り円卓を囲んで、顔合わせが行われるようだ。慣れぬ作法に戸惑いながらも、楊泰隆を横目に見ながら、見様見真似で席に着いたのだ。円卓には我等三人の他に二人が席に着いていた。一人は海賊衆のようでありながら、気品を感じる大柄な男である。もう一人は商人風の男であった。新納殿は二人とも顔見知りのようであった。
全員が席に着くと赤い液体が注がれたビードロの杯が配られた。里見領主時代に一度飲んだ記憶がある。香りから南蛮酒であることが判った。
「再会と新しか出会いに、乾杯」大男の号令で皆が杯を飲み干す。癖はあるが良い酒のようだ。大男が新納殿に笑顔で話し掛けた。
「南山、久しかぶいじゃのう。元気そうで何よりじゃ」
「陳棟様もお元気そうで嬉しく思います」
「そういえば、叔父貴は息災か。前んゆっさで大怪我をしたと聞いたが」
「はい、長徳軒様は越後勢との戦いで、捨て奸となって味方を守りましたが、辛うじて命を取り留めました。今でも元気にしておられます」
「じゃったか。そいは安心じゃ。南山、新顔がおるようじゃな。紹介してたもんせ」
「こちらは里見義弘様でございます。里見家は上総にて覇を唱えた名家でございます。精強な水軍衆を率いており、この度は東蕃遠征に協力して頂くことになりました」
新納殿はこちらでは南山と呼ばれているようだ。少し混乱しながらも紹介されたので、名乗りを上げる。
「里見義弘でござる。北条殿の温情で生き永らえた敗軍の将ではありますが、里見家再興のため、七難八苦にも耐える所存でございます」
「よか、よか。負けを知る者は強かじゃ。里見さあ、期待しちょっでな。オイは陳棟と名乗っちょいもす。和名は島津尚久じゃったが、陸ではオイは死んだこつになっちょいもす。じゃっで、オイが海で何をしようとも、島津家とは無縁でございもす。よかな」
言葉が聞き取り辛いが、何となく言いたいことは伝わってきた。南山の話によると、陳棟殿は島津家当主の御舎弟とのことであった。島津水軍の棟梁であったが息子に家督を譲り、海賊衆の統制に専念しているとのことでした。
「陳棟様の御覚悟、お見事です。ところで東藩は瘴癘の島とお聞きしました。具体的な対策は如何様なものなのでしょうか」
これまで微笑みながら聞いていた商人風の男が口を開いた。
「それは手前がご説明いたしましょう。手前は角屋の番頭で元助と申します。里見様、よろしゅう頼みます。武蔵守様のお話では瘴癘を運んで来るのは【蚊】なのだそうでございます」
角屋は屋久水軍が蚊対策を徹底させた事で、病に罹る者が激減した事を教えてくれたのだ。様々な対策法が取られているそうだ。足裏を酒精の強い焼酎で清める事。身綺麗にして入浴を欠かさず、湯上りには柑橘系の実で身を清める事を個人に課すそうだ。
「北条家で開発された青苧の蚊帳は抜群の効果があります。島津家で開発された、除虫菊の粉末を混ぜたお香を焚くことで、安心して眠れるようになりました。また蚊は小さな水溜りがあると繁殖いたします。発生を防ぐ為に池や沼に鯉や鮒を繁殖させることも大事なのです」
「蚊の対策は承知したが、そのような島に人が住めるものなのか」
「はい、実際に住民は住んでおります。しかし、現地の住民は文字を理解せず、特に高山に住む者達は余所者に対して攻撃的なのです。彼等は元服の際に、首級の手柄を長老に求められているので、皆が剽悍な戦士なのです。首級を上げる事を優先するため、名乗りを上げる事無く闇夜から襲ってくるのです」
「厄介な者達なのじゃな。闇討ちなど対策しようがないではないか」
「それは城壁を作る事と犬を飼う事で改善できました。鼠対策として猫も多く飼っておりますので賑やかなものですよ」
「犬ならば飼う心得がある。かつての朋輩に犬を巧みに使う者が居たのじゃ。長く一緒に居た故に手助けできると思う」
「それは心強いです。里見様には犬部隊の育成にもご協力をお願い致しましょう」
「承知した。どのような所かは解らぬが、役に立てるなら協力しよう」
これから行く島がどんな魔境であるか解らないが、共に戦う仲間がいて、里見家の再興の道筋が見えるのであれば、何としてでも成し遂げたいと思うのであった。
~人物紹介~
陳棟(?-?)倭寇の頭目の一人。『籌海図編』で【薩摩州君之弟掌書記酋也】と記されています。
島津尚久(1531-1562)島津忠良の三男。鹿篭城主。島津水軍に関連するとも。
松本元助(架空)角屋の番頭
◆屋久水軍
楊泰隆(架空)四川出身の商人。趣味は壺磨き
楊文理(架空)語学の天才。楊的奇跡
阮文孝(架空)ハロン湾の海賊。狂戦士
宇蘭夫(架空)寡黙な騎馬民族の将。
~用語紹介~
東蕃:現在の台湾。




