平氏の大学別曹
1564年正月 江戸城 北条氏親
小田原城の年始挨拶を終えて江戸城に戻ってきた。これから江戸城で直参の者達からの年始挨拶を受ける事になるのだ。その後は皆を集めての宴会が恒例となっている。藤吉郎の農民踊りや宮田光次の腹踊りに、皆が腹を抱えて大笑いする様子を見ると、それだけで和やかな気持ちになるのだ。
翌日、主だった者を集めて、臨時の評定を開くことになった。相談役の伊勢貞良殿・島津忠貞、奉行衆からは安藤良整、部隊長の原胤貞・風間藤吉郎・明智十兵衛・山上氏秀、水軍衆からは新納忠光・清水康英という面子である。
「急な招集にも関わらず、よく集まってくれたな。昨夜の酒が抜けていない者もおるようじゃな」
皆から苦笑が漏れた、藤吉郎と氏秀は明け方まで呑んでいたようで、酒の匂いがまだ残っているようだ。
「評定とは言っても、内輪の気楽な会合にする所存じゃ。固くならず思いの通りに発言するがよい。現状の置かれている情報を共有したい。忠貞、頼む」
島津忠貞が「それでは」と現状の報告を始めた。まずは越後情勢である。昨年の越後侵攻は綱成叔父上の黄備主体で行われた。魚沼平での決戦を避けて、上杉方の坂戸城と北条方の樺沢城での睨み合いとなったようだ。上杉勢の主力が飯山平で武田勢と対峙している隙に、叔父上は魚沼平と十日市平にて乱取り働きを行い、成果を上げたのだった。
「上野介様の黄備は雪の降る前に兵を収めて上野に戻っております。越後勢は昨年の論功の不満から、思うように兵が集まらなかったようでございます」
忠貞の報告が終わると、藤吉郎が同意した。
「我ら風間衆の集めた情報でも、越後勢の不満が溜まっているようでございます。青苧座の不振が効いてきたようです。今回の論功でも不満を唱える国人衆が出ているようです」
「二人共、報告ご苦労である。父上は今年は大軍を催すつもりのようじゃ。叔父上は早く決戦をしたくて堪らないようで大喜びであったが、父上は下野国の様子を気にしているようじゃ」
「結城様の青備が宇都宮城を落としたと聞きました。おめでとうございます。」山上氏秀が祝いを告げると共に質問を口にする。
「宇都宮城を失っては宇都宮勢も大人しくなるのではありませんか」
「宇都宮城は平城で守るには適しておらぬのだ。落としたというより放棄したという感じであろう。宇都宮広綱は益子高定と共に西明寺にいるようじゃ」
後方に下がった宇都宮広綱を守るように前線の多功城には【多功房朝】が籠もっており、真岡城にも【壬生綱雄】と【壬生徳雪斎】が守りを固めていた。佐竹勢の援軍もあり、青備も攻めあぐねているようなのだ。
「結城様の青備を持ってしても、苦戦をしているのですか」山上氏秀が怪訝そうに尋ねた。
「苦戦しているというよりは、宇都宮や佐竹の合従策を崩す方に、主眼を置いているようじゃ。小田家が離反したことで、那須諸氏に厭戦の気配が蔓延してきたのじゃ。良い傾向だと父上は仰せであった。分断してから各個撃破するおつもりのようじゃ」
「江戸衆の出陣の予定は如何なりましょうか。最近は戦よりも護衛や工事ばかりで、腕が鈍っております」
「牛殿、護衛も重要な勤めですぞ。商売で儲かると楽しいではありませんか」
「猿殿、それは解っておるが、折角の朱槍も錆び付いてしまいそうじゃ」
「二人とも済まぬな。宇都宮や佐竹には青備と美浦の赤備で十分であろう、と父上はお考えじゃ。我等には来る越後攻めに向けて準備をせよ、との仰せであった」
「「承りました」」
二人とも大喜びであったが、我等は後備となるので、補給が主な役目となる。納得してもらうしかないが、やる気に水を差すこともないので暫くは黙っておくことにした。
「武蔵守様、伊豆水軍への指示の真意を教えていただけないでしょうか」
発言したのは、伊豆水軍の清水康英であった。沼津と下田の伊豆水軍衆は小田原の管轄であったが、父上に頼み込んで一部を江戸城管轄に貰い受けたのである。
「伊勢湾辺りでの青苧海運の安定を図る護衛任務じゃが、それは表向きの理由じや。儂は三河に居る直元の事が心配なのじゃ。密かに気を配って欲しいのじゃ」
「武蔵守様は心配性ですね。直元様や三河国人衆の活躍で、今川方が優勢となっておりますよ」
三河での今川家と吉良家の争いは、ようやく決着しそうな情勢となっていた。織田家の攻勢を鳴海城の岡部元信が巧みに防いでいた。また、藤波畷の戦いで松平元康家臣【本多広孝】が吉良家の勇将【富永忠元】を討ち取った事で、吉良勢に乱れが出たのである。
今川方三河国人衆と意見が対立していた飯尾連龍が罷免されると、松平元康は再び吉良一門の荒川義広に調略を仕掛けて、寝返らせる事に成功したのである。
「傍目には今川方の優勢が伝えられておるが、三河の国人衆が今川家に心服しているのか確証が持てないのじゃ」
今川家に反旗を翻す可能性がある者を、名指しする事は憚られるが、万一の備えを怠る訳にはいかないのだ。
「承りました。武蔵守様の懸念を念頭に置いて、上ノ郷城への兵糧弾薬の売り込みという形で、直元様と繋ぎを付けるようにいたしましょう」
「康英、頼んだぞ。儂の心配が杞憂であれば良いのじゃが、万一に備えてくれ」
次に新納忠光から南方交易の計画報告があった。そして最後の議題として、家中の子弟教育機関を江戸城周辺に移す計画を告げたのである。
「伊勢貞良殿の発案で江戸に学舎を立てる事になった。早雲寺で行われている子弟教育を拡充して江戸で行うのじゃ。早雲寺のやり方を踏襲するが、希望する者があれば試験を課して、他家の者でも受け入れようと思っておる。ここまでで何か疑問はあるか」
藤吉郎が懐かしそうに発言した。
「千葉様や上杉様も共に学んでおりますので、他家の者と言われても、今更という思いです。ただ、温泉が近くに無いのは残念です」
藤吉郎の発言に皆が微笑する中、原胤貞が何か気付いたように発言を求めた。
「もしや、国人衆からの人質を取るための名目なのではありませんか」
「実際に人質となった者達も学んでいるので、胤貞の思い浮かんだ考えも間違いではない。最終的な狙いは勧学院や奨学院のような、大学別曹とする事なのじゃ」
目的を話して皆の反応を伺う。明智十兵衛だけが真っ青な表情で呻くように小さく呟いた。
「……朝廷がお認めになるでしょうか……」
事の真意に気付いたのは、発案者の伊勢貞良を除くと十兵衛だけのようだ。皆にも解るようにと、貞良殿が大学別曹についての説明を加える。
「大学別曹とは、朝廷の大学寮に連なる学院として、次代の朝臣を育成する目的を持っておりました。ただし、大学別曹を設立し、運営や教育に至るまで全てを各氏族の役割とされたのです。」
貞良は一呼吸置き、更に言葉を続ける。
「藤原氏の勧学院、橘氏の学館院、源氏の奨学院などがありましたが、平氏独自のものはありません。将来的には平氏の為の学院を設立し、武蔵守様に学院別当を務めて頂きたいと考えているのです」
貞良の解説に安藤良整から疑問の声が上がる。
「武蔵守様、江戸に坂東平氏の為の学院を設立し、朝廷に仕える朝臣を育成するのでしょうか」
「現実問題として朝廷に人を送り込む事は無理じゃ。そこまで望んではおらぬが、平氏の為の学院は必要だと思っておる。それを朝廷に公認して頂きたいだけなのじゃ」
青ざめた表情で話を聞いていた十兵衛が、意を決したような表情で尋ねた。
「武蔵守様は【平氏長者】となるおつもりでしょうか。大学別曹の別当は氏長者が務めるのが慣例です。藤氏長者の近衛様、源氏長者の公方様と肩を並べる者となれば、危険視して反発する者が出てこないとも限りません」
「十兵衛の申す通りじゃが、近衛様や公方様と肩を並べるなど恐れ多いことじゃ。朝廷が簡単に【長者】をお許しになるとは思っておらぬ。幕府の家臣であるという立場は変えるつもりもないが、平氏にも大学別曹が必要だとして願いでるのじゃ」
「武蔵守様のお考えは納得いたしましたが、果たして朝廷が大学別曹としてお認めになるでしょうか」
「朝廷に上奏する時期を見計らう必要はあろうな。当面は大学別曹の話はここだけの物とする。先に学院を設立し、実績を作る事が肝要じゃ。奨学院の分院という線を狙うつもりじゃ」
意外に思われる者も多いが、坂東に割拠する大名の多くが平氏なのである。坂東八平氏と呼ばれる者達が源頼朝を助けた事からも解るように、源平の戦は平家と呼ばれた平清盛の一党と坂東八平氏という平氏同士の争いでもあったのだ。
北条家による関東支配の確立にも繋がる事になる。北条得宗家の継承、鶴岡八幡宮の復興に続く北条家の大事業が大学別曹の設立なのである。
〜氏族紹介〜
◆平氏国香流
平清盛に連なる平維衡の流れと、源頼朝に組した北条時政や熊谷直実に連なる平維時の流れがあります。
◆坂東八平氏
国香の異母弟・良文からの流れで在地武家の下級貴族として関東から繁栄した一族。
大掾氏、上総氏、千葉氏、三浦氏、相馬氏、秩父氏、畠山氏、長尾氏、大庭氏、鎌倉氏、梶原氏、土肥氏、奥山氏、簗田氏、伊勢氏、関氏など坂東だけでなく全国に広がっています。
〜おことわり〜
作中では【奨学院】を源氏の大学別曹としていますが、実際には【王氏】の大学別曹です。
王氏とは源氏、平氏、在原氏を含めたものですが、室町、鎌倉、江戸と源氏政権の党首が源氏長者となっていますので、実質的に源氏のものとしました。
また、戦国期には大学別曹の別当は氏長者を示す名誉職のような形となっており、教育機関としての実態は無くなっているかもしれません。




