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平宰相〜北条嫡男物語〜  作者: 小山田小太郎
武蔵守の巻(1558年~)
75/117

松永弾正への献上品

 1563年秋 宇治 風間小一郎


 後ろ盾でありました伊勢貞孝様の没落により、相模屋の経営は難しい局面を向かえております。松山重治様との御縁で三好様との商いを細々と繋いでおりますが、大きな商いを任される程に信用されている訳ではありません。


「相模屋の浮沈に関わることだよ。皆の考えを聞かせておくれ」


 女将さんが相模屋の主立った者達を集めて切り出しました。当主の風間道及様が現状を説明してくれました。


「畿内の情勢は三好様と六角様が和を結んだことで安定するかに見えました。ところが予想に反して混沌とした情勢になっております。」


 六角様の家中で内訌が発生したのです。当主の六角義治様が重臣の後藤賢豊様を誅殺したことが発端でした。これに反発する家臣も多く、南近江国内は一触即発の状態となっております。


 三好様が影響力を広げる好機でしたが、時を同じくして三好家も混乱する事態となりました。当主の三好義興様が病に倒れたのです。懸命の治療も祈祷も実らず、義興様は若くして還らぬ身となったそうです。松山様は三好長慶様の様子に心を痛めておりました。


「道及の言う通りだね。混乱しているからこそ商機はあると思うよ。だけど商いをする相手を間違うと痛い目を見ることにもなりそうだね。お前さん、小田原の意向はどうなんだい」


 御隠居様が女将さんの言葉を受けて続けました。御隠居様は伊勢貞良様の御供として小田原に下り、近衛前久様と共に京へ戻ったばかりでした。


「三好家も六角家も荒れると見ているようじゃ。伊勢宗家を廃した幕府も安定せぬであろう、とのお考えであった。機を待ち深入りせぬように、とのことじゃ」


「お前さん、そんなことは判ってるよ。でも青苧座の支援もあるし、ある程度は大きな商売をしないといけないんだよ」


「そう怒るな。武州様からの言付けもあるのじゃ。武州様は大和を治める【松永弾正】様との取引を増やすようにとの仰せであった。混乱する畿内にあっても、弾正様なら(したた)かに勢力を保つであろうとの仰せじゃ」


「弾正様が強かなのは認めるけどね。伝手はどうするんだい。堺の会合衆が周りを固めていて、手出しができないって話じゃないか」


 道及様も女将さんに同意するように頷きました。


「御隠居様、私の力不足で申し訳ありません。女将様の仰せのように、松永様は目通りさえ難しいので御座います。三好様とは松山様を通じて取引がありますが、それでは不足でしょうか」


「不足ではないが十分ではないな。伝手は何とかなりそうなのじゃ。女将に皆を集めて貰ったのも、それを伝えるためでもあるのじゃ」


 御隠居様がお戻りになった船には近衛前久様が同乗しておりました。近衛様の護衛として小田原から上泉行綱様も同行していたのです。行綱様は護衛の勤めが終わると、宇治に【新陰流】の道場を開くのだそうです。上泉信綱様が師範となり、行綱様は師範代として道場を営むのだそうです。


「上泉信綱様の門弟が増えていることを知った武蔵守様が、畿内に【新陰流】の拠点を構えるように仰せになったのじゃ。近衛様も行綱様を近くに置いておけるとお喜びであった。武蔵守様の指示で相模屋も協力しなくてはならぬのじゃ」


 上泉信綱様は北条武蔵守様の舅でもあり、北条家との縁もあります。武者修行の旅で伊勢北畠家を訪れて剣術を指南し、北畠家の口利きで大和の剣豪との交流を持ったのだそうです。武蔵守様は信綱様の築いた御縁を確かなものとしたいようです。


「剣術道場であれば畿内の武家とも交流が容易になる。新陰流の門弟には北畠家当主の北畠具教様、興福寺東門院主の孝憲様、宝蔵院胤栄様、そして柳生宗厳様など、名立たる方々が名を連ねておるのじゃ。」


 柳生宗厳様は大和の国人衆ですが、松永様に早くから仕えて信用を得て側近となり、松永家の重臣として三好家中で頭角を現しておりました。柳生様に取り入ることで、松永様との繋がりを持つことができるのではないか、とのことでした。


「お前さん、そんな大事なことはすぐに伝えてくれないと困るよ。いよいよ鉄砲や硝石を扱わなきゃならないのかと、悩んでいたのが馬鹿みたいじゃないか」


「すまぬ、すまぬ。信綱様の所在が明らかな内に、繋ぎを取る必要があったのじゃ。信綱様は気の向くままに旅をされるので、儂も気が急いていたのじゃ」


 なんとか柳生様に取り入ることが出来て、松永様に献上品を送ることができたのです。後日、献上品のお礼と問い合わせの事柄ありとして、松永様からお目通りを許されたのです。当主の道及様が呼ばれて、私と陣内さんがお供をすることになったのです。


「皆の者、面を上げよ。儂が松永弾正じゃ。此度の心遣い、ありがたく思うぞ」


「お初に御意を得ます。某は相模屋道及と申します。こちらに控えまするは、当家で医術の造詣が深い風間陣内と番頭の風間小一郎でございます。名高き弾正様にお目通りが叶い、恐悦至極に存じ上げます」


 松永様は小柄で優しげな目元の官僚風の御方でした。薄い唇と出っ歯が特徴的です。声はやや低く、落ち着きがあり、ゆったりとした口調で安心感がありました。三好長慶様に取り入り、成り上がった者という、巷での噂とは違い、有能な奉行衆のような印象です。松永様の横には、申次に尽力して下さった柳生宗厳様が控えております。威風堂々とした御姿の柳生様と並ぶと、主従が逆なのではないかと失礼なことを考えてしまいました。


「固くならずとも良い。其方等を召し出したのは教えを請うためじゃ。献上された医術書を見て興味を惹かれたのじゃ」


 相模屋からの献上品は、主に関東の特産物や刀剣です。ただ、武蔵守様の指示で小田原式の医術書も献上されています。島津忠貞様が纏めた【小田原養生訓】という書物なのです。武蔵守様は、松永様が医術に興味を持っていることを聞いていたようです。相模屋で【小田原養生訓】の理解が深い者として、女衒の陣内さんが同席しているのです。


「先日、【曲直瀬道三】から【黄素妙論】なる医術書を貰ったばかりなのじゃ。実に興味深く腑に落ちる内容の多いものであったが、其方等の【小田原養生訓】もまた興味深いものであった。色々と語りたいと思ったのじゃ」


 陣内さんは松永様の御下問にお答えしますと言って、小田原養生訓の成り立ちから話し始めました。


「この書を記したのは、我が師の島津長徳軒様でございます。長徳軒様は田代三喜斎様に師事し、医術を修めました。三喜斎様より【医心法】と【素女妙論】を伝授され、その後、独自に研究された秘伝が【小田原養生訓】なのでございます」


「ほう、曲直瀬道三と同門であったか。しかし、黄素妙論と小田原養生訓では少々違いが見える。これは如何なることじゃ」


「某は黄素妙論を拝見しておりませんので、確かなことは言えませぬが、曲直瀬道三様は健やかなる身体作りに主眼を置いている、と聞いております。それに対して我が師は武家の望みでもある、子を生す為に如何すべきか、というところに主眼を置いているのでございます」


「成る程。しかし、子を生すには陰陽の気が満る時に交合すべし、と黄素妙論にもある。別段おかしなことではないと思うが、小田原養生訓では違う解釈があるのか」


「その解釈に間違いはございません。医心法でも素女妙論でも同様の事が説かれております。我が師は天の(ことわり)に加えて、人の業によって気の満る時に差があると考えております。女人の積んだ功徳や業により、陰の気が満る時はずれるというものなのです。有体(ありてい)に言えば、人によって子を授かり易い時期が違うのです。人によって容貌が異なるように、天の理として全てを同じくするのではなく、個別に診断しなければならないのです」


「合点いった。しかしそれでは陰陽道を極めていない者には、女人の陰気の満る時など知る術が無いではないか」


「我が師は陰陽道とは別の手段で、陰気の満ち欠けを知ることができると考えております。それが武家では忌避されている月水なのです。月水はその者の陰気が失われた時に起こると考えられております」


 小田原養生訓では月水の周期は概ね二十八日とし、陰気の増減により七日毎の四つの変化があると考えられているそうです。月水から始まる第一の四半期を【哀】の時期として陰の気が最も少ない時期、続く第二の四半期を【楽】の時期として陰の気が充ち始め、子を生す準備の期間であるそうです。第三の四半期が【喜】の時期として子を生しやすい時期となり、最後の四半期は陰の気が減っていく【怒】の時期となるのだそうです。


「そのような考えがあるのか。俄かには信じがたいが、女房衆の心の変化を喜怒哀楽で表しているのは興味深いな。実際にはどうなのじゃ」


「はい、実際に中々子に恵まれなかったお家でも世継ぎを授かったこともございます。また、意に染まぬ夜伽をする事となった女房衆も、【喜】の時期を外す事で難を逃れたこともございます」


 松永様は次々に御下問になり、その度に陣内さんの答弁にお喜びになったのです。


「今日は良き話を聞かせて貰った。今後とも柳生を通じて相談に来るが良い。其方等が伊勢家や北条家と縁が深いのは承知しておった。それ故、警戒していたのじゃが、誼を結ぶことも悪くないようじゃな」


 まだ切っ掛けに過ぎませんが、松永様との縁を繋ぐことができたようです。女将さんに良い報告が出来そうです。

~人物紹介~

松永久秀(1508-1577)ボンバーマン

柳生宗厳(1527-1606)ソードマスター

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― 新着の感想 ―
[一言] 信長の野望でも裏切り、謀略なイメージだけど。 三大悪行も久秀を実行犯だとか教唆犯に仕立て上げるには中々の無理筋だし。 信長への謀反ってされてるのも、厳密には謀反どころか先に義昭や信長が三好宗…
[良い点] >~人物紹介~ >ソードマスター なるほど、呼び方w
[一言] かつての悪名高き梟雄から、忠臣だったかも知れないというイメージも出来始めているボンバーマン。 信長上洛までは、三好三人衆よりこちらとパイプを持っていた方がまだ無難なのかな・・・。 寧ろ、信長…
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