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平宰相〜北条嫡男物語〜  作者: 小山田小太郎
武蔵守の巻(1558年~)
73/117

三河の実情

久々の更新となりました。申し訳ありません。

 1563年春 江戸城 北条氏親


「幻庵大叔父上。今川家の様子は如何でしょうか。」


 三国会談を終えてから、幻庵大叔父上は井伊直元を通じて三河国の様子を調べていたそうだ。直元は三河国上ノ郷城にて鵜殿長照殿の与力となっているようだ。


挿絵(By みてみん)


「今川義元公が桶狭間の戦で落命してから早三年となり申した。三河国における今川家の影響力が徐々に弱くなり、大戦こそ無いものの小競り合いが絶えることがないようじゃ。特に西三河の地では吉良義昭が今川家からの自立を宣言したことにより、混沌とした状況となっておる」



 吉良義昭は尾張の織田信長と結び、三河国人衆の取り込みを進めたのだ。義元公の死を知った織田信長の動きは素早く、鳴海城と大高城に対する砦を復旧した。続けて知多半島を領する大野城主・佐治為景と同盟を結び、佐治為景の嫡男・為興に妹の犬姫を嫁がせて同盟を強固なものとした。


 更に信長は織田信興と滝川一益に命じて服部友貞に圧力を掛けた。佐治氏との同盟と服部党を抑えることで伊勢湾海上の交通を掌握し、鳴海城と大高城への補給路を断った。程なくして、大高城は織田方の水野氏によって攻略されたのである。



 鳴海城にて孤立した岡部元信の要請を受けて、今川家は岡崎城に松平元康を織田家対策として入れた。しかし、松平宗家と対立する桜井松平家や大草松平家などが吉良方に走った事で、逆に混乱が深まってしまった。吉良義昭は好機を逃さず【富永忠元】に兵を預け、今川方の【酒井忠尚】が守る上野城を攻めさせた。松平元康は酒井忠尚に防衛の指示を出すと、深溝城の【松平好景】に手薄となった東条城への牽制を命じたのである。


 しかし、これは吉良方に寝返るための酒井忠尚の奇策であった。松平好景は吉良領に討ち入ったものの、伏勢に囲まれて進退窮まっていた。そこに富永忠元が兵を返して深溝勢を包囲殲滅したのである。酒井忠尚は深溝松平家の与力であった夏目吉信を吉良方に引き入れ、深溝城を乗っ取らせたのである。


 松平元康も負けじと体制を立て直している。大久保忠俊を旗頭とする大久保党と、本多広孝を旗頭とする本多党を中核として岡崎衆を纏めあげ、形原、五井、長沢、竹谷といった松平諸氏と提携し、吉良勢に対抗したのだ。元康は吉良一門の【荒川義広】に調略の手を伸ばし、吉良家の分断に成功するかに見えた。


 そこに待ったを掛けたのが【飯尾連龍】であった。飯尾氏は吉良家の被官から今川家に転じていたため、吉良家の影響力が残ることを嫌ったのである。また着々と地盤を固める元康を危険視する者も出てきた。今川家三河奉行であり、岡崎城代の【山田景隆】である。山田景隆が飯尾連龍に同調したことで、荒川義広の調略が頓挫してしまった。不信が広がり、今川方の国人衆と奉行衆で足並みが揃わなくなったのである。


「大叔父上、三河方面はあまり芳しくないようですな。内情をここまで詳しく調べるのは大変であったでしょう。」


「うむ。直元様の文も歯切れが悪いものであったゆえ風間衆を入れたのじゃ。織田信長という男も調べるよう指示してあったが、【うつけ】という噂は世を欺くまやかしであったようじゃ。尾張を完全に掌握するのも時間の問題であろう」


 織田信長は今川家の尾張での拠点に強く圧力を掛けている。大高城の次に狙われたのは沓掛城であった。沓掛城主【近藤景春】は鳴海城の【山口教継】と共に、今川家に臣従していた。鳴海城に岡部元信が入った際、義元公の妹婿である【浅井政敏】に沓掛城を明け渡し、近藤景春は外曲輪に詰めることになっていた。しかし、信長配下【簗田政綱】の調略により、唆された近藤景春は浅井政敏を手に掛けると、織田勢を引き入れてしまったのだ。


 沓掛城の織田方への寝返りは三河国衆に衝撃を与えた。すぐさま【佐久間信盛】率いる織田勢が寺部城から足助城に跨る三河高橋荘に乱入し、【中条常隆】【寺部鈴木重明】【足助鈴木重直】【三宅政貞】といった高橋衆を次々と服属させていったのである。


「そこまで酷い状態であったとは思いませんでした。いくら岡部殿が名将と言えども、鳴海城を保つのは難しいやもしれませぬな。」


「それぞれが個別の思惑で動いておるから状況が変わるのも早い。織田方も一枚岩ではないようじゃ。水野家と佐治家は織田と結んでおるが、元々犬猿の仲だそうで今後どうなるかも解らぬ。岡部殿はそこに活路を見出そうとしているのやも知れぬ、と風間衆が報せてきた」


「織田信長の為人の報せはありませぬか。どのような人物か知っておかねばなりませんね」


「先代の織田信秀が傑物であったが、家督争いがあったようじゃ。今川家の侵攻を防いだことで家中も纏まり、先代以上の傑物と言われておる。戦だけでなく政も巧みなようで、どこで情報を仕入れたのか、小田原式の農法が織田領で広がっているそうじゃ。油断ならぬ」


「まさか硝石の製法も漏れているのでしょうか」


「解らぬ。当家で硝石作りの詳細を知る者は極一部じゃ。簡単には漏れていないとは思っておる。織田家中で農法を指導しているのは【今村正親】という斯波家に連なる者のようじゃ。詳細が解り次第報せるように命じておる」


 幻庵大叔父上も織田家を警戒しているようであった。伊勢湾交通を掌握したとのことで交易にも影響がある。北条家として織田家に対してどういう関係を構築していくか、考えなければならない時期に来ているのかもしれない。

~人物紹介~

織田信興(?-1570)信長の弟。初期の旗頭です。

滝川一益(1525-1586)信長の乳母養徳院の縁戚。伊勢方面を統括し若手一門の後ろ盾となります。

佐久間信盛(1528-1582)退き佐久間。桶狭間後に鳴海城主。初期に三河方面を統括か?

簗田政綱(?-?)桶狭間後に沓掛城主。初期の三河方面軍所属か?

佐治為興(1553-1574)信長の偏諱を賜り信方と名乗る。佐治水軍。信長の妹婿。

水野信元(?-1576)家康の伯父。妻は桜井松平信定娘。佐治氏と知多半島の派遣を争う。


吉良義昭(?-1564)吉良当主。三河一向一揆で一揆方と伝わる。

富永忠元(1537-1561)吉良譜代。父の忠安は松平広忠を助けた恩人です。一揆方最強武将。忠元死後には設楽貞通が富永家の総領的な扱いとなり徳川家中でも最上位の待遇を受けるような家格です。

酒井忠尚(?-1561?)酒井忠次の伯父とも。酒井家嫡流でありながら何故か将監を名乗る(酒井家の官命は左衛門尉)本多正信を抜擢した慧眼の持ち主。

荒川義広(?-?)吉良一門。三河一向一揆で一揆方と伝わる。


服部友貞(?-1568)尾張豪族。長島一向宗と昵懇。津島と争う服部党。

飯尾連龍(?-1566)曳馬城主。妻はお田鶴の方。異説が多い人。死人に口無で濡れ衣も多いのかも?

山田景隆(?-1567)桶狭間後に岡崎城を捨てた人。息子は井伊直政の筆頭家老になる。実は優秀な文官だったのかもしれません。

岡部元信(?-1581)桶狭間後に義元公の遺体を取り返した人。有名だけど身内と揉めていて実態は小身だったりします。後に武田家に仕えて水軍を率いる。

浅井政敏(?-1560)義元の妹婿。義元の側近だったようです。


中条常隆(?-?)中条氏は幕府奉公衆を務める名家でしたがこの時期には松平家に押されています。

鈴木重明(?-1567)寺部城主。鈴木党は中条氏被官でした。後に佐久間氏の配下となるようです。

鈴木重直(?-1584)足助城主。松平清康の妹婿。家康に降伏後は西三河衆の一員となる。

三宅政貞(?-?)三宅党も中条氏被官でした。佐久間氏配下となるようです。

※高橋荘の中条氏系は佐久間信盛の配下となっていきます。信盛追放後は信忠直属となっているようです。三河にも織田家の影響力があったいう証拠なのかもしれません。

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― 新着の感想 ―
[一言] 初めて感想を書きます。 今村正親という人物は絶対井伊家を没落に追いやったあの人ですよね。 時期的に松平が今川から独立しても可笑しくないですよね。もし松平が独立したら直元はどっちに付くのだ…
[良い点] 桶狭間の形が変わったことで清須同盟は無さそうですかね……? 代わりに吉良義昭が織田側についてたり、色々変わってて今後どうなるか分かりませんね〜
[一言] 更新ありがとうございます。 心配していました。 第六天魔王が遂に動き始めましたか。 吉良攻略の鍵を握っているのは、やっぱり駿河で家康と親交があった吉良義安になってきますかね・・・? 尾張…
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