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平宰相〜北条嫡男物語〜  作者: 小山田小太郎
武蔵守の巻(1558年~)
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今川の女達

 1562年冬 駿河 お虎


 松平の瀬名姫様から珍しい菓子が手に入ったと文を頂きました。旦那様が出陣してしまい、寂しく感じていた時のお誘いです。ありがたくお伺いすることにしたのです。


 瀬名姫様のお部屋では竹千代君と亀姫様が貝合わせに夢中になっております。微笑ましいことです。


「お虎様、直元様が出陣なされたと聞きました。御寂しくはありませんか。」


「瀬名様のお気遣い嬉しく思います。これでも武家の妻ですから慣れておりまする。」


 はい、嘘です。とても寂しいです。三河の騒乱が拗れてしまい、旦那様も三河に出陣してしまったのです。


 吉良家が今川家に対して反旗を翻したことで、西三河の国人衆が同調して国一揆となっていました。瀬名様の旦那様である松平元康様が岡崎城に入り、吉良勢の切り崩しをしていました。


 元康様の働きによって吉良家一門の荒川義広が内応したのですが、所領安堵を認めた元康様の約定を無視して、飯尾連龍が荒川義広の八面城に攻め込んでしまったのです。


 飯尾氏は元吉良家臣から今川家臣に転じた武将で、吉良氏の遠江支配を諦めさせた過去があります。吉良一族とは反目していたのです。


 そんな元康殿と荒川義広の間を取り持ったのは大河内正綱という武将です。大河内氏は西三河に根を張っていた一族で、吉良家の重臣の家柄でした。これまた飯尾氏との因縁があり、飯尾連龍としては大河内氏の発言力が強まるのを嫌っているのです。


 元康殿達国人衆と飯尾連龍等代官衆の方針の違いから今川勢の足並みが揃わず、吉良勢を織田家が支援したことで、三河の戦乱は混沌としているのです。


「お虎様、直元様の手勢は如何されたのでしょうか。領地は召し上げられて、小野様が代官となっていると聞いています。」


「小野の手配で井伊谷の者が来ています。旦那様は小田原からも人を呼んでいるようでした。」


「なんとまあ、信頼できる者達なのですか?井伊と小野の因縁を聞いています故、心配です。」


「妾も心配でしたが、旦那様はむしろ小野と共に戦えることを喜んでおいででした。小野政次は旦那様の復帰を心待ちにしていたようです。」


 直元様が手柄を立てたなら井伊家の再興をお認め下さるかもしれないのです。小野政次は弟の玄蕃と中野直之を遣わしてくれました。小田原衆は島津親弘率いる精鋭の鉄砲部隊です。島津親弘は島津兄弟の三男で、早雲寺で共に学んだ仲なのだそうです。


「三百程の小勢ですが、必ず旦那様をお守り下さると信じています。」


「信の置ける者達であれば安心でございますね。」


「瀬名様、元康様からはどのような便りがございますか。ご心配ではありませんか。」


「殿は国人衆との意識の違いに戸惑っておいででした。単純に敵味方と色分けされているのではないそうです。敵方にあっても殿に心を寄せる者もあれば、信用ならない味方もいるそうでございます。殿は大事ないと仰せでしたが、妾は心配でございます。」


 松平元康殿は幼い頃から最近まで人質という立場ではあったものの、今川家養女の瀬名様の婿となり、一門に準ずる扱いを受けております。国人領主としての経験はまだまだ浅いのです。三河国内での血の繋がりを知らずに処断することで、思わぬ者達の恨みを買うこともあり得るのです。


 例えば吉良家臣の富永家には【森山崩れ】で先々代清康公が亡くなった際、先代広忠公を救ってもらった恩があります。また同じく吉良家家老の大河内家は元康殿の祖母【華陽院】様の御実家です。松平家重臣大久保一族と懇意にしており、元康殿が駿府で不自由なく暮らせるように支援してくれていたのです。


 松平家中では先代広忠公の復帰に尽力した五宿老の内、林藤五郎、成瀬正義、大原惟宗の三人は吉良方に同情的であり、今川方の大久保忠俊と言い争いになるのが常となっているそうです。元康殿が主導できるようになるには、もう少し実績を示さねばならぬのかもしれませんね。



 1563年正月 駿河国河東 善徳寺


 三国同盟の端緒となった三人の臨済宗の僧が会談した場所が、ここ善徳寺である。武田家の呼び掛けによって、十年の時を経て再び三国会談が行われることになったのだ。北条家の代表は一門衆筆頭の【北条幻庵】であった。定刻より早めに到着した幻庵は会談の行われる本堂の東側に西を向いて座して、静かに瞑想していたのである。時を置かずして武田家の代表が本堂に現れた。


「北条家の幻庵殿とお見受けいたします。某は武田徳栄軒の弟で武田左馬助にございます。以後お見知りおき下さい。」


 徳栄軒とは武田晴信の法名で徳栄軒信玄が正式な名乗りである。武田左馬助は典厩信繁として有名な【武田信繁】のことである。武田家もこの会談の代表として一門衆筆頭の武田信繁を送ってきた。武田家のこの会談に掛ける意気込みを感じる人事である。


「高名な典厩殿でございますな。北条幻庵にございます。武田家の此度の呼び掛けには我が主も大変な喜びでありました。越後勢対策には武田家の協力が不可欠でございます。今後とも良しなにお願いいたします。」


「今川家の方が居られないので、先に越後対策の存念をお伺いしたいと存じます。北条家は越後上杉家を討伐する意志はございますか。」


「北条家としましてはまず加茂公方様が、上杉秋憲の関東管領の僭称を取り下げて頂けるのであれば、何の問題もございません。しかし、上杉輝虎はそれを認めるとは思えませぬ。大元を取り除かなければ、関東の安寧を邪魔する者となりましょう。」


「それを聞いて安堵いたした。今後共に手を携えていけるかが重要であります。武田家は信濃守護として、信濃の平穏を乱す者達を抱え込む上杉輝虎を、許す訳にはまいりません。飯山平を平定した後は高田平に駒を進めることとなりましょう。」


「北条家の目指す先は加茂公方様がおられる新潟平となるでしょう。目指す先は違えども、共に手を携えて越後を平定していきたいものです。細部は重臣達に任せることになりますが、概ねの意向は主に伝えることにいたしましょう。」


 上越地方には武田家が当たり、中越地方は北条家が対処することを共通認識として持つことができた。中越地方の方が領域は広いが、国人衆達の治める領土も多いのだ。一方、上越地方はほとんどが上杉家の直轄地である。どちらが良いとは一概には言えないのだ。越後勢の抵抗は今後厳しくなることは間違いないだろう。


「あらあら、景気の良いお話ですこと。妾はお邪魔であったやもしれませんね。」


 そう言って現れたのは今川家の尼御台と呼ばれる女傑【寿桂尼】であった。寿桂尼は公家の出自で今川氏親の正室となり、今川家四代に亘って政務を補佐し続けていた。また、武田信玄とその正室三条の方の縁を取り持ったことでも知られる、今川家の重鎮なのである。


「幻庵様、御無沙汰いたしております。お互い歳を重ねたものですね。典厩様とはお初にお目もじいたします。今川家の奥を預かる寿桂尼と申します。以後よしなに存じます。」


「尼御台殿は歳を感じさせませぬな。以前と変わらぬ艶やかさがございます。」


「幻庵殿、御戯れを。褒めても何も出せませぬよ。今川家は両家の繁栄に比べて伸び悩んでおりまする。先代が討死し、以前のように三国が対等じゃと言える状態ではありませぬが、今川家の当代が必ず先代以上になると確信しております。両国のご信任が得られれば幸いです。」


「北条家と致しましては今川家との同盟は継続していきたいと考えております。必要であれば兵も出しましょう。」


「ありがたき申し出ではございますが、東海の仕置きは今川家に一任していただければ、それだけで十分でございます。他家の力を借りたとあっては面目を保つことなどできませぬ。」


「武田家としても同盟継続に否やはござらぬ。東海の仕置きは今川家に一任致しましょう。」


「典厩様、お気遣いありがたく存じます。ただ、武田様には些か問い質したき儀がございます。武田様の御子息に織田の姫が嫁ぐのではとの噂を耳にいたしました。事の真偽をお教え願いたいのです。」


「諏訪四郎の縁談でございますかな。東美濃の遠山家が庇護を求めて来ております。遠山家との紐帯を強めて信濃の安定を図ることが目的です。織田家に肩入れしようとの意図はござらぬ。」


「ほほほ、まあ此度はそのお言葉で納得いたしましょう。懸念が晴れましたからには今川家としても三国同盟に異存はございませぬ。」


 三国の同盟を堅持する意向が確認されると、場は和やかな雰囲気になった。それぞれに嫁いだ姫や次男衆の話題となり、若き当主達の活躍を褒め称えあったところで散会となったのである。

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