表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
平宰相〜北条嫡男物語〜  作者: 小山田小太郎
武蔵守の巻(1558年~)
66/117

座の復興

 1562年正月 小田原城 北条氏親


 新たな交易品の取り扱いについて父上から呼び出しがあった。早速小田原に赴き、登城したのだ。父上の執務室には大熊朝秀と御公家様が一人呼ばれていた。


「父上、お呼びによりまかり越しました。」


「武州、早速じゃが、こちらの御方は三条西実枝(さねえだ)様じゃ。見知りおくように。」


「そもじが奥州殿の御嫡男であらしゃりますか。権大納言三条西実枝におじゃります。」


「北条武蔵守にございます。亜相様の御尊名はお伺いしております。古典解釈の名家であるとか。某にも是非講釈をお願い致します。」


「それは喜ばしい申し出であらしゃりますな。機を見て江戸にもおじゃりましょう。」


 三条西様は上機嫌でお応え下さいました。三条西家は古今和歌集の読み方や解釈を代々一子相伝する古今伝授の名家である。ところが戦国期に入り、所領を横領されて困窮するようになっていた。三条西実枝は東国に下向し、古典の解釈をすることで戦国大名の支援を得ており、駿河に居を構えるようになっていた。


 父上は駿河から三条西実枝様を古典解釈の名目で招聘したのだが、真の狙いは青苧座の復興であった。三条西家は青苧座の本所として青苧専売の許可を出す立場にあった。しかし越後青苧座を上杉家が掌握し、生産から流通、販売まで全て独占してしまったのだ。三条西家は僅かばかりの座役(上納金)を受け取るだけで、多くの利権を上杉家に奪われていた。


「亜相様、この者は大熊朝秀と申します。元越後の段銭方を務めた国衆で、今は北条家の評定衆となり、此度の企ての要となっておる者です。朝秀も御挨拶せよ。」


「御尊顔を拝し、恐悦至極に存じます。大熊朝秀と申します。御本城様より越後対策を相談された折、青苧座復興を進言いたしました。亜相様に御協力いただければ鬼に金棒でございます。上杉家の戦費の殆どが青苧座からの座役です。これが一割減っただけでも大打撃となるでしょう。」


「なんと、元越後衆の段銭方ならば、越後衆の懐具合も承知でおじゃるな。頼もしきことであらしゃりますなぁ。」


 上杉家の財源である青苧交易に打撃を与えることが目的なのだ。販売の面で最初に行ったのは天王寺青苧座の復活である。三条西家の許可を得て、堺の天王寺屋津田宗達を通じて松永久秀から三好家への働き掛けを行い、伊勢宗家にも協力を仰ぎ、天王寺青苧座を復活させたのだ。


 奥会津に生産の拠点を築くことも順調に進められている。更に信州青苧も天王寺青苧座で扱うことになった。武田家にも協力を呼びかけたところ快く応じてくれた。むしろ信州青苧が流通の段階で越後青苧座に役銭を取られていることを伝えると、武田家で信州青苧の取り纏めを約束してくれたのだ。しかし、流通においては後れを取らざるを得ない。整備された日本海航路と違い、距離で敵わないのだ。


「武州、荷役の目途は如何じゃ。こればかりは難しい課題じゃ。」


「会津から日光までは、河越の連雀商人が協力を約束してくれました。日光からは河波(かわなみ)衆を使い江戸まで運び、江戸からは海賊衆の賦役とするように致します。北条家の領域では、青苧の役銭を免除しなければならないでしょう。どうしても割高になります。」


「致し方あるまいな。兵を用いぬだけで、これも越後との合戦じゃ。河波衆と海賊衆にはそう申し伝えよ。」


「承りました。上布としては秩父生糸の量産体制が整いつつあります。真岡綿を用いた結城織と併せて、越後上布に対抗できますので、そちらも畿内で流通させようと考えております。あとは会津が青苧の一大生産地となれば、更に流通量を増やせるかと存じます。時間は掛かりますが、両三年の内には目途が立つかと存じます。」


「我が弟、大熊親秀が奥会津で青苧の改良を行っております。小田原式農法を用いた青苧は高級品となりそうだ、と文にありました。蘆名氏と関係も良好で、会津商人の簗田家も協力を約束してくれています。」


「うむ。虎寿丸達もよくやっているようじゃな。遠い会津の地に送り出して心配であったが、頼もしくなったものじゃ。我が領内には青苧の産地が限られておる。蘆名家が上杉家に鞍替えせぬように、気を配っておくように伝えよ。」


「父上、虎寿丸の元服の話が聞こえてまいりました。祝いとして、踊り巫女一座の派遣と牛種痘を会津に広めたいと存じますが、如何でしょうか。」


「武州が広めたいのであれば構わぬが、警戒されるのではあるまいか。」


 疱瘡の予防として北条領内では領民全てに種痘接取が厳命されている。それに加えて小田原式農法の普及と踊り巫女一座の巡業によって得た副産物があった。【領民数の把握と検地が完了している】のだ。先の凶作においても速やかな救済に役に立ち、評定衆が領民数の把握と検地の有効性を認めているのだ。


「領民数把握の事は隠して、あくまで八幡様の儀式であり疱瘡予防の御加護として広めます。松田康郷の室【喜多】の実家が八幡神社ですから、取り纏めをさせようと思っております。」


「そうであるか。会津との友好に心を配るように頼むぞ。それに越後屋や軒猿衆の妨害もあろう。相模屋と風間衆には負担を掛けるやもしれぬな。輝虎のことじゃ。意趣返しに軍を催すことも考えられる。白井城の改築を急がねばならぬな。」


 今後も越後勢が三国峠を越えて上野に来襲することも考えられる。父上は白井長尾殿を下総守屋に転封させて、白井城を北条家直轄として大改修を行っているのだ。真田俊綱が抜擢されて城代として入り、支城並の軍兵を駐留させることになっていた。


「奥州殿、懸念が一つおじゃります。お伊勢さんを忘れているのではあらしゃりませんか。」


 三条西様の心配は、越後青苧座を仕切る越後屋蔵田家のことである。蔵田家は伊勢神宮の御師(おんし)の出であった。伊勢御師は全国に散らばって伊勢神宮の檀家を募り、その世話をして勢力を拡大しているのだ。越後青苧座蔵田家と争うことで、伊勢神宮の不興を買うことを懸念しているのだ。


「亜相様、伊勢神宮に対しても手は打っております。御安心下さい。」




 1562年正月 伊勢国大湊 風間小一郎


 旦那様の御供でお伊勢参りをすることになりました。番頭の梶原角太郎さんも一緒です。角太郎さんの実家は北条家に仕える梶原水軍衆で、三崎砦を拠点に交易も担っているのです。お伊勢参りに来た本来の目的は、伊勢御師で廻船問屋の【角屋】さんを訪ねることです。訪いを告げると、角屋の主である松本元秀様が直々にお出迎え下さいました。


「お初にお目に掛かります。相模屋の主、風間道雲にございます。こちらは番頭の梶原角太郎と、手代頭の風間小一郎です。よしなにお願いします。」


「ご丁寧な挨拶ありがとう存じます。手前が角屋元秀です。」



 角屋さんの御主人は松本元秀様というお方で、信州松本の八幡神社の神職から伊勢御師となり、海運業を営んでいるそうです。角屋さんは伊勢国大湊と駿河国清水に拠点を持つ新進気鋭の廻船問屋なのだそうです。


「相模屋さんから文をいただいた時は、とんでもないことを考えるものだと思いましたよ。あの越後屋に喧嘩を売るようなものじゃありませんか。お宅さん等は本気でやるつもりなのですか。」


「喧嘩を売ってきたのは越後屋さんの方ですよ。とはいっても相模屋に直接何かあった訳ではありませんが、越後上杉家が仕掛けた喧嘩を相模北条家が買った、という訳なのです。」


 旦那様は角屋さんに青苧座と戦う方策を説明しました。生産、販売のこと、更にお公家様や三好家、伊勢家、蘆名家の協力を得ており、世間様に恥じることない商売であることを強調しておりました。私も事前に聞いていなければ、角屋さんのように口をぽかんと開けて聞いていたことでしょう。


「これは驚きました。商売で合戦をするとは面白いお考えですね。相模屋さんが手前共に頼みたいこととは、御伊勢様との調停という訳ですね。ただ越後屋さんを敵に回して、手前共に利がありましょうか。」


「青苧の交易で角屋さんが利を手にするかは角屋さん次第ではありますが、別口での儲け話もございます。北条家では大型の屋久(ジャンク)船を二艘建造中でして、南蛮との交易を増やそうとしているのです。紀州の雑賀佐々木党も一口乗っていますよ。角屋さんも如何ですか。」


 角屋さんはニヤリと笑みを浮かべながら答えました。


「相模屋さんもお人が悪い。大方、手前共が蔵田と商売敵なのを見越して、話を持ってきたのでしょう。それに儲け話を目の前にぶら下げられては断れませんよ。よし、御伊勢様の方は御師仲間と協力して何とかいたしましょう。蔵田との合戦に手前共も与力させていただきます。」


 これで越後屋と戦えますと、旦那様はお喜びになりました。宿に戻ると、旦那様は角太郎さんと私に身の回りを気を付ける様に仰せになりました。


「角太郎、小一郎、これから越後屋と争いとなれば、軒猿衆と風間衆の暗闘が始まる。其方等も十分注意するのじゃ。まあ、小一郎の供の段蔵などはむしろ大喜びしていそうじゃがな。角太郎は、係留中の船をきちんと見張るように海賊衆に伝えよ。どのような妨害があるか解らぬ。」


「旦那様、風間衆として越後屋に妨害や嫌がらせは行うのですか。」


「いや、当面は軒猿衆の様子見じゃ。相手の出方次第では実力行使もあり得る。しかし越後国内に流言は飛ばす。【京都代官の神余様が上納金を横領している。】とか【恩賞となる筈の上納金を越後屋が横流ししている】というものじゃ。軒猿も流言を飛ばしてくるであろうから惑わされるでないぞ。」


「承りました。身の回りにも充分に注意を払います。」


 商人の争いにも色々な形があるものです。それより南蛮との交易のお話は初耳でした。どんな商品があるのか新たな楽しみができました。

~用語解説~

亜相:宰相に準じる者という意味があり。権大納言の唐名です。

奥州殿:陸奥守の呼称。ここでは北条陸奥守氏康のこと。

青苧:からむし科の植物。繊維製品として重宝されました。青苧座からの上納金は越後上杉家の財源です。

座役・役銭・段銭:上納金(税金)のこと。細かく分けるなら概ね以下の通り。役銭(一般的な税金)座役(座から上納される役銭)段銭(臨時徴収される役銭)


~人物紹介~

三条西実枝(1511-1579)史実では細川藤孝の古今伝授を行った人として有名。

角屋元秀(?-?)角屋初代秀持の父。松本元秀とも。元秀の父は伊勢御師、祖父は信州松本の八幡宮神職

津田宗達(1504-1566)堺会合衆。屋号は天王寺屋。三好家の御用商人。津田宗及の父。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 長尾憲景を下総守屋(守谷)に移封するという事は、相馬治胤と高井胤永は滅ぼしたという事になりますかね。 角屋を抱き込んだという事は、北畠家との繋がりも今後出て来そうな予感がしますね。 越後…
[一言] 越後青芋に対する経済封鎖ですか、完全封鎖や供給面から値崩れを狙うと。 この調子で上方技術(絹織り)を導入してほしいですね。 蘆名家から将来奥州方面に展開するなら、追放された斯波義銀を今のう…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ