北条の反撃
1561年秋 結城城 水谷政村
越後勢の来襲に端を発した宇都宮広綱の蜂起が終息し、漸く兵を収めることとなりました。今日はお館様に報告する為に登城したのです。
「お館様、お加減は如何ですか。」
「政村、よう来た。ここ数日は痛みも無く、穏やかじゃ。」
お館様は春先から体調を崩しており、此度の戦には参加が叶わなかったのです。結城勢は秀朝様を総大将として、富永政辰殿率いる古河衆と共に戦ったのです。
「戦の様子を聞かせてくれまいか。周りの者は儂の体調を慮って、詳しいことを教えてくれぬのじゃ。」
「承りました。宇都宮広綱は越後勢の檄に応じて蜂起したのです。小山秀綱殿は【広綱の慮外者め。壬生から領地を取り返してやった恩を忘れおったか。】と宇都宮広綱への怒りを顕わにしておりました。」
壬生綱房亡き後、壬生氏は宇都宮広綱の家臣となっておりました。壬生徳雪斎は北条家に奪われた本貫の地である壬生城を取り戻そうと、宇都宮勢の先鋒となって壬生城に攻め入ったのです。
徳雪斎は地縁を使い、内応者の手引きで壬生城を奪還したところで、小山勢が壬生城を包囲する事態となりました。宇都宮勢は多功城に入り、壬生城の包囲を崩そうとします。対する北条勢は薬師寺城に入り、双方睨み合う硬直状態となったのです。
「睨み合いとなったか。秀朝や若い者達が抜け駆けするようなことはなかったか。」
「心配に及びませぬ。秀朝様は落ち着いて状況を確認しておられました。我が弟の勝俊は戦いたくてたまらなかったようですが、秀朝様に落ち着けと窘められておりました。」
「そうか。秀朝に家督を譲っても問題無いようじゃな。儂のこの身体では当主を務めるのは難しいやもしれぬ。その後の戦況はどうなったのじゃ。」
「事態が動いたのは越後勢が東上野を去った後です。大道寺様率いる河越衆が新田金山城を解放した後、こちらの与力として来られたのです。河越衆の動きは迅速でした。ただ直接的に戦端を開くのではなく、釘付けになっている我等を尻目に手薄になっている宇都宮勢の後背を攻め落としていったのです。」
「なんと非常識な。漁夫の利を河越衆に持っていかれるではないか。」
「お館様の御懸念も御尤もです。当初我等も色めき立ちましたが、秀朝様や富永様は落ち着いておられました。【役割分担をしているだけで我等の評価が下がることはない。目の前の戦いだけではなく、広く戦局を見て効果的な戦いをすることが肝要じゃ】と仰せでした。」
「成る程、北条家の戦い方は我等と根本から違うのじゃな。」
「はい。実際戦後の論功でも、宇都宮勢を抑えたとして我等の方が評価が高かったのです。那須勢も漁夫の利を得ようとしていたのには驚きました。那須七騎衆の一人、大関高増が塩原城に攻めかかっていたのです。」
「面白い。宇都宮の者共はさぞ肝が冷えたであろうな。」
「おっしゃる通りです。本拠地を狙われた国人衆は分裂し、宇都宮広綱の静止を振り切って帰りだす始末です。我等は多功ヶ原に駒を進め、宇都宮勢を散々に打ち破ったのです。壬生城の壬生徳雪斎も負けを悟って自落いたしました。」
「ほう。壬生徳雪斎を生かして帰したのか。」
「壬生の所領であった鹿沼から日光にかけては、我等の領する所となりました。徳雪斎には帰る場所がありませんから、宇都宮勢の中に火種を残して、此度は手を退くことにしたようです。すぐにでも仲間割れが始まるのではないかと、富永殿は考えておりました。」
「宇都宮勢が一丸となって反抗される懸念もあるが、益子や芳賀が壬生のために戦うとも思えぬな。どちらにせよ損は無かろう。悪辣ではあるが、良き思案であると思う。儂も共に戦いたかった。」
「具合が良くなれば、次の戦には間に合いましょう。宇都宮勢との戦いには殿の御力が必要でございます。」
「そうじゃな。静養に努めよう。」
報告してから三日後、お館様は眠るように息を引き取りました。結城秀朝様が家督を継ぎ、新たな結城家当主となったのです。
1561年冬 上総国 里見義弘
牛久の戦いから五年。真里谷武田信高殿の庇護の元、難波田殿と共に龍若丸殿を救出し、上総で再起を図ることを悲願として、息を潜めながら過ごしてきた。新しき関東公方が下向されると聞いた時は、漸く報われると喜んだものだ。ただ、武田信高殿に対しては越後勢や関東諸氏の動静を見極めてから、と献策していた。しかし、信高殿は先陣を切るかのように越後勢の檄に応えたのだ。
「これから次々と反北条の旗が上がるのじゃ。遅れを取ってはならぬ。」
信高殿の言葉とは裏腹に、北条家の関東支配は盤石であったということを、嫌というほど知らされる結果となった。万喜城を計略を持って押収し、庁南城を攻め落として上総の各地に決起を求めた。土気酒井胤治殿を始め、外房正木衆が応じてくれた。
ところが、待望していた越後勢は北条家に阻まれ、上野国で釘付けとなっていたのだ。千葉勢と玉縄北条衆が上総に乗り込んでくると、戦況は一変してしまった。土気城は早々に落城し、万喜城も庁南城も奪還されてしまった。我等は北条家の方面軍に制圧されてしまったのだ。
この時に信高殿が正木水軍の救援を渋ったことで、袂を分かつことになってしまったのだ。手勢を引き連れて正木衆救援に赴いたのだが、正木衆の軍船は舘山水軍の屋久船によって、瞬く間に沈められてしまった。武田信高殿は最後まで真里谷城に籠もり、落城と共に討死してしまったようだが、我等は水軍も拠点も失い、落ち武者となって上総の山野を彷徨うことになってしまった。
落ち武者狩りに遭遇したり逸れたりして、一人また一人と供が減っていった。いよいよ最後は切り死にするしかないと覚悟を決めたところで、警邏中の武士の一団に捕らわれて気を失ってしまった。反抗して刀を抜く力も無い程、衰弱していたようだ。
気が付くと座敷牢のような所で介抱されていた。里見義弘だということは周りの者にも知られており、数日後に老人と尼僧の二人が訪ねてきた。
「里見義弘殿で間違いないな。」
「とうに承知のことと存ずるが、其方は何者じゃ。北条の者であれば、すぐに首を刎ねればよいではないか。態々生き恥を晒すつもりはない。」
「威勢が良いのう。儂は北条長綱と申す。幻庵の方が通りが良いかもしれぬな。首を刎ねるのは容易いが、こちらにも事情があってな。尼殿に任せることにしたのじゃ。あとは二人で好きにせよ。」
そう言うと幻庵は立ち去ってしまい、後には尼僧だけが残されたのだ。
「義弘様は許嫁の顔をお忘れですか。」
最初は誰か分からなかったが、目元に幼き頃の面影が残っていた。
「もしや伏姫様ですか。」
「良かった。忘れられているのではないかと心配でした。小弓公方・足利義明の娘、伏にございます。今は落飾して青岳尼と申します。」
忘れていた訳ではないが、もう縁の無い女性だと思っていた。小弓公方・足利義明殿が北条家に攻め滅ぼされ、その嫡流の足利頼純殿が里見家を頼り落ちて来た。「妹達は北条家に捕らわれた。」と頼純殿から聞いていたのだ。
「久留里のお城が落ちた時に兄頼純は北条家に捕らわれました。私達は兄と再会し、義弘様が生きているかもしれないと聞いて安堵したのです。」
儂が死んでいたら伏姫殿は自害するつもりだったようだ。妹の意を汲んで、頼純殿も北条家に儂の助命を願い出ているそうだ。頼純殿は足利の血を引く者であったので北条家は誅殺せず、捨て扶持を与えて高家として扱っているそうだ。
「幻庵様は兄が足利の名を捨てて落飾するなら、義弘様をお助けしてもよいと仰せになりました。兄も義弘様に恩を返したいと申しております。」
「儂のせいで足利の名を捨てるなど畏れ多い事だ。儂にはもう何の価値も無い男だ。」
「そんな事はございません。私達にとっては唯一無二のお方です。捨てるつもりの命なら私達に下さいませ。」
もう終わったと諦めた命だ。必要としてくれる方の恩に報いようと思った。儂は伏姫と共に幻庵殿に詫びを入れて死罪を免れ、罪人として八丈島に流されることになったのだ。




