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平宰相〜北条嫡男物語〜  作者: 小山田小太郎
武蔵守の巻(1558年~)
56/117

相会同盟

 1559年正月 江戸城 北条氏親


 箕輪城から幸千代が嫁いできた。お松との顔合わせも恙無く終わり、ようやく落ち着くかと思われたのだが、幸千代付きの老女が曲者であったのだ。曲者といっても怪しい人物ではなく、むしろ大物過ぎて驚かされてしまったのだ。



「武蔵守様、お初に御意を得ます。【お幸の方様】の老女を務めまする【養福院】と申します。以後お見知りおきをお願いいたします。」


「養福院殿は信濃守業正殿の御正室であったと聞いておるがまことか。其方の高名は聞き及んでおる故、まさか老女として来られるとは困惑しておるのじゃ。」


「いえ、とんでもございません。どなたがそのような噂をおっしゃるのでしょうか。奥向きの差配を任されていたこともありましたが、ただの側室の一人にございますよ。」



 養福院と名乗った女性はあらかた五十という年齢の筈だが、若々しさは失われておらず、長野業正の最愛の妻【お福殿】として上野国では有名な女性なのだ。


 長野業正には多くの子供達がいるが、その十二人の娘達は上野の国人衆や有力家臣に嫁いでいる。この十二人の娘達は非常に仲が良く、強固な団結力を持っているのだ。


 その娘達全員の躾けをし、育て上げたのが目の前にいる養福院殿なのだ。西上野を裏方から支配していると言っても過言ではない女傑なのである。



「今まで多くの娘達を送り出してまいりましたが、此度の縁談は急なことでした。嫁ぎ先に失礼があってはいけないと、長野の大殿様の命でお幸の方様のお世話をするように申し付かっております。北条の大殿様のご配慮に報いるつもりでございます。」



 要は幸千代の花嫁修業が間に合わず、失礼があっては大変だからと付いて来たというのが表向きの理由なのだが、本当の理由は長野業正殿からの手紙に書かれてあった。長野殿は龍若丸の監視を怠った責任と長野家の潔白を示さねばならないと考えていたようで、北条家の疑念を晴らす為に人質に出すことを申し出たそうだ。



 父上は長野殿の申し出を一度は受け入れたそうだが、その席で儂と幸千代の縁談を纏めてしまった。儂が呆然とした様子で席を立った後、長野殿に「良き縁談が纏まったので人質のことは無用じゃ。」と仰せになったそうだ。


 しかし、それを聞いたお福殿が長野殿に激怒したそうだ。「年若い娘に責任を押し付けるとは何事です。」上州の黄斑と恐れられている長野殿もお福殿の前では借りてきた子猫も同然であった。お福殿は老女という立場で江戸に行くことを長野殿に認めさせたのだった。



「養福院殿、余計なこととは思うが、長野家の奥向きを取り仕切る其方が江戸におっては、長野殿も大変なのではないか。」


「そんなことはございませんよ。大殿様がご隠居なされて御嫡男の吉業様が家督を継がれました。奥向きも吉業様の御方様が纏めておりますから、(わらわ)はむしろお邪魔虫でございます。娘達からも文が届きます故、武蔵守様のお役に立てることもあるかと存じます。」



 長野家の家督を継いだ吉業殿には山内上杉家から姫が嫁いでいた。例の長尾景虎との婚姻で候補に挙がっていた姫である。遠い越後ではなく上野国内に嫁いだことで姫も喜んでいたようで、吉業殿との夫婦仲も良好とのことであった。


 養福院殿の協力が得られるのであれば、上野国の様子を知る上でこれ以上ない繋がりである。父上に嵌められてのことではあるが、この縁は大切にしなければならないと感じるのであった。




 1559年春 江戸城 北条氏親


 お松から二人目を懐妊したとの報告があった。西堂丸が順調に成長していることもあり、二人目を急いでいる様子は見られなかったのだが、お幸が嫁いで来てからかなり積極的になっていたのだ。競争するようなことでもないのだが、「幸の方には負けられませぬ。」と真剣な表情で言われたときは困惑したものだ。


 この春、北条家にも慶事があった。弟の助五郎が元服したのだ。これにより北条家の軍制にも変化があった。助五郎は正木家の総領内房正木家を継ぐことになり、【正木三浦介氏時】を名乗ったのである。


 内房正木家は先の里見家との久留里城の戦いで嫡男の輝綱が討死しており、跡目を継ぐ者がいなくなっていたのだ。以前から父上は助五郎に三浦衆を引き継がせることを公言していたのだが、三浦衆の総領たる助五郎に正木家の跡目をと、内房正木時盛から申し入れがあったそうだ。


 三浦氏は坂東八平氏の一つで、平安時代から相模国三浦を本拠地とする三浦党から派生した一族である。最後の三浦家総領であった三浦同寸は相模国の支配権を掛けて早雲公や氏綱公と争った間柄であった。また正木家は三浦同寸の一門として安房国正木郷で起こったことで、三浦氏の嫡流であると名乗っていたのだ。


 三浦氏の一族は鎌倉時代に北条家と並ぶほど繁栄していたので、氏族が多い一族でもある。有名なところでは蘆名氏、猪苗代氏、金上氏等の東北に名を残す一族や今川家の重臣三浦氏の一族、三河国や尾張国の佐久間一族等も三浦氏の氏族であった。


 父上は三浦衆の願いを聞き届けて、三浦家を再興することに前向きであったのだが、今川氏や蘆名氏に配慮し、三浦家として再興するのではなく、正木三浦家として継承させることにしたようだ。


 正木三浦介氏時は美浦城城主として香取海を管轄し、常陸国との最前線に配されたのである。正木氏時には赤備えの北条綱高が後見役として控え、福島綱房と高橋氏高が脇を固めている。


 父上は常陸方面への圧力を強めることに力を注いでいるようであった。そんな中、田中融成(つぐなり)が父上の使いとして江戸城にやってきた。融成は父上の命で板部岡家の養子となり、板部岡融成と名乗っていたのである。島津忠貞を呼んで融成と面会することになった。



「武蔵守様、此度はお知恵を拝借したくまかり越しました。」


「融成、如何した。其方が困るとは余程のことであるな。儂の知恵が及ぶところであれば良いがのう。其方程の論客なら儂の考えなど御見通しであろう。」


「買い被りでございます。私はそのような千里眼は持ち合わせておりませぬ。相談の儀ですが御本城様の命で、蘆名家に対して同盟の働き掛けを行っておりまする。双方の人質を交換して盟約を結ぶようにとの仰せでしたが、助五郎様が三浦介を名乗ったことで、蘆名側が態度を硬化させてしまったのでございます。」


「成る程、三浦介を名乗るのは蘆名家じゃと言いたい訳じゃな。蘆名家との同盟は常陸の佐竹や越後の長尾を見据えて、是非とも纏めておかねばならぬ。儂が父上に言上した事じゃからな。交渉はどの程度まで進んでおったのか教えてくれぬか。」


「はい、蘆名当主である蘆名盛氏殿は珍しく側室も持たないお方です。そのためお子もお二人しかおりませぬ。御嫡男と姉姫様にございます。御嫡男様には北条家の姫を輿入れさせたいと提案しましたが、伊達家の姫との婚姻を希望されており、北条家からは虎寿丸様を送るということになりました。」


「蘆名側からはその姉姫となるが、問題があったのか。」


「蘆名の姉姫を北条家に嫁がせることについては当初了承いただいておりました。相手が助五郎様で相模三浦衆の総領となることも伝えており、感触は悪くなかったのです。ところが三浦介を名乗ったことを伝えると、態度が硬化してしまったのでございます。」


「成る程。今更、三浦介を返上する訳にはいかぬな。三浦衆の反発が目に見えるようじゃ。かと言って蘆名側の神経を逆撫でるのも拙い。其の方のことじゃ。名を与え実を取っては如何じゃと提案したのではないかな。」


「武蔵守様、ご明察その通りでございます。蘆名側は【灰吹法】の伝授を希望しております。御本城様は致し方なしとの仰せでしたが、導入したのは武蔵守様故、勝手には決められぬと申されて、私がお伺いした次第にございます。」


「なんじゃそんなことか。灰吹法は秘伝とはいえ既に西国には広がっておるではないか。技術は隠しておくことは難しいものじゃ。儂等が伝授せずとも、いずれ蘆名へも伝わるであろう。それならば蘆名が欲しがっている内に、交渉の道具に使ってしまった方が利があろう。」



 儂があっさりと承諾したのが意外だったようで、融成は呆気に取られたような表情であった。



「なんだか拍子抜けしてしまいました。御本城様は武蔵守様が渋るのではないか、と懸念しておいででした。替わりになるものは無いかとお考えだったようですが、杞憂のようでございますね。会津蘆名氏との同盟の見通しがつきそうで安堵いたしました。」


「何度も言うようじゃが、蘆名家が抑える会津の地は東北の要衝の一つじゃ。越後の長尾、常陸の佐竹にも接しておるし、奥州の伊達や最上との壁にもなる。下野の宇都宮や那須を挟み撃ちにできる位置にあるのじや。当代の蘆名盛氏殿は智勇に優れた名君だと聞く。灰吹法で友誼が結べるのなら安いものじゃ。」



 会津の地は関東に睨みを利かす上で重要な拠点となる。戦国時代末期には有名武将が大領を与えられて赴任した土地なのだ。後日【虎寿丸】が会津に向かい、蘆名盛氏殿の娘【葵姫】が美浦の正木氏時に嫁ぐことが、父上から発表された。

〜人物紹介〜

於福(?ー?)養福院。架空の人物。設定としては保渡田氏の娘で業正の側室。

長野吉業(1531ー1546)業正嫡男。史実では河越の戦いの傷が元で死去している。

高橋氏高(1509ー1597)北条綱高の弟。母は北条早雲の娘。

北条助五郎(1545ー1600)北条氏康の四男。史実では北条氏規。本作では正木三浦介氏時と名乗る。

北条虎寿丸(1548ー1597)北条氏康の五男。史実では北条氏邦。本作では蘆名氏の人質となる。

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― 新着の感想 ―
[一言] 史実でも北条家と盛氏時代の蘆名家は同盟を結んでいるし、この辺は近いものがありますね。 虎寿丸(北条氏邦)の蘆名氏への人質は、蘆名盛隆や、その後の蘆名義広(盛重)誕生、伊達小二郎の養子話の阻…
[良い点] 関東を舞台に腰を据えて書かれたif物はなかなか無いので面白く読んでいます、主人公があまり現代知識でやりたい放題やらないのも好印象ですね まだ信長が一切出てないのが不気味ですね……これから歴…
[気になる点] 氏邦を人質にして盛興死後に蘆名の相続させるとしても、後16年も人質生活させるよりも、盛氏の娘の婿養子と成り、蘆名一門衆とさせるべきでは? (例えば蘆名、猪苗代や金上らと共に、祖である佐…
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