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平宰相〜北条嫡男物語〜  作者: 小山田小太郎
武蔵守の巻(1558年~)
54/117

広がる波紋

 1558年秋 小田原城 北条氏親


 大評定の日の朝、父上の執務室に呼ばれた。執務室には既に長野業正殿と上泉信綱殿ともう一人、長野殿の小姓と思われる若侍が控えていた。既に報告がなされているようで、挨拶もそこそこに話が続けられた。先日行方を眩ませた上杉憲政の遺児龍若丸の話であった。



「長野殿、繰り返しになるが先程の話を武州にも聞かせて欲しいのじゃ。」


「陸奥守様、承りました。龍若丸の逃亡を主導したのは難波田三楽斎ですが、連絡には犬が使われていたため、警護の者も欺かれたようです。更に三楽斎に合力した者も判明致しました。総社長尾の長尾景秀にございます。長尾景秀は上田長尾家と懇意にしておりました故、越後へ逃れたのではないかと思われます。」


「長野殿、越後へ逃れたという予想は妥当じゃと思うが、総社長尾の当主は景孝殿ではなかったか。景秀という名を儂は知らぬのじゃ。景孝殿の一門の者ということか。」


「武蔵守様、景秀は先の総社当主である長尾顕方(あきかた)の嫡男であったのです。」



 長野殿は長尾家の経緯を細かく説明してくれた。山内上杉家に仕える長尾家は足利、高津、白井、総社と幾つもの家に分かれていた。白井長尾家は早くに断絶し、先代の総社長尾顕方は河越の戦いの傷が元で亡くなってしまった。長野業正は山内上杉家に宅間殿を迎えるにあたり、北条家に叛意を抱く者が長尾家の当主では相応しくないとして、総社長尾家の家督相続に横槍を入れたそうだ。


 長尾顕方の嫡男であった景秀を廃し、高津長尾家の景孝殿を養子として総社長尾家を継がせ、白井長尾家にも高津長尾家の憲景殿に跡目を継がせて再興させた。長尾景秀が総社と白井の家を継げないように先手を打ったのである。



「長野殿、そのような事情があったのであれば仕方ありませんな。ところで関東管領家の新体制は如何なりましたかな。」


「はい、某は評定衆を倅に任せて隠居することとなりました。以前の評定衆からの入れ替わりもございますが、金吾様をお支えする新体制は固まりつつあります。」



 関東管領家の評定衆も刷新されたようだ。長野業正殿は隠居し、嫡男の長野吉業(よしなり)殿が継いだ。総社長尾景孝殿も隠居し、弟の長尾景房殿が継承するようだ。白井長尾憲景殿は留任することになり、新たに由良成繁殿が評定衆に名を連ねることになった。北条家からは本庄城主となった綱成叔父上が垪和氏続殿の替わりに就任したのである。



「しかしながら評定衆の代替わりを好機として蠢動(しゅんどう)する者が出ないか警戒しておるところです。吾妻郡の斎藤家や利根郡の沼田家に見慣れぬ者が出入りしているとの報告があります。」


「成る程、上野国北部の様子も心配ですな。長野殿、ご苦労でありました。隠居するとなると今後は如何なさるおつもりです?もしよければ儂の相談役として江戸に来られませぬか。」


「ありがたい申し出ですが、嫡男の吉業も若くまだ頼りないところがあります。ここにいる上泉信綱も嫡男に家督を譲り、武者修行の旅に出ることになったのです。信綱が居れば儂が江戸に行っても安心なのですが、暫くは後見役として目を光らせなければならないと存じます。」



 剣豪上泉信綱が武者修行の旅に出るのはもう少し遅い時期かと思っていたが、時代が少し早まったようだ。これまで静かにしていた上泉信綱が父上に話しだした。



「陸奥守様、武者修行の旅に出ることをお許しいただけますでしょうか。長野家や管領家、更には関東の為に働かなければならないとは存じますが、己の剣を極めてみたいのでございます。」


「気兼ねは無用じゃ。其方の主は長野殿であろう。長野殿の許しを得ているのであれば、儂がとやかく言う筋合いではない。其方の旅の無事を鶴岡八幡にお祈りいたそう。」



 すると突然、控えていた若侍が声を上げた。



「無礼を承知で申し上げます。(わたくし)も父と共に武者修業の旅に出ることのお許しをいただきとう存じます。」



 どうやら若侍は上泉信綱殿の子供であったようだ。まだ幼さが残る面影で声変わりもしていない甲高い声であった。



幸千代(こうちよ)、場を(わきま)えよ。其方の発言が許されるような場所ではないぞ。ただでさえ勝手についてきて長野の殿にもご迷惑を掛けているのだ。恥を知れ。」



 信綱の激しい言葉に幸千代は顔を真っ赤にして目に涙を浮かべている。よほど修業の旅に出られないのが悔しいのであろう。その様子を見ていた父上が声を掛ける。



「【先程】の話であるが、幸千代はここにいる武州の側に仕えるのはどうじゃ。武州はこう見えても破天荒な常識破りの男でな。其方が剣術を諦めずに側仕えすることも嫌とは言うまい。武州、どうじゃ。」



 父上にいきなり振られて戸惑ったが、幸千代に声を掛けぬ訳にはいかなくなった。改めて幸千代を見ると線は細いが、剣術を志すだけあって姿勢が良く、優しげで整った顔立ちは年若い娘達が騒ぐような風情である。丁度、小姓が数名元服を控えていることもあり、身の周りの世話をする者も必要になっていたのだ。



「上泉殿の剣術を学んだのであれば手練れとお見受けする。幸千代殿が良ければ喜んでお受けしよう。幸千代殿、如何じゃ。」


(わたくし)は今まで剣術しか学んでおらず、皆と同じ様にはできないのです。体が丈夫なこと以外に取り柄がございません。武蔵守様の身の回りの世話ができるとはとても思えませぬ。」


「壮健であるとはなによりではないか。儂の小姓共に上泉流剣術を叩き込んで欲しいと思う。身の回りの世話はおいおい覚えれば良いのじゃ。幸千代殿、それでも否と申されるか。」



 幸千代は驚いたような顔をして目を向けてきた。暫し考え込んだ後、覚悟を決めたように答えた。



「剣術をお認め頂けるとは思いもよりませんでした。そこまで言っていただけるのであれば否やは申しませぬ。兄達からも武蔵守様は当代一の武将との噂を聞いております。望まれてお仕えできるのであれば、この身の誇りに存じます。お家の為にお尽くし致します。」



 父上が嬉しそうに声を発した。



「決まりじゃな。幸千代は一度上野に戻り、嫁入りの準備を整えよ。信綱、異存は無いな。」


「陸奥守様、ありがたき幸せに存じます。このお転婆娘には手を焼いており、嫁の貰い手を案じておりました。武者修行の旅に勝手についてきたのも困りものでしたが、このような御縁を賜るとはありがたきことです。」



 嫁入り?


 お転婆娘?


 嫁の貰い手?


 皆さん何を言っているのでしょう。幸千代って男の人のお名前だと思いますけど。




「陸奥守様、幸千代は我が長野家の養女として嫁がせたく存じます。」


「それは重畳、側室とはいえ長野家の後ろ盾を得られるのであれば幸千代も安心であろう。」



 養女?誰が?


 嫁がせる?誰に?


 側室?誰の?


 はっと気付いて父上を振り返ると、悪戯小僧のような嬉しそうな父上の笑顔があった。長野殿は純粋に嬉しそうな笑顔であるが、上泉殿はほっとしたような表情であった。



 どうやら父上に嵌められたようだ。慌てて断ろうと幸千代殿を振り返ると、満更でもなさそうで嬉しそうに頬を染めている。改めて女性として観ると少しきつめであるが、美しい娘ではあるのだが、とても間違いでしたと言える雰囲気ではなくなっていた。


 なんと言っても相手の父親は戦国最強と名高い剣豪なのだ。この場で恥をかかせて良い相手ではないのだ。




 その後の大評定では重要な議題も沢山話されていたが、評定の内容が全く頭に入ってこなかった。それも仕方ないことだと思う。評定の最後に長野家から儂に側室を迎えることを父上が報告し、皆からお祝いの言葉を貰った。最後に父上からもお言葉があった。



「武州よ。目出度いことじゃからな。武者修行の為に男装していたとはいえ年若き娘のことじゃ。勘違いでしたとは口が裂けても申すでないぞ。」




 正月に幸千代殿が嫁いでくることが正式に決まった。ただ、小田原から江戸に戻るとお松が鬼の形相で待っていた。



「旦那様、此度は長野家との縁談が整ったとの由、お祝い申し上げます。しかしながら妾に相談も無く奥向きのことをお決めになるとは、不本意にございます。男装の姫君に一目で懸想して、その場で口説いたとか恥ずかしい限りでございます。そんなことで北条家の棟梁が務まると御思いですか。」



 それから延々と愚痴を聞かされることになったのだ。確かに表面から見ると言われた通りなのだが、実際には勘違いと父上の悪戯心から生まれた輿入れなのだ。


 勿論、父上がこの縁談の利を十分に考慮した上で推し進めようとしているのは理解できる。ただ、既にここまで噂が広がっているということは、父上が風間衆を使って噂を広めているのではないかと疑ってしまう。父上に念押しされていたため勘違いと公言できないのでお松の怒りは頂点に達していた。


 誤解を解くにもお松と二人きりでなければ誰が聞いているかも知れず、勘違いであったとの噂が流れれば北条家と長野家との問題にもなりかねないのだ。中々二人きりになれず、誤解が解けたのは江戸に戻ってから十日もしてからであった。



「忠貞、此度は酷い目に遭ったぞ。誰も奥との仲介をしてくれぬのじゃ。其方も一番に逃げ出すとは薄情ではないか。」


「武蔵守様、それは無体な仰せでございます。夫婦喧嘩に口を挟むべからずとは島津家の家訓でございますから。まあ冗談はこれくらいにして、急ぎの報告がございます。」


「たまには良い知らせも聞いてみたいものじゃ。申してみよ。」


「あまり良くない知らせでございます。上野国の吾妻郡で戦が起こりました。岩櫃城の斎藤憲次が鎌原城の鎌原幸定と諍いを起こし、攻め込んだのです。」


「なんじゃと。鎌原幸定と言えば真田俊綱の弟ではないか。真田家を通じて武田家に従っていた筈じゃ。下手をすると武田家と上杉家の戦になるぞ。」


挿絵(By みてみん)


 上野国の北部と吾妻郡にまたがる地域は山内上杉家の傘下でありながら、独立色の強い国人領主が治める土地でもある。岩櫃城主の斎藤憲次は特にその傾向が強く、吾妻郡を統一して戦国大名を目指す野心家でもあった。しかし吾妻郡の中でも信濃国に近い鎌原城と羽根尾城には真田氏と同族の領主が治めており、武田氏の影響力の強い地域であったのだ。



「はい、本庄城の綱成様はすぐに斎藤討伐に動いたそうです。武田家にも使いを出し、弁明を伝えたそうにございます。ただ武田家の動きも素早く、真田幸綱を討伐の大将としてたちまち鎌原城と羽根尾城を取り返し、更には岩櫃城に攻め寄せておりました。綱成様が岩櫃城に着いた時には落城寸前の有様だったようです。」


「武田家の影響力が強まることになるな。」


「仰せの通りです。斎藤憲次は降伏し、尻高城に落ちました。岩櫃城には真田方の富沢行連が城主として入ったようです。」


「斎藤憲次が吾妻郡の火種となったか。越後にも信濃にも近い故、長尾や武田家の関与があったのやもしれぬな。叔父上や長野殿も上州北部に不穏な動きありと目を光らせていたようじゃが、後手に回ってしまったようじゃ。」



 武田家が直接北条家と事を構えるとは思えないが、隙を見せてはいけない相手だということを改めて認識する思いであった。

~人物紹介~

上泉信綱(1508-1577)剣聖。新陰流の創始者。

幸千代(1544-?)信綱の娘。架空の人物です。

総社長尾景秀(?-1583)直江信綱の父。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 上泉信綱の信は信玄(晴信)の信を偏位したものらしいのでこの話の時点では改名前の秀綱では?
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