動乱の予兆
1558年春 井伊谷 お虎
「母上様。監助がいじわるをするのです。」
「松千代、如何したのじゃ。其方が我儘を申したのではあるまいな。」
「木登りがしたいと言うたら、まだ駄目じゃと言われたのです。」
松千代は活発な子に育っています。松千代の世話をしているのは大久保監助といって、小田原から旦那様に付いてきた鳩飼いの中間です。松千代の世話を申しつけた際に旦那様から聞かされましたが、監助は風間出羽守配下で旦那様の護衛役を務める者であったそうです。
「監助の言うことが正しいではありませんか。木登りはまだ早いと母も思いますよ。」
松千代は頬を膨らませて真っ赤になって怒っている。なんとも可愛らしい。
「そろそろ朝餉の時間ですよ。お父上を呼んできて下され。」
「はーい。」
朝から体を動かしているのでお腹が空いていたのでしょう。松千代はすぐに笑顔になると、旦那様を呼びに行きました。
「松千代や、よく噛んで食べるのだぞ。喉に詰まらせたら大変じゃ。」
「はい、お爺様。ちゃんと噛んでおります。」
ほとんど噛まずに呑み込みながら、松千代が神妙に答えていました。母上様も笑いながら松千代の世話をしております。ふと旦那様を見ると、少し考え事をしていたようです。旦那様の様子に気付いた父上が話し掛けました。
「直元殿、何か考え事ですかな。」
「義父上様、食事中に申し訳ありません。三河での戦のことを考えていたのです。」
三河では国人衆が今川家と織田家のどちらに着くか揉めているそうです。尾張の織田信秀の死後、今川家が優勢でしたが、今川家の重臣太原雪斎様が他界したことで不安定になっています。今川義元公は家督を譲ることで、今川氏真様に駿河と遠江の統治を任せ、御自身は三河の統治に専念しているのです。井伊家も三河で戦がある度に軍役を申しつけられております。
「直元殿、何か不審なことでもあったかな。」
「はい、つい先日の名倉船渡橋での戦いのことです。織田に唆された岩村の遠山勢が、信楽名倉まで攻め寄せたのです。」
「確か奥平貞勝殿の活躍で事なきを得たと聞いておる。何も不審なことではないと思うがの。」
「不審なのは武田家のことです。以前、武田家の与力として伊那に参りましたが、その時には既に遠山勢と武田家は誼を結んでおりました。武田家は遠山勢の行動を故意に見逃しているのではないか、という疑念があるのです。」
旦那様は懐から絵地図を取り出して父上様に手渡しました。
「こちらの絵地図は最近、三河で起こった争いを記録したものです。最後の遠山勢の襲撃は武田氏の武節城を素通りしております。寺脇城付近の名倉船渡橋での争いなのです。」
父上は絵地図を見て少し考えてから答えました。
「然もありなん。三河はまだ今川家の勢力としては安定しておらぬからな。武田家が食指を伸ばすこともあるやもしれぬ。」
「義父上、遠山家を通じて武田と織田が誼を結んでいるのではないでしょうか。」
「無いとは言い切れぬが、心配することではあるまい。三河が落ち着けば武田も軽はずみなことはできぬ。隙を見せた今川家の落ち度なのじゃ。」
「ならば三河の混乱は、吉良殿の裏切りが大きく影響しているのでしょうか。」
「それはあるな。岡崎殿の烏帽子親をお館様が務めたことが気に入らなかったようじゃ。まあそればかりではあるまいがな。吉良家は東西に分かれておってな、家臣団の発言力が強いのじゃよ。誰が当主でも混乱は避けられぬのじゃ。」
岡崎の松平宗家嫡男の元服には吉良家の当主が烏帽子親を務め、偏諱を与えるのが慣例であったそうです。ところが今川義元公が烏帽子親となり、今川家が吉良家に替わる三河国主であると示したのです。これに反発する勢力が吉良家中で力を持ち、当主を巻き込んで謀反となったそうです。
吉良家の反乱が沈静化し、国人衆の家督相続に介入して反今川勢力が討伐されたことで、三河国の安定が見えてきたそうです。旦那様や父上が戦に駆り出されないようになって欲しいものです。
1558年春 躑躅ヶ崎館 武田義信
「父上が何を考えておるのか、よく解らぬな。」
「義信様、お館様との間に何かございましたか。」
儂の独り言に工藤昌秀が気遣いながら声を掛けてきた。傍にいた飯富昌景と今川長得も心配そうな顔色だ。
「いやなに、独り言じゃ。父上とは話もできておるが、父上の同盟国に対する考え方が儂にはよく解らないのじゃ。昌秀は如何思う。」
「お館様の御心を察することは難しいですが、北条家と今川家との三国同盟は尊重しておられるかと存じます。しかしながら、同時に警戒もしているのではないかと存じます。」
「成る程のう。太原雪斎没後に三河が荒れておるであろう。遠山衆が三河を攻めたようじゃが、儂は父上の指図があったのではないかと疑っておるのじゃ。尾張の者が父上の元へ密かに訪れておるとも聞く。」
儂の言葉に昌秀と昌景が驚き、長徳に警戒の視線を向ける。室内の空気が変わったことを感じた長徳は苦笑いを返す。
「義信様、お二人が驚いておりまする。私のような今川家の者に聞かせる話ではありませんよ。」
「迂闊であった。長徳すまぬ。」
「いえ。目の光を失ってから私の事を気に掛けて下さったのは、義信様と竹姫様だけです。義信様の不利になるようなことは致しませぬ。」
長徳は落ち着いた様子で言葉を続けた。
「私が思うに、お館様はお困りになっているのではないかと思います。大軍を動員しながらも長尾家とは一進一退で成果が上がらず、効率が悪いとお考えなのやもしれません。どこかに隙が無いかと、周囲を見回しておられるのではないでしょうか。」
「長徳の申す通りじゃな。家中には長尾との決戦を望む声もあるが、父上は北信濃は熟した柿の様じゃと申しておった。無理に取りに行かずとも自然に手に入るとお考えのようじゃ。しかしその先の越後には軽々しく進めぬとも申されたのじゃ。父上は戦略の変更を考えておるのかも知れぬな。」
昌秀が考えながら意見を述べる。
「三河への遠山衆の攻撃は、今川家への牽制なのやもしれませぬな。三河が無理なら上野も視野に入れているのではないでしょうか。山内上杉家に対しては直接同盟を結んでいる訳ではございません。隙あらばとお考えなのやもしれませぬ。」
工藤昌秀の言葉に飯富昌景も相槌を打つ。
「関東管領の就任式には長尾の者も呼ばれておったと聞いております。お館様が不快に思われてもおかしくないと存じます。」
「父上には関東管領家の祝い事に長尾が呼ばれるのはおかしくないと申し上げたのじゃ。むしろ声を掛けない方が不自然ではありませんかとな。父上も理解してはいるが、心情的には承服し難い様子であった。北条家や今川家が長尾家と誼を結んでいるのではないか、との疑念をお持ちじゃ。」
工藤昌秀が少し慌てたように口を挟んだ。
「義信様、お気を付け下さい。お館様とは親子とは言えど、言葉が過ぎると疎まれることにもなりかねません。越後長尾家との戦では今川家と北条家を通じて、足利幕府と関東管領家に仲裁の労を取っていただきましたが、お館様には納得いかないことがあったのではないでしょうか。」
飯富昌景も心配そうな顔をしている。
「昌秀殿の申す通りです。信濃衆の中には四郎様に心を寄せる者も多くおりまする。お館様と義信様の不仲な様子を感じ取り、善からぬ企みを考える者がいないとは言えません。」
「二人とも案ずるでない。儂は父上と不仲になった覚えはないぞ。」
「昌秀様と昌景様の御心配は尤もかと存じます。義信様は先程お館様のお考えが解らぬと独り言をおっしゃいましたが、聞く者によってはどのように解釈するか心配なのです。我等も先程のお言葉には肝を冷やしました。お館様は偉大なお方ですが、同時に怖いお方でもあります故。」
父上がお爺様を追放して国主となったことを軽く考えていたようだ。儂に同調して唆すのではなく、親身に忠告してくれる忠臣達の為にも、言動には注意しなければならないようだ。




