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平宰相〜北条嫡男物語〜  作者: 小山田小太郎
新九郎の巻(1551年~)
52/117

朝廷工作

 1557年秋 小田原城 北条新九郎氏親


 土肥金山から予想を上回る産出量が得られたと金石斎から報告があった。金石斎と共に小田原の父上に報告に上がることにしたのだ。大評定の前に、使い道に関して父上に相談したいことがあるのだ。父上の執務室には伊勢貞就も呼んでおり、四人での話し合いとなった。



「父上、土肥で得られた金の一部を朝廷へ献上してはと思いますが、如何でしょうか。」


「献金するのは構わぬが、献上の目的は何じゃ。」


「先の帝が崩御し、新たな帝が即位したものの即位の礼を上げられずにいると聞いております。その費用を出せないかと考えたのです。」


「何を申すのじゃ。即位の礼の費用は将軍家が用立てるのが慣例ではないか。それに即位の礼となるなら如何ほど掛かるか判らぬぞ。貞就は存じておるか。」


「御本城様、如何程かは判明しませぬが、概ね二千貫は必要かと存じます。ただ、今の将軍家に用立て出来るとは思えませぬ。幕府も朝廷も困窮しておりますから、恩を売るなら絶好の機会であると存じます。」


「うむ、朝廷に恩を売るだけなら良い手立てであるが、将軍家や三好家の横槍が入るやもしれぬ。貞就よ、その辺りの動向は如何じゃ。」


「はい、伊勢本家からの話では即位の礼を行えないことで、将軍家の権威は落ちております。相対的に三好家の権威が高まっており、朝廷も三好家に献金を頼んだようです。ところが、三好長慶は即位の礼の資金は将軍家が用意するものだと突っぱねたそうです。どうやら三好家に対して将軍家が頭を下げさせるように仕向けているようなのです。」


「うむ、献金するにしても三好家への配慮は必要になりそうじゃな。将軍家にも恩を売る良き機会でもあるな。新九郎は何を企んでおるのじゃ、見返りに何を求めておる。」


「はい、月並みですが官位をいただくのが良いかと存じます。ただ北条家からだけではなく、鎌倉公方家と関東管領家との連名で献金しては如何かと思うのです。即位の礼は朝廷にとっても重要な式典です。帝の心証もかなり良くなると思います。」



 父上は私の言葉を吟味するように思案してから返事を返しました。



「新九郎、良き思案じゃ。鎌倉公方と関東管領の世代交代を考えておるのじゃな。」


「はい、仰せの通りにございます。鎌倉公方足利晴氏様には、そろそろ隠居していただくのが宜しいかと存じます。関東管領家も山内上杉家の嫡流を宅間の血筋で継承することに意義があると思います。」


「面白い。ついでに北条家の家督を寄越せと申すのじゃな。このような形で隠居を薦められるとは思わなかったぞ。」


「いえ、そのようなつもりはございません。」



 慌てて断ったが父上は楽しそうに笑っていた。



「よいよい、実権を渡すつもりはないが、家督は折を見て譲るつもりであったのじゃ。貞就、ついでに新九郎の官位も考えておくのじゃ。」


「承りました。早速京へ上って取り計らいまする。」





 1558年正月 鶴岡八幡宮 北条新九郎


 鶴岡八幡宮にて鎌倉公方家の家督相続が執り行われた。足利晴氏は隠居し、足利義氏が鎌倉公方となった。義氏の母は北条氏康の妹である。足利義氏は将軍足利義輝より【義】の偏諱を賜り、朝廷から従四位下【左兵衛督】の官位を賜った。唐名から【武衛】様と呼ばれることになったのである。



 その翌日には関東管領家の家督相続が執り行われた。上杉晴憲は隠居し、嫡男の輝憲が関東管領となった。輝憲は将軍足利義輝より【輝】の偏諱を賜り、朝廷から従五位上【左衛門佐】の官位を賜った。こちらも唐名から【金吾】様と呼ばれることになる。



 武衛殿も金吾殿も早雲寺で共に学んだ弟分であるし、武衛殿は従弟でもある。北条家の関東支配体制は整ったといえる。



 この式典の為に鶴岡八幡宮には関東各地から大勢の大名がお祝いに駆けつけた。北条家の勢力外からも当主ではないが、多くの参列者があった。今川家からは朝比奈丹波守殿、武田家からは武田信廉殿、長尾家からは長尾政景殿、宇都宮家からは益子高定殿が参列し、盛大な式典となったのである。



 朝廷や幕府への献金と式典の費用は総額で三千貫にもなったが、北条家の権威を高めることができた。伊勢貞就の働きで将軍家の面目も保たれ、朝廷では即位の礼が執り行われる見通しがついたそうだ。当初、三好家は献金に難色を示していたが、朝廷が本願寺にも献金を依頼する姿勢を見せたことで、慌てて献金することになったようだ。



 この貢献によって父上は【陸奥守】の官位を賜り、左京太夫と併せて位階を従四位上まで上げた。陸奥守は北条得宗家が代々名乗った官位であり、朝廷からも北条得宗家として認められたのである。得宗家を継承するという先代からの悲願が叶い、父上もこれには大いに喜んでおられた。



 父上の任官があったので北条家の家督相続は先延ばしとなったが、北条家の一門衆にも官位を賜ることになったのだ。氏尭叔父上は正六位下【安房守】を賜って北条安房守氏尭となり、綱成叔父上は正六位下【上野介】を賜って北条上野介綱成となった。そして私は従五位上【武蔵守】を賜り、【北条武蔵守氏親】となったのである。武蔵守を略して【武州殿】と呼ばれることになったのだ。父上と私は幕府の御相伴衆にも任じられたが、在京していないのであくまで名誉格式としての任命とのことであった。




 新たな気持ちで式典を終えたところ、風間藤吉郎が急ぎ面会を求めてきた。


「新九郎様、じゃなかった。武蔵守様。火急の知らせがございます。」


「藤吉郎、慌てるな。如何なる知らせじゃ。」


「はい、難波田三楽斎の手引きにより、上杉憲政の遺児【龍若丸】が逃亡したようにございます。」


「なんじゃと。龍若丸は長野業正殿に引き取られて寺に入っていたのではないのか。父上や長野殿にも知らせねばなるまい。」


「長野様が此度の式典にて留守の隙を狙ったようにございます。長野様にはお知らせしておりますが、御本城様への報告をお願いいたします。」



 顔面蒼白でやってきた長野業正殿と共に父上の部屋へ向かうと、すぐに招き入れられた。



「陸奥守様、申し訳ございません。拙者が責任を持って預かると言いながらこのような失態、面目次第もございません。」


「長野殿、気にすることはないぞ。幸いなことに関東管領の家督相続も無事に終わったのじゃ。今更、龍若丸を担ぎだしても大事にはなるまい。されど、三楽斎の単独で出来ることではないからな、関わった者がいないか調べてくれ。」


「承りました。」


「父上、龍若丸は越後に行ったのではありませんか。長尾景虎に助けを求めたのかもしれません。」



 以前の記憶に長尾景虎が上杉憲政を保護したことから憶測を述べると、長野殿は難しい顔をしながら否定した。



「武州殿、山内上杉家と越後長尾家は争った仲です。流石に越後長尾家を頼るとは考えられません。」


「長野殿、その争いは龍若丸の祖父・上杉憲房殿と長尾景虎の父・長尾為景の時代の話ではありませんか。当時を知る者達からすれば犬猿の仲であっても、龍若丸は問題視しないのではないかと思います。むしろ北条家に縁の薄い家を探すなら尚更です。」


「道理ですな。武州殿のおっしゃる通りやもしれませぬ。龍若丸が何故、三楽斎の口車に乗ったかは解りませんが、調べてみましょう。」



 父上はあまり気にしていないようだが、景虎の関東襲来の引き金になるのではないかとの懸念が出てきた。北条家によって作られた関東の平穏が続くように対策を立てねばならないようだ。

~人物紹介~

足利義氏(1541-1583)史実では最後の古河公方。母は北条氏綱の娘。

上杉輝憲(?-1563)史実では宅間上杉富朝、国府台合戦にて討死している。


~正親町天皇の即位の礼~

史実では1557年の後奈良天皇の崩御に伴い即位しますが、資金難で即位の礼は延期になります。毛利元就から献納を受けたことで1560年にようやく即位の礼を上げることができました。


この貢献により毛利元就は大内氏に代わる中国地方の覇者として朝廷幕府に認識されることになります。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 武蔵守も相模守と並んで北条得宗家の縁ある官位ですね。この大盤振る舞いは朝廷の心証が余程良かったんでしょう。 [気になる点] 謀神様から陸奥守をインターセプト。こちらは北条得宗家継承を内外に…
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