宇都宮家の復興
1557年春 結城城 水谷政村
宇都宮家の重臣【益子高定】が、宇都宮広綱の使いとして結城城に訪れた。益子高定は主君の命で芳賀姓を許された、宇都宮広綱の腹心である。
幼くして家督を継いだ宇都宮広綱は壬生綱房と芳賀高照によって宇都宮城を追われ、真岡城にて再興の機会を伺っていた。益子高定の謀略により芳賀高照を討ち取り、壬生綱房が死去したことで宇都宮城を奪還する好機と見たのだ。お館様は私に秀朝様と富永正直殿を同席させるようお命じになり、益子高定と引見することとなった。
「宇都宮家臣、益子高定と申します。我が殿宇都宮広綱の使いで参りました。結城様には壬生討伐の助力をお願いしたいと、我が殿は申しております。」
「益子殿、下野国の安定は我等も望むところじゃ。しかしながら我等は小山家と同心し、北条氏と誼を結んでおる。また小山家の分流である皆川家と薬師寺家も同心しておるのじゃ。懸念は宇都宮殿が皆川家と薬師寺家の自立をお認め下さるかどうか、ということなのじゃ。」
「両家に関しては問題ないと存じます。結城小山の洞に両家が属しているのは我が殿も把握しております。結城洞の領域に関しては宇都宮家が干渉することはいたしません。」
結城小山同盟は外部から見ると旧来の洞に見えているようだ。実際には更に踏み込んだ関係であるのだが、宇都宮にそれを伝えることもないだろう。皆川家も薬師寺家も当初困惑していたが、小山兄弟が改革を推し進めたのだ。
「それを聞いて安堵いたした。宇都宮家の復興を御助力いたそう。されば、我等は如何なる働きをすれば宜しいかな。」
「壬生綱房が亡き後、宇都宮城には綱房の嫡男、壬生綱雄が入っております。また壬生の本拠地である鹿沼城には綱房の弟、壬生徳雪斎が守っております。結城様には鹿沼の徳雪斎を攻めて貰いたいのです。」
「あい、解った。宇都宮殿に良しなにお伝え下され。」
こうして壬生討伐が行われました。皆川城に集まった結城小山勢は小山衆を先鋒に壬生城を落とし、壬生徳雪斎の籠もる鹿沼城を包囲したのです。徳雪斎は宇都宮家に詫びを入れて降伏。徳雪斎の降伏を知った壬生綱雄は宇都宮城を明け渡して降伏し、宇都宮広綱は宇都宮城に戻り、宇都宮家の復興を宣言したのでした。
1557年春 伊豆 土肥 北条新九郎
生野銀山に灰吹法という製錬技術が伝わっている。京の相模屋を通じて技術者を誘致せよと伝えていたのだ。生野銀山を治めているのは但馬竹田城主【太田垣朝延】であったが、太田垣氏は運上金を取ることで満足し、実際の鉱山経営は代官頭の【杉原家次】が行っていた。杉原家次と不仲であった者に声を掛けたところ、代官補佐の【猪熊佐助】が山元(山師)や金堀人を含む一族衆を引き連れ、関東に下ってきたのであった。
猪熊佐助を父上に推挙し、伊豆の土肥金山に【灰吹法】を導入することができたのだ。土肥金山は猪熊衆の再開発と灰吹法を実践したことで、採掘量が飛躍的に伸びたのである。小田原での大評定の後、根来金石斎を伴い金山の視察に訪れたのだ。猪熊佐助が丁寧に説明してくれた。
「鉱石に水銀や鉛を溶け込ませ、そこに火を加えます。金銀と鉛が溶け出す熱さの差を利用して金銀と鉛を分離するのです。」
「成る程、素晴らしい手法じゃ。しかし水銀や鉛には体に害を及ぼす成分もある。灰吹きをする際は風通しの良い場所で行うようにせよ。」
「何をおっしゃいます。それでは秘伝の絞りの技を覗き見られてしまうではありませんか。絞りは精錬所で行うものですぞ。」
「精錬所の周囲を柵で覆い立入できぬようにすればよい。見ただけで盗まれるような技術ではあるまい。よいな。」
「…承りました。仰せに従います。」
「ところでこの灰吹絞りを使えば、粗銅や悪銭の銅銭から銀を絞ることもできるのではないか?」
「…成る程。確かにおっしゃる通り、理屈ではできるやもしれません。試みてみましょう。」
「良い報告を期待しておる。金石斎!監督を其方に任せる。頼むぞ」
「承りましてございます。硝子の次は錬金術ですな。お任せ下され。」
視察を終えて江戸に戻ると奥が大騒ぎであった。前日にお松が産気づき、子が生まれたばかりだというのだ。お松は見事に嫡男である男子を生んでくれた。
「西堂丸と名付けよ。」
出産には魑魅魍魎が寄ってきて祟りを為すと考えられている時代だ。迷信だと解っているが、頑なに信じている者も多く、すぐに会いに行くことができない。せめてお松の負担を減らせるように手配している。例えば産後の食事は毒になるといって幾日もお粥程度しか食さないのが常識だが、鶴岡八幡の加護があると称して、妊婦に負担のかかる迷信を辞めさせたのだ。
早く子供の顔が見てみたいものだ。