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平宰相〜北条嫡男物語〜  作者: 小山田小太郎
新九郎の巻(1551年~)
49/117

越後屋の番頭

 1557年春 山城国 相模屋 風間小一郎


 初めて丹波で作られた清酒が好評のようです。蜂兵衛さんは初めての土地での酒造りにかなり手古摺ったそうです。



「米も水も丹波のものを使ったんだよ。伊豆のものとは風味が違うからどんな酒になるか検討もつかないんだ。」



「まだまだ改良しなきゃならねえなあ。」と言いながらも嬉しそうな表情から、満足できる出来栄えだったようです。



 私にも直属の下役が二人付きました。一人目は増田村の仁右衛門さん、二才丁稚として小田原式算盤も上達しています。


 もう一人は手代の石田藤左衛門さんといって陣内さんの紹介で店にやってきた方です。近江国石田村の地侍の出ですが、博識で書を読むことが好きな方です。

 


 女将さんは商売の傍ら屋敷の隣に長屋を建てて、身寄りのない子供を集めています。


「京都の街には身寄りの無い子供が多くて見て居られないよ。」


 女将さんはそう言って子供達の世話をしています。陣内さんの身内の方が読み書きや算盤を教えているそうです。



 今日は旦那様のお供で、さるお公家様のお屋敷に参ります。お公家様のお屋敷の土塀が崩れており、見兼ねた三好様が土塀と裏門の改修費用を申し出たそうです。


 改修工事は商家が請け負うことになり、いくつもの商家の入れ札で決めるそうです。相模屋も伊勢様の口利きで入れ札に参加する事になりました。私も足軽衆と共に改修工事の縄張り図面を検討したのです。江戸で散々工事をさせられた経験が役に立っています。



 お公家様のお屋敷に上がり、控えの間に通されました。控えの間には多くの商人が待機しており、順番に呼ばれて入れ札が行われるとのことです。一刻程待った後呼び出されました。お部屋にはお屋敷の持ち主であろうお公家様と、三好様配下のお武家様が座っておられました。旦那様と私が廊下で平伏しますと、お武家様から声が掛かりました。



「面を上げよ。其の方等が相模屋か。儂は此度の奉行を仰せつかった【松山重治】じゃ。遠慮は要らぬ故、部屋内に入って其の方等の縄張り図面の説明をいたせ。」



 松山様は三好様の重臣です。三好長慶様は外様の小領主や地侍を畿内衆として、一門譜代と同様にお取立てになるそうです。藤吉郎兄者や真田様をお取り立てした新九郎様と同じような考え方なのかもしれません。松山様は畿内衆の中でも上位の方で丹波の内藤宗勝様、大和の松永久秀様に次いで第三席の重臣だと聞いておりました。



「相模屋の縄張りは面白いな。見知らぬ工夫が随所に見られる。これは東国のものなのか。」



 図面を観た松山様は興味を引かれた様子でしたが、お公家様は武張ったところがお気に召さないのか、あまり興味を示されませんでした。



「左様にございます。我等は出が小田原にございます。まだまだ上方の縄張りに詳しくなく拙いものかもしれませんが、ご検討下さいませ。」



 下がるように促されて控室に待機することになりました。控室に戻ると商家から声を掛けられました。



「お初にお目に掛かりますな。先程の呼び出しで相模屋さんとお聞きしました。私は越後屋の蔵田清左衛門と申します。こちらは番頭の河田六郎です。よろしゅう頼みます」



「これはこれはご挨拶ありがとうございます。私は相模屋の風間道雲と申します。これは手代頭の小一郎です。越後屋さんのような大店にお声掛けいただけるとは光栄です。」



 越後屋さんは越後直江津に本店を構え、伊勢の大湊と京都に支店を置く大店だそうです。和やかに商売の話しをしておりましたが、越後屋の番頭さんが何気なく質問してきました。



「探し人は見つかりましたか?」



「河田村に神童ありと聞いておりましたので、興味を持ったのですよ。河田さんのお身内とは知らず、うちの者が失礼したようです。ちゃんと言い聞かせておきました。」



「甥のことが相模屋さんのお耳に入っているとは光栄です。今後とも宜しくお願いします。」



 私は何のことか解らず聞き流しておりました。すると落札した商家が決まったようで呼ばれています。越後屋さんが残念そうにしています。



「うちも相模屋さんも選ばれなかったようですな。残念です。」



「そうですな。御縁が無かったようですな。またお会いしましょう。」



 そう言い合ってお屋敷を後にしました。帰りの道すがら、旦那様が先程の詳しい経緯を教えて下さいました。


「あの番頭は越後の乱破、軒猿(のきざる)衆の頭目の一人なのさ。たまたま有能そうな小坊主の噂を聞いて身内にしようと思ったんだ。ところがその神社は軒猿衆の拠点の一つだったという訳さ。」



 期せずして軒猿衆の拠点を見つけてしまったそうだ。これには相手の軒猿衆も驚いたようで、探りを入れる機会を図っていたようなのだ。



「小一郎にもそのうち裏稼業の事を教えなければならないが、女将の許可がでてないんだ。暫くは商人として精を出すんだぞ。」



 旦那様にしても女将さんにしても私に期待しすぎな気もしますが、できる範囲で頑張っていきます。はい。


~人物紹介~

風間小一郎(1540-1591)藤吉郎の弟(豊臣秀長)、ただのチート補佐官

増田仁右衛門(1545-1615)史実では五奉行

石田藤左衛門(153?-1600)史実では息子が五奉行


・越後屋:伊勢神宮御師出身の御用商人。越後長尾家のもとで越後青苧座を統轄

蔵田五郎左衛門(?)直江津の商人

蔵田清左衛門尉(?)五郎左衛門の一族、神余実綱と共に京都方面の申次を行う。

蔵田紀伊守(?)伊勢大湊の商人。五郎左衛門の一族。

河田六郎(1531-1593)重親、泰親、九郎次郎。河田長親の叔父。本作では軒猿の頭目。


松山重治(?)新介、宗治。本願寺の番士から三好長慶の重臣になった元祖イケメン



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― 新着の感想 ―
[良い点] 光成の親父ゲットだぜ。畿内近隣の青田買いが進んで、新九郎の中での風魔株がストップ高ですな。 [一言] 河田長親は上洛した謙信が日吉大社の稚児を身請けして尻小姓として寵愛したとかそんな話をど…
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