表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
平宰相〜北条嫡男物語〜  作者: 小山田小太郎
新九郎の巻(1551年~)
48/117

相模屋の青二才

 1556年 宇治 相模屋 風間小一郎


 江戸城に呼ばれたのが半年前、それから息つく間も無い程の慌ただしい日々でした。



 女将さんになるお絹様の使い走りとして、色々な事を叩き込まれました。風間出羽守様は相模屋の当主となるにあたり【風間道雲】と名を改めております。



 道雲様と三人の番頭さん達は出店のため奔走しておりました。北条家の重臣伊勢貞就様の口利きで幕府政所の伊勢様や三好様、幾つもの寺社にも挨拶に行き、出店の許可を頂いたそうです。



 番頭さん達は小田原の大店(おおたな)から引き抜かれた優秀な方です。


 筆頭番頭の宇野助次郎さんは外郎透沈香で有名な宇野一門で四十才。落ち着きのある眼光の鋭い男前の方です。


 二番番頭の梶原角太郎さんは三十七才の大男です。小田原の水軍衆で交易を行っていたそうです。


 三番番頭の江川蜂兵衛さんは江川酒の杜氏も務める、小太りで童顔の陽気な方です。若いと思っていましたが五十才と聞いて驚きました。蜂兵衛さんは伊勢様領地の丹波で酒造りをするとかで、寒仕込みの準備で大忙しです。



 私は手代頭のお役目を頂きましたが、当初は少々辛い思いもしたのです。


『青二才の癖に手代頭が務まるものか』


 女将さんの手前、面と向かって文句を言う者はおりませんでしたが、そんな雰囲気はありました。


 一般的に商家では七、八才から丁稚奉公が始まります。行儀見習いを五年ほど務めた後、一度里に帰されて見込みのある者だけが呼び戻されます。


 そして二才丁稚として初めて商売のいろはを学ぶのです。商人としての修行をし、二十才になる頃に再び里に帰されるのです。ここでまた見込みのある者だけが手代として呼び戻されます。


 十七才で手代頭に抜擢されたのは異例中の異例なのです。風間一門とは言え末席の若僧でしかないのです。



「周りの目なんて気にする事はないよ。藤吉郎の元でやった二年間の様子を見ている。新九郎様と安藤様のお墨付きがあるんだ、自信を持ちなさい。」



 女将さんの帳面付けを手伝いながら励まされる日々でした。帳面付けは番頭さんが仕切るのが普通なのですが、不思議なことに帳面を付けられるのが女将さんと私しか居ないというのです。


 相模屋の帳面は先進的な近江商人の帳面と同等のものだそうです。早雲寺で新九郎様と女将さんが始めた複式簿記という記帳方法で、当初は風間衆の財務管理の為の物だったそうです。


 それを新九郎様が江戸衆の財務管理に取り入れ、安藤良整様が管理することになりました。新九郎様は財務管理が出来ない者に城を任せる事は出来ないと言っているそうです。


 そのため軍幹部の方々は【自ら財務管理を学ぶ】か【最低限の知識を学んだ上で財務管理ができる家臣を持つこと】が必須となったのです。


 兄者が私を呼んだのも財務管理者を求めてのことでした。この経験のお陰で番頭さん達に認めてもらえたのです。


「小一郎さんは教えるのが上手いね。お陰で助かりますよ。」


 筆頭番頭の助次郎さんは私を青二才と侮らず、教えを請うという姿勢で接して下さいました。私も背筋が伸びる思いで一所懸命説明したのです。流石は番頭さんを務めるだけあり、直ぐに理解されていました。



 手代さん達は商家で働いた経験のある方が沢山います。ほとんどが扇谷上杉家と古河公方家の御用商人で働いていたそうです。


 河越の戦いの際に御用商人として同行し、兵糧の手配や滞陣中の資金提供をしていました。滞陣中の手形の回収は秋の収穫後に行われることになっていたそうです。ところが扇谷上杉家は滅亡、古河公方家の領地も北条家に接収されてしまい、滞陣中の手形が焦げ付いてしまったのです。



「路頭に迷った者達から手形を引き取って救ってあげたんだよ。」



 女将さんが爽やかな笑顔で教えてくれましたが、文吾殿の話を思い出して苦笑いしてしまいました。



「風間衆は鬼じゃ。手形を安く買い叩いた挙句、荒川の工事に放り込まれたのだぞ」



 扇谷上杉家や古河公方家の御用商人だけでなく、その領内の商家もほとんど壊滅させられています。借金返済のための必死の荒川工事だったようです。

 


「前より良い暮らしをしてるから今では笑い話じゃがな。」



 文吾殿の笑顔を思い出しました。荒川工事の後、新九郎様に取り立てられて鋤鍬衆や足軽衆となりました。特に計数に明るい者は安藤様に取り立てられています。相模屋の手代さんは安藤様の配下から選ばれているのです。



 相模屋には商人だけでなく、輸送する荷や蔵を守るために、足軽や中間も多く雇われています。中間の中に見知った顔が二人おりました。


 一人は段蔵さんです。兄者の紹介で私の世話をしてくれています。


「旅をしたかったからちょうど良いんだよ。小一郎さんの世話はついでだよ。」


 城攻めで軽業衆を率いた強者が中間となるなど、畏れ多くもありましたが気さくな方なのです。


 もう一人は陣内さんという方です。文吾殿は陣内さんの顔を見ると引き攣った顔をしながら教えてくれました。



「あの男を怒らせたら駄目だぞ。女衒の陣内といって人買いの頭目だ。儂も酷い目に遭ったのじゃからな。」



 足軽衆や中間達は道雲様の元で護衛の計画か何かを立てているようです。陣内さんがとても楽しそうにしているのがちょっぴり怖いです。

〜人物紹介〜

助さん、角さん、蜂兵衛…架空の番頭。男前ですが剣豪ではありません。怪力ですが印籠は出しません。うっかりはしているかもしれません。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 忍者が多い・・・
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ