表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
平宰相〜北条嫡男物語〜  作者: 小山田小太郎
新九郎の巻(1551年~)
46/117

足軽大将と御用商人

 1556年春 結城城 水谷政村


 騎射場から鉄砲の音が聞こえてくる。当初は発砲される度に気になってしょうがなかったが、いつの間にやら気にならなくなっていた。人だけではなく馬も鉄砲の音に慣れてきたと報告が上がってきた。


 鉄砲足軽の育成には不可欠ではあるが、火薬を調達するにも金銭が必要だ。火薬を潤沢に調達できる北条家の底力の違いを感じてしまう。



「水谷の義父上、こちらでしたか。今日は勝俊と共に久下田の木綿作りの視察をして参りました。手触りが良く温かいものですね。新九郎兄上から、陣中でも使える温かい羽織を頼まれております。家臣へ下賜する褒美の品としても引き合いがあるのです。」


 水谷勝俊は私の年の離れた弟で、秀朝様と同年ということもあり秀朝様の小姓を務めている。


「それは初耳ですね。秀朝様の見立てで新九郎様の要望に見合う物はございましたか。」


「防寒用の羽織は十分な物であったぞ。しっかり稼いでお家を支える足軽を養えるようにと、新九郎兄上も仰せであった。」


「兄上、若様の見立てでは褒美の品としてはまだこれからというところでしたが、結城の職人はすぐにでも上等な物を作ってみせますと、意気軒高でありました。」



 褒美の品として特注があるとは高く評価してもらえている。木綿の流通経路を確保できただけでも僥倖であったのだ。結城の陣羽織が褒美の品となるのであれば、結城の織物自体に付加価値がつくことになる。ありがたい話だ。



 結城家の軍制も緩やかではあるが、足軽主体に替わりつつある。重臣達の反対も多かったが、先日の戦の勝利を経て考え方が変わってきたようだ。二月に小田氏が佐竹氏の後援を得て下妻城に攻め込んできたのだ。結城家が北条家傘下になり、小山家の代替わりを好機と見てのことだろう。



 下妻城の防衛で鉄砲部隊は非常に効果的であった。鉄砲で物頭を失った雑兵は逃げ去り、騎馬は発砲の音に驚き隊列を崩していた。救援に駆け付けた小山家の足軽部隊は圧巻であった。小山家にひと当たりした小田の一部隊は、騎馬突撃を長槍の槍衾で跳ね返され、左右に展開した鉄砲隊の十字砲火によって文字通り全滅してしまったのだ。


 小山家は新当主小山秀綱様を筆頭に若い兄弟が率先して小田原式軍法を取り入れており、結城家よりも小山家の方が改革が進んでいる。次男の重朝様と三男の重高様は鉄砲隊の運用に習熟していたし、四男の重綱様は独自に長槍部隊を考案している。



「若様、某は足軽と雑兵の違いがよく解っていないのですが教えて頂けませんか。」


「新九郎兄上の受け売りではあるが、最初の足軽大将は応仁の乱で天下を騒がせた【骨皮道賢】という者であったときく。僅か三百人の足軽を討ち取るために、山名勢は大軍を用いたそうじゃ。関東で初めて足軽を使ったのは彼の【太田道灌】であったそうじゃ。手勢の不足を補うべく【足軽軍法】を整えて、伏勢として精強であったと聞く。」



 少々誇張した話もあるが秀朝様は足軽の有用性を御存知なのだ。



「関東で本格的に足軽を採用したのは北条様ですよ。初代早雲公の元には京で名を馳せた足軽大将の多目様、荒川様がおられました。最近では大藤様、真田様、福島様といった方々が主力を担っておりますね。」



 私も偉そうに語っているが、これは小山秀綱様の受け売りなのだ。この話には続きがあって、先代の武田信虎公は国人衆に対抗するために、他国の牢人衆を足軽衆として組織した。


 下総牢人【原虎胤】、遠州牢人【小幡虎盛】、近江牢人【横田高松】、駿河牢人【山本勘助】、彼等は武田宗家の忠実な足軽大将となり、武田家躍進の原動力となったというものだ。私ももっと足軽部隊に習熟せねばならないな。





 1556年春 江戸城 風間小一郎


 兄者や鮎川殿と共に江戸城に呼ばれました。なんでも新九郎様が商人衆を集めてお話があるとのことです。兄者や鮎川殿は解るのですが、某も参上せよとのお達しでした。兄者の補佐として商人衆とはよく話をしておりますし、懇意にしている商人方もおりますが、新九郎様直々のお声掛かりとなるとかなり緊張しております。


 大広間にはお奉行様やら商人の方々が大勢集まっておりました。鮎川殿にこっそり名前を教えてもらいながら懸命に覚えます。皆大身の方ばかりで場違い感で身が竦みます。新九郎様を筆頭に重臣方が入ってこられました。鮎川殿に促されて急いで平伏いたします。



「皆の者、面を上げよ。申し伝えることもあるが、先ずは皆の商いの様子を聞かせて欲しい。」



 上座には新九郎様の他に安藤良整様、台所奉行の大草康盛様、風間出羽守様がおられます。安藤様は新九郎様の懐刀として政治(まつりごと)を取り仕切っており、何度か相談事を聞いていただいたこともあります。風間出羽守様は兄者の御舅様で、家督を主税正様に譲り隠居したと聞いておりました。



 新九郎様は領内の様子を一つ一つ確かめるように、商人衆とお話を始めました。江川英元様から【江川酒】、宇野定治様から【シャボン】、紙屋甚六様から【上質紙】、河越の商人司で連雀商人の清田内蔵助様からは【結城の織物】、風間出羽守様から【椎茸】、鮎川文吾殿には【秩父の生糸】等様々な特産品の話が聞けました。


 武具を扱う職人達へも新九郎様の御下問がありました。甲冑師の明珍様、刀工の岡崎様とお話があり、特に鉄砲鍛冶の山本甚兵衛様と清兵衛様には山本一門を各地に派遣し、鉄砲製造を拡大せよとのお達しがありました。



「皆の協力で我が領内が潤っておる。ありがたいことじゃ。北条家としても更に販路を拡大したいと考えておるのじゃ。武家が商人の真似事をするものではないと批判的な声もあるが、儂はそうは思わぬ。領内が潤ってこそ皆が我等武家に従うのじゃ。」



 新九郎様は屋久水軍の新納忠光様に蝦夷への販路拡大、三崎水軍の梶原景宗様と下田水軍の清水康英様に伊勢と堺への販路拡大をお命じになりました。水軍衆の方々は嬉しそうに拝命しております。最後に京の町に北条家主導で出店するとの仰せでした。屋号は【相模屋】とし、当主を風間出羽守様が務めるとのことですが商売の経験は足りないので、宇野家や江川家、紙屋家から番頭を出して貰うことになるそうです。



「手代頭、風間小一郎。」



 不意に名前を呼ばれて慌てて平伏しましたが、何のことか解らず頭が真っ白になってしまいました。兄者が含み笑いをしております。



「小一郎、出羽守様を支えるお役目じゃ。新九郎様に其方を取られてしもうたのじゃ。こちらが回らなくなると苦言を申し上げたが、取り合ってもらえなんだ。商人衆からも推薦があったそうじゃ。風間の一門としても大変な役目であるが、新九郎様も期待されておる。」



 兄者の願いで武士になったというのに何の因果か京の商人になることになってしまった。お役目が務まるか心許ない。幼馴染の増田村の仁右衛門殿の顔が浮かんだ。



「仁右衛門殿に助力を頼んでみよう。」


~人物紹介~

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 藤吉郎に続き、小一郎(秀長)も北条家に取り込みましたか。 そのうち、朝日も小田原に来て、松姫の侍女あるいはくノ一になるのですかね?
[良い点] 商人小一郎はさもありなん。増田の親父さん登場でついでに増田長盛ゲットだぜ。近江国益田郷出身説ではなく尾張国増田村出身説を採用なんですね。 [気になる点] 関東はマーケットのポテンシャル自体…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ