太原雪斎の死
1555年冬 井伊谷 お虎
「松千代は可愛いのぉ」
鬼瓦のような容貌の大爺様が相好を崩している。生まれたばかりの松千代は顔を突かれると、小さな右手で大爺様の左手の小指を掴んで振り回していた。
「大爺様、松千代を食べてしまいそうな勢いですね。可愛がり過ぎると泣き出してしまいますので程々にして下さいませ。」
「すまぬ、お虎。しかしお手柄じゃ。井伊の嫡男じゃ。婿殿に似て思慮深く、其方に似て元気な子に育って欲しいものじゃ。」
大爺様は褒めているのだろうが妾の思慮が足りないとも聞こえてしまう、余計なお世話じゃ。靄がかかる気持ちになったところに母上が声を掛けた。
「御老公様、朝餉の用意が整いましたのでお召し上がり下さいませ。」
「おう、これはすまぬ。松千代が可愛くて夢中になっておったわ。」
朝食の団欒のひと時だ。今日は家中の者を集めて評定が開かれるとのことで、井伊直平の大爺様は昨夜から井伊谷にきていた。団欒の会話も自然と評定の内容に話しが及ぶ。…つまらない。
「直盛、雪斎殿の加減は如何であった。」
「あまり芳しくありません、直元殿とお伺いした際も床に伏したままでした。我等を呼んだのもご自身が亡くなった後の事を案じてのことかと思います。お館様が相談できる相手になって欲しいとのお言葉を頂きました。」
「難しい願いじゃな。お館様は雪斎様以外には心を許しておらぬ。相談するのも諫言するのも雪斎様であったからな。」
「雪斎様もそのように案じておられました。お館様をお支えする者達を指名されました。今川家家中の事は三浦上野介様に託し、駿河領内のことは朝比奈丹波守様を頼るように、遠州のことは朝比奈備中守様、三河のことは朝比奈紀伊守様に相談せよとの仰せです。井伊家は三代に渡り今川家と縁を結んでおりますので、御由緒家として支えるようにとのことです。」
今川家のことなど気にしてもしょうがないではないか。旦那様も大爺様達の話を神妙に聞いている。横顔が格好いい。あら、松千代がむずかりだした。
「我が家中には斯波家の流れを汲む者が多い。我等が今川家に誠を尽くしても、信用されるのは難しいものじゃ。直親にも甘言に惑わされぬように注意せねばならぬな。過去と同じ失敗はできぬ。婿殿、家中の融和を図るよう宜しく頼むぞ。」
「御老公様、承りました。以前と比べると私へのあたりも無くなっております。やはり領内が豊かになり、争いの芽が出ないようにすることが肝要かと存じます。私からも御老公様にご相談があるのですが宜しいでしょうか。」
「うむ、足軽衆の件じゃな。仮名目録で禁じられておる故、他国者を雇うのは容易ではないぞ。」
「はい、ですから領内の寺社を守る僧兵という扱いにできないかと考えております。御老公様からも口添え頂けると助かります。戦の度に領内から徴兵するとせっかく定着した農業技術が失われてしまいます。また足軽ならば専門的な訓練も行えますし、領民に対する賦役を足軽で肩代わりもできます。」
「成る程、考えたな。まずは龍潭寺からという訳じゃな。南渓に話をしよう。ところで小野は納得しているのか。」
「勿論です。実は発案したのが小野政次なのです。小野も北条家のことを調べたらしく、足軽の有用性を理解してくれました。他にも気賀商人の護衛という形で雇う試みも行っています。」
「なんと、意外じゃな。小野の者はもっと頭が固いと思っておったが儂等の頃と違うな。井伊家の為に若い者達は協力することができるのじゃな。」
よく解らないけれども大爺様は旦那様を見直しているようでした。なんだか誇らしい。旦那様が小野に肩入れしていると騒ぐ者もいたが、最近はいない。家中の争いが無くなってるのは良いことだけど、食事中はもっと楽しい話をして欲しいものじゃ。
1555年冬 躑躅ヶ﨑館 武田義信
工藤昌秀と飯富昌景が連れだってやってきた。二人からの知らせを聞いた今川長徳が、見えない目から涙を流している。
「太原雪斎殿が死んだか。今川も痛手であるな。長徳は雪斎殿と知遇を得ていたのか。」
「はい、六歳で僧門に入ってから甲斐に来るまでの三年間は雪斎様の元で修業をしておりました。幼き頃のことゆえ解らないことばかりでしたが、最近思い返すと役に立つことばかりです。良き師でありました。」
「そうか、気を落とさずにな。武田と今川、それに北条との良好な関係は雪斎殿のお陰じゃ。後顧の憂いなく信濃に攻められるようになったのじゃからな。」
「そう思われているなら師も本望だと思います。」
「ただ、信濃攻めが硬直しているのが辛いところじゃ。今川も北条も順調に領土を拡大している。」
工藤昌秀が相槌を打つ。
「そうですな。今川家は尾張をも飲み込む勢いだそうです。尾張の鳴海城主山口家が今川家の傘下となったようです。北条は言うに及ばずですな。同盟三国の中では最も拡大しています。」
少し悔しそうな工藤昌秀と違い、飯富昌景は前向きだ。二人で言い合いを始める。
「昌秀殿、そう悲観することもないと存じます。此度の川中島の戦いは引き分けとはいえ勝ったも同然ではありませんか。善光寺が勢力下になったのです。冬になれば長尾勢は越後に戻るしかありませんから無傷で追い払ったのです。」
「勝つには勝ったが勝ち切れたとは言えぬぞ。二百日余りの長対陣となったがため、兵站は厳しいものであった。追い払ったとはいえ春になったらまた出てくるかもしれぬ。」
「来たらまた戦うまでです。木曽氏が帰順したことで西側の憂いもありませんから、長尾との戦いに専念できるというものです。」
「儂は逆が良かったのではないかと思うのじゃ。木曽を攻める方が良いと思う。美濃は家督争いで荒れていると聞く。好機ではないか。義信様は如何お考えですか。」
「義信様、如何なされましたか。」
「すまぬ、考え事をしていた。北条の新九郎殿や今川の彦五郎殿が儂の立場ならどうするかと思ったのじゃ。」
同年代の次期当主同士気になる存在なのだ。長徳が畏れながらと話しだす。
「雪斎様のお言葉を思い出しました。河越の戦いの後の北条家の戦略がとても興味深かったそうです。山内上杉家が弱体化し、上野国をどの勢力が抑えるかの瀬戸際で北条家は山内上杉家を倒さず残し、武田家や越後長尾家が上野国へ介入する名目を無くしたと仰せでした。」
「長徳よ。他の介入を防いだとて北条が領土を広げた訳ではあるまい。」
「傍目にはそうかもしれませんが、北条家はこれで房総へ戦力を集中することに成功しております。仮に上野国で争いが続いていたとしたら、武田家と越後長尾家が上野国に手を出していたでしょう。北条家が房総へ戦力を集中することはできなかったと存じます。」
「であるな。木曽氏を美濃斎藤との緩衝にし、越後長尾に集中するのが良いのかもしれぬな。」
「そこは難しいところですね。飯富殿や工藤殿が話していたように、西に向かうにせよ北に向かうにせよ、戦力を集中することが肝要かと存じます。ただ、一度戦いを始めたら相手を滅ぼすまで戦が続きます。相手を見定めることも重要かと存じます。」
「成る程、家督争いをしている美濃斎藤の方が組し易いという考え方もあるか」
当主の判断がお家の存亡を決めることになる。武田家は国人衆の意見が強い。流されずに視野を広くして何が最善であるか考え続けねばなるまい。
井伊直平(1479-1563)井伊家16代当主。御老公様




