北条家の戦略
1555年秋 江戸城 北条松
此度の出陣で新九郎様が槍傷を受けて、左の鎖骨を折る大怪我をされたと聞きました。幸いにもお命に別状はないとお手紙にありましたが、心配で胸が潰れそうな思いでした。新九郎様がご帰還された夜、新九郎様の左肩の傷跡に触れて思わず泣いてすがりついてしまいました。新九郎様は「其方に心配をかけてすまぬ。」と妾が泣き止むまで頭を撫でて下さいました。
小田原の義父上様と義母上様が新九郎様のお見舞いと、江戸の町の視察を兼ねて江戸に来られています。義母上様の訪いが告げられました。
「義母上様、御無沙汰しておりまする。いつもお心遣いのお手紙ありがとうございます。」
「松姫も元気そうでなによりです。奥の差配も大変ですがしっかり務めているようですね。三浦局から聞いておりますよ。」
新九郎様が江戸城を任せられた際に、義母上様付であった三浦局が妾に付けられました。今川家の縁者で気心も知れており、北条家家中のことにも詳しくとても心強いのです。三浦局がお茶と点心を持ってきて義母上様と妾に差し出します。
「三浦局も元気そうね、顔色が良いわ。」
「御前様もお変わりなく嬉しく思います。江戸に来てから肉置きが付いたのですよ。」
「まあ、それは羨ましいこと。松姫も肉置きがだいぶ付いてきましたね。これならすぐにでも和子をみられるかもしれませんね。」
義母上様の何気ないお言葉で辛い気持ちになります。今川家から嫁いで早三年目、新九郎様は十八歳、妾も十五歳になり、御子が出来てもおかしくないというのに残念ながらまだ懐妊の兆候は見られません。今川の御婆様からは催促のお手紙が来ています。妾は石女なのではないかと不安になっているのです。
「あら、松姫は何か不安事でもあるのですか。」
妾の顔色の変化を察した義母上様が心配そうにしています。思い切って和子が出来ない不安を義母上様にお話ししました。すると義母上様は三浦局を叱りつけたのです。
「三浦、なぜ松姫に小田原式の説明をしていないのですか。このように主を不安な気持ちにさせるなど以ての外です。」
「申し訳ございません。お伝えする前に新九郎様から止められたのでございます。松姫様には新九郎様から話をされると伺っておりましたから、もうご存知であったと思っていたのでございます。」
何のことか解らず唖然としていると、義母上様が教えて下さいました。まだ身体が出来ていない内に懐妊すると、出産の際に命の危険が高くなるそうです。小田原式では懐妊しやすい時期とそうでない時期があると考えられており、新九郎様は幼くして嫁いだ妾を心配して時期を待っていたようです。義母上様は「きつくお仕置きせねば」とおっしゃっていましたが、胸の閊えが取れて安堵いたしました。
真っ赤になって怒っていた義母上様でしたが、三浦局はそっと点心を薦めています。点心を口に含んだ途端に義母上様は驚きの表情へと変わります。
「あら、桜の香りがしますね。不思議なお団子ですこと。お団子に巻いた葉っぱごと食べられるのですね。」
「義母上様、こちらは桜の葉を味噌の上澄みに付けて煮込んだものを巻いたお団子です。新九郎様お気に入りの包丁が考案した物ですのよ。それに江戸の町も賑やかになり、美味しい点心を出す茶店が増えてきているのです。」
江戸の町には活気がある。働く人が増えて手軽に食べられる食事処や茶店が繁盛しているのだ。
「それは羨ましいこと。これは肉置きがつくのも解るわ。」
義母上様はご機嫌も直り、桜のお団子を3つも召し上がってお腹が苦しくなっておられました。
side 北条新九郎
評定の間には父上を始め重臣達が集まっていた。これまで小田原城で行われていた年二回の大評定を江戸城で行うことになったのだ。一つには牛久の戦いで負傷したことを気遣って、父上が「小田原に来るには及ばず」と言ってくれたこと。また父上の江戸城下視察も兼ねている。もう一つの大きな理由は北条家の領域拡大により、小田原から支城までの距離が遠くなっていることだ。最前線を長期で空けることが難しくなっているのだ。
「新九郎、牛久の戦で受けた傷はもうよいのか。」
左肩を回して折れていた左の鎖骨の違和感を確かめる。
「はい、父上。傷はすぐに塞がったのですが骨が折れていたようで、時間がかかりました。もう心配ありません。」
牛久の戦では不覚を取ってしまった。戦の最中は気が高ぶっていたので感じなかったが、槍傷を負っていたのだ。敵が退却した途端に痛みで気を失ってしまい、気が付いたときには牛久城の一室であった。
「安堵したぞ。負傷したと聞いたときは肝を冷やしたぞ。ともあれ、土岐家を征伐できたのは重畳じゃ。これからも励むように。」
父上にも心配をかけてしまったようだ。島津忠貞を始め皆から江戸城への帰城を促されたが、そのまま牛久城に留まり土岐原氏攻めを継続したのだ。龍ヶ崎城と江戸﨑城を攻めて土岐原治頼を降してから、江戸城に戻ったのである。
「皆揃っているようじゃな、では秋の評定を始める。初めて評定に参加する者も居るので紹介しよう。」
代替わりや軍制の拡張により評定の面子も様変わりしている。
家門衆からは伊勢貞就、小笠原康広、大和晴統、彼等は主に畿内との折衝にあたっている。
一門衆からは長老の北条幻庵、叔父の北条氏尭、五色備の北条綱高、北条綱成が参加しており、結城家の養子となった結城秀朝は重臣の富永政直と共に参加している。発言権は無いが、助五郎(史実の氏規)も見学に来ていた。
譜代衆は上杉家の両属となっている垪和氏続、父上直属の松田憲秀と遠山綱景、五色備は代替わりして若い面子で富永直勝、多目元興、笠原康勝の三人だ。
一通り挨拶したところで伊勢貞就から畿内の報告がなされる。
「伊勢宗家は三好長慶様の元で政所を取り仕切っております。三好様は丹波や播磨への兵を進めており、実力で畿内を平定する勢いです。足利義輝様は朽木にて機会を伺っているようです。少し気になることは、宗家と誼を結んだ美濃斎藤家のことです。先年隠居した斎藤道三様と斎藤高政様の間で家督を巡り、争いが起きています。詳細は掴めておりませんが解り次第、お伝え致します。」
「相分かった。引き続き情勢を伝えてくれ。次は新九郎じゃ、戦の様子を聞かせてもらおう。」
「はい、此度の戦は多賀谷氏と土岐原氏が手を結んでおりました。その裏で手引きしたのが難波田三楽斎と里見義弘でありました。残念ながら二人を取り逃がしてしまいましたが、多賀谷氏と土岐原氏の領地を加えることができましたので、香取海の北西部は我等が支配地域とすることができました。」
「御苦労であった。其方も怪我をして大変であったがよくやった。褒めて遣わす。次は秀朝の番じゃ。結城や小山の様子は如何じゃ。」
「はい!結城の養父上も水谷の義父上も良くして下さいます。小山の方々とも仲良くやっております。」
「そうであるか、しっかりと務めるのじゃ。政直からも聞かせてくれ。」
秀朝は緊張した面持ちで報告を終えた。周りの大人達は目を細めて報告を聞いており、源三郎の補足として富永政直が報告する。
「結城家、小山家と皆川家との関係は良好です。当初、戸惑いも見られましたが、結城家の重臣水谷政村殿や小山家当主秀綱様と御兄弟衆は、北条家の制度を研究しておられたようで、好意的に受け入れられております。新九郎様のご厚意で小田原式農法や養蚕の技術を受けており、領内を豊かにしたいという意気込みが感じられます。」
「そうであるか。宇都宮や壬生の動きはどうじゃ。」
「はい。宇都宮の当主は幼く壬生の当主は亡くなり、混乱の度合いは深まっております。那須家も国人衆の統制が効いておりません。当面は結城家内部を纏めることに専念したいと存じます。また、宇都宮家臣の薬師寺家が、小山家の縁を通じて臣従を申し入れております。」
「相分かった。薬師寺家は小山家の分流であったな。政直、秀朝をしっかり支えてくれ。」
「はい、承りました。」
「最後の議題は支城体制の見直しじゃ。綱景、説明せよ。」
遠山綱景が進みでる。
「それでは説明いたします。これまでは支城を五色備えで束ねておりました。しかし北条家の領域が広くなり、外様の国人衆がかなり増えております。譜代重臣とはいえ、外様の国人衆を抑えるのが難しくなってきました。これを解消するために御一門衆を各方面の旗頭に、広域を支配する体制に変更することになりました。」
外様の国人衆に格式の高い家柄が増えたことで、重臣とはいえ譜代衆の格式では抑えられないのだ。譜代衆の家柄を上げる方法もあるが、朝廷工作が必要となり現実的ではない。一門衆を旗頭として、北条家の格式で統制しようという訳だ。
これは他の大名家でも行われており、武田家や上杉家では有能な家臣に名家の名跡を継がせている。織田家では譜代の軍団長達に朝廷を通じて従五位下の官位を賜ったり、信長の子供達を軍団長の上位と位置付けて統制を強化しているのだ。
支城体制が発表された。
小田原城 北条氏康
江戸城 北条氏親
結城城 結城秀朝
玉縄城 北条幻庵
久留里城 北条氏尭
河越城 大道寺周勝
美浦城 北条綱高
本庄城 北条綱成
美浦城と本庄城は新築される拠点である。美浦城は牛久城の東方、香取海のほとりに位置し、既存の木原城を廃城して巨大な城郭と騎馬隊の訓練基地、香取海の流通を取り締まる拠点となる。一方、本庄城は上野国との境に位置し、利根川水運の物流拠点となる構想だ。山内上杉家配下の国人衆に配慮し、こちらは最低限度の城郭とすることになっている。
「新九郎。美浦と本庄の縄張りはどうじゃ。」
「はい、美浦には福島綱房隊、本庄には真田俊綱隊を派遣して、準備を進めております。」
「相分かった。」
父上は満足した顔で頷くと、評定の閉会を告げたのである。




