藤菊丸の元服
1555年夏 祇園城 結城家重臣 水谷政村
藤菊丸様が結城家に養子に入り、元服の儀が執り行われた。小山高朝様の跡目を継承した小山秀綱様が烏帽子親を務めることになり、藤菊丸様は小山秀綱様の【秀】の字を戴き、結城家の通り字である【朝】を併せて【結城秀朝】と名を改めたのである。元服と同時に婚儀も行われた。我が娘の藤がお館様の養女として秀朝様の室となったのだ。北条家から秀朝様には、青備の旗頭であった富永政直殿が付家老として従っている。古河城の新たな青備旗頭には富永直勝殿が就いたそうだ。
「水谷の義父上、急に沢山の父ができたので戸惑っております。」
秀朝様は今年十四歳と聞いていたが声変わりも終わり、立派な青年といった面持ちである。まだ育ち盛りのようで食欲も旺盛だ。小山一門と深く繋がりを持ちたいとの北条氏の意向で、烏帽子親・養父・義父と一度に三人の父親ができたのだ。
「お館様方は御父上とお呼び下さい。しかし、私は義父とはいえ家臣なのです。政村と呼んでいただいて結構ですよ。」
「そうもいかぬ。新九郎兄上から水谷の義父上に何事も相談して決めるように言われておる。儂も文武両道の名将である義父上を敬うべきだと思うのじゃ。」
秀朝様から褒められてこそばゆい気持ちになったが、家中の秩序もあると言って納得してもらった。
「秀朝様。私は新九郎殿とほとんど面識がありませんが、そこまで信頼されてるとは思っておりませんでした。」
「新九郎兄上から政村のことは聞いておるぞ。戦に強く城の縄張りも名人であると。新九郎兄上が一番関心を持っていたのは、久下田での真綿の織物のことじゃ。」
驚きを隠せなかった。実際、久下田の地で木綿の栽培を奨励し新たな産業としようとしているが、流通網の構築の段階で手こずっている状態なのだ。まだまだ有名になってるとは思っていなかっただけに、新九郎殿の情報収集力には舌を巻く思いがした。そればかりか新九郎殿は結城の織物技術を高く評価しており、秩父の絹糸と温かい木綿を融合した織物の開発を、秀朝様に託しているとのことであった。
「兄上からは秩父の最高品質の蚕を結城小山の地に融通してくれるとの約束を取り付けております。小田原の商人にも木綿の話しを通してきた。私も兄上のような立派な領主になりたいのです。」
秩父の蚕は明国の秘伝の蚕でその絹糸は最高品質であり、喉から手が出るほど欲しいものであった。また、小田原式は最先端の農法である。領内が豊かになる道筋が示され、この縁組が間違いではなかったと確信が持てるのであった。
「それはそうと下野国はいかなる状態になっているのじゃ?兄上からあらましは聞いておるが、細かいところまでは把握しきれてないのじゃ。」
群雄割拠する下野国の様子は他国の者からすると解り辛いところもあるのであろう。下野国守護の宇都宮家で家督相続の争いが起こり、更に当主が亡くなったせいで幼い当主が継いだのだ。幼い当主を傀儡とし、重臣達が勢力を拡大しているのだ。
「秀朝様、少し長くなりますがご説明いたします。」
秀朝様が下野国の地図を覗き込む。
「大永の頃、宇都宮家で家督相続の争いが起こりました。宇都宮忠綱様を推す壬生・今泉・中村らと宇都宮興綱様を推す芳賀・塩谷・笠間が争ったのです。両者の争いが収まり宇都宮尚綱様が当主となりましたが、家臣の勢いを抑えるまでに至らなかったのです。尚綱様は威信を回復するべく那須氏の家督争いに参入します。ところが二千騎の宇都宮軍が三百騎の那須軍に敗れ、尚綱様が討死してしまうのです。」
一息ついて白湯を口に含んでから続ける。
「尚綱様の後、現当主宇都宮広綱様が僅か六歳で家督を継ぎます。益子高定の謀略で那須当主那須高資を滅し那須からの影響を退けますが、家中の壬生綱房が台頭し広綱様は宇都宮城を追われ、真岡城に落ちたのでございます。今では那須家も宇都宮家も家中の国人衆を抑えることができず、下野国は混沌とした状態なのです。」
「成る程、我等の当面の敵は宇都宮を横領している壬生綱房と芳賀高照ということじゃな。」
「はい。その通りでございました。ところが先日、壬生綱房と芳賀高照が何者かに討たれたとの噂があるのです。秀朝様の縁組にかまけて、確かな情報はまだ手に入れておりませんが、宇都宮広綱様配下の益子高定の手の者によって弑されたようです。」
「なんと、猫の目の様に状況が変わっておるのじゃな。こちらの体制を整える暇もないではないか。」
「まだまだ予断を許さない状況ではありますが、慌てることはありません。北条家との話し合いの中で大まかな体制は確認されております。皆川家当主皆川俊宗殿は私の妹婿ですので既に話を通しておりますし、祇園城と結城城には古河城から後詰があるので心配ありません。」
「そうか、皆を頼らせてもらうぞ。」
秀朝様はまだ若いが高慢なところが無く、素直な好青年であるようだ。謀略渦巻く下野国では少し心配ではあるが、我等が支えれば良いのだ。このまま真直ぐに成長して欲しいと願うのであった。
前回の人物紹介で訂正箇所がございました。申し訳ありません。




