小山評定
誤字報告ありがとうございます。
1555年夏 祇園城(小山城) 結城家重臣 水谷政村
北条氏康殿の三男、藤菊丸様をようやくお迎えすることができた。この半年間はめまぐるしく変わる状況に翻弄されてしまった。宇都宮家の内紛が下野国中に拡がり対応にかかりきりだったところに、多賀谷政経が一揆を起こした。
古河の北条家に救援を求めたところ、北条家から養子をとの打診があり、受けても断っても結城家の未来は暗いと頭を抱えていたのだ。お館様に北条家からの打診を伝えた時のことを思い出す。
「お館様、北条家よりの養子の件ですが如何いたしましょう。」
「政村、結城家としては異存はないが、これは小山の高朝とも相談せねばならぬな。小山にも仔細を知らせておこう。」
「はい、よろしくお願いいたします。」
小山氏の現当主小山高朝様は、結城氏当主結城政勝様の実弟にあたり、小山氏と結城氏は血の繋がりの深い家であるのだ。結城政勝様には男子の子が無く、小山高朝様の四人の男子の内一人を養子に迎え、私が結城政勝様の娘婿であったので私の娘(結城政勝の孫娘)と娶せて、結城家の跡取りとしたいという話が進められていたところであった。
お館様と祇園城に訪問し、評定の間に通された。評定の間には小山高朝様と嫡男の秀綱様を含め、四人の子息が揃っていた。軽い挨拶の後、お館様が小山高朝様に北条家からの打診を伝えた。
「兄上、北条家からの養子の件は受け入れられません。ただでさえ古河公方様が鎌倉へ行ってしまい、家中が動揺しているのです。このままでは小山一族は北条家の軍門に降ったと思われてしまいます。」
予想通りの言葉であった。宇都宮氏の内紛、古河地方への北条家の進出、多賀谷政経の一揆と周りを取り巻く環境は悪化している。皆、生き残りに必死なのだ。
「父上、お待ち下され。私は悪くない話だと思っております。」
声を掛けたのは意外にも嫡男の小山秀綱様であった。
「父上、仕える相手が公方様から北条家になるだけではありませんか。年嵩の者達は今でも古河公方様の御威光を感じているのでしょうが、我等、若い世代は正直なところ公方様の御威光と言われてもあまり解らないのです。」
「秀綱!なんと畏れ多いことを申すのじゃ。小山が屋形号をいただいているのも、公方様があるからではないか!」
「父上、落ち着いて下され。これまでは洞を大きくしていくことが勢力を拡大する術だと教えられてきましたが、北条家が大きくなり、私は洞の有り方に疑問を持つようになったのです。」
【洞】とは血縁の有る無しを問わず周辺の国人衆を結集させて、疑似的な一門一家を形成する地縁を重視した共同体のことである。戦国時代の東国武士社会で発展し、外敵からの侵略に対しては洞を拠り所として共同作戦を取るが、洞内部での主導権争いは存在しているのだ。
「私は実際に北条家の支配地域となった古河や関宿の町を見てまいりました。また、人をやって上野国や武蔵国の新田開発の様子や下総国の千葉氏の現状を調べさせ、商人達からも小田原や江戸、河越の発展の様子を聞いております。北条家の元で発展している領地の様子を知り、千葉氏の待遇を聞く限り北条家に従うのも致し方あるまいと思っていたのです。」
かつての権威の象徴であった古河公方様を知る世代からすると、若い世代との認識の差に驚かされる。彼等にとっての古河公方様は、河越の戦いで敗れて勢力を失った姿でしかないのだ。古河公方様が再び復権するかと考えてみたが、それを許すほど北条家は甘くないと思い至る。
「将来的に北条家の軍門に降ることになるかも知れないと考えると、北条家の一門衆、御由緒衆となれるのであればむしろ良縁だと思います。洞の中で頭角を現すのも北条家中で頭角を現すのも我等次第ではありませんか。」
小山高朝様は秀綱様の言葉を聞いて驚いていたが、少し肩を落として御次男の重朝様に訊ねる。
「それは重朝達も同じ考えなのか?其の方が結城の家を継ぐ可能性もあったのだぞ。」
「はい、兄上のおっしゃる通り、兄弟四人でよく話をしています。北条家から養子を取るのは悪い話ではないと思います。」
「そうか、其方等までそう考えておるのか。」
高朝様は暫く考えた後、切り出した。
「相解った、北条家の軍門に降るのを恐れるより、北条家中で台頭してみせるか。其方等が思うようにやってみるが良い。儂は古河公方様の幻影から抜け出せぬようじゃ。家督を秀綱に譲る時が来たのかもしれぬな。水谷殿、養子の件は小山家も異存ないが、小山家の待遇に関しても北条家と協議してもらえぬか。」
「はい、承りました。」
こうして私は北条家との協議に赴くことになった。北条家の代表は大和晴統殿、富永政直殿、田中融成殿の三人である。結城と小山の意向を伝えたが、すんなりと北条方に受け入れられた。藤菊丸様の烏帽子親を小山家の当主に頼みたいと言い出したのは田中殿であった。
田中殿は最年少で十代の若さであるが北条家嫡男の新九郎殿の信頼が厚く、新九郎殿が此度の養子縁組にも積極的に協力しているとのことであった。新九郎殿の構想は藤菊丸様を中心に古河に駐留する青備えに結城家と小山家、更には小山家分流の皆川家を加えて、下野国に対する方面軍を形成したいと考えているようだ。
よし、結城家の命運を北条家に賭けてみるか。
~人物紹介~
水谷政村(1524-1598)結城家家老。結城政勝の娘婿。文武共にすぐれた名将です。
結城政勝(1503-1559)結城家当主。
小山高朝(1508-1574)小山家当主。結城政勝の弟。
小山秀綱(1529-1603)小山高朝の嫡男。
小山重朝(?-?)小山高朝の次男。史実では富岡氏の名跡を継ぐ。富岡秀高。
小山七郎(1534-1614)小山高朝の三男。史実では結城晴朝。
小山高朝の四男(?-1564)榎本高綱。小山秀綱の子とも伝わる。
田中融成(1537-1609)後の板部岡江雪斎。




