食事事情
「そろそろ朝餉ができてると思います。屋敷に戻りましょう」
猪助に促されて屋敷に戻る。この時代の生活は朝が早い。西堂丸の一日は陽が昇る頃に始まる。起床して体を動かし軽く汗をかく。
朝食は8時頃からで、北条家では家族団欒の大切な時間となっている。親子兄弟の諍いで没落してゆく大名を数多く見てきた早雲公の教えでもあるのだ。
屋敷に戻ると母上や弟達が集まっていた。
「西堂丸や、もうすぐ準備ができますから座ってお待ちなさい」
母上に声をかけられて改めて母上を見て驚いた。母上がめちゃくちゃ若い!50年生きた記憶から当然結婚もしているし、子供の成人も見ている。20代の母上と対面して子供視点しか無かった時との違和感が半端ない。ただ、感情面は甘えたいという思いのみが沸いてきただけで、年相応の感覚に安堵した。
「早くお座りなさい。お父上様ももうじき来られますよ」
促されて座ると父上が入ってきた。氏康の威厳半端ないよ。嫡男なので父上から厳しく言われることが多いが、朝食の団欒は少し優しげな表情を浮かべてみせる。
食卓にはてんこ盛りの白米と味噌汁、漬物とおひたしのいわゆる一汁二菜だった。
夢の知識から栄養バランスが良くないと思いつつも食事を済ませた。
食後は読み書き手習いの時間となる。指南してくれるのは島津忠貞という奥付きの医者である。明に留学し、名医田代三喜から医学を学んだ後、駿河小川の長谷川氏を頼って今川家に仕官したという経歴を持ち、母上の輿入れの際に今川家から同行してきたそうだ。
手習いをしながら食事の疑問をぶつけてみた。
「白米は一般的に食べられているのか?」
忠貞は少し考えてから話しだした。
「元々は宮中で食べられていたそうです。北条家や今川家といった高貴な方々には普及しております。米糠を取り除いた米は諸白と呼ばれ、とても手間がかかるので一般的には普及しておりません。消化も腹持ちもいいので戦の際に湯漬けとして食べることもございます。」
やはり一般的ではなかったのか、北条氏には成人してからも若い内に病いで亡くなる者が多くいる。食生活に問題があるかもしれない。
「昨年亡くなった為昌叔父上や氏時大叔父はカクビョウ、アシノケといった公家患いではなかったか?」
カクビョウ、アシノケとは脚気のことで、江戸時代に白米が普及したことで爆発的に罹患者が出た。江戸患いと呼ばれ、当時原因不明の難病であった。
「その通りでございます。西堂丸様は白米に原因があるとお考えですか?」
「原因かどうかは分からぬが、薬食同源と申すではないか。公家衆の食事を真似たがため、公家の病いにかかりやすくなるのかもしれないと思ったのじゃ」
史実では西堂丸こと北条氏親も夭折している。北条家で脚気が発症しているのなら氏親の死因も脚気の可能性がある。防げるものは事前に対処しておきたい。
「鷹狩りの時のように鹿や兎、鳥肉も普段から食べた方が良いと思う。武士は武士らしくじゃ。卵、魚や貝、豆や茸も強い体を作る元となるのではなかろうか」
「西堂丸様のお考え、一理あると存じます。御本城様に申し上げて、賄い方と相談してみましょう」
忠貞が請け負ってくれた。しかし父上が聞き入れて下さるのであろうか。心配を忠貞に伝えると、
「御本城様は庶民に対しても目安箱を設けて様々な意見を汲み取る方です。理があれば採用して下さることでしょう」
目安箱を設けているなんて知らなかった。北条家はかなり先進的なのかもしれない。
登場人物
北条氏康(1515-1571)後北条三代目当主。ただのチート武将
瑞渓院(?-1590)氏康室、今川氏親の娘。西堂丸たちのママ
島津忠貞(?)奥医師。設定は架空のものです。後藤島津の祖とされる。