久留里城の戦い
1554年 秋 久留里城
父上が久留里城を囲んで一ヵ月になろうかという時に、ようやく合流することができた。与力の原胤貞殿と共に軍議に赴く。
「新九郎、嫡男として恥ずかしくない戦果であったと聞いている。原殿もご苦労であった。新九郎の戦果は原殿の助力があってこそじゃ。」
「北条様、大したお手伝いはしておりません。新九郎様が殆ど全部攻略したようなものです。特に新兵器の鉄砲の扱いは見事なものでございました。鉄砲組で支援して曲輪を確保し、確保した曲輪に鉄砲組の狙撃陣地を構築して、支援体制を整える。当初はまどろっこしいと感じたものですが、確実に制圧していく様は恐ろしくもありました。」
新九郎の三備えには鉄砲組を統率する指揮官が配属されている。本隊には大藤景長、福島隊には島津忠貞の息子である島津親貞、真田隊には羽田輝幸だ。馬廻衆の安藤良整が弾薬の管理を行い、前線で弾薬が不足しないように対処する体制を整えている。
「新九郎、其方等の様子を報告せよ。」
「はい。大多喜城が落城したことで万喜城の土岐氏は降伏して参りました。土岐為頼は息子の頼春に家督を譲り、北条家に従うと申しております。」
更に報告を続ける。
「懸念であった真里谷武田信高も内心は解りませんが、北条家に従うと誓詞を認めました。勝浦城を制圧したところで、一宮城と金山城の正木諸氏も降伏して参りました。」
「新九郎、正木大膳亮の行方はまだ分からないのか。逃げられると厄介であるな。大膳亮次第では降伏した正木の者達が一揆を起こすやもしれぬ。」
「それが槍大膳は既に討ち取っていたことが最近解ったのです。大膳亮は武田信高に挙兵を促す為、一人で真里谷城へ向かっていたようです。」
「なんと、それは如何なることじゃ。」
勝浦城攻めの後、合流してきた藤吉郎が持つ立派な槍を見て、真田隊の山上氏秀が「自分こそがその槍の持ち主に相応しいから槍を寄越せ。」と申し入れたのだ。藤吉郎は勿論拒否したが、その槍の見事な意匠から槍大膳の槍であることが判明した。
槍を入手した経緯を問われて言葉に窮した藤吉郎であったが、鮎川文吾が経緯を暴露し、島津忠貞から大目玉を食らったのであった。
問題の槍は新九郎が取り上げて、改めて宮田喜八へ褒美として下げ渡された。一悶着あった藤吉郎と氏秀であったが氏秀と喜八が相撲を取る仲になり、藤吉郎とも「猿殿、牛殿」と呼び合う仲になっているようだ。
「父上、久留里城は如何ですか。」
「中々の堅城じゃ。山頂の本丸へは尾根伝いに三本の道があり、長い隘路が続き大軍で攻め寄せることができぬ。城内に湧き水もあり水の手を切ることもできぬ。正面の北側の二つの尾根の間には外曲輪があり、外曲輪を攻めると尾根の曲輪から丸見えで、上下から攻撃される有様じゃ。正木輝綱が討ち死にしたのも外曲輪でのことであった。」
「北条様、搦め手の尾根曲輪は如何でしょうか。」
「原殿、搦め手は深くて広い堀切が穿たれておる。堀の高さは人の背丈の三倍にもなり、それが二箇所ある。容易に攻められぬのじゃ。」
「北条様、ならば搦め手攻めを原家に申し付け下され。新九郎様に手助け頂ければ我等がきっと落として見せましょう。」
「原殿には何か思案があるのか?」
「はい、ここまで新九郎様と共に戦ってきて新九郎様の隊に堀を軽々と登る者達がいたのでございます。」
猪助や段蔵の部隊のことだ。鉄砲組の支援を受けて素早く壁を登り、後続が梯子で登るのを支援している。
「西堂流壁登りと言うそうです。新九郎様に頼み込んで我が原家の者も指南を受けました。是非、ご下命くださいますようお願いします。」
ならばと父上は許可を出した。鉄砲組の大藤隊と加藤段蔵の部隊を与力として、原殿は搦め手に向かう。原隊は搦め手から本丸に攻め込み、里見義堯を討ち取る殊勲を挙げた。
本丸が落ちたことで主力である正面の外曲輪も崩壊したのである。外曲輪の守将、里見義弘は血路を開いて何処かに落ちていった。
これを以って安房里見家は滅亡したのである。
今回は短めになりました。誤字報告ありがとうございます。
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