真里谷城の戦い
誤字報告ありがとございます。助かっております。
1554年春 真里谷城 鮎川文吾
「藤吉殿!後ろだ。」
先程まで倒れていた雑兵が不意を突いて風間藤吉郎に槍先を向けた。傍らにいた宮田喜八が槍を跳ね除け雑兵にとどめを刺す。
「藤吉兄者。兄者は儂等の大将なのじゃから飛び出しては駄目じゃろう。何かあったらどうするつもりじゃ。」
「文吾殿、忝ない。喜八も済まぬ。戦で気持ちが昂ぶっているようじゃ。思わず飛び出してしもうたわ。」
「喜八の言う通りだ。戦働きは儂等の領分で、藤吉殿には藤吉殿にしかできない仕事があるのだぞ。勇み足で頓死しては如何するつもりだ。」
「文吾殿、済まぬ。この曲輪の敵もあらかた倒したようだな。それにしても幾つ曲輪があるのかきりが無いのう。」
真里谷城は山の尾根を堀で区切り、幾つもの曲輪を連ねた山城である。先鋒の武田信政隊はもう次の曲輪に攻め掛かっていた。
城を守っているのは信政の叔父の武田信応である。武田信応は里見家の力を借りて家督を奪った。城を追い出された武田信政は、北条家の力を借りて家督を取り戻すべく先鋒を務めている。
「文吾殿、鉄砲組が来たら儂等も次の曲輪に取り掛かるとしよう。」
藤吉郎殿は不思議な魅力がある。利根川水系から締め出され、日銭を稼ぐために荒川西遷に関与したのだか、いつの間にか仇である北条氏の一翼を担うようになってしまった。
北条家というだけで気に食わなかったが、藤吉郎殿の主人は懐が広い。斬られるつもりで文句を言ってやったら笑って許してくれたのだ。藤吉郎殿は随分と気に入られているのであろう。荒川の水運の物資は高価な物や軍事物資が多く、旨味のある仕事で以前より潤っているくらいだ。
「文吾殿。大藤様の鉄砲組が追い付いたようじゃ。次の曲輪に取り掛かるとしよう。」
鉄砲組の支援の下、堀を越えて次の曲輪に攻め掛かる。儂らの備には鉄砲という新兵器が150丁もある。部隊の一割の数を揃えているそうだ。寄せ集めと揶揄われているそうだが、最精鋭部隊である事に間違いないようだ。
「文吾殿、喜八!参るぞ!懸かり太鼓じゃ。押し出せ!うわぁああ!」
「藤吉殿!待たぬか。今言ったばかりではないか。喜八、遅れるな!」
日暮れを待たずして真里谷城は落城した。本丸を残すのみとなったところで武田信応の家臣が信政に内応し、信応を捕らえたのであった。
side島津忠貞
椎津城で補給を受けた我々はまず庁南城へと駒を進めた。
庁南城の里見義弘は僅かに抵抗したが、庁南武田旧臣の内応を恐れ早々に退去していた。手勢を庁南城に残して真里谷城に侵攻。先程真里谷城を落城させたところだ。
陣幕の中には新九郎様と馬廻衆、福島綱房、真田俊綱、原胤貞殿、武田信政殿が座っており、武田信応とその家臣が引き出されてきた。信政殿が床几を立って武田信応に近付いた。
「叔父上、逆心を勧めた腹心に最後の最後で裏切られるとは情けない。生き恥を晒すとはこのことですな。」
「ふん、其方が当主では武田の家も心許ないが仕方あるまい。さっさと首を刎ねよ。」
その時であった。信応を捕らえたという腹心の家臣が腰の竹筒を手に取り、中身の液体を信政殿にぶちまけたのだ。その家臣は笛の様な物を口にして息を吹き入れた。咄嗟に新九郎様の前に身体を入れる。馬廻衆も刀を抜き信応主従を切り捨てる。
「臭い。目に沁みる。何じゃこれは。」
ワン!ワン!ワン!
信政殿が叫ぶや、信政殿目掛けて周囲から野犬の群れが襲いかかってきた。馬廻衆は新九郎様を守りながら、八頭いた野犬の群れを切り伏せたが、事が終わった時に、信政殿は野犬に喉笛を搔き斬られ既に事切れていた。
「新九郎様、大事ありませんか。」
「忠貞、大事ない。しかしこれは如何なることじゃ。」
「確とした事は言えませぬが野犬を犬笛で操って襲わせたのではないかと存じます。誰か委細を知る者が居ないか調べてみます。」
真里谷武田家を継ぐ者が居なくなってしまった。今後の対処を考える必要もある。この事が及ぼす影響が如何なるものか判らない不気味さを感じさせる。
久留里城 里見義弘
父上からの呼び出しがあった。父上の部屋に入るともう一人の男が座っていた。難波田三楽斎殿である。
難波田殿は元の名を太田資正と言い岩槻太田氏の嫡流であったが、江戸太田氏に家督を奪われたそうだ。妻の実家で河越の戦いで族滅した難波田氏の名跡を継いで名を変えたそうだ。
「父上、お呼びと伺いまかり越しました。」
「おう、待っておったぞ。庁南からの退き戦も大変であったな。三楽斎から真里谷城の報告がある。そ其方も共に聞いておけ。三楽斎、首尾は如何でござるか。」
「義堯様、上首尾ではありませんが悪くもないかと存じます。」
三楽斎殿は犬を戦に使う術を持っているという。熊の尿に反応するように犬を訓練し、特定の人物を襲わせるのだそうだ。敵将暗殺の切り札として、武田殿には敵陣に忍び込ませて使うように仕向けていたようだ。
「信応殿はよほど信政殿が憎かったらしい。伊勢の者達を仕留める筈が、最後を悟った信応殿は信政殿の暗殺に使ったようじゃ。」
「三楽斎殿、それでは返って伊勢の利益になるのではありませんか。」
「義弘殿、某も拙いと思いましたが、伊勢の者が信政殿を暗殺したとの噂を流しました。幸いな事に現場に居たのは伊勢家の者と真里谷武田家家中でも伊勢氏を信奉する者達だけだったので疑心暗鬼が生まれております。」
真里谷武田家の血筋で生き残っているのは信応の子である信高だけであるため、混乱しているようだ。話を聞いて父上が頷く。
「義弘、三楽斎の言うようにそれほど悪くもないやもしれぬな。武田家家中で伊勢に恨みを抱く者に一揆を持ち掛けるのじゃ。信高殿を旗頭にと思うておる者もいる筈じゃ。」
里見家最大の危機ではあるが、活路を見出して足掻くしかないようだ。
~人物紹介~
難波田三楽斎(太田資正)(1522-1591)岩槻太田氏。松山城主難波田憲重の娘婿。弓も組討ちも抜群な戦国時代のリアルチート武将にしてトップブリーダー。
◆真里谷武田家
真里谷武田信政(?-1552)武田信隆の息。親北条方
真里谷武田信応(1515-1552)武田信隆の弟。嫡男であったが誕生時には諸兄の信隆が家督を継いでいた。
真里谷武田信高(?-?)武田信応の息。史実では1590年の小田原の戦いで改易。子孫は家康に臣従。
◆里見家
里見義堯(1507-1574)里見氏の全盛期を築く。
里見義弘(1530-1578)里見義堯の息。
◆正木家(里見三羽烏)三浦氏の一族。正木時通を祖とする。
内房正木時盛(?-?)事績不明。正木時綱の嫡男与次郎か?
内房正木輝綱(?-?)事績不明。時盛の息か?
大多喜正木時茂(1513-1561)正木大膳亮。正木時綱の次男、父と兄が戦死し家督と伝わる。槍大膳。
勝浦正木時忠(1521-1576)正木時綱の三男。大多喜正木時茂に従う。
勝浦正木時通(?-1575)伯父の大多喜正木時茂に従う。
正木弘季(?-?)正木時綱の四男とも。事績不明。
◆土岐家(里見三羽烏)
土岐頼春(?-1583)土岐為頼とも。万喜城主。里見義堯の舅。
◆酒井家(里見三羽烏)
東金酒井胤敏(?-1577)上総国東金城主。親北条派。
土気酒井胤治(1536-1577)上総国土気城主。反北条派。
両酒井氏は同族であり族滅を防ぐために二派に分かれたとも
◆里見家家臣団
秋元氏。安西氏。岡本氏。市川氏。海賊衆と結びつきが強い。




