上野の戦国大名
1553年夏 上野国
荒川から入間川への瀬替えも大詰めを迎えている。掘削作業は完工していたが下流の地域の秋の刈り入れを待ってから、瀬替えと荒川の締切をする事になっていた。
掘削作業が終わった組は順次、上野国東部の灌漑水路工事に従事している。こちらの指揮を執っているのは山内上杉家臣の大谷休泊である。
上野国東部には渡良瀬川と利根川の間に荒野が広がっている。この地は【上州の空っ風】と呼ばれるほど強風が吹き、作物を育てるのに障害がある。河に近いにも関わらず用水を井戸水に頼っているため、開拓が進まず荒野のままであった。
水路工事に先立ち【上州の空っ風】対策の防風林の構築を行っているが、植林の木を集める際に問題が発生していた。近隣の山々から松の木を集める計画に、新田金山城主の横瀬成繁が難色を示したのだ。
横瀬成繁は形式的には山内上杉家に従っているが、岩松氏の家宰であり下剋上で新田金山城を奪い取った戦国大名である。山内上杉家の評定衆の足利長尾当長を介して、大谷休泊と共に面会する事になった。
「ようこそおいで頂きました。横瀬成繁にございます。」
横瀬成繁は文官のような柔和な笑顔ながら逞しい中肉中背の中年男であった。
「新田の金山から松の木を移植したいとの申し入れの件ですが、某は領民の為、宜しかろうと存じます。しかしながら我が主人の岩松治部大輔様が詰城の山に余所者が入ることを嫌がっておいでなのです。」
すかさず大谷休泊が言葉を返した。
「そうはおっしゃいますが岩松様は横瀬様に任せてある故、横瀬様と相談せよとのお言葉でした。」
「それは困りますな。某は主人の意向に従っておりますから、何とも言えないのですよ。」
岩松氏は横瀬成繁の傀儡となっていることから、明らかな茶番である。休泊を制して交渉をする事にしよう。
「横瀬殿は足利将軍家の覚えも目出度いと聞く。足利義藤様から鉄砲を賜わったと聞いておるが、横瀬殿は鉄砲にご興味があるのかな。」
「これはこれは、北条様に隠し事はできませんな。武家の嗜みとして新たな武器には興味がございます。」
「それは良かった。北条領内で作られた鉄砲を土産に持ってきたのでお納め下され。横瀬殿は新田氏の流れと聞く。将軍家に対して新田庄の領主となれるように北条家が後押ししようと存ずるが、如何かな?」
横瀬成繁の目が鋭くなる。
「それは我が主人に対して不遜となります。お心遣いはありがたいのですが、その議はお受けできませんな。」
「儂は腹を割って話しておるのじゃがな。事実上、新田庄を支配しておるのは横瀬殿ではないか。将軍家には横瀬殿は新田氏の血を引く正当な領主と申し上げる。岩松殿も身が立つように取り計らう事も出来るが如何じゃ。」
「北条殿は悪党でござりますな。主人と相談の上、返事をいたしましょう。」
足利長尾当長が交渉の仲介をし、後日、岩松氏は小田原に送られて来た。常に身の危険を感じていた岩松治部大輔は穏やかな日常を送る事になり、横瀬成繁は由良成繁と名を改めて新田庄の領主となった。由良成繁の協力で植林も軌道に乗ったのである。
1553年秋 上野国
荒川の瀬替えが行われた。入間川の水量は溢れるばかりになり、下流の水運事業にも力を入れる。瀬替え工事で活躍した風間藤吉郎に差配を命じた。藤吉郎が連れて来たのは鮎川文吾という顎髭を蓄えた大柄な男であった。
「新九郎様、こちらに控えておりますのは鮎川文吾殿と申しまして、以前は関宿を中心とした常陸川、利根川、渡良瀬川で広く水運に関与していた水運巧者にございます。ぜひお取立ていただきますよう、お願い申し上げまする。」
「藤吉郎、ご苦労であった。鮎川文吾、面を上げよ。其方は河越の戦いで討ち取られた関宿城主、梁田高助の配下の土豪であったと聞く。仇である北条家に仕えることになるが異論は無いのじゃな?」
「異論だらけじゃ。」鮎川文吾が声を張り上げる。藤吉郎が慌てて執り成すが、文吾の文句は続く。
「伊勢の者共のせいで我等は関宿水運の利権を全て奪われてしもうた。藤吉郎殿が言葉を尽くして我等の気持ちを汲んでくれた。瀬替えの掘削に協力したのも藤吉郎殿の為で、伊勢の者共の鼻を明かすことができて痛快であったからじゃ。」
「成る程、其方等は北条家には仕えられぬと申すか。ならば藤吉郎に仕えるのは如何じゃ。儂はどちらでも構わぬぞ。」
「ふん。それならば文句はござらん。藤吉郎殿が誰に仕えるかは藤吉郎殿が決めることで、儂等には関係ないことじゃ。」
「決まったな。藤吉郎、このような仕儀になった。鮎川達の面倒は其方に任せることとする。名が無ければ不便であろうから河波衆と名乗るが良い。水運の利権は大きなものとなるであろうから、しっかり稼ぐのだ。尾張から身内の者を連れて来て手伝わせると良いだろう。」
土地以外からの収入で軍費を稼げるように水運業が軌道に乗ることを祈るばかりだ。
1553年冬 甲斐国 躑躅ヶ﨑館 武田義信
武田家に慶事があった。将軍家から源氏の通字である【義】の偏諱を賜り武田義信と名乗ることになったのだ。このところ疱瘡の流行で沈みがちであった館の中も活気が溢れている。北条家から嫁いできた竹姫も喜んでくれた。竹姫は疱瘡の流行の間も「私には鶴岡八幡から賜ったご加護がありますから疱瘡にはなりません。」と言って弟の信之や今川家から来た長徳の介護を献身的に行ってくれた。残念ながら信之は助からず長徳は目の光を失ったが、家中の者は竹姫の献身に感謝しているのだ。
おっとりとした印象のある竹姫だが、意外と押しが強いところがある。「小田原では朝食は家族皆で取る決まりでした。」と言って家族揃って食事をすることに拘ったのだ。流石に家風に合わないとのことで揃っての食事はできないが、二人で必ず一緒に食事をする約束を押し付けられた。竹姫は「長徳殿も御一人では可愛そうです。」と言って最近は三人で食事をしている。竹姫の侍女が失明した長徳の介添え役をしている。失明し塞ぎ込んでいた長徳であったが、最近は笑顔も見せるようになってきた。
「お竹、北条の新九郎殿が大規模な治水の宰領を任されたと聞いたのじゃが、戦働きの噂を聞いたことがない。どのような御仁か教えてはくれぬか。」
「新九郎兄上は年寄りのようです。兄上というより叔父上のようなお方でした。」
その話しを聞いて侍女が笑いだした。
「竹姫様、それでは新九郎様がお可哀想でございます。落ち着いていて頼り甲斐のある優しいお方ではありませんか。」
「んもう。お春は新九郎兄上のことを好いていたからそう見えるだけです。小田原を離れる時に兄上から声を掛けられて泣いていたではありませんか。」
「そんな恐れ多いことをおっしゃらないで下さいませ。新九郎様からは武田家の家中の方々と仲良くして、竹姫様をお守りするように申し付かっただけにございます。」
「其方等はまるで姉妹のようだな。家中の者達への気遣いも宜しく頼むぞ。そういえば先日は真田弾正が来ていたそうだな。弾正が訪ねてくるとは意外に思ったが、誰かに紹介されたのか?」
「あら、旦那様は御存知なかったのですか。真田様の御舎弟様が新九郎兄上の馬廻りを務めているのですよ。今度のご活躍で御出世することが決まったとのことです。そのお礼でお見えになったのです。真田様は武田家に仕える前から新九郎兄上と交流があったそうでございます。真田様が武田家に仕えると聞いて落胆していたそうです。」
「なんと、そのような昔から縁があったのか。」
「はい。兄上は武田家のことを人材が多く羨ましいと良く言っていました。」
「新九郎殿は武田家のことを良く知っているのだな。良き人材は多いが我の強い者も多いからな。纏めるのは難しいのじゃ。他の者の話はしていなかったか。」
「松千代兄上が新九郎兄上に質問していたことがあります。武田家で五色備の旗頭を任せるなら誰にしますかとの話題でした。お聞きしたいですか?」
「是非聞かせてくれ。大方、真田や原、勘助あたりであろう。」
「それがですね。新九郎兄上が筆頭に挙げたのは【工藤昌秀】様でございました。」
「なんと。確かに良き武者ではあるが、信廉叔父上の与力でしかも次男ではないか。他国に知られる程の者ではない筈じゃ。」
「新九郎兄上がどこで聞いたかは存じませんが、目先の手柄に惑わされることなく大軍勢を纏める者であると言っておりました。先日、工藤様もこちらにお見えになり、お話しすると大層喜んでおりましたよ。二人目が【真田幸綱】様で真田家には取るに足らぬ者がいない稀有な家じゃと言っておりました。後の三人は飯富様、馬場様、春日様を挙げておりました。」
「我が傅の【飯富虎昌】や侍大将の【馬場信房】は解るが【春日虎綱】まで知っているとは北条家の諜報能力は恐ろしいな。新九郎殿の評価基準はお家に対する忠誠度や視野の広さといったところが基準となっているのであろう。」
「旦那様、申し上げにくいのですが飯富様とは弟の【飯富昌景】様の方なのです。虎昌様は良くも悪くも戦乱の士だと申しておりました。」
頭を金槌で殴られたような衝撃的な言葉であった。それほど年の代わらぬ他国の嫡男が武田家の内情をここまで知りえるものなのか。遅れを取っているのではとの不安がよぎる。真田や馬場、父上子飼の春日は無理でも、工藤昌秀と飯富昌景は与力に貰えるよう父上に頼もうと思うのであった。
人物紹介
大谷休泊(1521-1578)山内上杉家家臣の農政家。休泊堀や矢場堰、防風林を作り開拓を進めた。
由良成繁(1506-1578)下剋上した上野の戦国大名。
武田義信(1538-1567)武田晴信の息。
今川長徳(?-1625)今川義元の三男。史実では一月長得と名乗った曹洞衆の僧。
鮎川文吾(?)鮎川豊後守。鮎川氏は下総国猿島郡に地盤を持つ簗田氏配下の土豪。




