女達の婿取り
遠江国 井伊谷 お虎
今川氏の命令で婿を迎え入れた。北条氏の嫡流で国人衆の苦労も知らない年下の呑気な小僧だ。父上は穏やかな方で良かったと言っているが妾は騙されない。優柔不断なだけで今川の言いなりになるのが目に見えておる。
朝比奈家の庶子が二人も付いて来ている。監視役だと解っているのであろうか。小野家の正次や朝直らとも仲良くやっている。小野家は大叔父様達の仇ではないか。「直元殿は懐の広い方で井伊家と小野家の融和に心を砕いてる。」と父上は言っていたが、妾には小僧同士仲良くしてるだけにしか見えぬ。父上も父上じゃ、養子の入り婿に殿付けなど侮られるだけではないか。
北条家に倣って「朝食を家族みんなで一緒に取りましょう」と言って毎朝顔を合わせるようになった。一緒に食べるのは楽しいけれど、寝起きで顔を合わせなければならない妾の身にもなって欲しい。女衆の準備もあるのに迷惑な話だ。食事の仕方も気に入らない。
「旦那様は飯にかける汁の量も弁えていないのですか?汁の量も計れず何度も汁をかける様子は見苦しゅうございます。そんな優柔不断な様子では井伊家の棟梁として頼り甲斐がありません。」
「ははは。お虎は手厳しいな。小田原の新九郎兄上にも汁のかけ方が儂らしいと言われたのじゃ。新九郎兄上が言うには、儂は時間はかかるが最良の結果を残すようじっくり考える質らしい。新しいことを始める時は反発があるが、少しづつ変化させる儂のやり方は理に適うと褒めて貰えた。お虎のお蔭で兄上の笑顔を思い出したぞ。」
一事が万事こんな調子だ。暖簾に腕押し、糠に釘の状態なのだ。嫌ではないが小僧の癖に妾を呼び捨てにしてあしらうとは生意気じゃ。小田原の兄上とやらを尊敬しているようだが、その兄上に付けて貰った者達も戦の役に立ちそうにない変な者達ばかりであった。小田原式の農具は良い物だと父上は大喜びしていたし、一門衆奥山氏の息子達も重臣の中野直由ら家中の者も、鉄砲とかいう五月蝿い足軽の武器に興味津々といった様子で、鉄砲を扱う足軽共と仲良くなっている。
極め付けの変人は鳩飼いの大久保監助という男だ。詰城の井伊谷城の一角で、何の役にも立たない伝書鳩とかいう鳩を何十羽と飼っている。旦那様の命で小田原にも頻繁に行っているようで信用ならない。
旦那様はなんだかんだと小田原式を推してくる。反発しても気が付いたら小田原式になっているのだ。閨の作法でさえ小田原式なのだ。嫌ではないが、狂おしい気持ちにさせられることが小僧に負けたようで腹立たしい。寝ずの番をしている侍女達から「お優しい方がお相手でお虎様はお幸せですね、羨ましいです。」と言われると嫌ではないが恥ずかしいではないか。
旦那様は商人の真似事をして頻繁に気賀の港にも行っていて、井伊谷を空けることも多い。井伊家には嫡流がいないというのに、気賀に行く暇があったら井伊谷に居てやることがあるでしょうと言いたい。恥ずかしくて腹が立つから言えないけど。
しかも、少ない供廻りしか連れず何かあったら如何にするつもりだ。今川に難癖をつけられるというのに危機感が足りない。「せめて倍の四十人は連れて行きなされ。」と言っても「大袈裟過ぎる。」と呑気な顔で笑っていて腹が立つ。兄上から貰ったという見事な生糸を木綿の種と交換してきたと喜んでいた。折角の生糸を木綿の種に替えるなんて商売になってないではないか。
文句を言う相手がいないから大人しくしてるだけなのに、侍女達から「お虎様は直元様が出かけていると御寂しそうですね。」と要らぬことを言われてしまう。居ても居なくても腹が立つから、文句を言えるように旦那様には早く帰って来て欲しい。
相模国 湯本湯坂城 新九郎
執務室で新部隊の構想を練っていると、風魔小太郎殿が面会を求めてきた。すぐに通すように答えると風間出羽守とお絹殿が揃ってやって来た。
「今日は改まって如何したのじゃ?風魔小太郎として面会とはどういう意味なのじゃ?」
風間出羽守に向かって質問すると、出羽守ではなくお絹殿が返事を返してきた。
「風魔衆の棟梁としてのお願いにございます。申し遅れましたが妾が風魔小太郎でございます。御本城様には新九郎様に素性を明かしてもよいとの許可を頂きました。」
「なんと、お絹殿が棟梁であったのか!てっきり出羽守が棟梁だと思っておったぞ。」
「表向きには出られませぬが風魔衆の棟梁は女系なのでございます。男衆は女衆にコロリと騙されます故、手綱は女衆が持つ方が良いのですよ。」
お絹殿、いや小太郎殿の話では風魔衆の棟梁の婿は、長老たる御婆様達に認められた者しかなれないそうだ。家を保つ重要な地位なので出来るだけ優秀な者を婿にするのだそうだ。また、外部の優秀な者を取り込むことも女系ならではの利点がある。
「新九郎様。お願いというのは新九郎様子飼の藤吉郎を我が娘【五代目風魔小太郎】お吟の婿に貰い受けたいのです。新九郎様がわざわざ遠江から引き抜いた者がどれ程の者か、当初は新九郎様の戯れ程度に思っておりましたが、身辺の調査をし身近に接してみて納得いたしました。お許しいただけませぬか。」
「勿論、大歓迎じゃ。風魔衆が藤吉郎の後ろ盾となってくれるなら心強い。お絹殿には感謝しておる。藤吉郎は才覚がある故、他人を出し抜こうとする癖が強かった。藤吉郎の個性に親しみを感じる者も多いが、要らぬ敵を作ることも多かった。お絹殿のお蔭で藤吉郎の話術が和となり、その和を輪と成す術を身に付けたようじゃ。」
「その通りにございますね。苦労したのですよ。藤吉郎のことはこちらで段取りいたします。」とお絹殿は笑った。当初、御婆様達は「くせが強いのじゃ」といって許してくれなかったらしい。
「ところで新九郎様、新しき部隊の編制と藤吉郎の立ち位置はどのようにお考えでしょうか?」
「儂の本隊は馬廻り二十騎五百と、島津忠貞に五十騎千五百の備じゃ。脇備は福島綱房と真田俊綱を旗頭に、それぞれ五十騎千五百の備になる。内訳は古河公方家や扇谷上杉家の旧臣、旧臣といっても殆どが陪臣の者達じゃ。それから家を継げぬ次男以下の者、他国からの牢人衆、無頼の者達も取り立てるつもりでおる。藤吉郎は儂の馬廻りに加えるつもりじゃ。宮田喜八がおる故、武勇に劣る事もあるまい。それから風魔衆に頼みたいのじゃが、二曲輪猪助と加藤段蔵を貰い受けたい。綱房と俊綱の備に配し内部の調整を図ってもらいたいのじゃ。」
「おほほ。内部監査も抜かりはありませんね。」とお絹殿は笑って許してくれた。
人物紹介
井伊直虎(?-1582)次郎法師。
小野家(*)今川家から監視役としてつけられた井伊家の重臣。
大久保監助(*)架空の人物。




