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平宰相〜北条嫡男物語〜  作者: 小山田小太郎
新九郎の巻(1551年~)
31/117

荒川西遷と松千代の元服

 1552年冬 上野


 荒川を堰き止め入間川へ川筋を替える大事業が始まった。治水奉行の荒木右衛門から概要の説明があった。


「皆様もご存知のように、荒川は秩父地方から流れ出て、鉢形城から忍城の南を流れ岩槻城の南東で利根川と合流しております。」


 荒川の流域では水量が多過ぎて、沼地や輪中が点在していた。水害が多く水田に適した場所が少なかったのである。荒川を堰き止めても、伏流水による湧き水だけで適量な水量となるだろう。


 入間川の方は水量が増える事で秩父地方、鉢形城、河越城、江戸城と主要な城を結ぶ運河となる。秩父地方の特産物を安全に江戸まで運べるのだ。


 治水奉行衆の測量により、上野国久下の地が瀬替えの位置に選ばれた。およそ二里(8km)、深さは三間(5.4m)、川底の幅十間(18m)、川幅二十間(36m)の掘削作業が計画されている。掘削作業の総指揮が新九郎氏親の役目なのだ。


 早雲寺で共に学んだ仲間達、北条氏繁、笠原康勝、富永政辰、大道寺政繁、松田康長、遠山政景の六人を集めた。


「皆、よく集まってくれた。この六人と荒木右衛門と儂で八人になる。掘削作業は工事区間を八つに分けて行う事にする。それぞれ千五百人の人足を割り当てて皆で競争じゃ。」


 北条綱成の息子の北条氏繁が質問してきた。


「競い合いはどのように行うのですか?」


「競い合いは掘った土を俵に詰めて、その俵の数で決める。月毎に優秀な組には褒美を出そう。他の組から人を引き抜くのは法度とするが、外部からの増員は問題無い。予算の範囲内で遣り繰りするように。」


 土を詰めた俵は土嚢として荒川締め切りに使うことになる。土嚢の運搬は真田俊綱と狩野泰光を秩父から呼び戻した。馬の生産が順調で、運搬用に千頭の馬を使うことにしている。


「土嚢の数を確認するのは安藤良整に頼んである。公正で数字に強い男じゃから不正を見逃す事もなかろうし、問題無かろう。」


 大道寺政繁からも質問が出る。


「競い合いに新九郎様が出ると勝っても負けてもやり辛いです。」


「案ずるな。儂の工事区間はお絹殿の推薦で藤吉郎に任せるつもりじゃ。彼奴は人の扱いに長けておる。譜代の者ではない故、奉行にはさせられぬが儂の命令を伝えるという形で、試しに使ってみるつもりじゃ。」


 早雲寺で身近に接しているので、藤吉郎の優秀さ、人使いの巧みさを皆知っている。譜代の意地で負けられないのであろう。


「お絹様の推薦ですか。お絹様は(藤吉郎)を気に入っておりますからな。新九郎様ではなく猿が相手ならば、遠慮はいりませんな。」


 政繁は不敵に笑った。大道寺家は武門の名家であるが、治水技術にも長けた家である。荒木家や山中家と同じく宇治の出で、宇治川の水運を管理していた家なのだ。




 side松千代


 松千代は駿府で元服し、名を直元と改めていた。烏帽子親は今川義元で偏諱を賜り、井伊家の通字である直を冠して井伊直元となったのだ。義父となった井伊直盛と共に、駿府から井伊谷への道中であった。


「直元殿、間もなく井伊谷(いいのや)でござる。小田原や駿府と違って田舎ゆえ心苦しいが、心根の優しい者ばかりじゃから気兼ねなく過ごして下され。」


「義父上、殿付けは勘弁して下され。私は井伊家の者になったのです。当主である義父上が敬語では家中の者に示しがつきませぬ。井伊家と今川家の遺恨は聞いておりますから、井伊家の者達がこの縁組に含むものがあるのも理解しております。私は義父上がこの縁組をよく承知したものだと驚いているくらいなのです。」


 室町時代中期から井伊家は南朝方の有力武将として、北朝方の今川氏と対立関係にあった。時代が下り今川氏が駿河から遠江に勢力を拡大すると今川氏の支配を受けるようになった。しかし、今川家の家督相続争いの花倉の乱では今川義元と対立し、北条家と今川家の争いでも今川家に敵対していたのだ。今川義元は武田家と関係を強化し、北条氏綱が亡くなった後の北条家を抑え込むと、遠江への支配を強化していた。今川家に反抗的な者達を次々と誅殺していったのである。先代当主井伊直宗が三河国田原城で討死し、一門衆の井伊直満、井伊直義も誅殺されていた。次期当主候補であった直満の子、亀之丞も誅殺を恐れて出奔している。


「正直な気持ちを申しますと、これ以上一族の者や家臣の者を無駄に失うのが辛いのです。お家の為ならば命など惜しくはありませんが、疑われて無為に命を失うのはやり切れないのです。」


 井伊直盛はここ数年で失った者達を思い出すように遠くを眺めた。


「この縁組で井伊家は今川家に乗っ取られてしまうと心配する者もおりますが、某はこの数日、婿殿と接して縁組を受けて良かったと思っております。今の井伊家には今川家に逆らう力はありません。婿殿なら今川家との縁を結び、井伊家に平穏をもたらしてくれると感じられるのです。」


 井伊直元には今川家から朝比奈泰寄(やすより)と朝比奈泰栄(やすしげ)が付けられた。朝比奈家は今川家の重臣で幾つかの家がある。朝比奈家の宗家は丹波守を名乗り、朝比奈親徳(ちかのり)が当主で駿河の庵原城主である。備中守を名乗る朝比奈泰能(やすよし)は掛川城主であり、遠江の旗頭となっている。紀伊守を名乗る朝比奈泰長(やすなが)は浜名湖西岸の宇津山城主で、三河国境の最前線を任されている。


 朝比奈泰寄(やすより)と朝比奈泰栄(やすしげ)は遠江旗頭の朝比奈備中守の親族である。二人は直元とは同世代で井伊家への目付ではあるが、直元は井伊家発展のために巻き込んでやろうと思っているのだ。


「ご期待に添えるか解りませんが、井伊家の発展に努めましょう。しかし、まずはお虎殿との対面が心配ですな。」


 井伊直盛の娘のお虎殿は親しい者達を次々と誅殺されたせいで、今川家を信用していない。出奔した亀之丞とは許嫁であったからと、この縁談に納得していないようなのだ。新九郎兄上が風魔衆を使って情報を得たと手紙を送ってきている。意外なことに兄上はこの縁談に賛成しているようだった。井伊家を発展させれば嫁御の気持ちも変わるだろうから自信を持って励むようにと、兄上は子飼の技術者集団を寄越してくれたのだ。


「これは面目ない、娘にはよく言い聞かせますのでご容赦下され。」


「義父上は心配しなくても大丈夫です。井伊谷が発展すれば皆も私のことを認めてくれることでしょう。お虎殿の気持ちを解きほぐすのは私の役目です。実はこれも楽しみではあるのですよ。」


 兄上が小田原でやったことの二番煎じではあるが、領地の発展のために良いものを取り入れていくのが領主の務めなのだ。


~掘削量の計算~

(18m+36m)×5.4m÷2×8,000m=1,166,400㎥

1㎥あたり2人必要として延人数2,332,800人

動員12,000人として180日ほどの工期になる予定です。


登場人物

井伊直元(1538-1590)汁かけ飯殿。史実では北条氏政

井伊直盛(?-1560)直虎の父。史実では桶狭間の戦いで討死

朝比奈泰寄、泰栄(*)史実では北条氏規の与力。遠江旗頭の備州家朝比奈家の親族。



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― 新着の感想 ―
[一言] 井伊直盛が討死したのは、関ヶ原ではなく桶狭間ではないでしょうか?
[良い点] 更新お疲れ様でした。 若手の武家の後々の事を考えたら、治水を自分達で経験できるのは良いですね。 競争と褒美でやる気もアップ! 「お虎殿の気持ちを解きほぐすのは私の役目です。」←素晴らし…
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