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平宰相〜北条嫡男物語〜  作者: 小山田小太郎
新九郎の巻(1551年~)
30/117

松姫の輿入れ

 1552年夏 小田原


 今川義元の娘である松姫が輿入れしてきた。武田信玄次男の二郎も一緒である。


 今回の輿入れは異例づくしであった。小田原から出発した竹姫の花嫁行列に、松千代も同行していた。総勢五千名の一行は河東地方の善徳寺に向かった。今川家、武田家も同じく各五千の花嫁行列で善徳寺に集まり、輿の受け渡しが行われたのだ。


 今川家の松姫、北条家の竹姫、武田家の梅姫と正月飾りのような華やかさだと噂されたそうだ。


 同盟の誓詞を交換したのは、北条幻庵、太原雪斎、穴山信友であった。誓詞の交換の後、次男達の受け渡しが行われ、それぞれの一行は姫君達を守りながら帰途についたのであった。



 広間の方からは家中の者達の宴会を楽しむ声が聞こえている。しかし、ここには新九郎と松姫の二人きりになっていた。松姫は12歳にしては大人びた印象を受けるが、まだ少女といった佇まいである。


「長旅ご苦労であったな。親元を離れて心細いだろうが心配はいらぬ。北条家には今川家に連なる者達も多い。不自由な思いはさせぬよう取り計らう故、遠慮なく儂に相談して欲しい。」


 松姫はまだ緊張が解けていない様子で、挑むような目をして返事を返してきた。


「お祖母(ばば)様から早く嫡子を儲けるようにと言付かっています。新九郎様のお情けを頂きたく存じます。」


 お祖母様とは寿桂尼様のことであろう。今川義元公の母であり、今川家の奥を束ねる女傑である。松姫は寿桂尼様からの使命を果たさねばと一生懸命な様子だ。これではゆっくり話をすることもできない。努めて優しく話し掛ける。


「寿桂尼様は儂にとってもお祖母様なのです。しかしながら儂はお会いした事が無いのです。どんな方か教えて下され。」


「お祖母様はとても厳しいのです。でもお松が上手に歌が詠めた時などは頭を撫でて下さいますし、お菓子を下さるのです。」


「お松はお菓子が好きなのかな?小田原には外郎(ういろう)という銘菓があるのじゃ。宴の席からこっそり持ち出してきたから一緒に食べようではないか。」


 名前の呼び方を崩し、外郎を取り出して近くに寄るように手招きする。松姫は少し警戒しながらも興味津々といった様子で近寄ってきた。


「とても不思議な口当たりでございます。柔らかくて美味しいでしゅ。」


 言葉を噛んだのが恥ずかしかったのか、顔を真っ赤にして俯いた。優しく頭を撫でながら話し掛ける。


「そうか、気に入ったか。儂も嬉しいぞ。お松の髪はさらりとして触り心地が良いな。」


 しばらく頭を撫でていると落ち着いたのか、松姫が身を寄せてきた。そっと抱き寄せて背中を撫でていると「すう。」と寝息が聞こえてきた。よほど疲れていたのであろう。本当の夫婦になるにはまだまだ時間がかかるようだ。


 1552年秋 小田原城


 大評定の間には既に重臣達が揃っていた。座に着いたところで父上が開会を告げる。


「皆も承知かと思うが畿内が不穏な情勢じゃ。貞辰、説明せよ。」


「はい、足利義晴公が近江で亡くなり、足利義藤様が将軍家を継ぎました。しかし未だに京に戻れない状況が続いております。これは管領細川家の内紛が原因なのです。細川晴元と家臣であった三好長慶の争いです。伊勢宗家を継いだ我が息、伊勢貞孝は細川晴元と激しい口論の末に京に戻り、足利家と三好家の仲を取り持つ事になりました。」


 三好長慶は細川晴元の家臣であったが、長慶の父は晴元に裏切られて憤死していた。細川晴元と対立する細川氏綱を支持して晴元を追い出したのである。この頃、三好氏の勢いは主家の細川家を凌ぐ程になっていたが、足利家と争う意思は無く、足利家に和睦を求めていたのだ。


「細川晴元を支持していた六角定頼が亡くなり、ようやく和睦の道が見えてきたと我が息、伊勢貞孝は申しております。」


 父上は「そうであるか」と頷くと言葉を続けた。


「伊勢宗家の貞孝殿も難しい立場にいるようじゃな。三好家と誼みを結ぶ事も考えねばならぬようじゃ。引き続き畿内の様子にも目を光らせておくのじゃ。」


 続いて三国同盟で人質となっていた松千代の話題となった。


「松千代は井伊家の娘を今川義元殿の養女として娶せ、井伊家を継ぐ事となった。」


 井伊家に今川家の楔を打ち込む形だ。井伊家には嫡流に男子がおらず、一門から当主をと望んでいたが今川家から許可されなかったそうで、井伊家としては受けざるを得なかったのだろう。


「武田家の次男には幻庵の娘を我が養女として娶せて一門とし、庁南武田家の養子とすることで武田家とは話がついた。まだ幼く三年程先の事となろう。」


 庁南武田家は上総武田の宗家で北条氏に従っている。嫡男が夭折していたため甲斐武田家の者ならと受け入れる事になったようだ。


「今川家の次男であるが、此度の疱瘡の大流行で両目の光を失ったそうじゃ。竹が親身になって世話をしたようじゃが、武田家の三男は助からなかったようじゃ。」


 この秋、甲斐、駿河、相模で疱瘡が大流行したのだ。小田原では予防が効いたのかほぼ被害は無かったが、甲斐では領主一族までが感染し、嫡男義信はあばたが残ったと竹姫から手紙が届いていた。北条家に来ていた武田家次男の二郎はかなり落ち込んでいた。


 続いて内政の話だ。大道寺周勝(かねかつ)が話しだす。


「関東大震災の際、武蔵の見沼地区や浦輪中では堤が崩れ大きな被害が出ました。荒川の洪水対策として大規模な瀬替えを計画しております。上野の久下の地で荒川を堰き止め、入間川へ瀬替えいたします。」


 周勝は一息ついて続ける。


「これには三つの利点があり、一つ目は洪水対策です。二つ目は武蔵の浦輪中や見沼地区での大規模な水田開発です。三つ目は入間川の水運の拡大を目的としています。開発が進んでいる秩父地方から鉢形城、松山城、河越城、江戸城までの北条家の重要な城を繋げます。」


「北条家の利益は理解するが、瀬替えで上野東部は困るのではないか?」幻庵が懸念を口にする。


「上杉家とは折衝を行いました。荒川西遷に合わせて、利根川と渡良瀬川の間の荒野に用水路を作る事になっております。上杉家の大谷休泊(おおやきゅうはく)殿が立案し、調査も進んでおります。この計画で武蔵、上野の生産力は拡大することでしょう。」


 説明が終わり父上が宣言する。


「これは北条家が関東の盟主である事を示す大事業じゃ。宰領は新九郎とするがまだまだ未熟故、新九郎は奉行衆の言葉に耳を傾けるようにせよ。この事業は百年先にも語り継がれるのじゃ。心して取り掛かるように。」


 北条家の嫡男として大事業の宰領を任された。お飾りで終わるか、皆の信頼を勝ち取るか正念場となる。



人物紹介

穴山信友(1506-1561)武田一門。穴山信君の父。穴山家は武田信虎期に従属。駿河方面申次を務める。

寿桂尼(?-1568)今川氏親の室。今川家のラスボス。

今川松(?-1612)嶺松院。今川義元の娘。史実では武田義信の室。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 武田次男は失明してたような...
2022/04/03 11:34 退会済み
管理
[一言] 当時の関東は小領主が乱立してたから、治水は難しいねぇ。
[良い点] 北条家主体の作品はまだまだ少ないので、是非続けていってほしいです。 [気になる点] この頃は足利13代将軍は義藤を名乗ってたかと思います。天文23年に朽木谷に逃避していた際に従三位に昇叙さ…
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