闘魂注入
1543年春 相模国 小田原城 西堂丸
目を開けると青空が広がっていた。大地に仰向けになって倒れているようだ。城の石垣を登って遊んでいたとこまでは覚えているのだが、どうやら落ちて少しの間、気を失っていたようだ。
【魂の注入が完了しました】
目を覚ます直前に未来の世界の膨大な量の記憶が流れ混んできた。知識が増えたという感じではなく、未来の世界を50年生きた男の半生を追体験する。そんな夢を見ていたような感覚なのだ。
西堂丸として生きてきた6年間が遠い昔のようにも感じられるし、一瞬の夢を見ただけのようにも感じられる。未来の記憶の人格に影響されて落ちついてはいるものの、我が北条家が将来滅亡する事に恐怖を感じている。
「若様、気が付きましたか。落ちた時は肝を冷やしましたぞ。頭は打っておりませんか?手足に痛みはありませんか?」
丸顔の男が心配そうに覗き込んできた。
「猪助、大事無い。頭も打っておらぬし手足にも痛みは無い。少し混乱しているだけじゃ。」
猪助は荷物持ちの中間として身の回りの世話をする者だと思っていたが、未来の記憶から二曲輪猪助という風魔の忍びなのだと、北条家の嫡男の護衛役なのだと勘付いた。未来の記憶があれば北条家を滅亡から救えるかもしれない。いや、救わなければならないと決意した。
「若様、今一度石垣登りをされますか?心配なので今日はここまでにいたしましょう」
「いや、もう一度登りたい。少し考えがある、二間程の竹竿を持ってきてくれ。石垣を駆け上ってみせる」
夢に見た知識が役に立つか試してみたくなった。竹竿の先端を脇に抱え持って壁際に立ち、壁に足をかける。竹竿の反対側の先端を猪助に抱えさせた。
「猪助!合図をしたら竹竿を壁際まで押して来い。儂は壁を駆け上りながら猪助の押す力を上向きに変化させて壁を登りきってみせる。いざ!」
猪助の押す力が子供の落下する力よりも強ければ壁を駆け上ることが可能になる、力学の応用なのだが、果たして上手くいった。
石垣の上で尻餅をついてしまったが、竹竿をそのまま抱えて猪助を見下ろした。
「どうだ、これなら石垣を登ってすぐに槍を使えるぞ」
夢の知識が役に立つという確信が持てた。この知識で北条家滅亡の未来を変えてみせる。
登場人物
西堂丸(1537-1552?) 北条氏康の嫡男。新九郎氏親。母親は今川氏親の娘。同母弟妹に氏政、氏照、氏規、早川殿(今川氏真室)。史実では夭折している。
二曲輪猪助(?)風魔衆。川越夜戦では撹乱任務を遂行するも敵方に見つかる。俊足を活かして逃げきった。