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平宰相〜北条嫡男物語〜  作者: 小山田小太郎
新九郎の巻(1551年~)
28/117

善徳寺の会盟

 1551年夏


 駿河国東部は河東地方と呼ばれている。河東地方には分断するように富士川の急流が走り、駿河湾に流れ込んでいた。富士川の上流は甲府盆地まで続いており、甲斐と駿河を結ぶ流通の道でもあるのだ。


 交通の要衝でもあり今川家、武田家、北条家の国境に位置していることから何度も主を替え、争われた場所である。


 富士川の東側に善徳寺という臨済宗の寺がある。城郭としての機能も備えており、今川家の軍師として名高い太原雪斎が学んだ寺でもあった。


 その善徳寺に三人の臨済宗の僧侶が集まっていた。


「以天宗清殿、岐秀元伯殿。此度はお呼びたてして申し訳ありませぬ。御二方と昔語りなどしたいと思い付いた次第です。」


 最初に声をかけたのは【太原雪斎】。今川家の軍師で今川義元の師傅でもある男で、部屋の西側に座している。


 雪斎の正面、部屋の東側に座っているのは【以天宗清】。北条氏康の師傅で北条家の菩提寺の開山である。


 最後の一人【岐秀元伯】は武田信玄の師傅で部屋の北側に座っている。その様子はそれぞれの領国の位置関係でもあるようだった。


「以天宗清殿、岐秀元伯殿。御両家は今川家に対してどのような印象を持たれているか、お聞かせ願いたい。今後の今川家の指針といたしたいのです。如何ですか、以天宗清殿。」


 雪斎に水を向けられ「ならば。」と宗清が語りだす。


「義元公は駿河、遠江を見事に治めておりますな。寄親寄子の制度で軍制も整い。三河の小豆坂では織田方を見事に討ち果たしたとのこと。三河の松平諸氏がこぞって今川家に服属していると聞き及んでおります。」


「ありがとう存じます。我が主、今川義元の成長は北条氏綱公なくしてはありませんでした。氏綱公が与えてくれた厳しい苦境を乗り越えたことで逞しくなったのです。」雪斎はニヤリと笑う。


「その分、河越の戦では倍返しを頂きましたな。我が北条家に対する印象もお聞かせ願いたい。」


 ここまで黙っていた岐秀元伯が「それでは私が。」と名乗り出る。


「氏康公は北条家包囲網ともいえる苦境を見事に撥ね退けましたな。その後の対応も見事でした。我が主、武田晴信も西上野に攻め込む準備をしておりましたが、早々に上野の安定をもたらしたのは驚きでした。関東の権威は北条家に集まっている。先年の関東大震災の混乱も乗り切り、盤石といった印象を受けまする。」


「ありがとう存じます。河越の戦での疲弊が激しく回復した途端に大地震と、ここ数年は国内のことで手一杯でありましたな。それに比べて武田家は目覚ましい発展ぶりと聞きます。」


「我が今川家でも武田家の躍進は聞こえております。先年の砥石崩れで先代からの重臣を多く失ったと聞き及び危惧しておりましたが、此度は調略を持って一夜にして砥石城を落としたとか。世代交代が進み、晴信公と同世代の重臣が活躍していると聞いております。人が豊富でなんとも羨ましい限りです。治水や金山開発で石高も見違える程になったとか。」


「ありがたいお言葉です。他国に攻め入った戦のこと故、義元公や氏康公程の存亡の危機ではなかったと存じますが、我が主、武田晴信も心が鍛えられたようです。」


 和やかな雰囲気で会談が進んでいき、時期を見計らっていたように雪斎が切り出す。


「我が主、今川義元の正室であり、武田家の姫であった定恵院様が亡くなられ、武田家と今川家の縁が無くなりました。そこで再度武田家と縁を結びたいと考えていたのですが、そこに北条家を加えたいというのが、今川家の望みなのです。御三家には適齢期を迎える御嫡男と姫君がおります。相互に縁談を結ぶのは如何でしょうか?」


 三国同盟の交渉は事前に手紙で通知され、それぞれの代表の僧侶に主君から意向が伝えられているのだ。


「武田家に異存はございません。」元伯が穏やかに答え雪斎が頷く。


「北条家としては些か存念がございます。」宗清の言葉に、雪斎の表情が鋭いものとなり「如何なることでしょうか。」と促す。


「北条家は婚姻だけでなく、同盟の証として人質交換も希望しております。北条家から竹姫様を武田家の御嫡男へ。今川家には次男の松千代様をお送りしたいというものです。」


「成る程。姫君の輿入れでは足りないという訳ですな。我が武田家にも御次男様がおられますので検討することはできますが、今川家の御次男様は僧門に入っていたのではないかな?」


「我が今川家は足利家に習い、御嫡男以外は僧門に入っているのです。還俗したならば問題ないと存じます。」


 両家の事情を確認して宗清は頷いて言葉を続ける。


「北条家から姫様を武田家に、御次男様を今川家に入れ、武田家からは姫様を今川家に、御次男様を北条家に入れる。今川家からは姫様を北条家に、御次男様を武田家に、ということでご検討下され。」


「承りました。晴信公へはそのように意向をお伝えしましょう。」と元伯が請け負った。


「今川家にも意向をお伝えします。御次男様方は人質としてではなく、一門として遇するのが宜しいかと存じます。北条家の御次男様は義元公の甥にあたり、寿桂尼様の御孫でもあります。貴人として扱われることでしょう。」


「武田家でも定恵院様のご子息であれば晴信公の甥御にあたる。問題はないと存ずる。」


「北条家でも武田家の御次男を一門として扱うよう、氏康公に申し入れておきましょう。」


「此度の会合は有意義なものとなりました。この盟約が成れば北条家は関東へ。武田家は信濃へ。我が今川家は東海へと後背を気にせず戦えることになります。細部は重臣方に詰めて頂くとして、我々はそれぞれの主に会合のあらましをお伝えすることにしましょう。」


 話しが纏まり雪斎が閉会を告げたのだった。




人物紹介

太原雪斎(1496-1555)臨済宗の僧侶。今川家の一門衆。今川義元の軍師で師傅。

岐秀元伯(?-1562)甲府の臨済宗長禅寺の住職。武田晴信の師傅。


~おことわり~

年末年始業務で毎日の更新が難しくなりそうです。ご容赦いただきますようお願い致します。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 更新お疲れ様です。 毎回、おもしろい話をありがとうございます。 史実と違う結婚の要素が後にどのような結果に繋がるのかワクワクする話でした。 [気になる点] それぞれ、姫の行くところが史実…
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