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平宰相〜北条嫡男物語〜  作者: 小山田小太郎
西堂丸の巻(1543年~)
21/117

忠貞の医術

 元気一杯、身体を動かしていると忘れがちになるが、史実では西堂丸は夭折しているのだ。何が原因で亡くなったのか夢の記憶でも解らない。食事を改善して脚気の心配はほぼないと言える。しかし何らかの病で亡くなっているのであれば、その対処もしなくてはならないのだ。まず身近な医者である忠貞に相談してみよう。


「忠貞、名医と名高い其方に相談なのじゃが、伝染病を防ぐために策を講じたい。薬の開発と生活習慣の改善じゃ。」


「どのような薬なのでしょうか?それにどなたが申し上げたか存じませんが、私は名医と呼ばれる程の腕前ではありませんぞ。奥医師として認められておりますが、相談に乗ったりすることがほとんどで、薬の調合は人並みにできる程度です。」


「そうなのか?綱房達が忠貞は名医だと言っておったぞ。お絹殿も忠貞ほどの名医は他にはいないと申しておったし、父上も母上も頼りにしているではないか?」


 忠貞は合点がいったという顔をしてから「西堂丸様には少し早いかもしれませんが」と言って、少し照れ臭そうに教えてくれた。忠貞の専門分野はいわゆる閨房術と言われるもので、中国の後宮に伝わる【素女妙論】を元に研究された子孫繁栄のための学問である。要するに性教育の先生である。


 忠貞の師である田代三喜もこの分野では造詣が深く、忠貞の弟弟子にあたる曲直瀬道三が【黄素妙論】を記し、松永久秀に献上している。忠貞は武家社会で忌避されていた女性の月のものに対しても、生命を育むための神聖な営みであると考えたのだ。そして、子供を授かりやすい時期とそうでない時期があると考えているらしい。


 えーと、それ不妊治療のタイミング法とオギノ式避妊法のことですよね。十分名医だと思うよ。ただ薬の開発には向かないかもしれないですね。


 忠貞が連れてきたのは小田原で一番の薬師、宇野家の者であった。宇野家の当主は外郎藤右衛門と言い、早雲公が小田原に招いたそうだ。外郎家の薬は透頂香(とうちんこう)と言い、一粒飲めば胃・心・肺・肝が健やかなり、薫風喉より来りて口中微涼を生ずるが如し、と謳われる名薬である。


「お初に御意を得ます。(わたくし)は5代目陳外郎宇野藤右衛門定治の七男で宇野藤七郎と申します。本家では透頂香を扱っております。」


 忠貞が藤七郎に向かって声を掛ける。

「よく参った。早速だが、其の方達の技を見込んで新たな薬の開発をしてもらいたい。新たな薬は【シャボン】といって疫病を防ぐためのものじゃ。これを用いて毎日手を洗えば疫病を防げるやもしれぬ。間違えてはならぬのは疫病を治す薬ではないということじゃ。」


 そう言うと忠貞はシャボンの製法を書いた書物を藤七郎に手渡した。夢の知識のところの石鹸だ。油と灰汁、それに貝殻を使った原始的なものである。


「今でも無患子(むくろじ)の実や灰汁を使って汚れを落としていると思うが、本来は着物の汚れを落とす薬じゃ。だがこれで食事の前に手洗いの習慣をつけると疫病を防げるかもしれぬとの八幡大菩薩様のお言葉じゃ。宜しく頼むぞ。」


 藤七郎を下がらせ、忠貞に次の課題を伝える。手洗いだけでは心許ない。幸いなことに小田原は上水が整備され、他とは比較にならないほど清潔である。下肥の生産を合わせて汚物の処理を体系的に行うようにしよう。モデルは江戸の町だ。汚物専用に壺を開発させることにした。悪臭対策で蓋付のやつだ。座ってできるように中蓋つきで、統一規格のものを検討してもらう。


 この話を聞いた盛昌は感心したようだ。京の町では汚物目当てに野犬が溢れていた。野犬が幼児に襲い掛かることもままあったらしい。盛昌は野犬対策も兼ねて父上に進言すると請け負ってくれた。


 最後に天然痘対策だ。疱瘡と呼ばれる伝染病で、伊達政宗が右目を失い、武田信玄の次男・竜宝も失明している。豊臣秀頼も顔にあばたが残った。この病の流行で何度も元号が変わっている程の脅威だ。


「忠貞、疱瘡も予防できるのじゃ。馬の病である馬痘は牛にもうつることもあるのじゃが、馬痘の牛から更に人にもうつる。これに罹った者は疱瘡に罹らないのじゃ。」


「それは真ですか?」


「会津にあかべこという言い伝えがある。赤牛を飼っていた家だけ病がうつらず、疱瘡から守ってくれたというものじゃ。真実は馬痘を持った赤牛を飼っていた者が馬痘を経験していたので疱瘡にならなかったという訳じゃ。」


「成る程、それで西堂丸様は如何にして疱瘡を防ごうとお考えですか?」


「牛にうつった馬痘は致命的な病ではない。これを逆手にとって、馬痘の膿を針で人に接種させるのじゃ。馬痘にかかった馬を探してもらいたい。馬痘を牛にうつして種痘苗とし、早雲寺の皆にも接種させるつもりじゃ。勿論、儂が一番に行う。」


「承りました。しかしながら安全が確認されていないものを西堂丸様にしていただく訳にはまいりません。他の者に試し安全が確認されてから行います。」


 だよね。嫡男を実験台にはできないよね。


 後日、馬痘の馬が見つかり、子牛に種痘を定着させることができたのだ。「見学だけじゃ」といって無理やりついていき、強引に自分で接種したら当然のように皆に怒られた。忠貞は涙を流しながら本気で怒っていた。忠貞、すまぬ。

登場人物

外郎藤右衛門(?)早雲公に招かれて小田原に来た薬師の名族。

宇野藤七郎(?)架空の人物です。

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― 新着の感想 ―
[一言] 保存方法が課題ですが蝮やヤマカガシの血清も造れそうですね。 BCGは博打ですが……。
[一言] 近年、牛痘ではなく馬痘から移った牛痘が正解で牛痘そのものでは予防できないらしいです
感想一覧
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