湯坂の美女
「皆様!朝餉の用意が整いました。屋敷においで下さいませ!」
年若き美しい娘が声を張り上げている。
「泰光!あの者は誰じゃ?」
「あのお方はお絹様と申しまして、風間出羽守様の奥方様です。ああ見えても元服した御子息がおられるのですよ。噂ですが、入浴を覗こうした若衆を簀巻きにして川に投げ込んだ、と逸話のある女傑です。」
うん、関わらない方がいい。君子危うきに近寄らずだ。
風間出羽守は箱根湯坂城の城代を務めている。早雲寺の隣に屋敷を構えていて、皆の食事の世話をしているそうだ。きっと護衛も兼ねているのだろう。
出羽守の屋敷に行くと、庭の真ん中にある大鍋の中でぐつぐつと汁が煮立っていた。今日は牡丹鍋だそうだ。縁側には笊が並べてあり、笹の葉を敷いた笊の中には大量のおにぎりが積まれてあった。年嵩の者が器に猪汁を注ぎ分けている。様子を見ていると、お絹が膳におにぎりと猪汁を持ってきてくれた。そうだよね。関わらない訳にはいかないよね。
「お初にお目もじいたします。風間出羽守の家内でございます。若様には少々下品に映るかもしれませんが、ご容赦下さい。」
当初はそれぞれに膳を用意していたそうだが、準備に手間がかかり、お腹の空いた子等を待たせる訳にもいかず、お絹の独断で朝餉は無礼講としたそうだ。毒見の心配もあり、文句を言う大人もいたが、お絹に「また簀巻きにされたいのかい?」とすごまれると、全員引き下がったそうだ。
お絹に簀巻きにされたのは若衆だけではなかったようだな。うん、絶対に逆らわないでおこう。夕餉には膳の準備ができるとのことであった。皆で湯を使い、汗を流してから早雲寺に戻った。
学問の時間は学僧が講師となり、それぞれの進捗具合に合わせて教えてくれる。教本は自分で写本するものだが、学ぶ時間が限られることもあり、学僧が手助けしてくれる。至れり尽くせりだ。初日ということで特別に住職の以天宗清和尚が直々に手習いの手解きしてくれた。
昼過ぎになると課題に取り組む。小笠原康広と大和晴統は以天和尚を捕まえて話をしている。臨済宗は各地の武家との結びつきが強く、独自の情報網を築いている。話題は奥州伊達家の父子相克だ。伊達家の内紛が東北全土に拡がりを見せているようだ。
笠原康勝・康明兄弟と清水康英が図上演習をしている。3人とも伊豆の国人衆で笠原兄弟は白備え、清水家は海賊衆を束ねている。陸軍と海軍はやはり利害が衝突するようで、角突き合わせて意見し合うのが常の光景らしい。ただ本人達は年も近く仲が良いようで、常に一緒にいるそうだ。
図上演習は地図上に駒を配置しての模擬戦だ。城郭巡りをした夢の知識が役に立つかもしれないと、図上演習に加わることにした。図上の地図を観ると多分、河越城の地図だろう。未来の河越城は多くの曲輪を持つ大城郭だが、この時代は二の丸までの簡易な構造の川岸の城だ。寄せ手が笠原兄弟、籠城側が清水康英と西堂丸と決まった。判定を狩野泰光が買ってでる。最初の勝負は笠原兄弟の勝ちだった。大きな被害を出したが、強引に押し切っての勝利だ。
城の防御力を上げるために虎口に丸馬出しの設置と南東側に出丸を設ける。馬出しは北条家でも取り入れており、角馬出しを持った城が増えている。出丸は籠城する側から攻撃するのに適した防衛施設だ。西堂丸の駒を出丸に入れて再戦することになった。
「康英!一旦、出丸を放棄する!出丸を占領されたら本丸の矢倉から攻撃するぞ。この出丸は防御側からは奪還しやすい地形じゃ!」
趣味で廻った城郭めぐりの知識が城の縄張りに役立っている。二回戦は防御側勝利の判定を貰えたのだ。「西堂丸様の見事な采配には舌を巻きました。」少しは皆に認めて貰えたのかもしれない。
登場人物
絹(?)架空の人物です。モデルは時代劇の湯煙アイドル。
笠原康勝・康明(?)白備旗頭。信為の子。
清水康英(1532-1591)伊豆下田領主。伊豆水軍の棟梁
誤字脱字の修正でたびたび修正加筆してます。見苦しい点はご容赦下さい。




