いざ、京都へ。その一
1569年春 北条氏親
上洛することが決まった。しかし、どの道筋を通り、どれほどの兵を伴うかが悩ましいところであった。
「御本城様の護りには、少なくとも二万の兵は必要ではないか」と発言したのは綱成叔父上であった。
「叔父上、流石に二万は多すぎます、織田も武田も黙って素通りさせるとは思えぬのです。途中で戦となっては本末転倒ではありませんか」
「くっ。しかし何が起こるか分からぬではないか」なおも心配する叔父上であったが、現実的でない事は分かっているようだ。
「武蔵守殿はやはり船で行かれるおつもりか」と同席していた幻庵大叔父上の問いに「はい、そのつもりです」と答えると航路と軍勢の規模を聞かれた。
「水軍衆の清水康英と新納忠景に諮り、二通りの意見が出ています。一つは多くの兵を同行させる案です。最大二千八百の乗船が可能ですが、何度か補給の為に寄港しなければなりません」
「なるほど、一方は兵を減らして寄港回数を減らすというものであるな」
「大叔父上、その通りです。一度も寄港せず堺湊まで行くとなると千五百が限界であるとの事です。此度は小勢で上洛するつもりです」
「些か心許無いのではないか。伊勢湾や熊野の海賊衆には去就定まらぬ者も多いと聞く、それに阿波や淡路の海賊衆は三好方であろう」
「康英達の話では、伊勢湾は海岸から離れてしまえば問題ないそうです。熊野海賊衆はまとまりに欠き、和泉の水軍衆が出迎える手筈となっているので、三好の海賊衆に対する備えも万全であるとの事です」
熊野海賊衆には堀内・周参見・新宮・有馬・安宅等があった。北条水軍衆は屋久船を用いた交易で誼を結んでいる家もあり、特に【堀内氏虎】に肩入れして【新宮行栄】を抑え込む手助けをしていたのだ。また【周参見氏長】は紀伊畠山家に属しており、此度の航海にも協力的であった。
有馬家では当主【有馬忠親】と養子となった甥の【有馬忠吉】の間で家督争いが起こり、同様に安宅家でも嫡子【安宅安定】と叔父【安宅定俊】との間で家督争いがあった。両家は家督争いの影響で没落し、北条水軍衆の後押しを受けた堀内氏の影響化に置かれているのである。
「水軍衆が自信を持って薦めるのであれば、信じても良いかもしれぬな。武蔵守殿の御無事を祈るとしよう」
綱成叔父上と幻庵大叔父上の承認が得られ、二人は快く留守居役を引き受けてくれたのだ。
◆◆
「武蔵守様のお供に側室を伴えぬとは解せませぬ。せめて長野御前と香取御前の二人は連れて行ってくださいませ」
「お松、上洛に側室を二人も連れて行くなど聞いた事もないぞ、遊びに行くのとは訳が違うのだ。皆、戦と同様の準備をしておるのだぞ」
「かつて木曽義仲公は巴御前を伴い上洛したではありませんか。あの二人ならば嬉々として戦場に向かうと存じます。それに御本城様のお世話に女手も必要ではありませんか」
「普段から小姓がおるし、此度は喜平次や小十郎も連れて行くゆえ、いつもより多いくらいじゃ。それに幸と稲に身の周りの世話ができるのか」
「………」
お松が黙り込んでしまった。脳筋の二人に身の周りの世話などできるはずも無いのだ。
「侍女を付けまする。それぞれ五人もいれば立派に勤めを果たしてくれましょう」
「無茶を申すでない。荷物も多くなるのであろう。侍女だけではなく、護衛も必要ではないか」
「あの二人に護衛などいりませぬ。それに夜伽の勤めはどうするのです。妾の知らぬところで、側女を召すなど許されぬ事にございます」
「解った。解った。二人の同行を認めよう。されど侍女はそれぞれ二人までじゃ」
「解って頂けたのなら結構でございます。心苦しいですが、侍女の一人は仙洞院でもよろしゅうございますか。近衛家の姫様を見定めて貰わねばなりませぬ」
「いや、流石にそれは不味いだろう」
仙洞院は越後国主であった長尾輝虎の姉であるのだ。北条家には越後ゆかりの者達も多くなっていた。下手な扱いは不味いと思われたのだ。
「されど仙洞院殿を伴うのは良き思案じゃ。喜平次や与六も喜ぶであろう。奥向きの差配にも長けておる」
結局、女子衆は十人までという事で折り合いがついた。仙洞院、長野御前、香取御前と七人の侍女を伴う事になったのだ。それを水軍衆棟梁【新納忠景】に伝えると「北ノ方様の仰せでは仕方ありませぬな」と冷やかすように笑って乗船の手配を進めてくれたのであった。
◆◆
船団は速さを重視して五百石級の準大型船四艘を含む、大小合わせて三十隻を超える船団となった。更に伊勢湾では今川家の水軍衆である田原水軍が護衛に加わり、紀州沿岸では堀内水軍の水先案内を受けた。航海は順調に進み二十五日間をかけて和泉大津の湊に入ったのである。
湊に着いて真っ先に面会を願い出てきたのは幸千代の実父・上泉信綱殿と門弟の疋田景兼であった。
「武蔵守様、ご無沙汰致しております。上洛の話を聞き及び、警護役に加えて頂こうと思い馳せ参じました」
「舅殿に警護していただけるとは心強い限りです。幸千代も同行しておりますが、もう会われましたか」
面会はまだとのことで幸千代を同席させるように人を走らせた。
「宇治の道場では多くの門弟を集めていると聞いております。舅殿も恙無くお過ごしでしょうか」
「京は長らく戦乱に明け暮れておりますゆえ、剣を学びたいと志す者も多くございます。近頃は西国からも武者修行と称して道場破りをする者も増えております。日々刺激を受けておりますぞ」
舅殿は嬉しそうに笑っていた。六十の年齢を感じさせぬ精悍さがある。
「舅殿の目から見所のありそうな門弟はおられませぬか。江戸の街も大きくなり、市中で剣術道場も増えております。仕官を求める者も多いのです」
「幾人かはおりましたぞ。されど和泉北条家に推薦しようと思っていた者達が居たのですが、主家再興を願って致仕してしまいました。残念でなりませぬ」
「ほう、どのような者達でしょう。主家再興を望むとは立派ではありませぬか。もしや尼子の者達でしょうか」
「ほう、武蔵守様は東国に在りながら西国の事情までも把握しておられるのですな」
舅殿に見所在りと認められたのは、尼子牢人の横道秀綱とその二人の弟達であった。横道兄弟は松永家に身を寄せていたが、松永久秀の誘いを断り、新陰流の門を叩いたのだという。尼子家再興の望みを諦めていなかったのかもしれない。
「失礼いたしまする」そう声をかけて幸千代が入ってきた。その途端に部屋の空気が張り詰め、肌寒さを感じた。そして、幸千代付きの侍女が「ヒイッ」と声を上げて腰砕けになったのだ。
舅殿が幸千代に向かって殺気を放っているようだ。その耐え難い程の殺気を幸千代は正面から受け止める。やや腰を落とし、少し前屈みになり気迫で殺気を押し返しているようだ。
……こら、こら、父娘の数年ぶりの再会でこれですか。
舅殿がニヤリと口の端を上げるが、幸千代は猛禽を思わせる鋭い眼差しで少し笑みを浮かべながら睨み返している。
……養福院に叱られる時に見せる死んだ魚の目の幸千代ではないのだね。
不意に舅殿が殺気を解いた。部屋の空気が弛緩し、暖かさが戻った感じがする。幸千代は構えを解いて、美しい所作で「父上、ご無沙汰しております」と挨拶した。舅殿は「鍛錬は怠っておらぬようじゃな。武蔵守様をしっかりとお守りせよ」と応じたのだ。
パチパチパチ
門弟の疋田景兼が嬉しそうに拍手して両者の立会いを褒め讃える。景兼の話では舅殿が殺気を放つ事は滅多に無いのだそうだ。
普段は気配を感じさせぬほどの無我の境地で立会いし、相手が気付かぬうちに勝負がつくのだという。景兼も舅殿が殺気を放つ事など滅多にお目にかかれないのだそうだ。
……不覚にもちょっぴり格好良いと思ってしまった。
~人物紹介~
堀内氏虎(?)熊野別当に任じられ三山を統括した。
堀内氏高(?)氏虎の長男。夭逝
堀内氏善(1549-11615)氏虎の次男。熊野水軍を統括。




