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平宰相〜北条嫡男物語〜  作者: 小山田小太郎
平宰相の巻(1567年〜)
107/117

氏政の初陣

 


 1569年春 江戸城 北条氏政


 父上から下がるように促された。けれども、どうしても聞いておきたい事がありました。近衛家の養女となる姫の事が気になっているのです。父上も島津の爺もなかなか教えてくれないのです。そこで一計を案じて私の小姓衆から誰かを京に同行できないかお願いしようと思っているのです。


「父上、上洛には誰を連れて行かれるのでしょうか」


「幕府が新体制となったのじゃ。武衛様(鎌倉公方・足利義氏)と金吾殿(関東管領・上杉輝憲)は供に上洛し、公方様に挨拶したいと申しておった。西洞院時当様も久々に京に行ってみたいと仰せじゃ。伊勢貞運と江雪斎は確定しておる。あとは警護の者じゃな」


「私の小姓の内からも上洛のお供に加えてもらえませんか。上方の様子が知りたいのです」


 父上は「ふむ」と顎に手を当てて思案顔となりました。「若手を連れて行くのか」と呟くと何かに気付いたような顔となり、ニヤリと笑ったのです。


「近衛の姫が気になっているのじゃな。中々見事な策ではないか。小十郎あたりの入れ知恵であろう」


「そんな事はありませぬ」


「顔が真っ赤ではないか。良い、良い。面白い企みであると思うたまでじゃ」


 残念ながら小十郎の策は父上に看破られてしまったようです。片倉小十郎は会津に行った松田康郷の義弟にあたる者です。中々の知恵者で志学院に入門すると同時に父上の肝いりで私の小姓に取り立てられていたのです。


「そなたの小姓からだけという訳にもいかぬな。志学院で学んでいる者を数人連れて行く事としよう。それで良いな」


「はい。ありがとうございます」


「そなたの小姓からは片倉小十郎とする。一門衆からは毛利弁千代にしよう」


「兄の勝千代ではなく、弁千代ですか」


 毛利勝千代と弁千代の兄弟は北条綱成公の孫で長岡毛利家の嫡流です。家督が決まっている勝千代ではなく、弟の弁千代が選ばれました。


「あとは長尾喜平次と遠山松丸はどうじゃ」


「父上、松丸は兄の勇丸と一緒に東堂丸の小姓として駿河に行ってしまいました。志学院にはおりませぬ」

 

「おおっ、そうであったか」


 遠山勇丸と松丸兄弟は東堂丸の傅役遠山綱景の孫です。二人の父である舎人経忠は多々良沼の戦で討死したそうです。母が大道寺政繁に再嫁したので二人は遠山家に引き取られていました。


「ならば小笠原孫増丸にしよう。もう一人は樋口与六じゃ」


「樋口与六ですか。与六はしっかり者ですが、まだ幼いのではありませんか」


「与六は喜平次が一緒に居れば問題なかろう。五人にはそなたから伝えてくれるか」


「承りました。願いをお聞き届け頂きありがとうございます」


 策は看破られてしまいましたが、結果的には五人の同行が認められる事となったのです。


 ◆◆


 箱庭の間から出ると六人の小姓達が待っておりました。彼等は将来的に私の馬廻衆となる者達で主に重臣の次男以下の者達から選ばれているのです。


「新九郎様、御本城様のお許しは頂けたのでしょうか」


 最初に声を掛けてきたのは年長の由良新七郎でした。新七郎は東上野衆の旗頭、由良成繁の次男で三弟の新八郎と共に私の小姓を務めています。


「何とかお認めいただいたぞ。ただ、近衛の姫を密かに調べたいという目論見は父上に見透かされてしまった」


「面目ありません」と小十郎が頭を下げたが、父上が見事な策じゃと褒めていたと伝えると嬉しそうにはにかんでいた。


「誰を上洛させるかは決まっているのでしょうか」と新七郎が問い掛けてきた。


「父上から志学院で学ぶ者の中から五人の名指しがあった。この中からは小十郎だけじゃがな」


「えー、私も行きたかったー」と高橋十点丸が不満の声を上げたが、「駄々をこねるな」と兄の闘将丸に(たしな)められていた。


 高橋兄弟は美浦衆赤備の高橋氏高の子である。更に二人の下にはもう一人緑茶丸という弟がいるそうです。高橋氏高は福島綱房亡き後の軍馬育成責任者なのです。美浦は秩父・佐倉と並ぶ北条家屈指の馬産地となっているのです。


「他の四人に上洛の事を伝えねばならぬ。久々に志学院に戻るぞ」


 そう、志学院に行くのは半年ぶりなのだ。この半年は元服、初陣、新年行事、初の大評定と立て続けに次期当主としての務めがあったのです。しかし、父上から「十五の歳までは学ぶべし」と言われていたので、元服は済ませましたが志学院に戻る事になっていたのです。


「また学問の日々に戻るのか」 とがっくりと項垂れたのは富永猪之助です。猪之助は武門の名家、青備富永一門で槍の名手なのですが、学問は苦手の様です。


 猪之助の様子を揶揄い、皆が笑顔となったところで、護衛の諏訪部定勝と本田正勝に声を掛けて志学院に向かったのです。


 ◆◆


 志学院に到着したのは丁度、夕餉の始まった頃でした。志学院の食事は無礼講となっています。【学院食堂】と呼ばれる広い講堂の中には厨房が併設されており、各自が厨房から御盆を受け取り、指定された長方形の食机に御盆を乗せて食べる決まりなのです。


 御盆と共に渡される番号札によって食机が指定され、様々な者達と言葉を交わす機会になっているのです。もちろん席次の決められた食事の場もあります。季節の節目の祝いの際には食机が取り払われ、御膳が並べられる事になるのです。


「新九郎様、お戻りでしたか。初陣を果たしたと聞いております。御目出度う存じます」


 偶々正面に座った長野彦二郎が祝ってくれた。彦二郎は越後攻めで討死した長野吉業の嫡男で、堂々とした振る舞いは祖父長野業正の若い頃に瓜二つという偉丈夫なのだ。


「祝いの言葉嬉しく思うぞ、されど戦働きも許されず。後備で状況を知らされただけであった。口惜しい限りであった」


「初陣とはそんな物なのでしょう。それに、新九郎様は北条家の嫡男ではありませんか。戦況を知るだけでも充分だと思います」


「致し方ないのは弁えておる。ただ、此度の戦は状況の把握が難しく、全てが解ったのは戦が終わってからであったのじゃ」


「現場にあって状況が掴めぬのですか」と驚きの声を上げたのは、同席していた千葉民部丸である。民部丸は千葉親胤の嫡男で私の従兄弟にあたる。


 気が付けば六人掛けの食机に同席した太田駒千代、小山犬王丸、武田次郎丸が注目していた。やはり戦の話となると興味惹かれるようだ。


 初陣の相手は日光二荒山を領する僧兵達であった。修験者の荒行の場であり行軍が難しい場所だったのだ。北条軍は日光口、桐生口、沼田口の三手に別れて侵攻したのだが、戦線が上野国と下野国に跨がる広域となった為、相互の連絡が取れなかったのである。


挿絵(By みてみん)


「我等の初陣を手助けしてくれたのは太田輝資率いる江戸衆三千であった。江戸衆は結城衆八千と共に宇都宮城から出陣し、大谷川沿いを進軍する事になっていたのじゃ」


 五人とも固唾を呑んで聞き漏らすまいとしている。


「しかし到着してみれば輪王寺は既に陥落しておった」


 日光二荒山の合戦は当初の計画では日光口の江戸・結城衆と沼田口の長岡・北上野衆が戦端を開き、桐生口の本庄衆が中入りし、敵を分断する予定であった。


 しかし、壬生残党の動きが活発になった事で結城衆が慎重に進軍する事になったのだ。一方、真田俊綱率いる北上野衆は進軍に困難を極めた。椎坂峠が夏の雨の影響で土砂崩れを起こし、街道を拓きながらの行軍となったのである。


 それに反して桐生口の本庄衆一万二千の進軍は順調であった。これは足尾鉱山の為に街道が整備されていた事もあったのだ。男体山を望む馬返まで予定を大幅に上回る速さで到着してしまったのである。


 本庄衆が到着すると僧兵達は狭隘な地形を利用した奇襲攻撃を仕掛けてきたのだ。二荒山勢と輪王寺勢に挟み撃ちにされたが、本庄衆を率いる北条氏秀は落ち着いていた。


 他の進軍が遅れている事を察すると、小幡憲重に四千の軍を任せて二荒山勢に対する防衛陣を整えさせた。そして残りの八千の軍勢で由良国繁を先鋒に、千五百の僧兵が籠る輪王寺に攻め入ったのである。


 北条氏秀は時をかけると防衛陣の小幡勢の被害が大きくなり過ぎると判断し、輪王寺に対して強襲を掛けたのであった。輪王寺側は社領の返還を申し出たが、北条氏秀はそれを許さず、【常行堂】【法華堂】を焼き払い、破却したのである。


 北条氏秀は軍を返し、二荒山を目指したが急峻な山道に阻まれ馬を曳いての進軍となった。氏秀は見晴しの良い()()()に陣を敷き、黒髪平に陣を構えた僧兵を迎え撃つことになった。


 ここでようやく真田俊綱率いる北上野衆二千と毛利氏元率いる長岡衆八千が戦場ヶ原に到着していたのだ。本庄衆が僧兵を引き付けた結果、二荒山神社の守りは手薄となっていた。


 北上野衆と長岡衆は難なく中禅寺を制圧する事ができたのである。黒髪平に拠った僧兵達も長岡衆長尾藤景・景治兄弟に攻められ、離散してしまったのである。


「という訳で戦働きをする機会さえもなかった初陣となってしまったのだ」


 目を輝かせて聞いていた年少の太田駒千代や小山犬王丸は「戦働きの様子も知りたかった」と残念そうであったが、年少者の中でも武田次郎丸は少し考えてから質問してきた。


「本庄衆は当初の予定と違う働きをしていますが、問題はないのでしょうか。抜け駆けを良しとすると統制が取れなくなる事もあると学びました」


「次郎丸も良い所に気付いたな。儂も疑問に思い、結城の叔父上に質問したのだ」


 質問に対して秀朝叔父上は【旗頭の責任】について教えてくれた。此度のように戦場の全てを把握できない事態も想定していたというのだ。


 日光攻めに当たり、いくつもの可能性が検討された。机上の作戦と実地の乖離、突発した事態の対処は衆を束ねる旗頭や備大将が判断しなければならない場合もあるそうだ。


 大事なのは【全体の作戦行動を鑑みて、己の部隊の役割を認識し運用をしなければならない】という事だ。今回も相互に使番を走らせてはいたが、連携した動きは取れなかった。


「次郎丸も駒千代も犬王丸もゆくゆくは備大将や旗頭を務めねばならぬ。よく学ぶのだぞ」


「「「はいっ」」」


 ふと周りを見回すと隣の食机でも日光合戦の話となっていた。


 片倉小十郎が落ち着いた声で同席した小田彦太郎や菅谷千丸、清水小太郎、富永孫四郎・孫五郎兄弟に説明していた。実戦の話はやはり興味があるようだ。


 ただ間違いなく日光合戦も志学院の図上演習の課題となる。攻撃側・防御側で如何にすべきであったのか、旗頭・備大将の心構えを皆で検討しようと思ったのであった。

~人物紹介~

◆第五世代、幼名は適当に付けた者もあります。悪しからず。


毛利勝千代(1557生)北条氏舜。作中で許嫁は北条氏康の末娘。

毛利弁千代(1559生)北条氏勝


清水小太郎(1560?)清水政勝。清水康英の次男

富永孫四郎(1554生)富永政家。富永直勝の嫡男

富永孫五郎(1556?)富永家政。富永直勝の次男

富永猪之助(1557生)猪俣邦憲。青備富永一門

高橋闘将丸(1561生)高橋高盛。赤備高橋一門

高橋十点丸(1563生)高橋高忠。赤備高橋一門

◇高橋緑茶丸(1566生)高橋高信。赤備高橋一門


遠山勇丸(1552生)大道寺直英。舎人経忠の子。母は遠山綱景娘。作中では遠山綱景養子。

遠山松丸(1554生)松野大学。大道寺直英の弟。兄と共に東堂丸(今川範康)の小姓。

由良新七郎(1555生)渡瀬繁詮。由良成繁の次男

由良新八郎(1556生)長尾顕長。由良成繁の三男


太田駒千代(1561生)太田重正。太田康資の嫡男。妹は英勝院(お梶の方)

小山犬王丸(1563生)架空。小山秀綱の子。母は北条氏康娘

千葉民部丸(1559生)架空。千葉親胤の子。母は北条氏康娘。史実の千葉親胤は若年に暗殺。

長野彦二郎(1556生)架空。長野吉業の子。史実の長野吉業は河越夜戦で討死。

武田次郎丸(1560生)架空。柏崎武田豊信の子。母は北条幻庵娘。


佐野小太郎(1560生)佐野宗綱。佐野昌綱の嫡男。

佐野小次郎(1562生)桐生親綱。佐野昌綱の次男。桐生助綱の養子。

小田彦太郎(1557生)小田守治。小田氏治の次男。

菅谷千丸(1558生)菅谷範政。菅谷貞政の子。小田家の忠臣


長尾景勝(1556生)上杉景勝

樋口与六(1560生)直江兼続。作中で許嫁は宇佐美定勝の孫娘。

樋口与七(1562生)大国実頼

◇樋口与八(1568生)樋口秀兼


片倉小十郎(1557生)片倉景綱。作中で松田康郷の義弟。

小笠原孫増丸(1555?)小笠原長房。小笠原康広の子

本田正勝(?)乱破。史実では葛西城の夜襲に勲功。本作では風間衆。


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― 新着の感想 ―
[良い点] >高橋闘将丸 >高橋十点丸 >高橋緑茶丸 高橋氏高、なかなか傾いている父親ですね。 [一言] なかなかに次世代の人材が網羅され今後出てこないにしても妄想が捗りますね。 志学院の世代とい…
[良い点] 富永猪之助(猪俣邦憲)が志学院で学んでいるという事は、真田昌幸と揉める事は無さそうですね(笑)。 上野国の現状は安定していますし、何より揉めた相手は福島幸村と改名して北条家家臣になってい…
[良い点] 次世代の子弟が登場しました。氏親の妹が嫁いだ千葉氏や小山氏に男子が出来たことは嫁ぎ先にとっても妹たちにとっても喜ばしいことです。 家臣の子弟では高橋氏高と太田康資の子が気になります。史実で…
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