表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
平宰相〜北条嫡男物語〜  作者: 小山田小太郎
平宰相の巻(1567年〜)
106/117

寺社統制と箱庭

 1569年春 江戸城 北条氏親


「江雪斎、寺社領の一覧を記した目録はあるか」


「はい、準備出来ております。北条家が社領の領有を認め、朱印状を発給したものを纏めております」


「それは重畳、内訳は如何程になっておるのか。なるべく詳細な目録が良いのじゃ」


「最も多いのは湯島八幡宮の一万石ですが、これには志学院の九千石と孔子廟、関帝廟の百石が含まれております」


「なるほど、湯島天満宮としては千石ほどとなるか、千石を超える寺社はいくつある」


「五社ございます。鶴岡八幡宮五千石、鹿島大明神二千石、香取大明神千五百石、宇都宮大明神千二百石、永谷天満宮の千石は関東管領上杉家からの二百石が含まれます」


 寺社奉行の板部岡江雪斎が淀み無く答える。関八州と越後の寺社は北条家の統制下に置かれているのだ


「浅草寺は白旗神社の分も含めて五百石、伊豆山権現と箱根権現がそれぞれ五百石。以上が五百石を超える寺社です。日光二荒権現は確定しておりませんが、七百石程となる見通しです」


 日光二荒権現の輪王寺は、僧兵達が北条家の寺社統制に反抗して、昨年秋に一揆を起こしていた。丁度、伊勢貞良殿と明智光秀が上洛した時期である。


 鎮圧には結城衆と長岡毛利衆、本庄衆の合わせて三万が動員された。大軍勢を前に一揆勢は僅か二ヶ月で降伏したのである。江戸衆からも太田隊が出陣したが、北条氏政の初陣でもあったため、直接戦闘には加わっていない。


 江雪斎と随風は寺社奉行衆として江戸衆と共に出陣し、輪王寺との交渉や鎮圧後の収拾にあたったのだ。


「御本城様、やはり上洛せねばなりませぬか」


「気は進まぬが、近衛様も伊勢貞良殿も上洛した方が良いと申しておる。些かやり過ぎたようじゃ」


「頼朝公の顕彰にしても、寺社の統制にしても関東の泰平を願っての行いでありましょう。主上の御心を煩わすようなものではございませぬ」


「前関白の二条晴良様が北条家を警戒しているそうじゃ。まあ、近衛様との権力争いの面は否めぬが、潔白を示さねばならぬ」


「難儀な事にございます。危険はございませぬか。如何程の軍勢で上洛されるおつもりでしょうか」


「大軍勢という訳にはいかぬであろうな。幸いな事に和泉には氏堯叔父上も居るし、伊勢貞良殿や明智も居る。表向きの理由は公方様の就任祝いであるから心配はいらぬ」


「解りました。拙僧もお供仕ります」


「頼りにしておるぞ江雪斎。それと氏政を呼んで参れ、儂が留守の間の事を伝えねばならぬ。先に箱庭の間に行っておる」


「承りました」


 ◆◆


 江戸城の一角に天文館という建物がある。外観は兵糧蔵のようにも見えるが、窓は無く僅かに明り採り用の隙間があるだけの粗末な建物だ。


 しかし、入り口を屈強な門番が二人で固めており、許可の無い者の立ち入りは禁止されている。供の者を下げて人払いをして入室した。


 室内は明り採りから入る光で暗くはない。壁際には十二張の大提灯が並べられており、夜でも十分な明るさを確保できるようになっている。部屋の中央には一辺あたり三間(5.4m)の正方形の木枠が組まれており、木枠の中には地形を模した箱庭が作られていた。


「父上、お呼びと伺い罷り越しました」


「おお、待っておったぞ。氏政は箱庭の間に入った事はあったか」


「いえ、初めてです。思ったよりも明るいのですね」


「そうか、これが何か判るか」


「はい、爺から箱庭の間には日ノ本の地図模型があると聞いております。しかし、日ノ本はこの様な形をしているのでしょうか」


 箱庭の日本地図は北条家でも重要な機密事項である。志学院では仁和寺から取り寄せた行基図を元に描かれた日本図を教材としているため、実際の地図とは乖離があるのだ。


「これは儂が早雲寺にあった頃、八幡大菩薩様の夢に出てきた地図なのじゃ。早雲寺の庭に地図を作ったら幻庵大叔父に大目玉を食らったものじゃ」


 氏政は儂が怒られたという話に驚いたようだ。早雲寺の庭に行基図を元にした箱庭を作り、夢の記憶に合わせて皆で修正を加えて日本地図を作ったのだ。それが幻庵大叔父の知るところとなり「機密に関わる事を庭に描くとは軽率ですぞ」と大騒ぎになったのだ。


 日本地図は小田原城内に移されて、風間衆によって検証がなされた。測量も行われたが技術的に正確な測定はまだ難しいようだ。それでも当代で最も精巧な地図であるはずだ。


「江戸と小田原の場所は判るか」


 質問を投げかけると氏政は嬉しそうに「はい」と答えて正確な場所を指差したのだ。続けて支城の位置や河川と街道の様子、周辺諸国の勢力と予想される動員戦力、更に京や堺の場所を教えていった。氏政は一言も聞き漏らすまいと真剣な表情であった。


「気を張っておるようじゃな。すぐに全てを覚えられるものではないから心配せずとも良い。支城を預かる者達はこの地勢を把握しておる。困ったら皆を頼れば良いのじゃ」


 主要な支城には箱庭日本地図を書き写した屏風絵が置かれており、備大将級の者達は領国の様子を俯瞰的に捉える事ができるようになっているのだ。


「それで良いのでしょうか。先の評定で上洛せねばならぬと父上は仰せでした。父上が不在の間、当主の務めが果たせるか不安なのです」


「心配せずとも良い。儂が上洛する間は陣代として幻庵大叔父上と綱成叔父上が江戸城に詰めるのだ。何事も二人に相談したら良い」


 氏政は「はい」と答えたものの表情が固いままであった。逡巡した後に何故上洛しなければならないのか尋ねてきた。


「北条家の寺社に対する政を公家衆が怖れたのじゃ。日ノ本を誰が治めておるか判るか」


 急な問い掛けに氏政は戸惑っているようであったが「武家の棟梁たる公方様です」とすぐに答えた。


「半分正解じゃ。日ノ本の政は公方様が取り仕切る事になっている。しかし、京には帝が在わす。帝をお支えする公家衆も日ノ本を治めている。不思議とは思わぬか」


「よく解りませぬ。爺は帝には権威があると申しておりました。公方様は武家の棟梁として、帝の権威を譲り受けて政を行なっているのですよね」


「今はそうじゃな。遥か昔は帝と公家衆が政を行なっていたのじゃ。公家衆から政を武力をもって奪ったのが、当時武家の棟梁であった源頼朝公であり、北条家なのだ」


 源頼朝の登場により世俗の権力は武家に移った。これに異を唱えた上皇に対して【朝敵】とされながらも立ち向かったのが北条家なのだ。


 しかし、民の心を安んじる神仏の教えは武家の力も及ばなかったのだ。帝を中心として政を行う【朝廷】と将軍を中心として政を行う【幕府】が並立する時代となったのである。


「寺社の総本山には親王様や公家衆の子弟が別当として入っている。朝廷の持つ権威の一つが寺社を統率するというものだ。それ故に寺社への介入は制限されているのじゃ」


「なんとなく解りました。しかし、北条家は寺社と争う事もあります。それが朝廷に刃向かうという事なのでしょうか」


「朝廷に刃向かったと疑っている者が公家衆の中におるのかもしれぬな。誤解を解かねばならぬ」


「疑いを晴らす事ができましょうか」


「地方の寺社には朝廷の権威が及ばず、勝手気儘な破戒が行われている。北条家はそれを正しているだけだと申しあげる。公家衆には近衛様も居られるゆえ、心配せずともよい。納得したなら下がるがよい」


 氏政が安堵した表情を浮かべた所で下がるように促した。


~寺社紹介~

◆湯島天満宮◆作中では八幡様を勧請し【湯島八幡宮】となっています。北条家直轄の志学院と孔子廟・関帝廟を含めた学園都市となっています。

◆鶴岡八幡宮◆北条氏綱が再建。作中では主人公が八幡様の言葉を預かる者となっています。説明に困ったら八幡様のお導きとして煙に巻く事になりますw

◆鹿島神宮◆香取海を挟み香取神宮と対をなす常陸国の一宮。戦国期には大掾氏一族の影響下にあるのかもしれません。

◆香取神宮◆鹿島神宮と対をなす下総国の一宮。鹿島と共に剣術が盛んな所です。作中ではカトリーネ&カトリーヌの出身基盤です。

◆宇都宮二荒山神社◆日光と並ぶ二荒山神社の古社。作中では宇都宮広綱の隠棲先となっているかもしれまん。宇都宮氏は宇都宮二荒山神社の社家から武家に転身しています。

◆永谷天満宮◆作中では北条領における天神様の総本社の位置づけです。宅間上杉家に縁が深く宅間氏が関東管領となった本作では信仰を集める事になりました。

◆浅草寺◆作中では江戸城の鬼門を守る護国寺。源頼朝を祭った白旗神社を併設。

◆伊豆山権現◆源頼朝から関八州の総鎮守」とされて鎌倉武士の信仰を集めた寺社。

◆箱根権現◆北条幻庵が別当を務めた。幻庵の所領が北条家の中で突出していたのは寺社対策も含まれていたのではないかと妄想してます。

◆日光二荒山神社◆江戸時代には日光東照宮として整備されます。戦国期の輪王寺は多くの僧兵を抱え、壬生氏の傘下に入っていたようです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 遂に上洛となれば信長にも会うのかな 今のところ武田の存在が牽制となって、直接対決は想定し辛い状況ですが、天下に対して問答をする信長と氏親とか この機を逃せば南伊勢侵攻で、敵対関係が始まるで…
[気になる点] 比叡山焼き打ちの話が今後あるという事は、朝倉義景の敵対と浅井長政の離反はほぼ決定的という事になるのでしょうかね? 但し、比叡山焼き打ちの描写で問題になって来るのは、避難していた周辺住…
[良い点] 遂に氏親が上洛することになりました。現段階で北条氏は日本でもっとも勢力の大きい大名の為、都では幕府や朝廷での影響力が強く、たとえ氏親が望まなくても様々なトラブルに巻き込まれそうです。 [気…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ