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平宰相〜北条嫡男物語〜  作者: 小山田小太郎
平宰相の巻(1567年〜)
105/117

近衛家の養女

 1569年春 高野山 畠山盛淳(もりあつ)


 薩摩に居る父上から還俗せよとの文が届きました。三歳の時に薩摩大乗院に入門し、紀州根来寺で八年、昨年高野山に移り修行をしてきた身からすると武家としての務めが出来るのか甚だ不安になります。すぐさま身の回りを整理し、一緒に修行してきた先達に別れの挨拶をすることにしたのです。


「謙信殿、短い間でしたがお世話になり申した。この度、父の命で還俗する事と相成りました。お別れの挨拶に来た次第です」


 謙信殿は拙僧が入山する二年前から高野山で修行されているそうです。根来寺から移ってきた拙僧を導き、共に修行に励んだ先達であります。謙信殿は北国の生まれで、当初、比叡山にて修行をされていたそうですが、比叡山の行人達の乱れきった振る舞いに嫌気がさして、高野山に修行の場を移したのだそうです。


「そうか、残念であるな。還俗して武家になるのか」


「はい。薩摩の島津家に仕える事になりました」


 拙僧の生家は薩摩島津家に仕える畠山家です。日向守護として下向した畠山直顕(ただあき)公を家祖とし、島津家に降ってからは志布志城を領した伊作島津家に仕えていたのです。


「薩摩とはまた遠いところであるな。そなたの無事を祈っておこう」


「いえ、父からの文では畿内に残る事になっております。島津家の姫君が近衛家の養女となり上洛する事になり申した。姫君の護衛役と畿内の案内役として拙僧に白羽の矢が立ったのです」


 近衛家の養女と聞いて謙信殿の右眉がピクリと動きました。


「近衛家であるか。難しい務めであるな……」


 そう言うと謙信殿は押し黙ってしまいました。ひょっとしたら謙信殿は近衛家と因果があったのかもしれません。


「謙信殿は武家の出であるとお見受けいたします。武家の務めとしての心構えをご教授いただければありがたいのですが如何でしょうか」


 謙信殿はしばらく瞑目してから重い口を開きました。


「儂は武家の者達の自分勝手で我儘な態度に嫌気がさしておった。しかし、比叡山に行き仏門の者達までも気儘な振る舞いをしている事に呆れるばかりであったのだ。今の世の有り方は間違っておる。そなたの如き清廉な者であれば相手が誰であれ信頼されよう。心配は要らぬ。ただ、欲に塗れた者達のようにならぬ事を望むばかりじゃ」


「お言葉肝に命じましてございます」


「近衛家の青侍に直江道監という者がいる。世俗の事には関与せぬと縁を切ったが、儂が出家する際に世話になった者じゃ。困った事があれば頼るとよい」


 謙信殿に餞別の言葉を送られて、高野山を降りる事になったのです。


 ◆◆


 堺湊に着くと湊には丸に十字の島津家の船が入港しておりました。船頭に声を掛けると島津家の一行は【角屋】という商家に逗留しているとのことです。角屋は堺会合衆に加わったばかりの新興商家で、青苧の交易で財を成し、南海交易の縁で島津家の御用商人となったそうです。船頭に教えられた角屋に向かうと父上が待っておりました。


「まさか父上が来られているとは思いませんでした。お会いできて嬉しゅう存じます」


「盛淳、息災であったか、儂も姫の供に加えられたのじゃ。姫君は喜入季久(すえひさ)殿と共に京に向かった。儂はそなたを待っていたところじゃ。今日は旅の疲れを癒して明日には我等も京に向かうとしよう」


 姫君と喜入様は近衛家に挨拶に行っているようでした。喜入様はそのまま足利公方様に謁見して、島津家が薩摩を統一したことの報告に上がるそうです。父上は慌ただしく京・大坂での務めを果たしているようですが、召還されたばかりで事情が解らず急かされているような気分になったのです。


「父上、某にも島津家の姫が近衛家の養女となった経緯や姫様の様子を教えて頂けませぬか」


「おう、そうであったな」


 近衛家の養女になったのは伊作島津家の【梅姫】だそうです。伊作島津家は島津尚久様が継承し、尚久様の嫡男で梅姫様の兄でもある島津忠長様が現当主となっておりました。梅姫は島津本家である島津義久様の養女となり【篤姫】と名を変え、島津本家の姫として近衛家の養女となるのだそうです。


 これほど手間をかけたのには理由があって、関東の大名北条家が島津家の海賊大将であった尚久公の姫を次期当主の正室に望んだのだそうです。更に仲立ちを務めた近衛前久様のご厚意により、島津家の姫を近衛家の養女として嫁がせる事になったのです。


「北条家と言えば関東の大大名ではありませんか。何故、島津分家の姫を望まれたのでしょうか。島津本家に適当な姫がおられなかったという事でしょうか」


「いや、そうではない。尚久公は表向きは亡くなった事になっておるが、実際には屋久水軍の海賊大将として明国との交易を一手に担っておる。島津家と北条家が協力して東蕃の地に入植しているのだよ」


 明国との交易は大内家と細川家が行っていたが、両家の衰退によって交易路をめぐる西国大名の争いが激しくなっているようです。島津家と北条家は倭寇勢力を後押しして琉球を経由した航路を構築しているそうです。これに対して博多商人達は南蛮商人と結びつきを強めているようです。大友氏、有馬氏、松浦氏などは耶蘇教の洗礼を受けて南蛮商人を保護しているそうです。


「北条家が交易に注力しているという噂は聞いておりましたが、所詮は坂東の田舎武者と侮っておりました。坂東に在りながら西国大名にも劣らぬほど交易に関心を持っておられるのですね」


「それも当然なのかもしれぬな。長徳軒様が北条家の宿老となり島津家と北条家の縁を結んだのじゃ。儂が姫様の供となったのもそのためじゃ」


 父上は長徳軒様が明国へ留学した際の供であったそうです。幼馴染の気安い間柄だったそうですが、長徳軒様が関東に下った際に薩摩に残り、日新斎様に仕える事になったそうです。遠国に嫁ぐ事になった姫の随伴衆として最も適任だったのかもしれません。


「盛淳、明日には我等も京に向かう。慌ただしいが頼むぞ」


「承知いたしました」


 ◆◆


「おまんさあが盛淳か、良か二才(にせ)でたまがいもした」


「はい、篤姫様はむぞかおごじょですね。困ったことがあれば何でも言ってくいやんせ」


 篤姫様と初めての対面の場は厳粛なものとなるはずでした。ところが姫様の最初の言葉で無礼講の有様になってしまったのです。目をきらきらさせながらお国言葉で捲し立てる九歳の幼女を安心させたいと、思わずお国言葉を織り交ぜて返事をしたのです。少し言葉を交わした後、篤姫様の前を辞すると篤姫様付の女房【山吉局】から声を掛けれらました。


「畠山殿、篤姫様のお世話をする者達としてお話をしたいのです。よろしいでしょうか」


「勿論構いませぬ。ところで山吉局殿は武家の出なのでしょうか。お言葉使いがお公家様とは違うようですね」


「仰せの通りです。夫は近衛家に仕える公家侍なのです。篤姫様は近衛家の養女として北条家に嫁ぐ事になっております。公家と武家両方の作法を学ばなくてはなりませぬ。それゆえ近衛前久様から篤姫様付となる事を命じられたのです」


「なるほど、合点が行きました。公家侍といえば直江道監という御仁をご存じありませぬか」


 直江道監の名を伝えると山吉局は緊張した目つきとなり、硬い声で答えました。


「確かに近衛家に仕える者の中に居りますが、何か問題でもありましょうか」


 山吉局の反応に少し戸惑いながらも謙信殿からの紹介であったと伝えたのです。すると山吉局殿は表情に落ち着きが戻り、ほうとしたため息を漏らしたのです。


「畠山殿が高野山に居られたのを失念しておりました。謙信様のお知り合いだったのですね。直江道監は私の夫でございます。謙信様が心置きなく修行に打ち込んでいる事を聞けば夫も喜びましょう。夫は越後牢人から近衛家に召し抱えられました。それで越後者が北条家に嫁ぐ姫に仕える事をお咎めになっているのかと邪推した次第です」


「配慮不足で申し訳ありませぬ。しかし、越後牢人とは北条家に越後を追われたという事でしょうか。今でも遺恨を抱えておりますのか」


「全くないという訳ではありませんでしたが、上杉家の京都雑掌として夫の労苦を近くで見ておりましたので、今は安堵しております。近衛家に仕えると決めてからには誠心誠意、近衛家の為に働いております」


 直江道監殿は越後上杉家の重臣であったそうだ。前任の神余親綱の替わりとして、上杉家の財政を立て直そうとしていたそうです。しかし、時既に遅く再建の目処は立たなかったのです。本国では神余親綱の横領ということになっていましたが、実際には横領の事実は無く、更迭された神余親綱を呼び戻して必死に務めを果たしていたそうです。


「夫は関東に攻め入ったのは間違いであった。上洛するだけで良かったのだと溢していたものです。上杉家と北条・武田の争いを京から俯瞰して見ることで、上杉家の関東侵攻は無為な戦であったと後悔していたのですよ」


「しかし、争いを避ける事はできなかったのではありませんか」


「さあ、どうでしょう。今となっては何とも言えませぬ。少なくとも北条家との争いは上杉家から仕掛けたものです。ひょっとしたら回避できたのではないか。もし、相手が武田家だけであれば上杉家は互角以上の戦いができたのではないかと夫は申しておりました」


「山吉局の事情は解りました。されど篤姫様は島津家と北条家を繋ぐ大事な姫です。近衛様の人選に異議を申し立てる訳にはいきませぬが確と見極めさせて頂きます。宜しいな」


「望むところにございます。近衛様にもお誓い致しました。篤姫様が近衛家の養女として、島津家の姫として恥ずかしくないように、そして心を安んじられますように身命を賭してお仕え致しまする」


 釈然としない気持ちはあるが、山吉局の覚悟を確かめる事ができたのは幸いだったのかもしれない。すぐにでも直江道監殿とも面談して性根を確かめなければならないと感じた。姫様の随伴衆というのは思いの外、気苦労が絶えない務めなのかもしれない。

~人物紹介~

畠山盛淳(1548~1600)史実の長寿院盛淳。関ヶ原の戦いで島津義弘の影武者を務め討死。

畠山頼国(?)盛淳の父。畠山昭国の子。紀伊畠山家庶流と伝わるが本作では日向畠山家の子孫としました。

喜入季久(?~1588)島津一門。島津家の外交官として足利義昭に謁見しています。

島津篤姫(1560?~1584)名前は架空。史実では法号「梅窓妙芳」島津尚久の次女。島津忠長(1551生)の妹。喜入久道(1559生)の室


謙信(1530~1578)高野聖。謎の修行僧

直江道監(1509~1577)直江景綱。名前は戒名「固岳道監」から

山吉局(?)直江景綱の二人目の継室。山吉政応の娘?


~用語解説~

青侍:公卿の家に仕える青色の袍ほうを着た六位の侍。

二才にせ:若者の事。年少者は稚児と呼ばれます。

おごじょ:お嬢さん


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― 新着の感想 ―
[一言] 謙信(上杉輝虎)が、高野山にいて畠山盛淳(長寿院盛淳)に影響を与えたという内容であるとなると、今後深覚坊応其(木食応其)が登場するのかどうかは不明ですが、応其が登場するのであれば彼にも何らか…
[一言] いやあ嫡男の嫁は私も義輝の長女にして、天下禅譲を図るのかと思ってましたが、南海交易の強化の為、島津との婚姻とは想像の埒外でした。 謎の僧、謙信。一体何軍神なんだ…… 直江をはじめとした旧…
[良い点] 長寿院って畠山姓だったのか、知らなかった それにしてもまさかの謙信公が高野山に居るとは 薩人マシーン×軍神様の混ぜるな危険が起きるかと思ってドキドキしましたw
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