ヒトの退化した街
尾骨。
有名な話だが、人間に残るかつて尻尾だった痕跡をそう言う。
つまり、人間の尻尾は退化してしまったのだ。
このようにかつてあった器官が退化してしまう現象は頻繁に見られる。光の届かない地下で生活する生物には、目が退化したものが多数いるし、地面を歩行する鳥の翼だって退化している。
これは生物の話だが、或いは、普通は生物とは捉えられない“社会”においてもこの退化は起こるのかもしれない。
その街に入ってしばらく車を走らせたが、人を一人も見かけなかった。もっとも、それは当り前の話だ。何故なら、その街の人口は限りなくゼロに近いからだ。
無人の工場で生産された製品を、無人の自動運転車が都市部へと運んでいく。その為だけにある、人の営みのない無機質に稼働し続ける街。それがこのZ町だ。
もっとも、法律上、今はもうここは“町”ではない。遠い昔に合併して消滅している。慣習上、そう呼ばれているだけだ。
この街の住人はもう数人しかいない。それも無人の病院で生命維持装置によって眠り続ける住人ばかりだ。本来ならば、もっと人の多い地域に移すべきだったのかもしれないが、本人達がそれを拒絶した。今もそれが同じかどうかは分からないが、いずれにしろ意識を失ってしまっている為、確かめる事はできない。或いは今でも彼らは他の地域に移動する事を拒絶するのかもしれない。
ただし、それはこの地域を愛しているといったような美談ではない。
この街は、随分と昔に過疎化に苦しんでいた。だから、工場の建設が決まった事は、この街の住人達にとって僥倖であると言えるのかもしれなかった。街の住人達はその決定に大いに喜んだ。工場が出来れば、人が来る。人が来れば生活者が増える。それは、当たり前に地域の活性化に結び付くと考えられたからだ。
ところがそうはならなかった。
前述した通り、そこに出来たのは、無人の全自動工場だったからだ。
ただし、それでも税収は増えた。その増えた税収を使って、街は住人達の生活支援を行う事に決めた。それは当初は少しでも多く外から街に人を呼び込む為の政策だったのだが、直ぐに主旨は変わってしまった。
それは街の住人達の貴重な収入源となったのだ。
過疎化の進む地域に住む彼らの生活手段は限られている。再び地域活性化の活路が見出せないのなら、その生活支援で生活するより他なかったのである。
そして、それによって状況は変わってしまった。以前は必死に人を呼び込もうとしていたが、それをしなくなる。それどころか、むしろ人を拒絶するようにすらなった。
理由は簡単だ。
人が減れば減る程、一人分の生活支援は増える。つまり、彼らの生活の質は良くなるのである。
当然ながら、街の人口は減り続け、そのうち、慎ましい生活であるのなら、生活支援だけで充分な暮らしができる額にまで達した。つまり、彼らは労働する必要がなくなったのだ。
無人の工場で働いているのはAIやロボット達だ。その税収で暮らす彼らは、機械に養ってもらっていたと言えるだろう。
――そして、
そのままこの街の人口は減り続け、今では消え去る寸前にまで至ってしまったのだ。
もし仮に“社会”をヒトや作物、牧畜、そして機械達との共生生物と見做すのであれば、今のこの社会からはヒトが退化してしまったと言えるのかもしれない。それが機械化の究極の行き着く先という訳だ。
……さて。
これから先の遠い未来、この街と同じ現象が、地球全体の社会で起こる可能性は果たしてゼロだと言えるのだろうか?
或いは人類は、このような静かな滅亡に向って進んでいるのではないかと私は少し想像してしまう。
……ほんの酔狂で、車を停めると私は無人工場の一つに足を踏み入れてみた。すると、数分後にロボットが私のもとにやって来た。追い出されるのかと思ったが、意外にも「何か御用でしょうか?」と話しかけて来た。
少し迷ったが「実はお腹が空いてしまって」と、言ってみると、ロボットはパンを運んで来てくれた。非常食なのだろうが、充分に美味しかった。恐らくは、この街の“人の生活を支援する”というシステムはまだ活きているのだろう。
そして、こうしてもてなすべき人々がいなくなってしまった今でも、人間を待ち続けているのだ。まるで、かつてあった器官の痕跡のように。




