第八話「大阪星」
黒猫保護条令
第八話「大阪星」
ビラリーが死んだ。
久利人と同じ年に生まれ、ずっと同じ時間を生きてきた雌の黒猫。
少年の半身であり、心の支えだった。
少年の心に空いた穴の大きさは、想像に余りある。
「ゲホッ!ゴホッ!」
涙をこらえて咳き込む。
感情は殺すように、涙は見せぬように叩き込まれている。
それでも少年は、愛猫のこととなると行雲流水のごとくとは、行かないのだ。
少年の心は乱れ、機能不全に陥っている。
感情が破たんする。
何しろ、これほど悲しいことはないというのに、涙が出ないどころか、表情が能面の様に失われ、悲しみを表現できないのだ。
悲しい。
悲しい。
悲しい。
少年は悲しみに満たされて、悲しみだけになって、そして悲しい案山子になった。
「弔ってやらないと、」
やけに小さく見えるその背中は、VAIO Phone Bizを取り出し、ペット霊園を探した。
志染駅から4駅。栄駅にある様だ。
「遠いな。」
栄駅からペット霊園まで、歩いて小一時間ある。
「やむない。」
まごまごしていてもビラリーが哀れなだけなので、立地に難があろうが、取り敢えずそこに向かうことにした。
まずは火葬で魂を天国へ送ってやり、遺灰は後日引き取りに来ればよろしい。
歩きながら電話でアポを取り、バス停でバスを待つ。
随分と待たされて、バスはやって来た。
乗車時、思わず運転席を見る。そこに、稲妻のタケはいない。
座席を探しても、黒猫保護条令推進部調査室の牟尼はいない。
そして、ビラリーは天に召された。
みんな、みんな死んでしまった。
自分だけが生きている。
背中に悲しみを積み上げながら。
全ての発端は「黒猫保護条令」。なぜそんなものが発令されたのか、怒りがこみあげてくる。
バスの中。少年は何度も愛猫の顔を見る。
その表情は驚くほど安らか。実はただ寝ているだけで、そのうち起きて大欠伸をするのでないかと、そんな気さえする。
だが、その体に触れてみれば現実を知る。体温がない。そこに命は無いのだ。
心の苦痛に抗って、少年は現実と向き合う。
「ビラリー、今までありがとう。」
バスはトコトコと進んでいく。
「ビラリー、今までありがとう。」
その台詞を、さっきから何度口にしたことだろう。心の中で念じた数も入れれば百はくだらない。
口にする度に涙をこらえる苦労を強いられると言うのに。
何度そういっても言い足りない。
そういう気持ちなのだ。
志染駅でコンビニに寄り、ロックアイスを二袋と、新しいタオルを五枚買った。
ケージの底にロックアイスを袋のまま敷き、その上にタオルを三枚重ねた。
タオルの上に死していっそう愛おしい黒猫を寝かせ、亡骸を残り二枚のタオルで覆う。
「ちゃんと、天国に送ってやるからな。」
少年は電車に乗って栄駅へと向かった。
賞金稼ぎの熱血禿、督正義。
久利人を追って新幹線に飛び乗り、今は博多駅。
iPhoneでニュースをチェックする。
「あいつめ、また滅多な事態に巻き込まれよって。」
高速道路でのテロ事件を知る。長距離バスが対戦車ミサイルで大破。
このバスが、久利人の乗ったロイヤルエクスプレスで間違いないと確信する。
「少年は生きているのか?」
ただでさえ、少年Aはそれまでの災難で満身創痍の筈。禿は少年の安否が心配でしょうがない。
禿のiPhoneに着信。知らぬ電話番号だ。
出る。
『賞金稼ぎ。朕が分かるか?』
この声と言葉使い、聞き覚えがある。
ああ、分かるとも。
「痩せ男と一緒に居た、あのじじいか?」
『如何にも。朕が阿羅漢手の頂点、迦諾迦麺痔州人である。』
「痩せはどうした?」
『良久の事は気にせんでいい。』
「気に食わねぇな。痩せを出せ。いきさつはどうあれ、手前が契約をした相手は痩せだ。奴と話をする。それが筋だ。」
電話の向こうでヒヒ爺が声を殺して笑っている。
『そうしたいのはやまやまじゃが、無理な相談でな。』
禿の失われた毛根がざわつく。
「痩せはどうした?…まさか…生きているのだろうな!?おい!!」
『さぁ、どうだったかのう。』
「おい!!」
『それよりも貴様は平李久利人を追っているのだったな。良久がお前と交わした約束、朕が引き継ごう。久利人を倒せ。』
禿のこめかみに、怒りの血管が浮き上がる。
「気に入らねぇ。てめぇらと関わってから、なんもかんもが気に入らねぇ。」
『黙って朕に従え。貴様も自分の身はかわいかろう?』
禿は完全に頭に血が上り、ガードレールを蹴り飛ばした。
自動車の突進をも止めるガードレールの鉄板が、ぼっこりと凹む。
道行く人たちが驚く。
「なめるな!!俺は少年を守って見せる!!命が惜しくて正義の看板背負っちゃあいねぇ!!」
『ならば誰よりも早く、久利人を阿羅漢手で倒せ。それですべてが終わる。』
「いいだろう。その後でてめぇの鼻に割りばし突っ込んで、鼻血3リッターだ。覚悟しとけクソじじい。」
禿の正義の魂は、阿羅漢手に対する怒りに震えている。
『大阪の弩鳴塔にこい。そこが決戦の場だ。』
「大阪だな。」
『必ず来い。』
「おい、」
『なんじゃ?』
「手前が行く前に、遺影をとっておけ。」
禿は駅に戻り、先程降りたばかりの新幹線に飛び乗った。
禿と話をした後、ヒヒ爺の機嫌がいい。
「督正義。良久の後釜に据えてやってもよい。」
路上!!
久利人の妹千枝子と、久利人の幼馴染みケイ子。
向かい合って、一触即発の状態。
お互いに鬼気迫る殺気を、全身から発している。
何故こうなったか?
決戦の地大阪に久利人を呼ばなければならない。
全てはそのミッションが生じた処から始まった。
初手。
ケイ子が懐からFREETEL REIを取り出した。
その所作は極めて自然で、きっとそれを見た誰もが久利人に連絡する役目はケイ子であると、疑うことなく認識したろう。
千枝子を除いて。
次手。
ブラコンの妹はケイ子のREIを手で押し下げ、ポーチからBlackBerry KEYoneのB19解放済みモデルを取り出した。
出荷が始まったばかりの大人気で、プレミア価格がついていた割高な時にわざわざ購入した品。
ハッカーに一週間預けて、日本向けの魔改造を施した、金持ちの道楽品である。
さて、妹の横暴を黙って見逃せば、ことは丸く収まったのだが、幼馴染が右手で千枝子のBBKEYoneを抑え込み、再び左手でREIを耳にあてがった事で、二人の間にいらぬ火花が散った。
妹の目に燃える炎は、本物の殺意。
幼馴染の凍てついた瞳が現わすものも、本物の殺意。
陰と陽。光と影。太陽と月。久利人をめぐる妹と幼馴染の戦い。
これはお互いに血を見ずにはすまぬか。
双方実力を認めているが故、二人の覚悟は”決死”に決まった。
「千枝ちゃん。久利人に伝える話は、重要かつデリケートな内容を含むわ。わかっているわね。」
一旦REIを仕舞ったケイ子は、掛け受けの構えで千枝子と相対する。
「ええ、もちろんよ。だからこそ、兄様のことを誰よりも深く理解している妹が話すべきだってね。」
BBKEYoneをポーチに戻した千枝子は、後ろ重心で、ガードを高く前に挙げたムエタイスタイル。
相手が手ごわいことは百も承知。相手の命をいただく代わりに、腕や足の一本や二本くれてやる覚悟。それが、構えに現れている。
「あら、その理論で量るならば、幼馴染の方が上よ。だって私は千枝ちゃんより二年も長く久利人と一緒だったんですもの。」
ケイ子は千枝子の蹴りを警戒して、大胆には踏み出せず、じりじりとすり足で距離を詰めて行く。
「幼馴染なんて所詮は他人。兄様が隙だらけの本当の自分を見せるのは、血を分けた超可愛い妹の前だけよ。」
千枝子は下段の蹴りで足元を威嚇しながら一定の距離を保つ。ケイ子が焦れて、一気に飛び込んで来た時がねらい目だ。
「あらあら、なんという思い違い。他人である私だからこそ、その中でも…こ、心の波長が合った…(赤面)…お、幼馴染だからこそ…く、久利人は私に素顔を見せるのよ。(顔真っ赤)」
ケイ子は千枝子のうるさい下段蹴りを、膝で受けてそのまま一歩踏み込んだ。
手が届く距離。
千枝子は首相撲にもっていかざるを得なくなった。
「話にならないようね。でははっきり言うわ!」
千枝子は首相撲をしながら膝蹴りを連発するが、全てケイ子の肘でガードされてしまった。
更に上段に隙が出来てしまい、ケイ子に首を取られかける。
とっさの肘打ちで、再び距離をとる。
「幼馴染さん。よくお聞きなさい。”妹のことは妹が決める。兄のことは妹が決める。”それが世の理なのよ!」
ケイ子の脳細胞に衝撃が走った。
何たる傲慢。
それを臆面もなく言い切ってはばからないとは、驚嘆すべき恥知らず。
この期に及んで、千枝子と言う純度100%のキングオブ妹には、どの様な理屈も通じまい。
ケイ子は言ってやりたかった。
”幼馴染は会った瞬間にもう結婚している”…と。
”久利人のもろもろに対する決定権は、幼馴染である自分にある”…と。
幼馴染と言う関係の間には=(イコール)久利人とケイ子の間には、剃刀の刃すら入り込む余地がないのだと。
久利人の世話は神によって全て幼馴染である自分に任されている。これが真理なのだ。
それを無作法な妹に教育してやる必要がありそうだ。肉体言語を以って。
今。
ケイ子は前転をしながら蹴りを繰り出した。
蹴りは距離を詰めるための威嚇。
千枝子は当然、ケイ子の背後をとるように立つ。
背後を取られた場合の対策はケイ子の型の中に組み込まれており、立ち上がりながら半身になって後方に突きを繰り出す。
「兄妹こそ最強の絆!幼馴染などただの他人!」
「幼馴染こそ赤い糸の金剛打ち!兄妹など赤い糸の育たぬ死の砂漠!」
口頭言語と肉体言語で二人の激闘は続く。
そんなおちゃめな二人に、久利人の恋人万梨阿が、右腕で千枝子に、左腕でケイ子に、ランニング式延髄ラリアットをぶちかました。
二人共豪快に吹き飛んでブロック塀に激突、白目をむいて失神してしまった。
万梨阿は冷めた表情のまま二人の顔面をアイアンクローで固め、ぶらんと持ち上げた。
そして両者の体重を使ってゆっさゆっさ、ミッシミッシと鉄の爪を食い込ませてゆく。
「「痛い!!痛い!!痛い!!」」
二人はこの散々な方法によって、同時に覚醒した。
「き、気絶からの覚醒方法は久利人の人工呼吸と決めていたのに。」
口惜し気に歯噛みする幼馴染。
万梨阿は冷めた表情のままため息。
「遂水桃花の卦が出たから案じて来てみれば、案の定愚かなるかな軽挙妄動。」
頭蓋骨をかち割らんほどに決めていたアイアンクローをぱっと解除する。
幼馴染と妹は、どしゃっと地面に崩れた。頭がまだ、キリキリと痛む。
彼女は冷めた表情のまま二人に言葉でとどめを刺す。
「久利人には私から電話しておきました。」
「「えっ、」」
この万梨阿先生のバクザン発言に、二人はぽかんと間抜けに口を開ける。
「「えええッ!!」」
そしてその表情のまま、くわっと目を見開いた。
二人共、誰に譲るものか自分が久利人に電話をするのだと意地になっていた。
自分が久利人と電話をしたかった。
それをっ!
それをっっ!
二人が妄想していたのは、久利人との甘いコミュニケーション。
日常の平穏を切り刻む数奇な運命。命と名誉を危険にさらした一対の男女として、ロマンチックな会話に酔いしれ、心とろける快楽に身を委ねる算段であった。
それを…
「幼馴染だか妹だか知りませんが、男なんて昨日今日会ったばかりの女に、簡単にかっさらわれるものなのです。」
「「ぬうっ、」」
流石、久利人の彼女をやっているだけあって、肝の座った物言いをする。
「男は団子と一緒。お墓にお供えして拝んでいるだけでは、遠からずカラスに盗み取られる。それが嫌なら今すぐ食ってしまえ。」
「「そこまで言うか!」」
二人は驚愕した。
冷めた表情とテンションのか細い声から、「食ってしまえ」なんてどすの効いたセリフが発せられるとは。
「ふ、フン。」
ケイ子が乱闘でずれた眼鏡をかちゃりとかけなおした。
「あなたと久利人が長続きするだなんて到底思えません。久利人が人生という旅の果てに返ってくる場所、それは私です!」
顔を真っ赤に茹で上げて、唇が震えるほど照れまくりながら、幼馴染はそう言い切った。
誤魔化し様が無い、完全なる公開告白。
言い放ってしまうと逆に吹っ切れたようで、正妻の余裕を表す笑みをたたえる。それは、久利人は自分のものだと、妹と恋人を恋路の一本道から押しのける勢いを持っていた。
筈だった。
高飛車な妹はこれを鼻で笑う。
「兄は妹の所有物!それが欲しいというならば、力ずくで奪い取ってみせよ!」
千枝子が鶴の構えをとった。
これを見たケイ子は蛇の構えを取る。
上等である。奪い取ってよろしいなら、その通りにしてしんぜよう。
再び、久利人をめぐる女の戦いが始まってしまう。
陰と陽。光と影。太陽と月…
「だから、おやめなさい。」
再び、万梨阿のラリアットが二人を吹き飛ばす。
幼馴染と妹は、クルクルとY字回転で飛び、慎ましやかな戸建て住宅のブロック塀に激突、これを突き破った。
万梨阿の冷めた表情の向こうで、コンクリートブロック(C種)の破片が舞っている。
このダメージは深刻で、二人共唸るばかりでなかなか立ち上がれない。
恋人は訴える。
「二人が争って、無為に時間を浪費している余裕はないのよ。二人は久利人の為に大阪に向かわなければならない。戦いを知らぬ私に代わって。」
”戦いを知らぬ私”…思いがけない人物から、思いがけない台詞を聞いた二人は、目が点になってしまった。
「え?ええっ!?」
「け、ケイ子さん!聞き間違いよ!二人同時に、同じ聞き間違いをしたのよ!!」
「本当は、恋人である私こそ、大阪に駆け付けなければならないのだけれども…」
動揺する二人をよそに、そう言って冷めた表情のままたそがれる万梨阿。
「「だから、あんたこそ行きなさいよ!大阪に!」」
幼馴染と妹の意見が一致した。
二人は命を取り合う仲から、今、手を取り合う仲になったのだ。
妹が万梨阿の右側面に並んで立ち、右腕を固め、幼馴染が万梨阿の左側面に並んで立ち、左腕を固める。
「え、えー。」
表情が乏しく棒読みのセリフだが、万梨阿は冷めた表情のまま困っている。
「「せいのっ!」」
結託した幼馴染と妹は、声を合わせて恋人を担ぎ上げ、えっさ、えっさと運んで行く。
「あーれー。」
向かうは大阪弩鳴塔。
久利人は栄駅を降りて小一時間ほど歩き、ようやくペット霊園に到着した。
「すいません。先ほどお電話差し上げた、平李久利人と申します。」
霊園の受付に行くと、人がよさそうなおばあさんと、筋骨隆々なくせにやけに顔色が悪い青年が並んで立っていた。
青年はケージの中の黒猫の亡骸を見て、ごくりとのどを鳴らした。
「猫ちゃんは、食葬でよろしいですか?」
青年が今一度喉を鳴らす。
”しょくそう”…はてさて聞きなれない言葉だ。
どのような意味なのか、一つご教示願おう。
”しょくそうとは何ですか?”と、単純かつ明確に尋ねるわけである。
「しょく…」ん?言いかけた言葉が止まった。少年は判らないなりにピンとくるものがあったのだ。
そして、もし”しょくそう”が、自分が考えた通りの意味ならば、なんとおぞましいことだろう。
目の前の青年は、猟奇趣味の正当性を嬉々として語る変質者かもしれない。
そういった輩を相手にしたいと誰が思うであろうか?
少年は直観に従い、質問を今一度吟味した。
「しょくそうとは、どういう字を書くのですが?」
青年は「食べるの”食”に、葬るの”葬”です。」と答えた。
ビンゴ!!
感が当たってしまった。
邪拳使いの性なのであろうか?本当に、悪い予感ほどよく当たる。
ここはならぬ!このペット霊園は無しだ!
愛猫ビラリーを食われてたまるか。
「えー。すいません。予約はキャンセルで。」
少年は踵を返して、このペット霊園とのかかわりを断とうと試みた。
しかし、人のよさそうな老婆の手が、少年の肩をがっちりとつかんで離さない。
細く枯れ枝のような腕が、鋼鉄の鎹の様にびくともしない。
「ぬう、」
少年はついに観念をして帰る足を止めた。
老婆が優しく語りかける。
「まぁ、まぁ、その子があなたの猫ちゃんね。なんて可愛らしい。さぞお辛いことでしょう。わかるわ~。その子は男の子?女の子?」
「あの、キャンセルしたい…」
「男の子?女の子?」優しく語りかけてきた。
「キャンセルを…」
「男の子?女の子?」優し…
「キャンセ…」
「男の子!?女の子!?」優しくはなく…
「キャ…」
「男っ!!!!?女っ!!!!?」激しく言葉を投げつけてきた。
老婆の激しい形相に、少年は口を開けなくなる。
青年が「ばぁちゃんの機嫌を損ねんでください。」と耳打ちをしてきた。
ここ数日の旅を思い返して目線が遠くなる。
たまにはまともな人間の相手をしたい。
ああ、牟尼さんは良き大人だった。いつの時代も、いい人から先に死んでしまう。
少年Aは、牟尼の姿を探すように天井に視線を送って唇をかみしめた。
そして少年は、満身創痍の身体に鞭うって、ペット霊園の出口へと全力疾走をした。
この、危険なペット霊園とのかかわりを断つために。
シュバッ!!
疾風のように廊下を駆け抜けたのは、少年ではなく、干からびた老婆であった。
再びがっちりと肩を固定される。
「男の子?女の子?」
こと、ここに至っては、観念するほかは無い。
「ビラリーは女の子です。」
「ああ、やっぱりね。そうだと思ったわ。あのね顔つきでわかるのよ。」
老婆は淀みなく話をしながら、少年の首根っこを握り締めて受付カウンターに連れて行く。
「えーと、お名前はビラリーちゃん。おいくつで亡くなったのかしら?」
「後生ですから、キャンセルをさせては…」
「おいくつかしら?」優しく語りかけてきた。
「なにとぞ、キャンセル…」
「おいくつかしらっ!!!!?」激しく言葉を投げつけてきた。
老婆の激しい形相に、少年は口を開けなくなる。
青年が「ばぁちゃんの機嫌を損ねんでください。」と耳打ちをしてきた。
「…16歳。」
「の、何か月?」
「えー、1、2…7か月です。」
「まぁ、まぁ、それは随分と頑張って生きて、家族の笑顔を作り続けてきたのね。」
「ビラリーは、自分の心の支えでした。」
「わかるわー。気を落とさないでね、なんて無理な話でしょう。ペットロスは、特に初めての時は心に居座り続ける。ふと思い出しては悲しみに沈む。」
「はい。」
「まずはちゃんと弔ってあげないとね。」
「お言葉は理解できますが、食葬には同意しかねます。」
申込用紙を書き進める老婆、その用紙とボールペンを久利人に差し出してきた。
「お名前と住所を書いてちょうだい。」
少年は「キャンセル」と言いかけて、ふと思案した。
どうやら「キャンセル」という単語は、この強情極まりない老婆の逆鱗に触れるスイッチになっているようだ。
「キャンセル」という単語を強烈に受け止めて、カチンとくるのであろうか?
ここはひとつ婉曲語法を効かせた単語を選ぶべきであろう。遠回しの、真綿でくるんだ上にオブラートで包んだような表現。
キャンセルより当たりの優しい言葉。
どの言葉を選ぶのが正解なのだろうか?
「予約破棄で!」
し、しまった。少年は狼狽した。言葉の選択に悩むあまり、死球をぶん投げてしまった。
予約破棄だなんて、キャンセルより強烈な表現ではないか。
「あら?予約を取り消したいの?」
おや?予測していた般若面とはちと異なる様だ。
先ほどとは打って変わって、老婆のテンションが上がる様子がない。
「は、はい。」
少年は恐る恐る肯定をしてみた。
「ひょっとしてさっきから言っていた”キャンセル”って、取り消しの若者用語かしら?」
「若者用語ではなく和製英語ですが、意味はその通りです。」
「あらあら、おばあちゃんキャンセルの意味が解らずに心慌意乱して、テンションが上がってしまったわ。」
「”テンション”はお分かりなのに、”キャンセル”をご存じなかったのですか?」
「あ!?」ガラの悪い老婆の声色。
やばし。老婆の表情が鋭く尖る。
青年が「ばぁちゃんの機嫌を損ねんでください。」と耳打ちをしてきた。
わかっている。わかってはいるのだが、どこに地雷が仕掛けられているのか見当もつかぬ状況下で、それは難題。
兎に角。急ぎ、話を老婆に合わせる方向で修正せねば。
「すいません。”キャンセル”は確かに世代間の断絶に類すると思います。いや、必ずそうです。」
「そうよねぇ~。」
老婆の表情が和らぎ、ほっと一安心。
「ところで、なんで取り消しをしたくなったの?猫ちゃん。早く弔ってあげないと可哀そうよ。」
「はい。自分は愛猫を食葬ではなく火葬で天国へ送ってあげたいからです。」
「食葬って何かしら?うちは火葬しかやっていないけれども。」
「いや、さっきそちらの方が、”食葬”って言ってましたよ。」
少年は筋肉質なのに顔色が悪い青年を指さした。
老婆はぽかんとして居る。
「あー。ばぁちゃんね~ぇ、百歳を超えたせいかたまに意識が途切れてな~あ。大事なところ、聞こえてなかったかもしれんの。堪忍してねぇ。」
老婆は顔の前で手を合わせて謝罪してきた。
青年が「より目になっている時は脳波が異常をきたしている時です。」と耳打ちをしてきた。
少年は”うん”と頷いた。
「成程、ならば話は簡単です。引退を決意してください。先ずは早急にお婆さんの後継者を選定すべきです。さもなくば、このペット霊園は、そちらの方のゲテモノ食堂ですよ。」
青年が小ばかにしたように笑っている。
「流石に引き取った全部は食えませんよ。」
「一匹一頭だって許されませんよ!」
少年は声を荒げた。
老婆が二人のいざこざを抑えるべくパンパンと手を叩く。
「ちゃんと火葬をすればよいのでしょう?」
「はぁ。だから、そこが信用ならないと言っておるのです。」
「ならばあなたが自分の手で猫ちゃんを火葬炉に入れてあげるといいわ。それならば安心でしょう?」
少年はしばし思案する。
ニコニコと柔らかくほほ笑んで少年の返事を待つ老婆に、一切の悪意はなさそうだ。
「はい。それでしたら構いません。自分は茨城県つくば市在住です。猫の遺骨は後日引き取りに参ります。」
「遺骨は持って帰れるわよ。今日は30分後に葬儀があるわ。手続きは後回しでいいから、葬儀の準備をしなさいな。服装は…学生服だしセーフでしょう。」
何故、”セーフ”は知っているのに”キャンセル”は知らぬのだ?この老婆の脳内の和製英語辞書には問題がある。
「お坊様がいらっしゃるから粗相のないようにね。数珠は貸してあげるわ。」
「ちょっと、外の空気を吸ってきます。」
ビラリーの名前と性別、そして年齢は老婆がすでに記入済み。
少年は表に出て、壁に寄り掛かる。
全身の生傷がうずく。
この数日、いろいろな事があった。
死ぬような目にあった。
男の死に様を見た。
ビラリーが死んだ。
もう、うんざりだ。
少年が抱えているのは、愛猫の亡骸が横たわっているケージ。
「ビラリー。本当に、お別れなんだな。」
生まれてからずっと、自分の傍らにあった、この姿が消えてしまうのが嫌だ。
30分後には、白い、わずかな量の灰になってしまうのだ。
心の傷が最も難儀だ。
弩鳴総理か平李家か?
ベテラン刑事の娘咲亨は、消去法で二択の結論を出すことにした。
タンタンメンをすすりながら考える。
阿羅漢手の死神とは、いったいどちらを指し示しているのか?
情報屋の美浦は、どちらを見たのか?
弩鳴洋札総理大臣もしくは平李家。
俄然闇が深く疑わしいのは平李家だ。
恐らく情報屋の美浦は、平李家の闇にのまれて消えた。
そう考えるのが妥当だ。
命を懸けると約束をした美浦には悪いが、娘咲は命を捨てるつもりはない。
そもそも”命を懸ける”と言うのは、どれだけ真剣かを示す言葉のあやで十分なはずだった。
虎穴に入らずんば虎子を得ずとは言うが、不用意に虎に食われるつもりはない。
「先ずは十分に調査をし、相手が逃げも隠れもできないほどの証拠をそろえることが肝要なのだ。」
両者への疑いは、自称阿羅漢手研究家木町の類推による。
まだまだ、か細い線だ。これを野太いしめ縄にせねばならない。
それは死神を生け捕る、霊験あらたかなしめ縄だ。
疑いは両者にかかっているが、国民の信頼が厚い弩鳴総理が黒なわけがない。
初手は、弩鳴総理の白を確認し、平李家一本に絞ることであると考えた。
すなわち消去法だ。
娘咲のNexus 4にメールが飛んできた。彼の部下からだ。
”娘咲さん。
弩鳴総理が推し進めている、黒猫保護条令の機密資料を添付ファイルの通り送ります。
読んでいただけますか。
どうも、妙なんです。
気になったところは、文字色を赤にしてアンダーラインを入れてあります。
この資料は非公開です。取り扱いにはご注意を。”
ベテラン刑事の心がざわつく。
火の気がないところに煙は立たない。
その理屈にのっとれば、弩鳴総理の周辺には何の異常もない筈だ。
弩鳴総理が指揮する黒猫保護条令の資料ならば、線香の細い煙すら立入りがはばかられる潔癖さの筈だ。
黒猫保護条令が妙?
弩鳴総理が妙?
馬鹿な。
先ずは資料に目を通す。
細かくは多々あるが、目立つのは”すべての雄猫の虚勢”と”黒猫の輸出入の禁止”だ。
この措置により、日本国内の黒猫はその寿命をもって全滅する。
これは、黒猫を保護する条例ではない。
その事実を、弩鳴総理は公開していない。
「煙が、立ってしまった…」
もし、この件で内閣不信任決議を行ったら?
黒猫に対する不手際で、よもや可決には至らないだろうが、誰にでもわかりやすい動物虐待、弩鳴総理への不信感は強まるだろう。
それは、聡明な弩鳴総理自身がよく心得ている筈だ。
阿羅漢手が黒猫を凶兆とみなしているのは、良く知られた事実。
黒猫⇒阿羅漢手⇒弩鳴総理。
闇の糸が繋がってしまった。
弩鳴総理が阿羅漢手と結託し、暗躍している可能性。
ゾッとした。
部下にメールの返信を送る。
”下手に動くな。
先ずは内閣の協力体制を強化するのだ。
死の危険があることを心得よ。”
「もう十分だ。誰も死なんでくれ。」
美浦の無念を思う。そして麺をすする。
「それにしてもタンタンメン、辛いな。」
大坂、弩鳴塔上空。
大型輸送用ヘリコプターCH-47Jが3機飛来した。
ヘリコプターからはロープが下ろされた。
下で待ち構えていた職員が、ローターが巻き起こす風で暴れるロープにしがみついてキャッチ。
弩鳴塔屋上にある、室外機侵入防止柵の枠に固定した。
ロープを伝って、阿羅漢手の道着を着た男達が、次から次へと降りてくる。
3機のCH-47J合計で、その数百名。
麺痔州人が洋札に約束した人数だ。
地上58階の弩鳴塔。
その最上階は弩鳴洋札のオフィス。
弩鳴洋札は自席に深く腰掛け、迦諾迦麺痔州人はその前にあるソファーにごろ寝をしている。
内線電話が入る。
『阿羅漢手の獅子百名。只今到着しました!』
「手筈は判っているな。」
『はい!』
「では、総員配置につけ。」
洋札は、大型液晶テレビSony BRAVIA Z9D 100型で、思い出の4Kビデオを再生した。
幼い子供たちを愛でる、優しい微笑みをたたえた美しい女性が映っている。
「丹亞…」
洋札の愛おし気な微笑み。
麺痔州人は狸寝入りをしていて、洋札の姿を薄目を開けて見ていた。
「もうすぐだ。もうすぐ全てのけりが付く。阿羅漢手からは闇の部分が取り除かれ、私を悩ませてきた黒猫との因縁も終わるのだ。それが成されるならば、私は今まで積み上げて来たもの全てを失ってもかまわない。」
58階の窓から地上を見やる。
阿羅漢手の道着を着た男達が、続々と弩鳴塔一階エントランスから出てくる。
内線がかかってきた。
洋札はゆっくりと自席に戻り、12回目のコールで受話器を取った。
『忍者部隊、配置完了。』
58階の窓から川沿いに橋を包囲する戦車の隊列が確認できた。
「そうか。」
大きく深呼吸。
洋札は何やら強い決意を秘めた面持ちで専属の弁護士に電話をした。
「例の秘密証書に従って、財産と権利の全てを息子の芭良に譲り、私の名を弩鳴家から抹消する。直ちに手続きを始めてくれ。」
麺痔州人が、今しがた起きたばかりという演技で洋札に問う。
「すべてを捨ててしまったな。」
「丹亞に会いに行くなら手ぶらが良い。御安心召されい。すべてが終わった暁には、師父は再び阿羅漢の玉座です。」
洋札が「フン!!」と気合を入れると、ブリオーニのスーツがはじけ跳び、彼はふんどし一丁の姿となった。
落ち着いた照明の中、ブロンズ像の様に見事な肉体が金色に浮き上がる。
麺痔州人が顎を撫でながらいやらしく笑う。
「理論、精神、機材、薬品、食材。その全てを金で買った、金で作られた黄金の肉体。ふぉっ!ふぉっ!見事よの。」
ヒヒ爺の嫌味ったらしい物言い。
「否定はしません。」
確かに盟友呂舵夢とは異なり、洋札は有り余る金で肉体を作り上げた。
彼は、ウェスタンオンタリオ大学から招いた教授を筆頭に10名からなる、自分のためだけのスポーツ医学チームを所持している。
彼は、嵩山少林寺など世界の名だたる体術の中枢から師を招き、格闘家として理想的な精神を造り上げた。
彼は、弩鳴塔の50階と51階をぶち抜いて、自分のためだけのトレーニング施設を作った。
彼は、法律で禁じられているものも含み、肉体改造に効果のあるあらゆる薬品を用いた。
彼は、スポーツ医学チームと協力して働く、専属の栄養士を抱えている。
彼の肉体は、黄金でできている。
洋札がテーブルの天板の下の隠しボタンを押すと、床からガラスケースがせり上がってきた。
ガラスケースの中には一着の阿羅漢手道着。
洋札は拳でガラスを殴り割って、ケースの中の道着を鷲掴みにした。
武蔵小杉駅の駅中で、美味いさぬきうどんに舌鼓を打って居た娘咲。
トッピングは煮卵のてんぷらと、レンコンのてんぷらを選んだ。
彼の使い込んだNexus 4に彼の部下から緊急の電話が入る。
曰く、大阪に阿羅漢手の猛者と忍びの者が集結し、物々し様相を呈しているという。
ベテラン刑事の頭の中が真っ白になる。
最早、警察が対応可能な範疇を超えている。
「弩鳴総理。アンタ、大阪を戦場にするつもりですか。」
ベテランの感が叫ぶのだ。放っておいたら大惨事になると。
「考えろ。大蛇の全身は相手にできない。頭を潰すのだ。大蛇の頭は弩鳴洋札か?平李呂舵夢か?いいや…阿羅漢手の闇の元凶、それは迦諾迦麺痔州人だ。」
何でもいい、どんな些末なネことでもいい、麺痔州人に難癖をつけられるネタはないのか?
娘咲は自称阿羅漢手研究家の木町を頼って電話をした。
自称研究家曰く。
『重要文化財である独鈷杵が盗難にあったにもかかわらず、被害届を出していないどころか文化庁長官への届け出もなされていない。この異議申し立ては阿羅漢手財団が準備をしていると言う情報だが、とんと動きが無い。』
「阿羅漢手財団の担当者の名前は判りますか?」
『花園ジェニファー。美人だと評判だ。』
「有り難う御座いました。今度、飛騨高山の美味い醤油ラーメンを持ってお礼に伺いますよ。」
ベテラン刑事は茨城県警に電話をしようとして、ふと思案した。
「公安を動かそう。もう一刻の猶予も無い。」
つくば市街、阿羅漢手財団本部。
ジェニファーは公安を目の前にして、くすりと笑い、両手を挙げた。
「降参よ。」
公安は作成中であった阿羅漢手本堂棚卸の書類を押収。
USBペンドライブにコピーするとき、書類の作成者として、鹿淵陸男の名を見つけた。
公安職員の目が光る。
「この鹿淵さんとは会えますか。話を聞きたいのです。」
ジェニファーは首をすくめる。
「それが突然顔を見せなくなって、連絡が取れないのです。」
全く白々しい。
調査に来た公安の三人は、顔を見合わせて頷いた。
やくざの様な表情で、ジェニファーに詰め寄る。
「鹿淵さんはどこです。」
「私が聞きたいくらいです。おかげで書類作成が滞っているのです。」
ジェニファーはまだ、余裕の表情を見せている。
公安の表情が苛立ちに引き攣る。
この変化に、ジェニファーの余裕は失われてゆく。
公安は表情だけでなく、声色までもやくざめいてキレる。
脅しのポーズではなく、事実、キレている。
「公安を舐めんでいただけますか。」
どすの効いた瞳が、お嬢様育ちの美女を睨みつける。
「ひっ!」ジェニファーの表情は恐怖に引き攣る。
「鹿淵。生きとるのですか?」
公安の追及にジェニファーの目は泳ぐ。
もう、白状してしまうしか無い。それでも、自分だけは助かりたい。どういう白状の仕方が適切か、どこまで知っていることにするのか、必死に考える。
タクシーの運転手とラーメンの話で盛り上がり、運転手行きつけのラーメン屋に寄り道しようという話になった娘咲。
彼に公安から電話がかかってきた。
『これから迦諾迦麺痔州人を押さえに向かいます。娘咲さんも来ますか?』
公安の行動が早い。
これは、話が悪い方向に転がっている証だ。
もう、この案件は、自分の能力の及ぶ範囲にはないのだと思う。公安に任せるべきだ。
だが彼は、こう答えていた。
「そうですね。私が追っている、鹿淵という詐欺師の情報が得られるかもしれない。」
何故、自ら似合わぬ戦場に向かうと口走ったのか、彼自身にも分からない。
『鹿淵。そいつなら、たぶん死んでますよ。』
あっさりと伝えられた公安からの情報に、不意を突かれた。
「え?」
『鹿淵の件でしたらこちらにも用がある。後で報告書のコピーを送りますよ。娘咲さんがそれで十分なら、来ない方がいい。』
詐欺師の鹿淵。
それと、
情報屋の美咲。
自分が殺したも同然だと、娘咲は後悔した。
自分だけ安全なところに居て、他人を危険な目に合わせて、捜査を進めようとした。
その落とし前はつけねばならない。
「いえ、やはり行きますよ。鹿淵の他にもう一人、行方知れずがいるのです。我関わらずと云う訳にはゆきません。」
「大阪…」
万梨阿の占いを聞き、少年Aは言葉を失った。
少年は、大阪にだけは生涯行かないだろうと思っていた。
日本であって日本ではない、事実上の治外法権の地。
地球であって地球ではない、事実上の治外法権の地。
少年は本屋で「大阪人、地球に迷う」なる本を発見して、大阪の何ぞやを理解した。
その本は一文字も読まなかったのだが、題名だけを見て十を知った。
大阪は、惑星レベルで別モノなのだと。
少年は、大阪の地を踏むという恐怖に震えた。
「大阪星人のあいさつは確か、そう…”儲かりまっか?”、”ぼちぼちでんな。”だ。」
大阪の流儀を逸したら、コンクリート詰めにされて淀川の河口に沈められてしまうかもしれない。
あそこには何千、何万という罪なき人のコンクリート詰めが、テトラポットの様に気安く沈められていると言う。
また、大阪星人は南に行く程、凶暴さを増すと言う。
例えば他の星からの来訪者を迎える場合、北方の大阪星人は「おいでやす。」と笑顔を見せるが、南方の大阪星人は「よう来たな、ワレ。」とガンをくれるらしいのだ。
目的地の弩鳴塔は大阪星の南にある。
ぬぐいきれない不安を抱きながらも、少年は大阪星という異空間に、死を覚悟してその身を投じる決意をした。
万梨阿の占いに従い、すべての決着をつけるために。
久利人を乗せた新幹線は軽快に新大阪駅に向かっていた。
その音が聞こえるまでは…
キイイイイィィィ!!!!コアアアアアアアッッ!!!!
ジェットエンジンの音が近づいて来る。
空からか?いや、もっと低い…
ドオオオオアアアアアッッ!!!!
新幹線に一両の列車が追いついて来て並走。
異端なるその姿。乗客は窓ガラスに顔を張り付けて見ている。
後端にジェットエンジンを搭載したイカレた列車。旧ソビエト連邦が誇るER22だ!!
「母さん…」
ER22の先頭の屋根には努力子が立っていて、忍刀を手にして居る。
「とうっ!!」
努力子は宙を舞い、久利人の二つ前の席の側壁を忍刀でたたき切り、列車の中へと押し入ってきた。
そして、しゅたっと右手を振り上げた。
「やほー。久利人、元気ぃ。」
「そんな息子のワンルームに様子見に来ましたみたいな、軽いノリは止めろ!」
「やだなー、もー。うちが何しに来たか、分かっているくせにぃー。」
母は息子の頬っぺたを人差し指でフニフニと突っついた。
「早く小動物を出して、用を済ませて帰ってください。あのER22、下り側線路を上っているではないですか。早くどかさないと、下りの新幹線と正面衝突ですよ。」
「ああ、大丈夫、大丈夫。」
母はけらけらと笑って居る。
「TM-1-14 356mm列車砲を先行させているから。」
「それ、新幹線を撃破しているって事ですよね!?より一層ダメじゃないですか!!」
「あら、あら。親に意見をするなんて、久利人も大きくなったものね。」
「無用な感慨にふけってないで、早く物騒な列車を片付けてください。人の命が大量に失われますよ。」
「そんな成長著しい久利人にはこれよ!」
「話を聞け!」
努力子は胸の谷間から、小動物を取り出した。
灰褐色のつややかな毛並み。
ひくひくと落ち着きのない鼻先。
ちまんと前に垂らした前肢。
そしてウサギのような耳。
「こ!これわ!ミミナガバンディクート!」
「うふふ…きゅるるぷにん破―――っ!!」
努力子はミミナガバンディクートの背中を久利人の頬に押し付けた。
「ぬおおおおおおっ!」
スリスリしてしまう!どれだけ心が抗っても、体が勝手に頬をミミナガバンディクートの滑らかな背にスリスリしてしまうのだ!!
「卑劣な!母さん!これは卑怯に過ぎるぞ!!」
スリスリしてしまう!どうしてもスリスリしてしまうしかないのだ!
「久利人。あなたはこの動物が主人公のゲームは得意だったわよね。」
「た、確かに…ぬおおおおおおっ!」
頬のスリスリを止められない。
「この、お前にとって完全無欠の小動物なら、黒猫から宗旨替えしてくれるわね。」
「いや、それは無い。」
久利人の表情が瞬時に真顔に戻る。
「ええっ!何故!?何故なの!?納得がいかないわ!」
今度こそ間違いなしと、ミミナガバンディクートに確かな手ごたえを感じてやってきただけに、努力子の動揺は大きい。
「お前にとって、ミミナガバンディクート以上はない筈!このTHE完璧を否定するに値する制約があると言うのか!?」
呆れてため息をつく久利人。
「それな。まじそれな。制約な。母さん。ミミナガバンディクートって、そもそも法律的に飼ってもよろしい動物なのかい?」
努力子は大きな衝撃を受けた。何故なら彼女は今迄、法律ガン無視で生きてきた。常識知らずの人生。
だから、今更法律順守に関して言及されるなんて、しかも息子から指摘されるなんて、彼女の想定の外のさらに外だったのだ。
「くっ、法律とか…知らないし…」
努力子はぶつぶつと不平を垂れながら、ミミナガバンディクートを胸の谷間にしまった。
「そう言えば久利人。ビラリーはどうしたの?」
少年の表情が一転して曇る。
「ビラリーは…ビラリーは、天国に行ったよ。」
感情はあっという間に決壊し、少年の目からボロボロと涙が落ちる。
「そう。ビラリー、どうか心安らかに。」
母は息子の頭を抱きしめた。
「か、母さん。」
ずっとせき止めていた愛しき黒猫への思いを母の胸にぶつけ、ひとしきり泣きはらす。
息子が落ち着いた後、母はその両肩に手を置き、じっと目を見る。
お互いに目を見れば、おのずと意図を察する。やはり、母と息子なのである。
「また来るわ。」
「また断るね。」
母は来るときにあけた穴から帰ればいいのに、忍刀を振り回して帰り用の穴を別途切りあけた。
「列車砲の照準を、この新幹線の先頭車両に合わせておきました。」
「なにっ!!」
「アデュ!」
そんな小粋な捨て台詞を残して、努力子はER22に飛び移った。
ER22は、ジェットエンジンを片方だけ吹かして脱線。
しかし横転はせずに、左右のジェットエンジンを器用に調整しながら車道に出て、そのままアスファルトの上を走り去って行ってしまった。
「列車を止めねば!」
久利人は新幹線の中を先頭車両に向かって全力疾走。
行く手に女性がひょっこりと歩いている。
「通ります!」
少年は座席背もたれの肩の部分を蹴って、前方宙返りをし、女性を飛び越えた。
「きゃあ!」
紳士といえど、今は女性を驚かせた無礼を謝っている暇などない。先を急ぐ。
ドオン!!
数キロ先の轟音。356mm砲が発射されたのだ。
「ちいっ!!」
もう猶予はない。車内非常通報装置を探す。赤字い指のマークの近くに配置されたボタン…あった!!
「失礼します!」
人を押しのけて腕を伸ばし、鍛え上げた親指でボタンを押し込んだ。
「何事だ!」乗客が少年の行動に驚く。
「祈っていてください。」
「え?祈るって…ええ!?」
ボタンを押し続ける久利人。
新幹線が減速をし始めたのを確認して、少年は再び先頭車両目指して走る。
そして、少年が丁度先頭車両についたころ…
ドオオオウウアアアアアアアアアアッッッッ!!!!
停止した新幹線の鼻の先、10mと離れていない位置に着弾。
めくれ上がる地面。
先頭車両は爆風にあおられて鎌首を上げた。
架線はブチブチと千切れ飛ぶ。
爆風が過ぎ去ったのちに、ドスンと着地。
室内の照明は消え、悲鳴ばかりが聞こえる。
「ふうっ。」
直撃を避けることができた。
喧噪の中、少年だけが、安堵のため息をついていた。
その一部始終をER22の上から見ていたのは母努力子。
「流石は我が息子!その才覚、忍者のそれに他ならない!お前は我が流派がいただく!大阪で待つぞ!われらが救世主よ!!」
ジェットエンジン全開!
アスファルトを車輪のフランジでずたずたにしながら、ER22は赤信号などお構いなく、車道を突っ走っていった。
向かう先は大阪。
そこが決戦の地だ。
四字熟語なんてめったにも使わないのですが、最終回を前に文章にけれんみを出そうと思って使ってみた。
ググらなくても、文章の前後からなんとなくわかるようにはなってます。
来年一月からまた何か出そうと思って仕込み中。
プロットは一週間の通勤電車内作業で完成。いつもならここから3日くらいで各話構成をするのですが、訳あって今回はイラストから描き始めてます。
次は「女の子がやってみた」モノにする予定なのですが、「可愛い女の子がやってみた」ではなく「ぶすな女の子がやってみた」にしたい。
私は、私に美人が声をかけるわけがなく、ちょっとぶすな方が本命感がある…とか、軽く不細工な方が生活力がある感じがするとジャッジしているので、現実世界でぶすには需要有りと考えております。
何故二次元は美少女しかいないのか?
いやー。イラスト描いていてわかりましたよ。
”見るほうも、描く方も、美少女の方が楽しい”
全然プロの勝利ですな。プロ正しい!
ぶす描くの苦行です。
現実世界のぶすは許容できるけど、二次元は許せない。プロアマ問わず、2Dは美少女でお願いなのであります。
と、プロがいかに正しいかを身に染みてわかったわけですが、それでも私なりの不細工女子を2Dで現したい。
そう考えて、主人公たち4人のデザインを時間がない中やっておるのです。
萌えポイントを外しながら描くという。つらい。