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黒猫保護条令  作者: イカニスト
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第七話「長距離バス」

黒猫保護条令

第七話「長距離バス」


長距離バス、ロイヤルエクスプレスで一路博多に向かう少年Aこと平李ひらり久利人くりと

サービスエリアでの休憩中、少年の座席は謎の酔八仙拳士に占拠されていた。

韓湘子かんしょうしの構えに隙は無い。

この者、間違いなく達人。

新たな刺客であろうか?

少年は既に拳を下段に構えている。

酔八仙拳士は顔を新聞で隠しているが、体つきから女性と判断できる。

確か、「酒かっくらって酔っぱらったついでに強くなるって最高じゃん。」と言って、女だてらに酔拳を好んで用いる豪傑がいたな。

そう、少年には酔拳使いの女性に心当たりがあった。

見慣れたボディーラインにも。

下段に構えた久利人の肩から力が抜ける。

「で、今度は何を持ってきたのですか?母さん。」

謎の拳士が顔からスポーツ新聞をどかすと、そこに努力子のドヤ顔が現れた。

「よくぞ母だと見抜いた!」

努力子はびしりと指さした。

ガーガーと五月蠅い鼾で爆睡しているオッサンに向かって。

「どっちを向いているのですか、この酔っ払い。」

「あ?ああ、こっちか。」

母は少年の方へ向きなおった。

「よくぞ見抜いた!」

改めて、少年を指さしなおす。

久利人のため息。

「酔拳は男の拳法。女だてらにそれを使いこなす豪傑が母さんの他におりましょうや。」

「ククク。これはしたり。酒が入るとつい、酔拳が出てしまっていけない。」

刺客を想定して肩をいからせていた少年は、まるっきりバカみたいではないかとガッカリ。なんのことはない、スットコ母さんではないか。

「用件があるなら早くしてくれませんか。もうすぐバスの発車時刻です。」

「そう焦るものではない。」

そう言って努力子が胸の谷間から取り出したもの──、

おどおどとした仕草。

小さくつぶらな瞳。

小さく尖った鼻先。

細く短い四肢を突っ張った、いたいけな立ち姿。

”可愛い!!”

無条件かつ、絶対的かつ、必殺の破壊力をもって可愛い。

少年の目が爛々と輝く。

「こ!これは!ハリネズミ!」

三度の飯より小動物が好きな少年の口からよだれ。

「ふっふっふっ。流石のお前も、この愛くるしさには抗えまい。」

「ぐおおおおっ!意味無く、ぐおおおおっ!」

少年は目を見開いでこぶしを握り締めた。

少年は小さなハリネズミに、小動物好き好きの煩悩を眼光に込めて送信した。

食いついてる。

食いついてる。

母のニヤケ面は勝利を確信している。

「そおれ、とどめだ!きゅるるぷにん破――――っ!!」

母は息子の頬に、ハリネズミの腹部を押し付けた。

「うおおおおっ!!卑劣なりっ!!まっこと卑劣なりっ!!それでも人の親か!!」

スリスリしてしまう。理性が拒んでも、本能が勝手に頬をハリネズミの腹部にスリスリしてしまう。

この、小さくてフニフニしてスベスベした感触。たまらない!

「どうよ、今回のきゅるるぷにん破は。どうなんよ。ほうれ。ほうれ。」

止まらない!

スリスリを止めることができない。

「ぬおおおおお。なんたる可愛いの暴力!つおおおおおっ!」

ほっぺたをスリスリしてしまう!

「お前がミニブタは大き過ぎるというから、ハリネズミにしてみたの。どう?黒猫から宗旨替えする気にはなったかしら?」

「いや、それは無い。」

久利人の顔が瞬時に真顔になる。

ガ、ガ──ン!!

想像だにしていなかった返答に、努力子は大きな衝撃を受ける。

ハリネズミは、息子久利人の狭すぎるスイートスポットを直撃する、完璧な小動物の筈。

この上…この上まだ、何が不足しているというのか?

ガラガラと崩れ去る自信。

努力子の足元が思わずふらつく。

「くっ!納得出来ぬ!うちの心にうったえ、泣かせるドラーマを耳にする迄、うちのハリネズミは引っ込みがつかぬぞ!きゅるるぷにん破――っ!」

久利人は、突き出されたハリネズミを、すっと横に避けた。

「母さん…」

息子は遠い目をした。そして、一瞬つらそうな表情を見せた。

「苦手だったんだ…」

「あれだけ頬摺りをしておいて、何が苦手なものか。」

息子はかぶりを振る。

「違うよ、ハリネズミではなく、ハリネズミが主人公のゲームが苦手だったんだ。適切な難易度の秀逸なゲームで、友達はみんなクリアできていたのに、自分だけはからっきしだったんだ。結果、流行はやりの話題についてゆけず、一時期ハブられていた。そう言う、トラウマがあるんだ。」

ガ、ガ──ン!!

衝撃の事実を聞き、母の目に涙がにじむ。

「知らなかったわ…お前が辛い思いをしていたなんて。うちは、うちは母親失格ね。」

「良いのです。平李家に生まれたからには弱みを見せてはならない。自分は辛きも悲しきも呑み込んで、平静を装うしかなかったのです。」

「久利人…」

母は息子の心の傷を思いやりつつも、ハリネズミの腹部を息子の頬っぺたに、ぴっとりと押し付けた。

「きゅるるぷにんはっ❤」

努力子はまだ、ハリネズミで推せるつもりでいる。

久利人はハリネズミの柔肌に未練を残しつつも、努力子の手を払いのけた。

「しかし、ハリネズミはなりません。四六時中一緒に居れば、トラウマが蘇ります。」

母はついにうなってしまった。

「そ、そのような事情があるならやむなし。心の平穏が得られぬなら、愛玩動物として成立せぬ。」

努力子はハリネズミを胸の谷間にしまい、何やらメカメカしい投げクナイを三本バスの天井に投じた。

「まさか!母さん!!」

「オホホホホーッ!!」

ズゴワーッ!!!!

投げクナイは爆発し、バスの天井は派手に吹き飛んだ。

努力子はジャンプして屋根の穴から飛び出し、ひらりと宙返りを決めつつサービスエリアの駐車場に止めてあったドラッグレース専用車両に乗り込んだ。

無論、その車にナンバープレートなどはついていない。

ドウン!!!!

エンジンが吠える。

ドギャアアアアアアアアアアアアア!!!!

バーンアウトによって、白煙がもうもうと立ち込める。

「次を楽しみにしているがいい!!」

「次なんか無いって、理解するがいい!!」

パ!!ウ!!──────ゥゥゥゥ…

恐るべき加速で、努力子が乗った車は、あっという間もありはせずに見えなくなってしまった。

遠くからドラッグレース専用車両のエンジンの雄たけびばかりが延々と聞こえてくる。

少年はエンジン音のする方を指さして「お巡りさん!あいつです!今すぐ逮捕してください!!」と叫んだ。

座席の方へ戻る久利人。

「お前の母ちゃん、いかすじゃねぇか。」

そんな運転手の冷やかしを、久利人は無視して、屋根の破片で散らかった自分の座席を片付ける。

乗客たちが、ぞろぞろと帰って来た。

皆一様に満足そうな笑みを浮かべている。

そして、先を争うように旅の感想を述べ、長距離バスを褒めちぎるのだ。

「いやー、やっぱり長距離バスはこうでなくっちゃなぁ。」

「脱輪と喧嘩は長距離バスの華だよね。」

「トイレの争奪戦で骨折しないと、バスに乗った気がしない。」

「これだから長距離バスの旅はやめられない。」

腕時計とにらめっこしていた運転手が、劇画調の人相で顔を上げた。

「出発しやす。」

まだ何人かバスの外にいるのだが、運転手はアクセルペダルを踏み込んだ。

バスの中の乗客が外にロープを投げた。

乗り遅れたものは皆、ロープに摑まった。

「よーし、ロープを引くぞー。」

乗客の一人が、少年に声をかける。

「おい小僧!お前も手伝え!」

久利人は寝たふりをしてやった。

流石に他人様の安眠を邪魔だてするような真似はすまい。

と、思ったのだが…

「コラ小僧。寝ている場合じゃねーって。」

全然邪魔してきた。

久利人はゆすり起こされ、綱引きに駆り出された。

「ヒャッハー!全員振り落としてやる!!」

運転手はアクセルを開け、バスは黒煙を上げて加速する。

「さぁ少年、綱を引け!いい汗かけるぞ!」

「はぁ、」

どうやらこれも長距離バスの楽しいイベントの一つらしい。

綱に捕まって引きずられている人たちも楽しそうだ。

「小僧!もっと楽しめ!今日の運転手は稲妻のタケさん。わざと外に残った奴だっているんだぜい!」

「マジか!馬鹿だなぁ~。」

少年Aはがっくりと呆れるあまり、鼻から息を漏らしてしまった。

久利人はうんざりしながらも、1…2…合計6人の命をつなぎとめる蜘蛛の糸たるそのロープを、渾身の力を込めて引いたのであった。

「オーエス!オーエス!」

馬鹿らしい。

「オーエス!オーエス!OSはDragonfly BSD!」

本当に馬鹿らしい。

終了。

やっと寝れる。

久利人は自席に深く座った。膝の上に愛おしい黒猫が入ったケージを乗せて。

「ビラリー、お休み。」

ケージの中に手を入れて、背中を撫でた。

黒猫は力なくものどを鳴らし、手を舐め返してくれた。

愛猫の温もりに安堵して、少年は深い眠りについた。

「ダ、ダイヤモンドカッター…」

だが少年にとって、夢の中すら安息の地ではない。

また、例の悪夢を見てしまう。

悪夢にさいなまれようが、少年には睡眠が必要だ。少年の全身には無数の打撲と擦過傷。それがなくても心身ともに疲れ果てている。兎に角、体を休めなければならないのだ。

しかし、そのような事情は知ったことかと、聞き覚えのある風切り音が夢の外から少年をたたき起こす。

「9M111ファゴット!!」

聞き間違えるものか!努力子が好んで使っていた対戦車ミサイルだ!!

飛び起きるや否や、少年は運転席に向かう。

「運転手さん!!」

「ああ、見えてるよっ!」

運転手はタイミングを計って、ハンドルを大きく左へ切った。

突然の乱暴運転に乗客たちは起こされ、一体何事だと不満を言う。

ズガアアアアアアッ!!

対戦車ミサイルがバスの右側のアスファルトに着弾。

横に流れてきた爆炎を突っ切ってバスは押し進む。

久利人は運転手の真後ろに立って、バックミラーを見た。

屋根の上に対戦車ミサイルを担いだ装甲車両を目視できた。

「BRDM-2が2輌か…運転手さん、敵の残りのミサイルは9発。このバスの最高速度なら敵車両を振り切れます。」

「ほう。お前さん、ミリヲタかい?」

「忍者の家系なだけです。それよりも蛇行しないと、狙い撃ちですよ。」

「最高速度で蛇行…横転させずにってか?無茶を言いやがる。」

バックミラーに映るBRDM-2。自分のミサイルで開けたアスファルトの穴にはまって、軽くジャンプしている。

「無茶だろうが、やっていただかなければ、全員死にますよ。」

「やむねぇな。」

運転手はブレーキを踏んだ。

「ちょっ!運転手さん!」

慌てる少年A。踏むのはブレーキじゃない!アクセルだ!

「ミサイルがどうした!?あんなちんまい車で、大型バス様に喧嘩売ろうたぁいい度胸だ!!」

BRDM-2のうちの一台にバスの側面をぶち当てて、中央分離帯に押し付けた。

「このまま押しつぶしてやる!!」

稲妻のタケと呼ばれる運転手は唇を舐めた。

装甲車とはいえBRDM-2は小型。大型バスのがたいとパワーにはどうにも勝てない。

装甲車を押し切る大型バスの雄姿に「流石タケさん!」と乗客が湧く。

BRDM-2は中央分離帯に乗り上げて、対向車線に逃げた。

その際、軽自動車と正面衝突をしたが、7tの車重を利して踏みつぶしてしまった。

対向車線を逆走しながら、対戦車ミサイルでバスを狙う。

「ちっ!」

中央分離帯の向こう側に逃げられては、バスは手が出せない。

今や利はBRDM-2にある。

敵は大型バスの幅寄せを気にすることなしに、対戦車ミサイルを撃てるのだ!

「だから!全速力で逃げるしかないんです!!」

久利人が訴える。

「ああ、よくわかったよ。」

運転手は不満気にため息をついてアクセルを開けた。


筑波山は阿羅漢手本堂道場に坐する平李ひらり呂舵夢ろだむ

その床下には努力子。

「久利人は長距離バスで博多に向かいました。」

「ふっ、ふっ。まだ生きておると申すか?」

息子のしぶとさに、半ば呆れながら微笑む。

「あなたが本当に久利人を殺すつもりなら、山でKOLOKOL-1を使ったでしょう。フェリーにはキロ型潜水艦が使えました。旅客機なら…」

呂舵夢は努力子が母の顔で話をしていると判断をした。

そこで、事実とは異なるが、彼女に話を合わせて次のように答えた。

「まぁ、良いではないか。」

「ええ、よろしいのです。」

この反応…どうやら、今は工作員では無く母の顔であっているようだ。呂舵夢は”母”努力子に合わせて話を続ける。

「われらの子供たちは、二人ともよく働いてくれておる。」

「では、いよいよ?」

ここで、呂舵夢は努力子の工作員の面が表に出たと感づいた。

夫は妻の中の工作員が破滅的な行動に出ぬよう、家族を守るために、慎重に言葉を選んだ。

「頃合いである。」

筑波の座仏が立ち上がった。

「この好機を逃したなら、次に好機を得るのは千年後だ。」

努力子の工作員の面と話を合わせる為、心にもないことを言う。

床下から人の気配が消えた。努力子は次の行動に移ったようだ。

努力子の気配が完全に遠のいたことを確認し、呂舵夢はため息をついた。

「努力子。哀れな女よ。それがしがきっと救ってやる。」

そう、努力子は二重人格なのだ。

母の面と工作員の面を持つ。

母の面は、自分が二重人格だとは知らない。

二児の母であるくノ一は、どのような闇を抱えているのか。

「ううむ。」

妻を思い、呂舵夢は阿羅漢手本堂の地下室へと向かう。

延々と階段を下りて地下4階。

古めかしくも大きくいかつい錠前を開け、分厚い鉄扉を押し開き中に入る。

そこは阿羅漢手の達人のための究極修練場。

あまりの荒行に、過去に命を落としたもの多数。

床や壁には、黒く変色した血痕が付着している。

薄暗がりの中を進むと、またもや鉄扉が現れる。

これを開けると…

「ゴアアアアッッ!!」

…いきなり野獣の咆哮が聞こえてきた。

床は部屋の周囲、幅二尺(約60cm)余りを残して、すとーんと垂直に一丈半(約4.5M)の高さ落ちている。

その、床の大穴の中にいるのは腹をすかせたヒグマ。

体重は百貫(375kg)にも及ぶ巨体。

呂舵夢はヒグマの眼前に舞い降りた。

荒々しく吠えるヒグマに、呂舵夢は語りかける。

「おい。それがしを食らいたいか?人肉が所望ならばそれがしに勝て。」

ぐいと親指を突き出す。

それがしは、この親指一本しか使わぬ。人の肉は久方ぶりであろう?この勝負、乗ってみぬか?」


阿羅漢手本堂を後にした努力子。

落ち葉が積もる筑波の山道を、音一つ立てずに忍者装束で歩いて行く。

これを詐欺師、鹿淵しかぶち陸男りくおが待ち構えていた。

厳しい修行に耐え抜いた努力子は、研ぎ澄まされたナイフのような気配を漂わせている。

詐欺師は、くノ一というヒト科の猛獣に声をかける機会をうかがっている。

くノ一を凝視する詐欺師とは対照的に、彼のことなどまるで見えていないかのように、努力子は足取りを乱さず山を降りてゆく。

平李ひらり努力子どりょこさん。」

詐欺師は意を決して声をかけた。

忍びの者に関わるのは恐ろしい。だが、役目を果たさずに、手ぶらで阿羅漢手の魔窟に戻るのは、もっと恐ろしい。

「努力子さん。あなたに大事な話があるのです。」

ザクリ!

努力子は何の前触れもなく、目にも止まらぬ早さで胸の谷間からクナイを取り出して、鹿淵の左肩に突き刺した。

「ぐあああああっ!」

痛みと、忍者の恐怖に、悲鳴を上げて震え上がる。

「無様な!」

挿絵(By みてみん)

努力子はたった一言を吐き捨てた。

「お前ごときの話。聞かずともたかが知れたわ。」

現代を生きる真のくノ一努力子。彼女は鹿淵の肩にクナイを残したまま立ち去らんとする。

失寵しっちょう。」

詐欺師は、恐怖と苦痛にあえぎながら、やっとその単語だけを口にできた。

くノ一の目の色が変わる。

ここで初めてくノ一と詐欺師の視線は交錯し、無音の間が二人の間を支配する。

二人の間に生じた間が、時間が、詐欺師から血を奪ってゆく。

「くっ、」

出血にめまいを覚えた詐欺師の視線がそれた。

努力子は話の続きを聞くためクナイを抜き、胸の谷間から軟膏と包帯を取り出して止血をしてやる。用が済むまで殺すわけにはゆかない。

鹿淵は包帯を巻かれたあたりを右手で抑えながら、いまだ辛そうに呼吸を乱している。

「貴様の話、聞いてやろう。」

「あ、ありがとうございます。無極量情流に端を発する…」

「前置きはいい。」

「分かりました。」

詐欺師は用意してきた言葉の中から、話始める位置を選びなおす。

最終的な結論だけをズバリ言うことにした。

「もし、平李家が阿羅漢手の実権を握ったなら、あなたの家系との縁は平李家にとって邪魔になるだけです。」

「うちが三下り半を突き付けられると?」

詐欺師は痛みに耐えかねて、木の幹に背中を預け、ずるずるとしゃがみ込んで地面に座ってしまった。

「平李家の家風と歴史。私なりに調べさせていただきました。」

「伊賀や甲賀に対し、うちの流派は表に立つ面目がない。」

「平李家と縁切りされたなら、それはあなたの失態とされましょう。あなた、帰る場所を失い、懲罰を受けますよ…忍びの流儀でね。」

「くっ!」

痛いところを突かれて、くノ一が視線をそらした。

詐欺師は刀も銃も持たないが、舌という武器がある。

詐欺師は今が押し処だと判断する。

「あなたは平李家に尽くしてもそうなる運命なのです。でも、幸いなことに、その運命から抜け出す方法があります。」

「申してみよ。」

ここで、母親の努力子から工作員の努力子に入れ替わった。

詐欺師はくノ一が二重人格だとは知らない。

なので、彼女の雰囲気が変わったことについては、自分の話に食いついたからだと判断した。

その判断は、あながち間違ってはいない。

詐欺師は結論へと飛んだ。

迦諾迦かなか麺痔州人めんじすとの傘の下に入るのです。」

「なにっ!?」

くノ一が驚きから怒りに転ずる前に、詐欺師が畳み込む。

「平李家に深く根付いたあなただからこそ、平李家の抑止力になりえる。それを示せば、あなたの流派は迦諾迦麺痔州人に重用されます。」

「夫と、我が子を裏切れというのか?」

一瞬、工作員の面に打ち勝って出てくるはずのない母親の面が現れた。

くノ一の怒りに震える赤い目に、詐欺師の背筋は凍り付く。

だが、詐欺師もここは押し切るしかない。

「それも平李家の流儀では?」

「ぬああああああああっ!!!!」

母親と工作員が、同じ心の中でぶつかり合う。

それは、両者敗北しかない、心の自殺。

心の逃げ道は、狂ってしまうことのみ。

努力子は激情に任せて、三下詐欺師の眉間をクナイで貫き通してしまった。

絶望に満ちた表情で、その場に崩れ落ちる努力子。

「うそだ…こいつの言ったことは、全てでたらめだ…」

そう、言い切れないからこそ、彼女の頬を涙が伝う。

詐欺師は命を失ったが、見事最強のくノ一を一人、倒して見せたのだ。


つくば市街、阿羅漢手財団。

麺痔州人と洋札は目を伏してじっと時を待つ。

良久は貧乏揺すりをして焦れている。

「あの詐欺師はどうなった?」

良久は我慢が足らず、ジェニファーを問い詰める。

「さぁ?まだ、何の連絡もありませんので。」

「うーぬ。」

良久はさらに焦れて唸る。

ここで、ジェニファーのスマートフォンに着信。

詐欺師の監視に張り付いていた職員からだ。

彼らは努力子に気取られないよう遠巻きに位置しており、鹿淵からの定時連絡がないと、筑波山に捜索に向かったのだ。

「…そうか、ご苦労だった。死体は秘密裏に処理しておけ。」

ジェニファーは麺痔州人に歩み寄り一礼。

「鹿淵の死亡を確認しました。場所は筑波山中腹。眉間をクナイで一突きです。」

「ほう、」

「それと…」

「それと?」

「左肩にも刺し傷。こちらは包帯を巻かれております。」

ヒヒ爺がすすり笑う。

「詐欺師め、平李の結束を撃ち抜く鉄砲玉の役目、しかと果たしたようじゃな。」

幕賀まくがじょうとロジャー・キイスが財団に到着。応接室に現れた。

爺が二人を指さす。

「洋札。この二人を使え。他に百名の強者つわものを用意してやる。」

洋札は、黙って頷いた。

「さて、平李の野望に終止符を打つ場所じゃが…」

麺痔州人があごひげを撫でる。

そして、考えるのが面倒になり、洋札に視線をくれた。

「我が弩鳴塔が最適かと存じます。あれは摩天楼の姿をした要塞。」

「良かろう。」

「では、私のプライベートジェット機でご案内申し上げます。」

間もなくベル206ヘリコプターが迎えに来た。

麺痔州人、洋札、幕賀丈、キイスの四人がけん引ロープで、ホバリングしているヘリに搭乗する。

ベル206は四人を空港へと運んで行った。


良久はヘリコプターが定員オーバーであったため、一人鉄道と飛行機で大阪を目指す事になった。

痩せ男は大事に遅れてはならないと、ジェニファーのChromebookで弩鳴塔までの経路を確認し小走りで出立する。

財団のビルを出た瞬間、痩せ男はその鼻っ面に、強烈な一撃を食らった。

拳撃を放ったのは六車の破壊兵器ケイ子。良久が首から下げていたIDカードを奪い取る。

「千枝ちゃん。この男を締め上げましょうか?」

ブラコンの少女は首を振った。

「この小物は事態の一部しか知らないわ。全てを知って居る者を捜しましょう。」

破壊兵器は、痩せ男を今一度指さした。

「全てを知って居る者は誰か?そしてどこに居るのか?それならば、小物にも答えられそうよ。」

その意見に、ブラコンの妹は深く頷いた。

「そうね。ではやはり、締め上げましょう。」

「はい。」

ヒュンとケイ子の蹴りが空を切る。

「ぎゃあああああ!!」

良久の悲鳴。彼の右手の親指が、あり得ない方向に曲がっている。

今一度、ケイ子の蹴りが、ヒュンと空を切った。

「うああああああ!!」

良久の右手の人差し指も明後日の方向に曲がってしまった。

「麺痔州人は何処?」

「大師父はもう、ここにはいらっしゃらない。」

ケイ子の蹴りが良久の中指を折る。痩せ男は涙を流して悲鳴をあげる。

「もうよせ!洗いざらい話す!事ここに至っては、隠し事は無意味なのだ!」

ケイ子は良久の顎を蹴り上げた。

「話す気があるなら、なるべく早くそうしろ。六車むしゃの血はただ待つ事はしないぞ。」

千枝子が脅す。

痩せ男の目が、忌々し気に小娘をにらみ返す。無論、睨み返す以上のことは、何もできない。

「大師父は大阪の弩鳴塔だ!」

「弩鳴塔…弩鳴洋札…ほう、そういうからくりか。」

千枝子はあらかたを察して、ケイ子と顔を見合わせて頷いた。

IDカードを良久に投げ返す。

痩せ男が右手を抑えて震えながら、二人を睨む。

「大阪に行くがいい。平李の野望はそこでついえる。小娘が身分もわきまえず大師父に唾したことを、ひたすら後悔するのだ。平李は…平李は今後百年!阿羅漢手の奴隷だ!!」

「ケイ子。その小五月蠅い口を塞いで。」

六車の娘の目から一切の感情が消え、放たれた踵落としは、痩せ男の顔面を大理石のタイルに叩きつけた。

バキンという破壊音は、大理石が割れた音か、それとも…

冷たい大理石の床に、熱い血が薄く広がってゆく。


ベテラン刑事でか娘咲むすめざきは埼玉県志木市に居た。

志木駅を南口に降りる。

ちょっと距離があるのでタクシーかバスを使おうかとも思ったが、結局歩くことにした。

10分近く歩いて息が上がってくると、バスくらいなら乗っても罰は当たらなかったろうと後悔。

Nexus 4を手に、Google Mapsを頼って目的地へと向かう。

途中でコンビニに寄って買い物をしたのだが、ビニール袋が邪魔くさい。

持ち上げていると腕が辛く、だらんと下げると膝に当たる。

たどり着いたのは塗装が真新しい、ワンルームであろうアパートの前。

そのアパートの名前を確認し、電話をする。

「木町さんですか?昨日お電話差し上げた、警視庁の娘咲です。今、アパートの前におるのですが、時間通りにお伺いしてもよろしいですか?」

『時間通り?ちょっと早いじゃないか。』

「ちょうどの時間になるまで、外で待たせてもらいますよ。」

『いいよ。もう来ちゃったんだろう?』

「恐れ入ります。」

苦笑いをして、約束の時間の6分前に、103号室のインターフォンのボタンを押した。

ドアが開きぬっと顔を出したのは、神経質そうな太めの男。

ドアから見えたのは1Kの間取り。

玄関を上がると、ミニキッチンを右手に、ユニットバスを左手に見て、後は正面に六畳間があるだけ。

布団を取り去った炬燵コタツが置いてある。きっと炬燵は一年中置いてあって、冬の間だけ布団の出番になるのだ。

しわが深い顔で笑顔を作り、苦労人のベテラン刑事デカはコンビニ袋の中身を取り出して炬燵の上に並べた。

枝豆にから揚げに、そして缶チューハイ。

太めの男はアルコールをちらりと見やって、ベテラン刑事デカの笑顔を睨みつけた。

「刑事さん、あなた勤務中ですよね。」

「ははは。今日は休日ですよ。実のところ私は勤務中ではないのです。長話に酒がないのは口寂しい。」

「公務員が、サービスで休日出勤か。感心しないな。」

「いえいえ、今日はただ、阿羅漢手の話をしに来た。そう考えてください。」

から揚げを一個口に放り込んで、缶チューハイをぐびりとやる。

「いやーっ。コンビニ印の酒とつまみは、安いうえに旨い!」

陽気に振舞う娘咲に対して、太めの男は頬杖をつきそっぽを向いている。

「プライベートブランド。」

「はい?」

「コンビニ印じゃなくて、プライベートブランド。」

ベテラン刑事デカは、決まりが悪そうな笑顔を作った。

「いや、歳をくうとカタカナ言葉が口になじみませんでね。」

太めの男──木町は、呆れたようにため息をついて見せた。

木町も缶チューハイを開ける。

「で、阿羅漢手で3が何を意味するかでしたね。」

「ええ、阿羅漢手研究家のあなたの意見をお伺いしたい。」

といっても、自称研究家ではあるが。

「3…たったそれだけなんですよね?」

「ええ。それだけです。」

「阿羅漢手は国技とまで言われる一大流派で、奥が深く史実も伝承も枚挙にいとまがなく多い。3が意味するものなんて山ほどある。」

「見当もつかないと?」

老刑事は専門家を気取る太めのヲタクに枝豆をすすめた。

「にわか連中なら、自慢げに見当違いを言ったり、阿羅漢手の奥深さにあやかってごまかしを言うだろうね。」

自称阿羅漢手研究家は早くも二本目の缶チューハイを開けた。

ほろ酔い加減で、気分のよさそうな顔をしている。

「あなたは違うんですね。」

「ああ、違うね。3は阿羅漢手の古い隠語で4(よん)の前、すなわち死の前、死神を示すのさ。」

「それはまた──ピンとくるものがありますね。」

人情に厚い刑事は、情報屋美浦の死を確信し、表情を曇らせる。

つまり美浦は、死神に出会ったのだ。

「死神ですか。具体的には誰、もしくは何を指し示すのでしょう?」

木町は三つ目の缶チューハイを開ける。

かなり酔いが回ってきたようで、うーんと唸って目の焦点が合っていない。

「誰の視点でと云う問題はあるが、恐らく平李家か弩鳴洋札だ。」

「弩鳴洋札!」

感情は抑え、穏やかにして居たつもりだったのだが、現職の総理大臣の名を聞いて、一気に緊張感が高まった。

「その両者なら、旅客機を墜落させたり、電車を脱線させたりしますか?」

木町は驚いて、口に含んだ缶酎ハイを噴出した。

「え?あの事件って、阿羅漢手がらみなの?ええっ!」

「その可能性もゼロではないというだけです。憶測の域を出ませんので、どうか御内密に。」

「あ、ああ。分かってる。一瞬で酔いが醒めたよ。」

娘咲は塗装が真新しいアパートを後にした。

駅に向かう道すがらに考える。

「平李か、弩鳴洋札か、それとも両方か。どう転んでも大捕り物だな。」


久利人と愛猫ビラリーを乗せて走る長距離バス。

2台の装甲車両、BRDM-2から逃げている。

後方から飛来するは、対戦車ミサイル9M111ファゴット。

横転覚悟の激しい蛇行で逃げ回る。

ズガアアアアアアッ!!

バスの身代わりとなって、一台の三菱パジェロが木っ端みじんとなった。

「もっとスピードは出ないんですか。」

久利人が運転手にせっつく。

「扉や屋根を失ったせいで、風の抵抗が重い。直進するだけならもうちょい伸びるが、蛇行する度にボディーがよれて減速する。」

「蛇行を止めたら、次の瞬間にミサイルが着弾します。」

「ジリ貧かよ。」

ふと、周囲の一般車両が一気に少なくなった。

少年がVAIO Phone Bizを前方に向けてカメラを起動。画像を拡大する。

今時のスマートフォンは双眼鏡代わりになる。

特別警備車PV―2型が片側車線当たり6台、都合12台、横向きになって道を塞いでいる。

乱闘服を着た機動隊員も40名ほど見える。

「小僧、何か見えたか?」

「機動隊が道を塞いでいます。突破できますか?」

「なぜ止まらない?味方だぞ。」

「止まった瞬間、敵車両がミサイルの残弾を一斉に撃って来るからです。」

「ちっ!忍者は機動隊も恐れぬのか…無傷とは行かぬぞ。」

「腹ぁくくって下さい。」

「チョンの間蛇行出来ねぇ。ミサイルの的だ。祈って居てくれ。」

バスを左車線に寄せて、敵車両を左端に誘導した後、一気に右端の射線に戻って直進する。

今が狙い易しと判断した二輌のBRDM-2はバスの斜め後方から、それぞれミサイルを放った。

「南無三!!」

これでもかとブレーキを踏み込む。

バスの側面に腹をかすりながら、ミサイルが追い越してゆく。

バゴオオオオオオオオッッ!!!!

ミサイルは向かって右端の特別警備車PV―2を10mの高さまで吹き飛ばした。

「運転手さん!!」

「分かってらああっ!!」

今度はアクセル全開!!

落下してくるPV―2の下をくぐり抜ける。

ドスン!!

バスの後端に鉄くずと化したPV―2が落っこちた。

その衝撃でバスの前輪が浮き上がる。

これをBRDM-2のミサイルが狙う。残弾すべて撃ち放つつもりだ。

バスは前輪を浮かせたまま前に進めていない。

「「お前はー!出来る子ォだああああっっ!!」」

思わず運転手と久利人がハモった。

二人のおだてに応える様に吼える、ディーゼルエンジン。

派手にウィリーをしたままバスは突き進む。

鉄くず化したPV―2はバスの後ろに転がり落ちて、追ってきたBRDM-2に激突した。

足が止まったBRDM-2を40丁の64式小銃が狙う。

「打ち方ぁ!始めっ!!」

総員トリガーを引きっぱなし、機動隊員は弾倉を次々に交換しながら距離を詰めて行く。

バン!バン!

BRDM-2の装輪が爆裂。

装輪を失ったBRDM-2は足を引っ込めた亀状態。

最早バスを追うことは不可能と決まったところで、轟音を伴って自爆して果てた。

爆風に吹き飛ばされる機動隊員。

BRDM-2のホイールが飛んで来て、バスのバックミラーを片方吹き飛ばした。

「い────っ!ヤッハ───────ッ!!!!」

バスの運転手は、装甲車を退けた喜びで、ステアリングホイールをドラムの様に拳で連打した。

久利人は努力子が開けたバスの天井の穴から身を乗り出し、上空を警戒する。

「小僧、まだ何かあるのか?」

「自分なら、攻撃ヘリを使います。」

「ガハハハッ!そんな馬鹿げた…」

バラバラバラ─

音はまだ遠いが、明らかに回転翼の風切り音。

運転手は、今咥えたばかりの煙草をポロリと落っことす。

「おいおい!小僧…嘘、だろ?」

「…」

「小僧ッ!!」

「この音は間違いない。Mi-28NEです。乗客を全員降ろしてください。そして、あなたも。」

「お前はどうする。」

「大丈夫。自分はまだ、死ぬ気はありません。早く!9M120 Ataka対戦車ミサイルの餌食になりたいのですか!」

路肩にバスを止めて、乗客を降ろす。

「急いで下さい!来た道を戻れば機動隊の保護を受けられるはずです。」

久利人と運転手は叩き出すように、強引かつ迅速に乗客を非難させた。

バラバラバラ!!

ヘリコプターはいよいよ近くまで迫り来ている。

「早く逃げてーっ!走ってー!」

戸惑いながら高速道路を逆に歩く乗客たちを、久利人が追い立てる。

乗客たちの逃げ足は、気持ち早足になった。

「走って!!」

久利人の必死の訴え。乗客たちは「なんだよ」などと不満を漏らしながらも駆け足でその場を離脱する。

「運転手さん。あなたも逃げてください。」

バスに搭乗しようとする久利人の肩を、運転手はぐいっと掴んで、外へ引き倒した。

アスファルトに尻もちをつく久利人。

「運転手さん!いけない!」

運転手はすでに、運転席に収まっている。

「ほらよ、忘れものだ。」

運転手は、黒猫が入ったケージを少年に投げ渡した。

「あばよ。悪くない旅だったぜ。」

バスは走り出す。

「運転手さん!!」

「稲妻のタケ最後の走りだ。しっかりとその目に焼き付けておけ。」

長距離バスはギッコンバッタンと調子悪そうに走っていった。

バウウウウウウ──────……

久利人の頭上をMi-28NEが通過してゆく。

少年は絶望のまなざしで、その化け物の後ろ姿を見送る。

バスの中。運転手は鼻歌を歌っている。

「バスの運転中に死ねるなんざ、運転手冥利に尽きるねぇ。」

ステアリングホイールを撫でる。

「道連れにしてすまねぇが、お前さんも今日一日で、一生分の走りは決めたろう。」

バスの直後にヘリコプターの音が聞こえる。

今、怪物に食らいつかれたのだ。

9M120 Ataka対戦車ミサイルの発射音。

「今日は死ぬには持って来いの日だ。」

運転手はechoを一本取り出して火をつけ、まずそうに煙を吐き出した。

すべての音をかき消す轟音。

「運転手さああああああんんんんんっっ!!!!」

久利人の瞳に、遠くに昇竜の様に立ち昇る爆炎が映り込む。

晴天に、稲妻が一つ走った。


阿羅漢手本堂地下四階の究極修練場。

平李呂舵夢は親指一本で、体重百貫のヒグマに喧嘩を売った。

いや、ヒグマ一頭を生贄に、鋼の肉体の暖機運転をしたというべきか。

そのヒグマのこめかみには、呂舵夢の親指が突き刺さっている。

ヒグマは何が起こったのか理解できていない様子。

いつ、呂舵夢が攻撃をしてきたのか把握できていないし、自分がもう死んでいることにも、気付けていないのだ。

「フンっ!!」

呂舵夢が親指に力を込めると、その衝撃でヒグマの頭蓋骨がばっかりと割れた。

頭部を失ったヒグマは、呂舵夢にもたれかかり、そのままずるずるとコンクリートの床に倒れてしまった。

「この程度では、肩慣らしにもならぬ。」

トーンと軽くジャンプして、熊を閉じ込めていた穴の上にあがり、出口へと戻る。

そこには努力子が待っていた。

「おう、努力子か。久利人はまだ生きているのか?」

「ええ。あの子は、装甲車も戦闘ヘリも退けました。我が子ながら恐るべし。並の命格ではありません。」

「ぬはははは!ならばいよいよ平李の…」

呂舵夢は”母”努力子に合わせて「平李の跡取り候補に考えてやらねば」と言うつもりであった。

呂舵夢の読みは間違っていない。

今見えているのは、工作員努力子ではなく母努力子の面。

言葉選びも間違ってはいない…いつも通りなら。

予想せず、母努力子に言葉を遮られた。

「”忍者”の跡取りとして好適な逸材!!」

努力子は胸の谷間からクナイを取り出して、呂舵夢の喉元に突き付けた。

「久利人はうちが…名を奪われた我が流派がもらいます。平李の威光と共に!」

ばかな、母努力子はその様なことは言わない。それは工作員努力子が言う言葉。

しかし、彼女のたたずまいは、彼女が母の面を見せていることを示している。長年連れ添った、妻を愛する夫として、見間違うものか。

「努力子。何があった。」

「あなたはうちに何も言わない。心の内を隠して忍者を利用する。」

「努力子…」

「そもそもがおかしかったのだ!名をはぎ取られた我が流派に、平李家が政略結婚を持ち掛けてきたこと。その、そもそもが!」

それがしを疑っているのか。」

努力子の目に涙。

「疑いたくなんか無い。でも、うちは流派の未来を背負って居る。」

呂舵夢は固く目をつむって深く呼吸をし、そして再び目を見開いた。

努力子を大事に思っているから。誠実でありたいから。

嘘は…つけない。

「察しの通り、平李の顔役共は阿羅漢手の実権を握った後、その威光を以って伊賀の里に近付き、お前たちとは縁を切る腹だ。」

「やはり!!!!」

呂舵夢を信じ、頼って来た彼女の悲しみは深い。

「それでもそれがしは約束できる。努力子。お前だけは絶対に手放さない。」

「私だけではダメなのだ!!わが流派全てでなければ!!」

思わずクナイを持つ手に力がこもり、呂蛇夢の首を傷つけてしまった。

傷つけた努力子の方が驚き、クナイを落とす。

「お前の流派は悪名が高く、新たな名を欲しがっている。奸智術策かんちじゅっさくの家風にあって、お前は優しすぎるのだ。」

「それ以上は言わないで!!」

努力子は涙ながらに訴えて、両手で耳をふさいだつもりだった。

しかし実際には、体はそうは動いていなかった。

胸の谷間から新しいクナイを取り出して、呂舵夢の腹めがけて突き込んでいた。

「お前は実力は元よりその優しい気性から白羽の矢が立てられ、腹黒狸どもに洗脳をされたのだ。恐らく、実の親に。」

クナイの切っ先は、呂舵夢の親指によって止められていた。

彼の極限まで鍛え上げられた親指は、クナイの鋭い切っ先をもってしても傷一つつけることかなわじ。

「お前は、お前の流派の名を口にすることはできない。また、お前の流派の名を聞いても意識が瞬間的に途切れ、記憶に残らない。そう、洗脳されているのだ。」

「ううっ。」

忍者の道具として育てられたくノ一は、頭を押さえつけて苦しみだす。

「お前は、お前の流派は名を奪われたと言うが、実際にはお前の流派が汚れた名を捨て、別な権威ある名に乗り換えようとたくらんでいるのだ。」

「うっ!ぐうう。」

「お前は子供達に徹底して忍術をたたき込み、それがしは幾度もお前に殺されかかった。お前の洗脳にはどのような爆弾が仕込まれているかわからない。家族を、なによりもお前自身を破滅させる爆弾がな。それ故、慎重に対応をしていたが、子供たちが強く成長した今、何を恐れることもない。それがしは、お前を魑魅魍魎の巣から救い出す!」

「くっ!止めて…もう…」

「お前の流派を捨てて、一人の女として、それがしのもとにまいれ。心に隙を作るのだ。洗脳を解いてやれる。」

「うわあああああああっっっっ!!!!」

努力子は閃光弾を床にたたきつけ、呂舵夢が一瞬目を瞑った隙に何処へかと消え失せてしまった。

「努力子。それがしは、絶対にお前を幸せにして見せる。」

筑波の座仏、鬼の師範代は、涙していた。


「運転手さん…」

命を捨てて乗客全員を救って見せた、その死に様。

久利人は長距離バスの残骸に向かって敬礼をし、高速道路を自力で降りた。

VAIO Phone Bizで現在位置を確認する。

近くに駅が一個もない。

バスに乗って、まずは神戸電鉄志染駅こうべでんてつしじみえきに向かうのが最も賢い選択に思えた。

全身の生傷の痛みに耐えながらバス停まで歩く。

バスを待つ間、愛しい黒猫をケージから出してやることにした。

しかし、愛猫ビラリーはやけにおとなしい。

寝ているのか?

ふと、嫌な予感がして少年の声色こわいろが引き攣る。

「おい、ビラリー。ビラリー!」

嫌な予感ほどよく当たる。

もはやその黒猫は息をしていなかった。

少年は、温もりを失った背中を撫でる。

「ビラリー、お願いだ。自分を独りにしないでくれ…」

最終9話のイラストもかけました。

老若男女問わずがっかりしていただけるであろう一枚となっております。

ご期待?ください。


努力子は17で久利人を生んでいるので、全然若いです。

基本的に優しい母親なのだけれど、壊滅的に常識が無い女性です。

家柄だけでは暗闇成分が抽象的すぎるので、親に洗脳されて二重人格。精神はいつ破綻してもおかしくはない脆さを有する設定にしました。

手裏剣ではなくクナイを使います。漢字で書くと「苦無」─「苦しま無い」となり、殺人シーンにも慈悲の心が残るようにしました。

飛苦無は、意味が通り辛かろうと思って、投げクナイと書き換えております。

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