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黒猫保護条令  作者: イカニスト
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第六話「手札」

黒猫保護条令

第六話「手札」


阿羅漢手の天才千枝子は、迦諾迦麺痔州人との死合しあいに勝利し、永らくヒヒ爺が居座っていた地位を手に入れた。

そのヒヒ爺は良久を連れてそそくさと退散してしまった。

天才少女は、大きく長く、息を吐き出した。

心の中にため込んでいた、様々を吐き出した。

天才少女に付き従う六車の破壊兵器ケイ子。

彼女は砕けた独鈷杵をじっと見つめている。

思うは少年Aこと平李久利人。彼女の幼馴染であり、彼女が兵器では無く女の子として在り続ける理由。

「ケイ子さん。行くわよ。」

千枝子は金堂を後にし、道場へと向かう。

大金星を挙げたというのに、少女の表情は険しい。

阿羅漢を襲名するということは、諸手を上げて無邪気に喜ぶような事ではない。

阿羅漢の座は、阿羅漢手の道に入ったすべての者が狙っている。

岩山のいただきで、無防備に千の矢に狙われている。

そういう立場になった。

それが、正しい解釈だ。

長い廊下を歩く二人。

三歩後ろを歩くケイ子が、後方からわずかに見える千枝子の表情を覗き見る。

阿羅漢の少女は一歩一歩を踏みしめながら、自分が阿羅漢手の頂点に立ったその意味を、一つ一つ思い当っている。

阿羅漢手の偉大なる歴史の中で、小娘こむすめが阿羅漢として君臨した前例は皆無。

当然、風当たりは強く相応の反発が予想される。

彼女の前に立ちふさがるは伝統。

阿羅漢手の様な千年を超える歴史を持つ門派において、伝統ほど頑固で閉鎖的で、そして理屈が通じないものはない。

そんなものを向こうに回すなんて、賢い人間のすることではない。

ぃに。」

だが少女は兄への思いから、少女を捨て、阿羅漢となる決意をした。

並々ならぬ覚悟をもって。

少女は歩みを速めた。

頂点に立ったからには、素早い行動が肝要。

早急に足場を固めねば、洒落ではなく、誰かに足元をすくわれる。

廊下を進んだ先…道場の奥には、父、呂舵夢が座している。

父こそ彼女が先ず話を通すべき相手。

阿羅漢手本堂の師範代。

筑波の座仏と呼ばれた偉大なる男。

「父上。迦諾迦かなか麺痔州人めんじすとを打ち破りました。」

「その様だな。」

鼻で笑うような父の口ぶりに、少女は一瞬むくれて見せた。

自分は平李家の格式を上げたはずだ、阿羅漢の地位を以って。

「今日から、私が阿羅漢手の長、阿羅漢です。」

誇らしげな娘に、だがしかし父親のため息は落胆を示す。

「そう、絵に描いたようにゆくかな?」

千枝子のすねたような顔。

「さても不思議な物言いをなさりますこと。」

父は娘の態度に不満を隠さない。

「喝!!!!」

その激しい音圧に、道場一帯が静まり返る。

麺痔州人が倒されたという大事を耳にしても修行の手を止めようとしなかった子供たちが、時間が凍り付いたように止まる。

いわんや娘に至っては、頭が胴体にめり込むのではないかというほど首をすくめて驚いた。

「甘い!青い!…」

呂舵夢の叱咤は続く。

「…わきが甘い!詰めが甘い!認識が甘い!考えが浅い!視野が狭い!無能無策の無策無為!考えなしの突貫は即ち無謀!用心も足らなければ、配慮も足りない!先人から学ばず、後進にも学ばず!己の無学に危機感がない!性根がたるんでおり恐れを知らぬ、楽観主義!高飛車にして迂闊!現実が何一つ見えていない!!それがお前だ!千枝子ぉ───っっ!!!!」

この上なき言われ様だが、ここで怯んでは平李家の子供は務まらない。

「お言葉ですが父上。私が何を見落としているとおっしゃるのですか?」

「まだ分からぬのかっ!」

呂舵夢は張り手で娘の小さな体を横に吹き飛ばした。

千枝子は壁に激突するも、痛みをこらえて悲鳴を上げようとしない。

「たわけが!その程度の答えは己で見つけよ!」

阿羅漢手の頂点に立った。先ずは父を取り込んで本堂を手中に収めようという算段であった。

父は娘を褒めてくれるだろうと、確信していた。

だから意気揚々と上を向いて道場に来た。

だが目算は外れ、今は叱咤される姿を百人の後輩に見つめられるという屈辱に耐えている。

呂舵夢は我が子だからこそ厳しく接した。阿羅漢手の道に妥協を許しては、教え子たちへの示しがつかない。

そして我が子だからこそ、落ち込む姿を見ていられない。

ここを堪えられないとは、まだまだ甘いと自らにため息をつく。彼は父親であった。

「千枝子、ヒントだ。大阿羅漢手は、平李の者が阿羅漢になるのを、あの手この手で邪魔立てしてきた。」

それならば、千枝子だってよく心得ている。

だから麺痔州人の首を手柄に、こうしてやって来た。

父は何故今更…

ふと思い出すのは、勝利の手ごたえの無さ。

そして、含みのある麺痔州人の物言い。

「すると、今回も…」

千枝子の顔が青ざめる。

麺痔州人に勝って、彼女が鹿野苑ろくやおんの盟約で手に入れたものは「麺痔州人の地位」。

それが”阿羅漢”で無いことなど、あり得るのか?

麺痔州人が実は阿羅漢でなかった?

その可能性に感づき、千枝子は目を見開いた。

呂舵夢は千枝子の表情から、娘が事態を正確に把握できていることを察し、満足気。

困惑する娘に、父は語りかける。今の娘なら、話が通じると確信したからだ。

「しかし千枝子。お前が動いたことで、大阿羅漢手は手持ちのカードを少なくとも一枚、切らざるを得なくなった。」

「は、はい。」

千枝子の瞳は未だうつろ。自分が阿羅漢では無い可能性が濃厚となり、内心うろたえている。

「千枝子。奴らのカードを全て吐き出させ、丸裸にするのだ。そうすればお前の失態は失態でなくなる。」

少女はしばし思案した後、決意の光を伴って、その瞳を呂舵夢に向けた。

「話は分かりました。いいでしょう。私が阿羅漢手の城門をこじ開けましょう。しかしながら入城して王座に座るのは私でも、ましてや父上でもありません。」

「ほう。」

「私は、兄様を阿羅漢の玉座に座らせて見せます。」

父、呂舵夢は深く頷く。

「十分ではないが、ましな面構えにはなった。お前も平李の人間。好きにするがいい。」

毅然として道場を出てゆく千枝子。

外にはケイ子が控えている。

ケイ子は呂舵夢を気にしたが、彼は顎をしゃくって千枝子に付き添うよう命じた。

一礼をした後、急ぎ千枝子の後を追うケイ子。

呂舵夢は禅を組みながら思う──「千枝子よ、お前は勘違いをしている。それがしとて、大阿羅漢手のカードの一枚なのだ。」


神奈川県横浜市某所、縁山動物病院。

「ベエエ、」

入り口には牛が一頭寝そべっている。

その病院内、診察室。

病院の女医、縁山へりやま麗菜れいなを前にし、久利人は愛猫ビラリーを背中に隠した。

少年は父親譲りの動じないキャラに似合わず、今そこにある危機に狼狽し必死。

危機…女医は見開いた眼を血走らせて、ゆらーり、ゆらりと悪霊に似て迫り来る。

「私にその猫ちゃんを診せに来たのではないのかい?」

彼女のガクガクと震える手に握られている注射器。針の先端からびゅるびゅると何らかの医薬的な液体が漏れ出して、彼女の右腕にべしょべしょと垂れている。

その所作からは危険性、不衛生さ、不器用さなどネガティブな要素が見て取れる。

そんなものを見てしまっては、少年の不安は募るばかり。

「押してる!注射器押してる!」

何とか自分が抱いている不安を伝えようと、てんぱり気味の少年がそう指摘をすると、女医は「ああ、」と注射器を置き、手にかかった液体をなめとり始めた。

その行為を見て、少年はさらに驚愕する。

「学名ホモ・サピエンス・サピエンスの体内に取り込んでもよい薬品なのか!それ!?」

「うー、ちょっと苦いかな?」

女医のてへぺろ。

味は聞いていない。

非経口投与するのに、味は関係ないだろう。

効能だ、効能について聞いているのだ。

本当にこの女医は、獣医学に精通しているのだろうか。

「否」、この一文字が脳裏を幾度となく駆け巡る。

女医に対する信頼が根底から崩れ去る。

彼女は”名医”の筈。ロジャー・キイスがそう言っていた。

ん?”めいい”?”めいい”ってまさか…あっちの”めいい”ではあるまいな?失礼を承知でひとつ質問をしてみよう。

「自分はあなたが名医だと聞いて、しかも黒猫をかくまってくれると聞いて、訪ねてきた。」

「”めいい”?あー、よく言われるかも。」

「失礼だが、それは迷う方の”迷医”ではないでしょうな?」

「違うよー。それ、まじ失礼だよー。」

やはり”名医”で、あっていたのか?

「誠に失礼した。」

深々と頭を下げる少年。

何かまだ見落としがある気がするのだが…心に引っかかりを残しつつも、少年は愛猫を診察台に載せた。

黒猫ビラリーは依然ぐったりとしていて、ヒューヒューと苦し気に不規則な呼吸をしている。

「あー、本当だ。これは死にそうだねぇ。」

少年は唇をかみしめて、涙をこらえる。

「なんとか…なんとかなりませんか。」

女医は大型のチェーンソーを取り出した。

エンジンをかけると、ビュイーンと勇ましくうなりを上げる。

「ダメもとで、手術してみるかー。」

ベタな!あまりにもベタなやぶ医者表現!

少年は、チョンの間瞼の上を指で押さえた後、冷静に彼女に語り掛けた。

「縁山さん。手を止めて聞いてもらえますか。」

「ん?」

「そんなものが小さな黒猫に触れたら、その瞬間に猫の身体なんて粗微塵に粉砕され、跡形もなくなりますよね?」

「かもね。」

いい加減極まりない返答に少年はカチンときたが、鉄面皮を崩さずに冷静かつ論理的に確認を続ける。

「加えて、手術って必要に応じて、本人の同意を得て行いますよね?何の算段もなく、やけっぱちに行うものでは無い。」

「かもね。」

「意見の一致を見たと考えてよろしいか?」

「うん。うん。」

同意を確認!

邪拳師は女医に延髄切りを決めた。

女医はビタンと床に沈んだ。

HPヒットポイントが常人の十分の一しかなさそうなひ弱な女性に、ちとやりすぎたかもしれぬ。」

殺してしまった可能性を考慮して、床に長く伸びている女医に対し、手を合わせて黙とう。

別な医者を探すしかないと、黒猫を抱き上げようとした瞬間。

「延髄切りは酷いにゃー、」

少年の顔の真横に、縁山麗菜の血色の悪い紫色の顔がぬっとあらわれた。

「ぬわーっ!」

仰天して飛びのいた久利人は、その血の気の無い顔に対して盛んに手をすり合わせ「悪霊退散!」と繰り返し唱えた。

少年は自分の無慈悲な延髄切りが、この世に恨みを残す悪霊を生み出してしまったのだと考えたのだ。

今、少年の横にいるのは、女医の本体ではなく、悪霊化した魂であると考えた。

「わたし生きてるヨー」

「え?」

少年は目をぱちくりさせる。

「わたし、人の十倍防御力あるから。毒とか全然聞かないし。ただし、防御力突き抜けてダメージ食らうとすぐに死ぬけど。」

サラッと言われたけど、この台詞には、とんでもないフレーズが含まれている。

すぐ死ぬって…

「死んだ事がおありで?」

「うん、覚えているだけで20回以上?その度に蘇生されて今に至る。」

おおう、VITがでら高なのにHPミニマムとか、プログラムバグじゃねーの?やはり人生はクソゲーなのか?

それはさておき、本当にこの女医は名医なのだろうか?

吹けば飛びそうなひ弱な体で、生気もなく鬱々と生きているこの女性。

久利人はVAIO Phone Bizを取り出してEdgeを起動、”横浜 縁山動物医院 評判”で検索した。

その結果から、確かに縁山麗菜は”めいい”である事が判明した。

ただし、漢字で書くと”滅入医”、気分が滅入るタイプの”めいい”であった。

「こ、この”めいい”は、気付けなかった!」

少年はめまいを覚えた。

これは殺される。命より大事なビラリーが殺される。

迷医 < 滅入医

危険性において、きっと、この不等式が成り立つからだ。

彼女に任せるわけにはゆかない。早急にこの場を…

そう考えを巡らしているそばから…

「やはりダメもとで手術するしか…」

女医は黒猫に向かってパンツァーファウスト44ランツェの照準を合わせた。

「ほほう。縁山さん。珍しいものをお持ちですね。」

ヨーロッパ製の骨董品に、忍者の血を引く少年は思わず唸った。

「去年、ドイツ旅行に行った時の御土産だよ。ちょっと陸軍に寄ってね、倉庫の奥に転がっていたのね。随分前に退役してもう使わないって言うから貰って来た。」

この女医の発言は一々狂っていて、どうしても聞き正したくなる。

「旅行で、軍事基地に行かれたのですか?」

「女の子らしくないけどね。」

女医のてへぺろ。

「それな。」

などと自分がいまだ冷静であるからと、軽い突っ込みを入れた後、「いや!ちげくて。それなじゃねくて。」と少年は前言撤回して事の深刻さを冷静に訴える。

「自分はこう思います。女の子らしくない以前に、一般人らしくないと。あなたはいったい何者ですか?よく税関通過できましたね。」

「税関は”人に向けないから”つったら通った。」

「その税関職員には!教育的指導が必要だ!!」

つい、少年の怒りが臨界点を突破した。

いかぬ、いかぬ。

口元を拭って、冷静さを取り戻す。

「人には向けないから~」

「猫にも向けぬでいただけますか。」

女医のいい加減な口ぶりに、再び怒りが爆発しそうになったが、ギリギリでこらえきる。

「でも、手術が…」

「パンツァーファウストで戦車は撃破できるが!猫の病は撃破できません!」

「一理ある。」

ムカムカくるが、少年はここでもこらえ切った。

「猫の手術をするときは、物騒な物ではなく、もっと繊細な物を用いるべきです。」

もっと繊細な物…はっ!

女医は天啓を受けたような気持になり、茄子のような形をした金属製の器具を取り出した。

少年は”うんうん”と頷く。

「そうそう。それを口に突っ込んでねじを…って、おい!!それ”苦悩の梨 (Pear of Anguish)”じゃねーか!」

久利人は驚きの余り、苦悩の梨を奪い取って麗菜の口に突っ込み、ギリギリとねじを回し始めた。

その拷問器具はパカりと四つに割れて傘を開き、中央からは鋭く尖ったニードルがせり出してゆく。

「ぐぼはあっ!!」

女医は苦痛に耐えかねて、白目を剥いて気を失ってしまった。

「今度こそ死んだか?」

床に横たわる女医に向かって、手を合わせて黙とう。

たまたま病院内にあった手頃なケージを手にし、タオルを敷いてビラリーを中に寝かせた。

「さぁ、脱出するぞ。この処刑場から。」

虫の息の愛猫に声をかけて表に出る。

「ベエエ。」

すっかり久利人に懐いてしまった牛は、主の帰還を喜んで立ち上がりすり寄って来る。

パカラッ!パカラッ!パカラッ!

馬の蹄の音。

「はっ!はっ!はっ!見つけたぞ!少年!」

禿だ。これは厄介な男に見つかった。

今すぐ逃げなければ!

慌てて牛の背に乗っては見たが、果たして牛の巡航速度で馬から逃げきれるかははなはだ疑問。

禿は嬉々として馬の尻に鞭を入れる。

「行きがけの駄賃~」

素っ頓狂な声がするので誰かと思えば、麗菜女医が巨大な注射器を手によてよてと近付いてきた。

「生きていたのですか。」

「あと、ねじを半ひねりされたらやばかった。」

「くそう!半ひねりかっ!」

少年はたいそう悔しがって、拳を牛の背中に打ち付ける。

やり直せない過去に後悔する少年をよそに、女医は「どっせい!」と、病弱キャラに似合わない怒声で注射器を牛の尻にぶっ刺した。

「取り敢えず思いつく限りのアレやナニを奔放にぶっこんだドーピング汁です。」

「ヴボアアアアアアアッ!!!!」

牛はよだれ交じりに雄叫びを上げ、筋肉はパンアップ。その図体は二回りほど大きく見える。

牛の背にまたがって居る久利人だからじかに感じるドーピング汁の効力。

牛の筋肉はいきり立ってカチンコチン。

熱を帯びてシューシューと陽炎を立ち昇らせている。

「行きがけの駄賃だから。フン!!ハァアアアアッッ!!」

女医が牛の尻をひっぱたくと、牛は高射砲を水平発射したかのようにアスファルトの上を突っ走っていった。

少年と黒猫を乗せて。

「やばい!やばい!やばい!!この加速やばいっ!!」

牛は暴走する、少年と黒猫を振り落とさんばかりに。


キッ!

一台のハイヤーが阿羅漢手財団本部前に停車した。

「料金は財団の方に請求してくれ。」

車を降りてきたのは麺痔州人と良久。

二人を出迎えるため、入り口の外側には花園はなぞのジェニファーがじっと立っていた。

「電話を貸せ。」

ヒヒじじいがジェニファーに手で催促をする。

ジェニファーは自分のスマートフォンを取り出して洋札に電話をかけ、つながったところで麺痔州人に渡した。

「洋札。今、どこにおる。」

『真上です。』

見上げるとパラシュートが一つ降りてくる。

白地に”漢”の一文字が武骨な、任侠めいたパラシュートが。

「師の御頭みかしらの上から失礼仕る!」

ズバッ!

地上まであと10m残したところで、洋札はパラシュートを切り離した。

ズドン!

地響きを伴って地上に降り立った男。

ビョウッ!

パラシュートはその男の表情を束の間覆い隠した後、突風に連れていかれてしまった。

ドオオオオ!

ビルの隙間から強襲した突風に、横から殴りつけられても微動だにせず仁王立ち。

弩鳴どなる洋札ようさつ、師の御呼びに与り早速伺候さっそくしこう致した次第。」

「大義である。」

ヒヒ爺はスマートフォンをジェニファーに放り投げて返した。

わたわたとお手玉がちに受け取るジェニファー。

スマートフォンのスクリーンを見ると、汚らしい顔の油がぎっとりと付着している。

財団本部へと入ってゆく三人を見送りつつ、こっそりと油をティッシュでふき取り、急ぎ足で三人を追いかけて応接間まで案内をした。

「洋札。貴様を阿羅漢の座に戻す。」

ヒヒ爺は、皆が席に着くのを待たずにいきなり切り出した。

「え?」

座りかけの姿勢のまま驚いたのは痩せ男の良久。

真の阿羅漢は弩鳴洋札──良久は、その真実を知らなかったのだ。

「阿羅漢の座は千枝子に奪われたのではないのですか?」

「ウェヒヒヒ」

ヒヒ爺のいやらしい引き攣ったような笑いがこだまする。

「お前が独鈷杵の偽物を用意していたように、我々も阿羅漢の偽物を用意しておいたのじゃ。それが朕である。」

「なんと!」

「阿羅漢手を一手に束ねる朕が、まさか偽物だとは思うまい。だからこそ朕なのじゃよ。」

「ははっ。恐れ入りました。」

平伏した痩せ男はしかし悔しかった。

老人は自分に身も心も許していると信じていた。

老人は、ひいては阿羅漢手は自分の掌の上にあると、痩せ男は信じていたのだ。

挿絵(By みてみん)

<※大庭良久です>

だが、現実は違っていた。痩せ男はヒヒ爺の手札の一枚に過ぎなかったのだ。

ここで洋札の発言。

「しかしながら師よ、今切り札を切るのは早計ではありませんか?」

これに頷く麺痔州人。

「そう考えるのはもっともなこと。だが、朕は千枝子と拳を交えてその技量を完全に見切った。」

「つまり、今が絶好の好機であると、」

「然り!千枝子はたしかに抜きんでて強いが、あと十年はお前には届かない。また、お前ならば呂舵夢を屈服させることも可能だ…いや、朕の見立てではその必要がない筈。朕は千枝子の本心を聞いた。平李家の野望をつぶすには十分な理由となる邪念を聞いた。現世代の平李は歴代でも最強の顔ぶれ。これを叩いておけば、今後百年、平李は我らが尻の下。安定の世が約束される。手持ちのカードは全て場に晒すぞ。総力戦だ。」

「そう…ですか。」

洋札は心の中で旧友呂舵夢に「すまぬ」と謝罪した。

「さて、朕が心得るに、財団には安いカードが一枚あったな。」

麺痔州人が視線をくれると、ジェニファーがスマートフォンで誰かを呼び出す。

間もなく応接室のドアをノックする音がして、詐欺師の鹿淵が入って来た。

三下の犯罪者は、応接室に集まったそうそうたる顔ぶれに目を丸くして驚いた。

どう考えても自分だけ場違いだ。

ジェニファーが鹿淵を見下す。

「残念だったな、詐欺師。お前の出番ができてしまった。」

路傍の小人物は雲の上の大人物たちを見渡して、「私に何ができるものですか。」と口走っていた。

「天下泰平を支える手に条件は無い。」

ヒヒ爺はいやらしく顔を引きつらせて笑う。

「迷惑者は犯罪者として罰せられる。それが常識じゃ。じゃがそれは迷惑者を飼い置けぬ懐が狭い弱者の常識。強者は殺人狂ですら飼いならす。真の強者は誰をもっても犯罪者と区別する必要がない。特に貴様ごとき詐欺師に払い出す注意はない。」

「くっ。」

これ以上なくコケにされた。

だが、巨大な権力を前に、詐欺師は言葉が出せない。

むしろ、ああ、やはり彼らから自分はそう見えているのかと納得してしまう。

「貴様は阿羅漢手の奴隷だ。逃亡や反逆には重い罰が与えられる。それを努々(ゆめゆめ)忘れるな。」

「ぐふっ。」

鹿淵は緊張の余り吐き気を催した。

「わ、私は…何をすればいいのですか…」

鹿淵は唇を紫色にしておびえている。

「平李家の夫婦、呂舵夢と努力子の関係に亀裂を入れろ。」

「はい?」

「出来るじゃろう?お得意の舌先三寸でな。努力子は忍者の家系。政略結婚で平李家に輿入れした。現存の三家の中でも名を捨てたみそっかすとはいえ、忍者の介入は厄介。これを阻止するのじゃ。」

忍者?忍者だって?自分に闇に巣くう毒蛇の相手をしろというのか?張りぼての平和の中、子供だましの嘘で小銭を得ていた自分に。

「私には、荷が勝ち過ぎております。」

「泣き言は聞かぬ。ただ、結果だけを持ってこい。出来なければどうなるか、解っておろうな。」

「ひいぃっ!」

進んでも凶、引いても凶。

冷たく乾いたプレッシャーが、鹿淵の頭から肩から凍り付かせ、上からぎゅうぎゅうと氷河の底に沈めて行く。

詐欺師は恐怖に凍えた。


「ぬおあああっ!」

得体の知れないドーピング汁により猛り狂った一頭の牛。

砲弾の様にアスファルトの上を疾走する。

振り落とされないように、久利人はひたすら牛の背中にしがみつく。愛猫がいるケージを抱いて。

そして、車がビュンビュンと飛び行く国道一号線に、牛は躍り出たのだ。

自動車の間を縫って、牛は爆走をする。

「待ちやがれいっ!!」

追うは禿の駆るサラブレッド。

速く走るために生まれたDNAが、牛に後れを取ることを許さない。

広い国道に出て、いよいよ馬は加速する。

そして、牛の横に並んだ。

「はっ!はっ!はっ!少年!観念せいっ!」

しかし、横に並ばれたことを良しとしない牛が、鼻息も荒く馬に体当たり。

馬は大きくよろけて後退する。

後ろを走っていた車は大慌てでハンドルを切る。

馬は後ろ脚で車を蹴り飛ばして、体勢を立て直すと同時に加速した。

再び蹄の音が近づいてくる。

牛は原チャリを角でひっかけて、後ろに投げ飛ばした。

一台、二台と片っ端から投げ飛ばす。

馬は不規則に転がって来る原チャリをかわすため、減速を余儀なくされる。

広くてスピードが出る道は不利だと感じた牛は細い脇道へと曲がった。

「ぶもおおっ!」

いきなり路地から出てきた車と出くわし、お互いに正面から衝突寸前!流石の荒れ牛も焦る!相手の運転手も引き攣って居る!

ドバン!!

ジャンプ一番!牛は車の上を走って行く。

牛よりスリムな馬は、ちょっとした隙間をすり抜けて走る。

車を踏みつぶしながら走る牛と、隙間を縫って走る馬。

路地を抜けて大通りに出た牛は、通り向かいの路地目指して、強引に大通りを横切ってゆく。

小型車程度なら当たり勝つ自信がある牛ならではの戦略だ。

馬は一瞬ひるんだが、それでも果敢に牛を追って前に進んだ。

急ブレーキも間に合わず、クラクションを鳴らしながら突っ込んできたセダンを、荒れ牛は斜めに体当たりをしてガードレールに弾き飛ばしてしまう。牛はこれが出来る。

馬は横から走ってくるタクシーを飛び越えて牛の後を追った。

タクシーの後ろを走るワンボックス。

助手席で子供が馬に向かって手を振っている。

禿はにやりと笑い、両手の親指を立てて、己の禿げ頭を指さした。

日射にピカリと輝く禿げ頭。

久利人は「駅に向かってくれ」と牛に耳打ち。

「ぶもおおおおっ!」

牛は狭い進路を選んで駅の方へと向かう。

そして歩道を跨ぐときに、街路樹を蹴り倒して馬の行く手を阻んだ。

「おーっとっと」

目の前に木が倒れ込んで来る。

禿は慌てて手綱を引いた。

まったくあの手この手で…牛の手段を択ばない傍若無人ぶりに閉口した馬は、一度足を止めて気を取り直してから、改めて牛を追う。

横浜駅西口。

暴走する牛と馬に、悲鳴を上げて逃げ惑う人々。

久利人が牛の耳にささやく。

「あのスターバックスに突っ込んでくれ。」

ガッシャアアアアアアッッ!!!!

ウィンドウガラスをぶち破って、牛が店内に入る。

半ば意地になって馬も店内に飛び込んだ。

棚の上のもの、テーブルの上のもの、なんもかんも空中にまき散らして、牛は突貫する。

馬の顔に熱いチャイティーラテがびしゃりとかかり、ぶるぶると長い馬面を振る。

ガシャアアアアアッ!!!!

店内を通り抜けた先のガラスを割って、店の外に出る。

牛はその後も意地になって逃げまわったが、橋を渡ってビックカメラにたどり着いたあたりで力尽きて座り込んでしまった。ドーピング液の効果もここまで。

禿は馬から降りて牛のもとへ向かう。

「!?」

してやられた。

少年に一杯食わされた。

少年はそこにはいない。

牛の背に乗っていたのは、少年ではなくベアリスタ!

少年はおそらくスターバックスの店内で、このクマの縫いぐるみと入れ替わったのだ。

変わり身の術とは、さすがは忍者の子供。

「ちっ!あの小僧めが!一筋縄ではゆかぬ。」


久利人は横浜駅の反対側、横浜シティ・エア・ターミナルに立っていた。

もうすぐ長距離バス、ロイヤルエクスプレスの発車時刻だ。

禿が馬でやってくる前に出発したい。

いよいよバスのドアが開き、乗車が始まった。

早く。早く。禿が来る前に出発したいと気が焦る。

「待て―――っ!!」

蹄の音が勢いを増して近づいてくる。

禿が追い付いてきたのだ。

蛇のようにしつこい奴。

バスの発車までは今暫く必要。

この期に及んで逃げ隠れかなわじ。

少年は禿との対決を覚悟した。

己の道を行くならば、あの禿を倒すしか無い。

そのとき、

「ぶもおおっ!!!!」

牛が横から突進して来て、角で馬を禿ごと担ぎ上げた。

そして、そのままバスターミナルの向こうへ運び去って行く。

これを見てバスに乗り込む久利人。

「はっ!はっ!はっ!そう簡単には行かぬぞ!」

禿が馬から飛び降りて、全力疾走。

だが、バスのドアは一足早く閉まってしまう。

発車だ。

「なにくそっ!」

禿は全力疾走からの三段跳びでバスの後端に跳び付いた。

これをバスの運転手がミラーで目視確認。

ピカリ!

禿頭が眩しい。

「不審者ああああああああ!」

運転手はアクセルペダルを床まで踏み込み、ステアリングホイールをダイナミックに回した。

ぎょが―――っ!!

バスは長い車体を車線を跨いで斜めにし、左右に尻を振りながら直ドリで暴走をする。

響き渡る乗客の悲鳴。

バスは乗用車や自動二輪を薙ぎ払いながら進む。

たまさか自走していた45tクレーン車両と激突するまでは。

いかに巨体を誇る長距離バスでも相手が悪かった。

車体は大きく傾き、片輪走行のままドリフトしてゆく。

大型車両同士の激突!この衝撃の一番の被害者はバスではない。

禿だ。

「ぬああっ!」

禿の握力はここで限界に達し、吹き飛ばされてしまった。

禿はバスの後方を走っていたセダンのボンネットの上に着地し、バスの行方を目で追う。

バスは停留所に停車していた別のバスに車体をぶつけることで体勢を立て直し、エンジンをうならせて加速を始めた。

禿はフロントウインドウをどんどんと叩く。

「おい!あのバスを追え!」

「え!?ええー!」

運転手は明らかに混乱をしている。

「訳は後で話す!追え!」

「いや…でも…」

「早くッ!!!!」

禿の気迫とおでこの眩しさに圧倒された運転手は、アクセルペダルを踏んでバスを追う。

その車はトヨタ MARK X 350RDS。

バスを追いつめるには十分な動力性能を持つ。

あっという間にバスの横に並んだ。

久利人がバスの運転手に叫んだ。

「不審者を乗せた車が、左横に並んでいます!」

「なぁにぃ~!不審者!殺す!」

バックミラーでボンネットの上の眩し過ぎる禿げ頭を確認し、運転手の表情は一瞬で沸騰した。

乗客全員から久利人に対し「余計なことするんじゃねぇ」とブーイング。

バスの運転手はMARK Xにぶち当ててやろうと左に車体を振る。

MARK Xはひらりと交わしてバスの右側に出た。

今度こそぶち当ててやる!!運転手はバスを右に振る。

MARK Xはまたひらりと交わして、バスの後ろを回って左側へ。

その途中。

MARK Xがバスの真後ろに入らんとする瞬間。

「運転手さん!今です!ブレーキ!!」久利人が叫ぶ。

「よっしゃああー!」運転手も叫ぶ。

キキ────ッ!!!!

びたりと止まったバスのケツにMARK Xが突っ込む。

ぐわしゃああっ!!

フロントノーズが半分の長さにつぶれ、MARK Xのエンジンが落っこちた。

禿は前方に放り出され、バスの後端に激突したが、どこかを掴もうかだなんて余裕はなく、跳ね返ってMARK Xの屋根に戻ってきた。

「こなくそーっ!」

禿はジャンプしてバスに取りつかんと試みる。

ブロロロ…

バスは再発進し、禿の手はあと5cm届かず、バスの窓からこちらをうかがう少年を見送るしか無かった。

禿はアスファルトの上に着地。

「ロイヤルエクスプレス、博多行きだな。少年、逃がさぬぞ。」

禿はiPhoneを取り出して地図を起動。最寄りの駅を確認して走り出した。


ベテラン刑事の娘咲むすめざきは、ラーメン屋でラーメンをすすりながら、はす向かいの阿羅漢手財団を睨んでいた。

すると、建物に迦諾迦麺痔州人と怒鳴洋札が入ってゆくのが見えた。

これはただ事ではない。

しかも弩鳴総理は空から降って来たぞ!

「この異常…厄災の前兆だ。」

情報屋の美浦は、依然消息を絶ったまま。彼の身に何が起こったのか、心配だ。

阿羅漢手の闇に飲み込まれてしまったのではあるまいか?

刑事デカの勘が美浦は死んだと言うが、信じたくはない。

あいつの人生は散々だったが、いい奴なんだ。生きていて欲しい。

それにしても、美浦の最後の電話で聞こえてきた音は何であったのか?どのような意味が込められていたのか?

ポポポポポというトーン音。

深く思案する彼をNexus 4の着信音が驚かせる。

誰がびっくりさせたのかと、相手の名を確認して娘咲の顔がほころぶ。可愛い息子からだ。

『母さんが”いつ帰って来るんだ”だって。直接話させると、また喧嘩になるだろ?だから僕が電話してるってわけ。』

「当分は帰れそうにない。」

『母さんは心配をしているよ。僕もね。』

「分かっている。」

『父さんの仕事は理解している。僕の誇りだよ。』

「よせよ。」

『父さんの帰りを待ってる。無茶はしないでね。』

ここで、この電話は終わりの筈だった。

ベテラン刑事の思考から、あのトーン音が剥がれていさえすれば。

ところが、息子との会話という癒しのひと時ですら、あのトーン音は頭から離れない。

「なぁ。電話でぽぽぽって、そんな感じの音を出す方法ってあるのか?」

『…うーん、こんな感じでいいのかな?』

受話器の向こうからトーン音が聞こえてきた。

美浦が送ってきた音とはわずかに異なる。

だが、確かにこういう感じの音だった。

五里霧中の中、かすかに見えた一点の光。

なんと、秘密を解くカギは愛しい息子が握っていたのだ。

「おい!他にも別な音は出せるのか!?」

『え?うん、そんなに沢山はないけど…』

「片っ端から鳴らしてみてくれ。」

娘咲はスマートフォンのボリュームを最大にした。

ポポポポポ…

トーン音が聞こえてくる。目をつむって集中して聞き入る。

「ラーメンが伸びますよ。」

店の主人が声をかけるが、娘咲は静かにしてくれと手のひらで制した。

一通り聞いた後、息子に頼んでいくつかの音を何度か繰り返してもらう。

慎重に、どの音か絞り込んでゆく。

そして…

「それだ!やはりその音だ!その音はどうやって出した!」

『数字の3を押しただけだよ。』

「数字の3!数字の3だな!」

『そうだよ。』

「ありがとう。」

娘咲は電話を切り、もっさもさに伸びきった麺を口に運ぶ。

”3”

一体それは、何を意味するのか?


博多へ向かうロイヤルエクスプレス。

久利人は、満身創痍の疲れ切った体をバスのシートに預け、目を閉じて睡眠をとる。

いつまた刺客が来るやもしれぬ。

だが、休める時に休んでおかなければ、いざという時に体が言うことを聞かない。

少年Aは、深い眠りに落ちた。

「ダイヤモンドカッター…ダ、ダイヤモンドカッター…」

夢にうなされる少年。

彼が夢で見ているのは、中学一年生の自分。

お昼休み。弁当箱を開ける。

他のみんなは箸でお弁当を食べているのに、自分はダイヤモンドカッターでお弁当を食べている。

そういう悪夢だ。

はっと目が覚めた。

久利人の膝の上。自分だって体調が悪いのに、ケージの中から黒猫が心配そうに少年を見つめている。

「大事無い。お前に比べれば。」

少年がケージの隙間から指を入れると、黒猫が愛おし気にすり寄ってきた。

長距離バスはサービスエリアでしばしの休憩。

バスが止まると同時にドアがドガンと蹴破られ、暴徒と化した乗客が、バスの入り口を破壊しながら飛び出して来る。

「トイレ───ッ!!!!」

「わしが先じゃあああああああ!」

「てめぇを殺して!俺が先じゃああ!」

そして殴り合いのトイレ争奪戦が勃発した。

久利人が乗ったバスは4列スタンダードで、トイレ付きの車両ではなかった。

膀胱をぱんぱんに膨らませ、もう一秒の猶予もない者ばかり。

「俺は長距離バスの達人!だからこのようなものも常備しているっ!!」

乗客の一人がポケットからメリケンサックを取り出し、他の乗客の額をかち割った。

「ぐぎゃああああああ!」

だが、メリケンサックなど、長距離バス乗りが有する得物としては可愛い部類。

ズドン!

突如水墨画のごとき夜空に響き渡る、.44マグナム弾の咆哮。

スタームルガー・ブラックホークを手にした乗客。

「道を、開けろ。」

その乗客は、まだ硝煙が残る銃口で威嚇しながらゆっくりと、便所への花道を行く。

カサカサカサッ!

一人の乗客が闇に紛れて背後から近付く。これに気付いたブラックホーク使いは、素早く振り返って銃を向ける。

「遅い、」

アサシンのようなその乗客はのけ反って、銃口から続く射線から身を交わす。

ドウッ!!

.44マグナム弾はアサシンののけ反った頭部をかすめて行く。

「チッ、」ガンマンの舌打ちも空しい。

「ヒュウッ!ハハハー!!」

アサシンは踊る。

ザクリッ!!

Vの字にした指で目潰し。

「ぎゃあああっ!」

ガンマンはブラックホークを落とし、顔を手で覆って痛みに苦しむ。

「プハー、」

バスの運転手はechoをまずそうに吸いながら、煙越しに久利人に話しかけた。

「少年。楽しんでいるか?長距離バスの旅ってやつをよ。」

「…」

「もし、まだ楽しみを見いだせないなら、お前さんも、あのトイレ争奪戦に加わってきたらどうだい?」

「自分は目的があって旅をしている。楽しいかどうかは、関係ない。」

外の空気でも吸おうと思ったが、そんな気分ではなくなり、久利人は自分の席に戻っていった。

すると、彼の席に誰か座っているではないか。

背もたれを倒してふんぞり返り、顔をスポーツ新聞で覆って大鼾をかいて居る。

「もしもし、席をお間違いですよ。」

「まあ…がって、にゃいろぉー」

ろれつが回って無い台詞とともに漂ってくるのは、うすら濃ゆいアルコール臭。

「よっでにゃーろー」

酒臭い!

久利人は鼻をつまんで、運転手に救援を求めた。

「すいません。酔っ払いに席を占拠されまして、助けてくれますか。」

運転手はぱっかぱっかとたばこの煙で遊びながら親指を立て、「好きにたたき出していいんだぜ!」とウィンクをした。

何という荒くれなる物言い。

それが長距離バスの流儀だというのか?

郷に入っては郷に従え。

バイオレンス色に染まるべきか、少年だって自問自答する良心はある。

「だがしかし。」

勝てば官軍負ければ賊軍…それはいつの時代、いずれの場所でも通用する万能の理。

無論気乗りしないが、他に手がないならば暴力もやむなし。

いよいよ腹を決めて酔っ払いの肩をつかもうとした処、少年ののどめがけて酔っ払いの拳が飛んできた。

少年は頭で考えるより先に、反射神経で飛びのいた。

この喉を狙う拳、自分は知っている。

今のは、ひょっとしなくても”杯手”??

いつの間にか座席の上に立って居るその酔っ払いの手は、笛を吹く時の形。

これは”韓湘子かんしょうし”。

間違いない”酔八仙拳”だ!

この酔っ払い、酔八仙拳を使う。

しかも足場の悪いシートの上で、真ん中に芯の通った立ち姿。

新聞で顔を覆って前が見えぬ筈なのに、ミリ単位で正確な動きをする。

何たる達人の風格。

この、謎の憲法使いもまた、久利人を狙う刺客なのか?

ビラリーのケージを背中側の床に置く。

久利人は腰を据えて、拳を下段に構えた。


久利人をただの子供と侮って敗北した、トレーラーの運転手”幕賀まくがじょう“。

道の駅で仮眠をとっていたところに、電話がかかってきた。

貴重な休息の時間に面倒この上ないが、電話に出る。

相手はなんと、迦諾迦かなか麺痔州人めんじすと。阿羅漢手の頂点に君臨する男だ。

「師父からお電話を頂戴し、身に余る光栄にかしこまって御座います。」

『うむ、苦しゅうない。』

「恐れ入ります。」

『ときに幕賀よ。お前は平李久利人の邪拳を見たな。』

「はい。」

少年に敗北した瞬間の、頭の中が真っ白になる感触がよみがえり、ハンドルを握る鉄人は悔しさに歯噛みする。

『今一度戦う機会があったなら、お前は勝てるか?』

「はい。」剛腕の運転手はスマートフォンを握りつぶさん勢いで返答した。

『よきかな。ならば貴様に雪辱を果たす機会をくれてやろう。』

「ありがたきしあわせ。」

『先ずは阿羅漢手財団に参れ。』

幕賀丈は”本堂ではなく財団?”と首をかしげたが、トレーラーのエンジンをかけ、言われた通りつくば市街にハンドルを切った。


久利人の邪拳の凄まじさを、高をくくった思い込みで安く見積もり、少年Aに完敗したフェリーの船長ロジャー・キイス。

彼はフェリーの甲板で天を仰ぎ、心静かに星の数を数えていた。

彼のスマートフォンに着信。

マインドフルネスのひと時を邪魔され、遺憾ながらも電話に出る。

相手は阿羅漢手の頂点迦諾迦麺痔州人。

『貴様にその気があるなら、汚名返上の機会をくれてやろう。』

この小説「黒猫保護条令」では、

アクションが切れる、

とか、

謎が深い、

とか、

考えさせられる、

とか、一切念頭にありません。


兎に角必死でコメディーのネタを考え、話の流れをネタに流す。

ただそれだけの文章です。

その辺り、最終9話の後書でも語らせていただきます。


6話は比較的にコメディー多めに書けたと思います。

えがった、えがった。

次回7話はサブタイを「努力子」にしてもいいくらい努力子の話です。

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