第四話「最初の血」
黒猫保護条令
第四話「最初の血」
「自己紹介をさせていただこう。丈の話によると、お前はそういった礼儀を知らぬようだからな。」
大洗から苫小牧に向かうフェリーの船長、ロジャー・キイスは葉巻に火をつけた。
少年Aはキイスに対して敵意をもって斜めに構えている。それが言葉にも表れる。
「敵か味方か。それ以上の情報は不要だ。」
久利人は居合斬りの様な鋭い蹴りで、葉巻の先端を切り飛ばした。敵意を明確に示すために。
キイスは葉巻を口元から放し、じっと切り口を見る。
達人が日本刀で切ったような見事な切り口だ。
なかなかのお手前。ならば相応の返答をせねばなるまい。
彼は葉巻を放り、手刀で縦に真っ二つにした。
葉巻の長手、縦方向に切る、これは横方向に切るより難しい。
少年の技を大幅に上回った。
満足げに新しい葉巻を取り出して、火をつける。
久利人は蹴りで、葉巻の中央2mmを残した左右両側を切り落とした。
葉巻は薄っぺらいヘラの様になってしまった。
これは超難しい。キイスの技を上回ってだ。
「こわっぱめが───っっ!!」
こめかみに血管を浮き上がらせて怒りに奮えるキイスは新しい葉巻を取り出し、手刀でらせん状に切れ目を入れ、スプリングの様にしてしまった。
これはウルトラ難しい。
「フフン。」
再び少年の技を上回った。これ以上の技はないだろう。
キイスは満足気に鼻歌を歌い、新しい葉巻を取り出して火をつけた。
シュバッ!!
久利人の蹴り一閃。
葉巻の側面にシンデレラの一場面を彫り込んだ。
これは正に芸術的に難しい!
キイスの顔が真っ赤に茹で上がる。さすがにこれを超える技は思いつけない。
「く────っっ!!」
悔しがる!悔しがる!
だが数秒ののち、ふっとキイスの表情が冷める。
「っだらねぇ~。あー。くだらねー。こんな事にムキになるなんて、幼稚園児かっつーの。」
彼は野太い右腕を差し出した。
「お互い、阿羅漢手の門派同士。決着は阿羅漢手だ。」
久利人も右腕を差し出す。
「して、試合の格は?」
キイスは左手であごをさすった。
「丈は律師で負けたと聞いた。ならば今回は格を一段上げ、僧都がよろしかろう。」
「あい分かった。」
邪拳の少年の目が怪しく輝く。
ビビビ、バチン!
突然の停電。
暗闇の中、二人の強者が激突した。
「ナモー タッサ バガワトー アラハトー サンマー サンブッダッサ!!」
襲いかかるキイスの怒声は、メガ津波のごとき海の男の迫力。
これを受ける久利人の静けさは氷の刃のごとし!
!!!!
!!
!!!!!!!!
三分後。
ピー、プチン。
電源が回復し、明かりが戻ってくる。
そして、
ズガ────ッッ!!
「ぐおおおっ!!」
吹き飛ばされ、右腕を抑えて悲鳴を上げていたのはロジャー・キイス!
「葉巻をやると良い。気が落ち着……くっ!」
激戦が祟り、勝者である久利人も膝をついてしまった。
格闘技がスポーツ化して久しい現代に、これほど実践的な流派が存在するとは。
一体阿羅漢手とはいかなる格闘技なのか?
久利人は壁に肩を押し付けてずるずると立ち上がり、ケージに手をつきながら、激戦に疲弊した足で愛猫ビラリーの元へ向かった。
逃亡に疲れ果てた少年は”愛猫に会いたい”と、それだけを欲した。
ビラリーがいるケージ。
そして少年は、思わず息をのんだ。
背筋がぞっとした。
ビラリーが、ビラリーがぐったりと横たわっているのだ。
苦し気な吐息を発して…
「う…うそだ…こんなことがあってたまるか!」
久利人は阿羅漢手門派として虐げられてきたことを、邪拳の男として生まれてきたことを呪ったことはない。
だが今、初めて運命を呪った。
愛猫に平穏を与えてやれない、己の運命を。
「その猫、歳はいくつだ?」
痛みに震える右腕を抑えながら、キイスが少年のそばに立ち尋ねた。
「16歳だ。」
キイスのため息。
「人間の年齢にすれば80歳と言ったところか。その老体でお前と死線をくぐり抜けてきたのだ。むしろよく持ちこたえてきたと称賛されるべきよ。天晴な猫だ。」
無論キイスに悪意などみじんもない。だが少年はネガティブに受け止めてしまい、過敏に反応。
「そんな!そんな、もう終わりみたいな言い方をするなぁっ!!」
少年Aの目から、大粒の涙がぼろぼろとこぼれ落ちる。
これを見かねたキイスが「俺はまだ鹿野苑の盟約を果たしてはいないぞ。」と、久利人の肩を抱く。
その盟約によれば、一つだけ、少年の願いを聞いてやれる。戦いの格とキイスの能力の範囲で。
「獣医を…黒猫保護条令推進部の手が回っていない、腕の立つ獣医を紹介してくれ。」
少年の涙は止まらない。
キイスはケージの鍵を開けてやった。
少年は愛猫の力ない体を包み込むように抱く。
苦し気な呼吸を続ける猫が、少年の腕に甘える。
「俺の顔が利く獣医となると横浜だ。北海道からは遠いぞ。推進部に引き渡して手厚く介護してもらった方がいいのではないか?」
久利人は首を振る。
「その黒猫保護条令に疑いが在るから、こうして逃げ回っている。」
いや、それは実は少年にとっての体の良い言い訳なのかもしれない。
少年にとって、愛猫ビラリーと離れ離れになることこそ、耐えがたい苦痛なのだ。
北海道はまだ黒猫引き取りの対象外だが、病を患っているとなれば別だ。特例措置が適応され、獣医が黒猫を引き渡してしまう。
動物病院に駆け込んだ瞬間に、久利人とビラリーは離れ離れになってしまうのだ。
そこで久利人はその特例措置に目を瞑ってくれる獣医をキイスに求めたのだ。
キイスは目を伏せてじっと少年の思いを感じていた。
「そうか。では、横浜の獣医に話は通しておいてやる。評判の獣医だ。そう、『めいい』ってやつさ。後はお前…いや、お前達次第だ。」
少年の背中が小さく見える。
「次に戦う時は俺が勝つ。それまで、誰にも、そしてどのような運命にも負けるな。」
哀れでならず、出来るならば抱きしめてやりたい。
案ずるなと慰めてやりたい。
だが少年Aは阿羅漢手の闘士。この道に足を一歩踏み入れたその瞬間から、一切の甘えは許されない。
あまつさえ彼は独鈷杵を盗んだ罪人…ん?ここでキイスはふと考える。
少年Aは果たして悪意を持って独鈷杵を盗むような人物であろうか?
キイスの見立てによれば、答えはNOだ。確かに少年は邪拳を使うが、心は曲がっているとは到底思えない。
「お前の気持ちは察する。だから気が乗らなければ答えなくてもよい…その…質問があるのだ。」
「…」
「何故、独鈷杵を持ち出した。」
少年の目は絶望に満ちてキイスの方を向いた。
「言っても信じぬだろうが、罠にはめられたのだ。」
海の男は、何やらやっと腑に落ちた面持ちでため息をついた。
やはり少年Aは、彼の見立て通り、盗人ではなかったのだ。
ただの黒猫を愛する少年。それが少年Aの実態。
「お前は、阿羅漢手の酷道を選ぶべきではなかった。」
少年は平李家の事情について何もわかっていないと首を振り、言葉を吐き出す。
「親の七光り強制執行版ってやつでな、進むしかなかったのさ、酷道だろうが険道だろうが…自分も妹もだ。」
つくば市街、平李邸。
奇門遁甲に通じた占い師の少女、江出琉万梨阿が訪ねてきた。
玄関にて、六車ケイ子が出迎える。
「千枝ちゃんに御用事?」
「ええ、私は千枝子さんに着信拒否をされている。直接来るしかなかった。」
千枝子が玄関に万梨阿の姿を見つけ、ズダズダとけたたましく駆け寄ってきた。
「よくものこのこと現れたものね!この女狐め!」
「千枝子さん。話が…」
万梨阿が冷めた表情のままぼそぼそと訴えるが、ブラコンの妹は頭に血が上って聞く耳持たず。
「兄を婿に出す気はありません!!!!ケイ子さん!その女狐を追い払って、塩をまいておいてちょうだい!!」
「待って、千枝子さん。」
万梨阿は冷めた表情のままケイ子を押しのけて玄関を上がり、千枝子を押し倒してクリップラー・クロスフェイスで固めた。
「痛い!痛い!痛い!まじ痛い!」
ググるとわかるが、良い子はまねをしてはいけない系の、非常に痛いプロレス技なのだ。
「お願いよ、千枝子さん。話を聞いて。」
しかし千枝子も強情なもので、なかなか首を縦には降らない。
万梨阿は冷めた表情のまま、無言でレインメーカー式Vトリガーをぶちかました。
「ごふぅ~!!」
長い廊下を遠くに吹き飛ぶ千枝子。
縮地の足さばきでこれを追った万梨阿は、畳み込むようにガットレンチ・パワーボムで千枝子を床にたたきつけた。
バキム!!
分厚い床板も、この衝撃には耐えきれず割れてしまった。
舞い上がり飛び散る木片を冷めた表情のまま眺める万梨阿。
:
その様なことがあり、座敷に通された万梨阿は畳の上に座し、紫檀一枚板漆塗りの座卓の対面に千枝子とケイ子を見ている。
千枝子は胡坐をかいて、不満そうに頬杖をついている。
「兄のことは諦めてちょうだい。」
「千枝…」
「兄はまだ16です!30までは婿に出すつもりはありません!!」
話がかみ合っていない。
千枝子はいきり立って、座布団の上に半立ちになっている。
すなわち聞く耳持たずの構え。
ケイ子はケイ子で「私という幼馴染を差し置いて、どこの泥棒猫ですか!」と眼鏡に憤りを乱反射させている。
場は混沌とするばかりで話を切り出す隙間が無い。
万梨阿は冷めた表情のまま座卓の上を走り、シャイニング・ウィザードで千枝子の顔面を蹴り上げた。
座卓の上に立ち、顔面を抑えてのたうち回る千枝子を、冷めた表情のまま見下ろす万梨阿。
「私の占いの結果を伝えに来たの。天辛盤地乙盤の白虎猖狂。これは凶星が怒り狂う意。もう一度言うわ、凶星が怒り狂う意よ…私が伝えるべきはそれだけ。」
千枝子はまだ、畳の上で海老ぞりになっての痛みに耐えている。
万梨阿はポケットに手を突っ込み、座敷を出て、すたすたと廊下を玄関へ戻ってゆく。
ずぼ。
先ほどガットレンチ・パワーボムで開けてしまった床の穴に右足がはまる。
よろけて転びそうになったが、これは何とかこらえた。
「…」
何事もなかったかのように穴から足を引き抜き、平李邸を後にした。
住宅街の路地を10mほど進んで、占い師?の少女はふと立ち止まって後ろを振り返った。
平李邸を見やる。
「そう、凶星が怒り狂う時が来たのよ。」
一陣の風が、彼女の長髪を巻き上げた。
「う、うう…ダイヤモンド…ダイヤモンドカッター。」
久利人は夢にうなされて居た。
随分と苦しそうに唸っていたあと、遂にがばりと起き上がった。
瞳孔が開ききった目。身体は嫌な汗でぐっしょり。
「また、あの夢か…」
ボーッ!!
汽笛が鳴る。
苫小牧駅はもうすぐだ。
と、いうことは、もう昼にならんと言う時間の筈。
夜更かしをした分、随分と寝過ごしてしまった。
「ビラリーが腹を空かしている。」
久利人だって育ちざかりに朝食抜きなわけだが、彼にとって一番は愛猫ビラリー。
自分の食事は後回しにして、猫にエサを与えに行く。
彼はキャットフード1パックとプラスチック製の小皿を手に猫を預けてあるケージへと向かった。
「ビラリー、遅くなって御免な。餌と水を持って来たぞ。」
ビラリーは食欲が無い様子で、ぐったりと横になったまま。
「ビラリー…」
餌の上に、久利人の涙が落ちた。
弱り切った黒猫は、重たそうに体を起こし、餌に落ちた久利人の涙を舐めた。
そして必死の表情で、前足を震わせて餌にかじりついた。
「そうだ、いいぞ。食えるうちは死にはしない。食うんだ。」
苫小牧港。
小雨が降って居る。
一千万円の陶磁器でも扱うかの様に、黒猫を慎重に抱きかかえた久利人が、フェリーから降りて来た。
彼を待ち構えていたのは、牟尼たち黒猫保護条令推進部調査室の三人。
早速牟尼の部下が久利人を確保せんと駆け出すのだが、牟尼がこれを制する。
「係長?」
「様子がおかしい。ここは、俺に任せておけ。」
少年は傘もささず、だがしかし猫だけは濡らさぬようにと上に覆いかぶさり、絶望に満ちて歩を進める。
牟尼は積極的に歩み寄ることはせず、少年が自分の近くを通り過ぎるのを待った。
「久利人君。」
少年は驚いたようにはっとして足を止めた。
部下たちはその過敏な反応を見て、牟尼の判断が正しかったことを理解した。
「驚かせて済まない。」
牟尼は自分の傘を少年の上に持って行った。
「小雨とはいえ、風邪をひいたら大変だ。」
「代わりに、あなたが濡れてしまいます。」
「良いのだ。おじさんは風邪くらい引かないと休みがもらえなくてね。」
善人の温かい気持ちが、傷心の少年に伝わってくる。
「…」
「喫茶店で、落ち着いて話をしよう。」
「あなたは推進部の人なんですね?」
「お察しの通りだよ。だが、勘違いしないで欲しい。おじさんは君を助けたい一心で、千葉県からはるばる北海道までやって来たんだ。」
久利人は黒猫のことで頭がいっぱいで、良き大人の言葉が意味するところを察せ無いで居る。勢い、返事は木で鼻をくくったようになる。
「申し訳ありませんが、喫茶店は無しです。時間が惜しい。」
その焦燥感溢れる気持ちは、決して歩みを止めようといない少年の態度からくみ取れる。
よく見れば少年が抱いている黒猫はぐったりとしている。
「君の黒猫、船酔いとかではないのかい?」
牟尼は少年の神経を逆なでしないように言葉を選んで、状況を尋ねた。
少年は目を伏せて今にも泣きだしそう。
「ならばいいのですが。生憎、ビラリーは船に乗って酔ったことがないのです。」
「君の猫は”ビラリー”と言うんだね。具合が悪いならなおのことおじさんに預けるんだ。最善を尽くすよ。」
「…そ…それが出来るなら、」
少年はとうとう泣き出してしまった。
「あてはあるのか?」
久利人は推進部の人間に自分の行き先を言うつもりはなかったのだが、牟尼の人柄にほだされて「横浜」と口にしていた。
牟尼は部下二人を呼び寄せて、少年Aに同行するよう指示した。
「久利人君、君は狙われている。推進部の保護下に入るんだ。幸い北海道はまだ黒猫引き取りの対象外だ、横浜まで強制引き取りをせず見逃してあげられる。」
久利人は歯を食いしばって首を振る。
「阿羅漢手の門構えを甘く見ないでください。あれは地獄の門です。自分はあなたの部下の命まで守ってはやれない。死にますよ。」
牟尼は少年の言葉に頷いて「わかった。おじさんが付いていこう。」と即断した。
二人の部下は「係長!」と声を荒げて心配する。
部下の代わりに自分の命を危険にさらそうとしている牟尼を。
「二人とも、俺のことが心配なら横浜までの道を確保しておけ。」
久利人は牟尼の優しさに感謝しつつも、甘えを良しとせず「あなた、死にますよ。」と、きつい言葉でくぎを刺した。
そうは言われても、まっとうな大人として、子供一人を危険にさらすわけにはゆかない。
牟尼は少年のそばを離れず、千歳線で共に千歳空港に向かう。
牟尼と言葉を交わすうちに、久利人は一匹狼の邪拳使いから、ただのすねかじりの高校生になっていた。心が温かい。
「あの女狐、どこまで知っているのかしら?」
千枝子は畳の上に大の字になって寝そべり、天井を眺めている。
金槌でトンカンとやって、廊下の穴をふさいでいたケイ子が廊下側から居間を覗き込んで「千枝ちゃん、何か言いった?」と尋ねた。
「あの女はどこまで知っているのかって、そう言ったの。」
ケイ子は「たぶん、何も知らないわ。」と、簡単に言った。
千枝子はがばりと起き上がり「そんな口ぶりではなかった!」と噛み付く。
ケイ子は肩をすくめて見せた。
「万梨阿さん自身は何も知らないのよ。彼女の占いがすべてを知っていて、必要な時に、必要な人に、必要な言葉を与える。」
「あの女狐は神の口であって、神の知識ではないと?」
「万梨阿さんは聡明だから、神の言葉からある程度は察する。つまり的確に神の言葉を伝えられる。それでいて100%は理解出来ない。」
「凶星が怒り狂う時…」
千枝子の脳裏に先ほど平李邸で傍若無人の限りを尽くし、嵐のように去っていった万梨阿の姿がよみがえった。
まるで凶星が怒り狂った様な万梨阿の姿が。
「凶星…」
もう、怒り狂った後なのではなかろうか?
千歳にも動物病院は多数有るのだが、久利人に紹介してやれない自分が恨めしい。
まさか黒猫保護条令推進部の現場係長が「特例措置は目を瞑れ」などとは言えない。
それ以前に黒猫保護条令執行本部には専属の獣医が居る。だから実は、推進部の牟尼が町医者に治療を頼むこと自体がおかしな話になる。
その辺りの筋を通すには横浜で久利人と交渉し、黒猫を引き取るしかない。
少年に元気になった愛猫の姿を見せてやりたい。別れは辛かろうが、何の心配も無く、元気いっぱいの彼の猫を引き取りたい。
それに彼は命の危険にさらされている。できれば横浜の後もつくば市まで同行して、少年を守ってやりたい。
牟尼と久利人は千歳空港に到着。AIR DOの羽田空港行きチケットを入手した。
搭乗時刻まではまだ間がある。それを確認したうえで、二人は一旦空港から出た。
実は牟尼の部下の一人が気を利かせて千歳の動物病院を訪ねて回り、自分の身分と黒猫のことを伏せて拝み倒し、猫用の薬を入手したのだ。
この連絡を聞き、少しでも早くビラリーの苦しみが楽になればと、落ち合う場所である南千歳駅改札口に向かったのだ。
「ありがとうございます。」
久利人は牟尼と彼の部下二人に向かって、深々と頭を下げた。
部下は猫用のおやつ「かにかま」も買ってきていた。
少年は道の端に座り、かにかまを小さく裂いて掌に乗せ、薬を混ぜてビラリーに与えた。
黒猫は相変わらず食欲がわかなかったが、少年の気持ちを察し、少しずつなめとって食した。
食べ終わった後、少し咳き込む。
少年は急ぎ手を拭き、手をお椀の形にして、ペットボトルの水を注いだ。
水を飲んだ後、黒猫は少年の腕の中で穏やかに寝息を立て始めた。
きっと、苦しみが楽になったのだ、眠れるほどに。
少年はホッとして今一度二人に頭を下げた。
千歳空港に戻る。
バキン!!
久利人が通り過ぎた、その真後ろの駐車車両のフロントガラスが突然割れた。
振り返って、車のシートの背もたれにできた裂け目を確認。牟尼の頭髪が恐怖に逆立つ。
銃痕だ。
「銃が狙っている!伏せて!!」
久利人の袖を握ってアスファルトに引き倒しながらそう叫んだ。
部下も頭を低くしながら「伏せて!伏せて!伏せて!」と周囲の一般人に向かって、強烈に注意喚起をする。
狙撃手は、次は外さない。今の一発でずれを修正してくる。
牟尼は推進室の外回りに配属になるとき、一通りのレクチャーは受けた。
しかしながらテロリストなんて自分には縁がない存在と軽んじていた。
まさか本当に対テロリストの知識が役に立つ日が来るなんて。
銃痕から狙撃手のおおよその位置は判る。
「久利人君。走るぞ。せーのっ!」
少年の頭を低く抑えつけながら、がむしゃらに走った。
部下は「地面に寝そべって、手荷物で頭を守って!」と周囲に指示を放ちながら、二人の後を追う。
スナイパーは動く標的を狙って、二回引き金を引いた。
だが二発目も外れて、銃弾はアスファルトをえぐった。
「どうだ?動く的は当てにくかろう。」牟尼は鼻を鳴らす。これもレクチャーで得た、付け焼刃の知識だ。
もうすぐエントランス。建物の中に入ってしまえば、狙撃手の位置からは完全な死角となり、諦めざるを得ない筈。
そのエントランスの額縁に牟尼の指がかかった。
「あ、」
声を上げたのは、二人の後ろを走っていた牟尼の部下。
彼には見えていた。前を走る牟尼の腰が、横に大きくくの字に曲がった瞬間が。
牟尼自身も自分が被弾したことを理解していた。だが、どれほどのダメージを受けたのかまでは把握しておらず、その時はある意味楽観視していた。
建物の中に久利人を押し込んで、自分の足腰がいうことを聞かないことを知って、じわじわと意識が死に直面する。やばい。牟尼は自分は致命傷を受けたのだと理解した。
「あーぁ、」死を前に何故か、そのようなため息が漏れた。
「係長ぉーっ!!」
全力疾走をして来た部下の男が牟尼を脇に抱えて、エントランスに飛び込む。
床に寝かせた牟尼の腹部から、鮮血がとめどなく流れ出る。
部下はネクタイを外して、傷口を縛り上げる。
牟尼は頭を持ち上げて何か察したように唸り、久利人に「大事ないか?」と声をかけて、その直後呆気なくこと切れた。
少年Aは「だから、忠告をしたのに。」と、吐き捨てる。
命を救ってもらって、その様な言いぐさはない。
部下は久利人に一言苦言を呈してやるつもりだったが、少年の牟尼を失った辛さに耐える表情を見て、釣り上げかけた目じりは、自然と下がった。
少年も、牟尼の人柄に心を許し、頼っていたのだ。
「久利人君。横浜に行け。」
その突き放す声色に、少年は身を強張らせた。
「すまないが、俺には係長ほどの覚悟は無い。ここからは一人で行ってくれ。」
少年の表情が、すねかじりの高校生のそれから、一匹狼の邪拳使いのそれに戻る。
「ああ、自分は一人が性に合っている。」
少年は牟尼の亡骸に合掌をして、何やら呟くと、飛行機の搭乗口へと向かっていった。
残された部下は、尊敬する上司の死に顔を正面から見れない。
「係長。面目ありません。俺には出来ませんでした。」
自分の意気地なしが悔しくて涙し、唇を噛み締める。
時間が前後するが、努力子は例によって床下から呂舵夢が座する位置まで移動し、彼にフェリーでの顛末を伝える。
「久利人は毒針を使う暗殺者を退け、うちの誘いにも乗らず、そしてうちの手の者の報告によると、かのロジャー・キイスをも倒した様です。」
「ほう、久利人の奴め。そろそろ死体で戻ってくるかと思いきや、なんのなんの、父の想像を超えてしぶといことだ。フハハハハハ!」
「全く我が子ながら舌を巻く二枚腰で逆境に強い。でも、うちにも忍者の意地があります。次こそは落として見せましょう。」
「良きに計らえ。」
そして努力子の気配は、音もなく消え去った。
僧侶のごとき豪傑は、ふと鼻をくすぐって行った風の匂いを嗅ぐ。
「こ、これは…」
呂舵夢ほどの土性骨の座った男が、全身にじっとりと汗をかき、戦慄した。
「凶星が、凶星が来る。これは凶星を呼ぶ風だ。」
その頃。この小説の作者にして全知全能の俺様、平習遠は、プレスター・ジョン国王からの献上品の一つであるワインをテイスティングする片手間に呪文を唱え、三千里離れた海で俺様が遣わした旅団の行く手を阻む大鮫魚を氷のオブジェに変えた。
マジ俺様強ぇえ。超最強。
久利人は定刻通り羽田行きの飛行機に乗った。
隣の席が空いている。
そこには牟尼が座るはずであった。
優しく微笑む中年男性の姿が見える。だが、それは虚しい幻。少年Aは再び一人。
とうとう死者が出てしまった。
いや…阿羅漢手本堂が本気になって、今まで一人の犠牲者も出なかったのが、そもそもおかしな話だったのだ。
もうこれ以上の犠牲者を出してはならぬ。
久利人は阿羅漢手本堂がむいた牙を一人で受ける決心をした。
だが少年はマタギに仕留められるばかりの、半矢のちょきではない。若くても狼の端くれなのだ。鋭く尖った爪と牙は伊達では無い。
この機内で、また別な刺客が襲って来るかもしれない。
そう考え、右に左に警戒し、刺客を探す。
右でコーヒーをすすっている目つきの鋭い男、あいつか?
左で映画を見ている体格のいい女、あいつか?
はたまた後ろ…
「お客様。」
背後から声をかけられぎくりと首をすくめる。
慌てるな。
状況的にキャビンアテンダントに違いない…いや、キャビンアテンダントに偽装して自分の首を狙う刺客かもしれない。
油断は禁物だ。不用意に後ろを振り返っては隙を作る。
少年は殺気で後方を威嚇した。殺気に対する気配の変化、反応で、相手の素性のあらかたは知れる。
「お客から、黒猫の匂いがします。」
少年のことを知っている。やはり阿羅漢手の手の者か?
緊張感高まる中、少年はVAIO Phone Bizを取り出してカメラアプリを起動。
フロントカメラに切り替えることで後方を確認した。
そして溜息。
不用心に後ろを振り返る。
「母さん。」
キャビンアテンダントは久利人の母、努力子であった。
努力子は息子に顔を近付け、二人はひそひそと会話を始めた。
「やっふー。また、来ちゃった!」
「母さん。また、あの夢を見たよ。」
「まぁ。ケイ子さんが住込みの家事手伝いをしてくれるようになって、あの夢はもう見なくなったと思ったのに。」
「それまで、それが正常だと思っていたことが、実は異常であったと知った衝撃。そのトラウマがそう簡単に払しょくされるものか。」
「うふふ。それよりも久利人。お前のしぶとさに、父上も笑いが止まらない様子。先ずは天晴と誉めておきましょう。」
「親の酔狂に付き合って足搔いて居る訳では無い。人が一人死んだ。善良で無関係な男がだ。」
「平李家の嫡男が気に止めるには、蚊に食われた程度の些事。」
「ならば自分や母さんの命も些事か?」
「無論。命の有無にこだわる等、心理を心得ておらぬ証拠。その善良で無関係な男の生き様、死に様は無様だったか?」
「無様なものか!!見事!……見事の…一言…」久利人は牟尼の優しさを思い出し、涙を見せぬ様唇を噛み締めて堪えた。
その表情から、息子の気持ちを察する努力子。
「その男はお前や、おそらく他の者の中にも大きな存在として残った。分かるか?死に惑わされてはいけないのだ。それともお前はその男の生き様、そして死に様を冒涜するつもりか?」
「違う!!」
思わず声を張り上げてしまった。
周囲の耳目が集まる。
努力子は機転を利かせ「これは失礼。コーヒーはミルク抜きでしたか。」などと適当を言う。
集まった耳目は「子供の我儘だ」と散ってゆく。
うまく誤魔化してやったぞ。勝ち誇った母のどや顔。
息子は一本取られて舌打ちをするのみ。
「で、今日は何を持ってきたのですか。」
「フフン。お前もなかなかに段取りと言うものが分かってきたわね。」
努力子は胸の谷間からぽよんとした何かを取り出した。
潰れた平べったい鼻。豆粒のように小さい目。パンパンに張ったお腹。短い四肢。
だが無性に可愛らしい。
ミニブタ!ミニブタの赤ちゃんだ!
「さぁ、これならどうよ。飛ばねぇただの豚よ。カワイイとは、こう言うことよ。」
努力子はミニブタの腹部を久利人の頬に押し付けた。
「きゅるるぷにん波―――っ!」
「ぷきー」
久利人はその愛らしい鳴き声にやっつけられた。
「卑怯だぞ!全く恥を知れっ!!」
久利人はミニブタの腹部に激しく頬をスリスリする。
それはホモサピエンスのDNAに刻まれた本能。抗う事かなわじ!
ミニブタの腹の弾力係数と摩擦係数、そして温度が、ヒトのDNAに記載されている快適値と合致しているのだ!
「うおおおおおっ!卑劣なりッ!」
頬をスリスリしてしまう!頬をスリスリしてしまうっ!
「この無敵のぶさ可愛さにひれ伏し、今度こそ黒猫からミニブタに宗旨替えしてしまうがいい。ほうら、ほうら。」
久利人の表情がしゅっと真顔になる。
「いや、それは無い。」
今度こそ行けるとふんでいただけに、母の動揺は激しい。
「な、何故だ!納得できる理由をオペラ的に歌いあげろっ!」
少年はため息をつき、そして遠くを見やった。
「母ぁさんー。成長したーミニブタのー体重を知っているかいーっ?30から50kgぅー。中型犬から~下手したら大型犬の体重だよぉーねぇー?これをーミニと言えるだろうか?言えるだろうーかぁーあーっ!そう、ミニブタは自分にとってぇ、大きすぎるんですーぅーっっ!!」
「くっ!」
努力子は息子のストライクゾーンの狭さに、がっくりと膝をついた。
「流石は我が息子。骨のある奴め。」
努力子はミニブタの赤ちゃんを胸の谷間にしまい、ジェットエンジン付きバックパックを背負った。
「また来るので!」
「二度と来るなと言っているので!」
努力子はGM-94ポンプアクショングレネードランチャーで旅客機の搭乗口を破壊。
高笑いをしながら空中に身を投げた。
ゴアアアアア────!!!!
後方から近づく豪快なジェットエンジン音。
赤と黒で塗り分けられた忍者カラー。
T-50 PAK FAジェット戦闘機だ。
追尾ミサイルなど火器をフル実装しているのが見て取れる。
何を撃墜するつもりなのか?
戦争に行く気満々のいでたちではないか。
「母さん。どの戦場が母さんを待っているんだい?」
そんな息子が思わず口にした疑問も頷ける。
努力子はPAK FAのコックピット後方にとりついた。
パラシュートを切り離し、腰のベルトからワイヤーを引き出して戦闘機に固定、スプレー缶を取り出して全身にグリスを吹きかけた。
コンコンとコックピットを叩いて合図する。
パイロット、サムアップ。
ゴアッ!!キイイイイ!ガアアアアアアアアッッ!!!!
PAK FAはマッハ2で飛び去った。
「メーデー!メーデー!」
努力子が搭乗口を破壊したため、旅客機は新潟空港に緊急着陸をすることになった。
旅客機は破壊された搭乗口のあたりからヒビが広がり、折れかかって居る。
「母さん。自分は、母さんに殺されるのかもしれない。」
旅客機はいつ空中分解してもおかしくはない。
機長の慎重な操縦で、何とか滑走路までは持ちこたえたが、着地の衝撃で機体は真っ二つに折れてしまった。
「うおおおおおーーッ!!!!」
阿鼻叫喚の喧騒の中、久利人も死と近接する恐怖に叫ぶ。
ズガ────ッッ!!
機体は横転して滑走路を、火花を飛ばしながら300m滑って止まった。
久利人は目を回して上下を覚えず、痛みに身体は言うことを聞かない。
周囲からは悲鳴とうめき声ばかりが聞こえる。
「うっ…くっ…ぬおおおっ!!」
少年は苦痛と定まらない意識に抗って、気合だけで立ち上がった。
そして搭乗時に預けたペットケージを旅客機の残骸の中に探す。
愛猫が入っている、そのケージを。
「ビラリー!!ビラリー!!」
大丈夫な筈だ。
AIR DOから借りたケージは使い込んだ風体だったが頑丈なつくりをしていた。
それに何時ものビラリーの敏捷さが加われば、なんということはない筈だ。
絶対に生きている!!
自分にそう言い聞かせて、奇跡を信じた。
そして、
力ない、猫の鳴き声が聞こえた。
聞き間違うものか。
「ビラリーーッ!!!!」
少年はペット用ケージを手刀で破壊した。
中に入っていた黒猫を抱き上げる。
「よくぞ生きていてくれた!!」
パトカーと消防車と救急車が一斉にやってきた。
少年は機内でグレネードランチャーをぶっぱなした努力子の身内だ、警察に事情徴収されたら厄介なことになる。
「ちっ!」
少年Aは黒猫を抱きかかえて走り、地獄絵図の滑走路から逃げ出した。
空港内でAIR DOのアナウンスを聞いた。
『代替えの旅客機を準備中です。登場を希望される方は1階の国内線チェックインカウンターでお手続きをしてください。』
この大騒ぎだ、代替え機なんぞ待っていたら明日になってしまう。
それまでビラリーが持つとは思えない。
少年はJR新潟駅行き直行リムジンバスに飛び乗った。
新潟駅から新幹線で東京駅に向かうためだ。
黒猫はバスの運転手に見られないよう、服の内側に隠した。
お腹が不自然にこんもりするわけだが、特に何も指摘されはしなかった。
バスの中で新潟駅周辺のペットショップをググるが、駅から遠い。
止む無くコンビニで手提げ袋とタオルを買い求め、虫の息のビラリーを袋の中に寝かせた。
新幹線で東京駅に向かう。
「ビラリー…頼むぜ。誰のためでもない、自分のために生きてくれ。」
いぶし銀のベテラン刑事娘咲。
彼は思うところあって、詐欺の容疑で手配中の鹿淵を泳がせていた。
ラーメンをすすって、時が満ちるのを待っていた。
「ちと、しょっぺぇな。」
味に文句を言いながらも、汁の一滴までたいらげる。
空になったどんぶりに用済みの割りばしを放り込み、一口水を飲もうと安っぽいコップに手を伸ばした瞬間、彼のNexus 4に着信。
彼は、彼の息子が「スマートフォンならGoogle製が一番!」と言って選んでくれたこの古い端末を、バッテリーを交換しながらずっと使い続けている。
ROMは彼のオタクっ気のある息子が、Lineage OSの最新版を焼いてある。
結果、ベテラン刑事のキャラクターにそぐわない、極めて趣味性の高い端末に仕上がっている。
さて着信は情報屋からだ。警察の組織は横方向に風通しが悪い。娘咲は他部署の情報を情報屋経由で仕入れている。
きっと悪い知らせだが、望んで集めている情報だ。聞いてしまわなければ話が先に進まない。
「おう。俺だ。」
『娘咲さん。何が、どうなっているんですか。』
「ああん?」
『聞いて驚かないでくださいよ。黒猫保護条令推進部調査室の牟尼係長が千歳空港で狙撃され、羽田空港行きの国内線がテロの攻撃を受け、新潟空港に軟着陸後大破です。』
ベテラン刑事は思わずNexus 4を耳から放し、無意味にスピーカーがあるあたりを眺め、再びNexus 4を耳へ戻した。
信じられない。幻聴か?情報屋の悪ふざけか?
「お前、酒は抜いて話しているんだろうな?」
『どれだけ酔っていても、一瞬で醒めますよ!じきにテレビでもやると思うのでお駄賃云々は申しません。ただね、これはなっちゃいねぇ。』
娘咲は彼の情報屋の正義感をよく心得ている。情報屋は馬鹿で、随分と損な人生をやけっぱちに生きてきたが、性根は曲がっていない。
店内のテレビを見やると、くだらないバラエティー番組が映っていて、店のオヤジ以外誰も見ていない。
「おいオヤジ!テレビのリモコンをよこせ。」
「チャンネルなら変えますよ。」
「ニュースだ。」
テレビにニュース番組が映ると、真っ二つに折れた旅客機の映像が映し出されている。
店のオヤジと客の目が釘付けになる。
流石に唖然としながらNexus 4を耳にあてがいなおす。
「新聞の一面トップは決まりだな。」
『何を呑気な…』
「ちょっと話せるところに移動する。」
娘咲はラーメン屋を出て、人気のない路地裏へと入った。
「続きだ。阿羅漢手の闇は、俺たちの予想をはるかに超えて深いようだな。」
『娘咲さん。まさかこのまま指を銜えて見ているつもりじゃあないでしょうね。』
「馬鹿を言え。俺たちがどうにかしなけりゃあ、これから死体の山が積み上がるぜ。」
『そう来なくっちゃあいけません。あっしも覚悟を決めますんで、ダンナも命を懸けてください。』
「五月蠅ぇ。馬鹿が恰好をつけるもんじゃあないぜ。阿羅漢手門派の動きはド派手で早い。お前、先んじて情報を集められるか?」
『へっ。出来なきゃぁ、情報屋を廃業しますよ。』
AeroMobil4.0を駆る禿、督正義は新潟空港に降り立った。
空港内に少年Aの姿を探すがどこにも見つからない。
既に病院に搬送されたのかと、警察官を捕まえて問い合わせてもらうが、彼の名前は出てこなかった。
すると、少年Aは別ルートで目的地に移動中ということだ。
「なんだぁ?また、行き違いかぁ??」
がっくりと肩を落とす。
「大洗から先、どうも奴とは縁がねぇ。いつになったら会えるんだ。」
改めて空港内を見渡す禿頭。
「それにしても良久さんよう。」
旅客機一台分のけが人で小さな空港はあふれかえり、救急車の順番を待っている。
「こいつぁ、やり過ぎだぜ!」
禿はこのテロ事件を良久の仕業と考え、憤慨した。
早速、禿はiPhoneを手に取り、良久に電話をした。
「オイコラ。少年Aとの決着は手前がつけてやる。余計な手出しはするな。」
『この身にお前一枚を切り札に勝負せいと申すか?馬鹿を言え、貴様などせいぜいオナーカードの一枚。翻って久利人はジョーカー。手札はあり過ぎて困ることはない。』
「それは何をしても許されるって事じゃ無いよな?やくざ者は手札に入れるな。」
『貴様もその、やくざ者の手札の一枚だ。』
「話にならぬ!いいか!きっと言っておくぞ!余計な被害者は出すな!」
良久は何か反論やら質問やらをしかけたのだが、禿は電話を切ってしまった。
早く自分が少年Aとの決着をつけなければ。きっと警察では阿羅漢手の蛮行を止められない。
少年Aの行き先は横浜だ。
それは判っているのだが、少年Aは本当にまともに動ける状態なのか?
旅客機の残骸や空港内の惨状を見渡す限り、無傷とは到底思えない。
それでも、新潟の地に少年Aの姿がない以上、彼は動けていると考えるしかない。
悪運の強さか、強靭な体ゆえか?どちらにせよ、良久がジョーカーに形容した事に合点が行く。
「少年Aはきっと恐るべきバケモノ。獅子を相手にする方が楽かもしれぬ。」
禿はニヤリとAeroMobil4.0に乗り込んで、ハンドルを握った。
詐欺師の鹿淵は阿羅漢手財団で、専務の花園ジェニファーと阿羅漢手本堂資産の棚卸資料をまとめていた。
いつも行っている、本堂の言いなりの形ばかりの棚卸。
これを利用する。
いつも通りに棚卸を実施する過程で、今回に限って独鈷杵の有無を追求し、その紛失を表面化させようという作戦だ。
本堂の連中はまるっきり油断をしている筈なので、きっとうまく行く。
これは彼が娘咲の手を逃れ、逃亡をするのに必要な作業だった。
その策に賭けていたのだ。
つい、今しがたまでは。
そのやる気を一瞬にして失った。
千歳空港での殺人事件。
旅客機でのテロ事件。
それをニュースで見てしまった。
これだけの事件があれば、警察はお腹いっぱい。
自然と自分を追求する手は薄くなる。それは明らかだった。
もう、鹿淵が手を尽くして少年Aを表舞台のひな壇に奉る必要はないのだ。
ジェニファーのような美人とお別れをするのは残念だが、資料作成なんて最早どうでもいい。
なるべく早くこの場をばっくれて、警察がてんやわんやしているうちに雲隠れをしてしまうのが最善の策だ。
厄介なことにジェニファーにはTwitterのアカウントが知られている。
本名や現住所はいいのだ。とっくに警察に知れている。
SNSは危険だ。逮捕される前に、社会的に殺されてしまう。
ジェニファーが鹿淵に騙されたと気づけば、警察を動かす。
鹿淵の罪はより重くなり、警察が捜査に行き詰ったなら、Twitterのフォロワーに情報を求めるだろう。
「酸っぱい御汁粉は極悪人」──その情報はあっという間に拡散し、実名は暴かれ、極悪人としてつるし上げられるのだ。
こうなると、リスクを承知で阿羅漢手財団に接触をしたことが完全に裏目に出てしまう。
そう言ったばかげた話は無しにしたいのだ。
Twitterのアカウントは、よろしき契機を見出して抹消せねばならぬ。
腹の内でその様な考えを巡らせるものだから、勢い鹿淵の挙動はそわそわしだす。
ジェニファーはSamsung Chromebook Proの画面から目をそらさずに問いかける。
「やはりChromebookは使い慣れませんか?」
心の乱れを悟られたのではないかと、詐欺師はどぎまぎする。
「いえ…いや、そ…そうですね。やはりWindowsしか使ったことがないので、若干慣れません。」
「そうですね。慣れでしょうね。」
「私は未だにガラケーから卒業できない、旧石器時代の人間ですので。一種のカルチャーショックですよ。」
「鹿淵さん。」
「おっと。私の文章に誤字でもありましたか?」
「あなた、逃げられませんよ。」
詐欺師の呼吸が止まった。
「あなたは未だに電話番号も教えてくれない。でも、よろしいのですよ。鹿淵さんの電話番号は調べてありますから。」
ガタリ!
詐欺師は椅子から立ち上がり、目を見開いている。
頭の中は真っ白。
「阿羅漢手門派が、何の身辺調査もせずに、Twitterのやり取りだけで、あなたに敷居を跨がせたとでも?」
「ぐ…ぬうう。」
蜘蛛の巣にかかったハエの気分だ。
「あなたはつまらない詐欺をして、こそこそと逃げ回っているつまらない人間です。見ているだけで反吐が出ます。」
「何が目的だ…」
ジェニファーはぱたんとChromebookを閉じた。
「それは時が来たら教えます。ふぅ。私があなたを本当はどう思っているのか、それをはっきりと伝えられて、とても気持ちがいい。反吐がでるってね。」
「何をさせる気だっ!」
「あなたは全知であるものが幸せだと思いますか?」
「話をすり替えるな。」
「すり替えてなんかいません。まさにこの話です。私は全知であるものは幸せではないと考えます。あなたも幸せな無知でいなさいな。もしあなたの出番が来なければ、今作成中の書類が完成した後、あなたは放免となり、以後私達に一切の関りはありません。どうですか?それでもなお、あなたは”知りたい”と意地を張るのですか?」
鹿淵は言葉を失い、椅子にドスンと尻を落として、頭を抱えた。
ジェニファーはChromebookを脇に抱えて、作業場に使っていた小さな会議室を出て行ってしまった。
つくば市街、平李邸。
道着に着替えた千枝子が玄関に行き、newbalance W1400 CHSを履いた。
ケイ子もいつの間にかジャージに着替えており、千枝子と並んでプーマスマッシュキャットL【プーマホワイト─バルバドスチェリー】を履いた。
「六車さん。あなたも来る気なの?」
「六車。だから”つ”を抜かないで!戦う方の”武者”と同じ読みで可愛くないの。」
千枝子のため息。
「私について来る気と言うことは、その戦う方の”武者”であっているでしょう。」
「ヤダ。千枝ちゃんの意地悪。」
「六車家、つまりケイ子さんの家は、古くは”武者”の姓を名乗っていた。」
「…」
「群雄割拠の戦乱を経て、太平の世となった日本の裏社会で荒事を担っていた家系の一つ。」
「もうっ。その話はいいでしょう。」
「それがある日突然お取り潰しとなり、闇に葬られて誉ある”武者”の名を奪われたあなたたちは、代わりに”六車”の姓を名乗った。六車家の歴史は平李家と似ている。」
「それは違うわ…」
ケイ子の声が低くくぐもった。
「平李家も確かに屈辱的な歴史を経験してきた。でも今は栄えている。」
「ケイ子さん…」
「私たちは…六車の人間は寄生虫同然に他の家に使えている。六車同士で戦わされることなんて日常茶飯事よ。親子や兄弟、より近しい者同士で血を流し合うこともある。それでもわたし達は、お家復興の悲願を胸に、今日も生き続けている。」
千枝子は首を振る。
「やはり同じよ。平李家は家族の命なんて何とも思ってはいない。」
道着姿の少女が立ち上がる。
「今日、それが解るわ。」
幼き瞳に、荒ぶる阿修羅の炎が見えて。
六車ケイ子は不遇な環境に生まれたが、腐らず、精いっぱい女の子をしようとしている…そういうキャラです。
胸を飾るオープンハートはよくある模造品。スマートウォッチは2,300円の安物をデコったもの。イヤリングは本物のシルバーだが、片方紛失した品をヤフオクで破格の安値にて落札。
始めは平李家をどん底の不遇にする予定だったのですが、呂舵夢のキャラ付けをした時点で、そこそこ権力がある設定に変更。
それにより、設定全体の暗闇成分が物足りなくなってしまいました。
で、平李家用に考えていた案を用いて六車と努力子の家系を訳アリにしたのです。
六車も努力子の家系も名を失っていますが、これはわざと境遇を似せました。
文章は最終9話までチェック完了。
イラストは9話の一枚を残すのみ──なににしようかと。
「全員せいぞろいでありがとうございました」は絶対に嫌だ。素人でやっている意味がないです。
ヘタウマで笑いとるのも、いかにもプロがやりそうでいやだなー。
「え…あ、うん。」みたいなリアクションを頂ける、ガッカリな絵にしたいです。