第13章 駅伝県大会
陸上部顧問の不慮の事故死をきっかけに
陸上部に入部した1年弱の出来事です。
第13章 駅伝県大会
あのスポルティーフで一心不乱に駆け抜けた
白い夏は過ぎ去り 日焼け跡と軽い目眩だけが
かすかな名残りをとどめている。
疲れを隠し切れない銀杏の葉も季節の変わりを告げている
学校祭が終わると 一時の静寂に続き
次の慌ただしい 過酷なシーンが待ち構えている。
いくつかの想いを胸に陸上部の門を叩いた
あの時の息苦しさがよみがえり
「フゥー」っと長めに深呼吸。
「さぁ 陸上 長距離のシーズンインだ。」
名古屋市立体育大会に始まり
豊橋ロードレース
平和公園クロスカントリー
全国高校駅伝県大会
駅伝東海大会
渥美駅伝
名岐駅伝 ・・・
大きなレースが目白押しだ。
市立大会とは 名古屋市立の高校 十数校の体育系
文化系の各部が 市立高校1位というチープな名誉
を競う大会だ。
県立や私立の高校が参加しない関係で
ウチの高校は大きな顔をして 各会場で
闊歩できるぐらい敵は存在しない。
この市立大会で 俺も先輩の遊び心のせいで
他校の短距離選手に混ざって
短距離400mに出場している。
ウチの学校以外の市立高校は進学校が多いから
どの部でもどの競技でも上位
に位置しているから 試合と言うより
学校祭の延長感覚で どことなく締りのない大会だが
緊張をほぐす意味では必要な大会なのかもしれない。
陸上部は11月末の駅伝県大会に向け
スケジュールが組まれ 日を追うごとに熱を帯びてきて
冗談も出ない練習環境になっていく。
N美との会話に部活の話題を持ち出さなかった
N美からも陸上の話題を口にすることは無かった。
唯一「K先輩ってミッキー系でカワイイよねっ」
と 俺に言ったぐらい。
あの一件がトラウマになっているのかも・・
そう陸上部顧問の事故死。
俺も努めてその話題を避けていた。
これって思いやりなのか 単なる逃げなのか?
悶々とした時の糸が複雑に重なり合って
いたずらに日数だけが経過していく・・・
日々の練習だけは激しさを増し 学校近くの
名城公園の外周コースを ただ遠のく意識と
痛みを越え感覚の無くなった体を引きずり 朦朧と走った
ただただ走った 来る日も来る日も 芳野ケ丘を
走らされているのか 自らの意思で走っているのかさえ
判別する余裕さえ持ち合わせず 体だけ重いなりに動かしていた
駅伝県大会までの日数は確実になくなり
前日になっていた。
N美とは 努めて普段通りの会話をしていたし
ファンクラブ恒例のイジメも ビシバシとキレまくっていた
「ヒワイ頭のくせによぉ〜」と 頭をパシッって感じで
その瞬間だけは 苦しい練習から解放された さらに言うなら
どれだけ癒しの言葉を待っただろう
しかし・・・
前日になっても明日の試合の話題は
お互いに触れずじまいだった。
このまま走るのか、、、
果たして走れるのか 後悔しないのか、、、、
淡々と日付は変わって
試合の当日になってしまった。
いつもの事だが 緊張に弱い俺は
深い眠りにつけずにいた。
寝不足の倦怠感か全身にキレがないのが
自分でもハッキリ分かり不安や焦りを
増幅させては 暗闇で寝返りを何度も
何度も繰り返す。
息苦しい
弱い自分に自己暗示をかける
「大丈夫!大丈夫!あれだけ練習したんだから」
次から次へと単発的な言葉をつなぎ合わせては
気持ちの切り替えを試みるが無駄のようだ・・・
夜中より暗い明け方の始発電車。
人もまばらで凛とした空気に包まれている。
いつもなら 電車の中で寝ていても
尼ケ坂手前で「ピタッ」と起床するのだが
乗り越しが不安でそれも出来ない。
車窓の向う側は終わりのない闇に包まれていて
レールのきしみや時々響くカン高いブレーキ音が
いつもより鈍く耳にからみ付く。すべてが不快だ・・・
乗り慣れたはずの瀬戸電にさえ居場所がないまま
重い鉄の塊は 鉛色の闇のさらに黒く染まる
芳野ケ森に吸い込まれて行く。
いつもより 勾配のキツイ坂を逆らうように
あえてリズミカルに上がると
ひんやりとした静かな空気の中に
いつもの西門がひっそりと佇む。
歩き慣れた事務局職員室棟と体育館の
間に挟まれた空間を見上げる。
ほの暗い海の底から水上を見上げている
そんな 凍りつく感覚に支配される。
初冬のこの候 初めて目にする
紺碧の空だ。少しだけ怖い。
何かイベントが有ると落ち着かず
早目に行動してしまうので 今日みたいな
極端なコトになってしまう。
何でこんな時間に学校に来てるんだろっ?
暗く冷たいスタンドに腰を下ろして ただ
ボーッとグランドを焦点がズレたまま見ている・・・
自分の走っている姿をグランド上に投射して
レース運びをシミュレーションしてみる。
「前半から力の限り飛ばすか?」
「最初は抑えて後半勝負か?」
「風を意識して走るか?」
「それとも・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・」
「・・・」
職員室前に停車したエンジン音に
「ハッ」とし 起こされた。
寝不足からか かなりの時間
軽い眠りについていたらしい。
空が白み始め OB達の車が
ぞくぞく集まってきている。
公立高校はスクールバスなんか無いから
試合等の移動はOBが善意で車を
出してくれて送迎をしてくれる。
試合会場が襟裳岬みたいな場所が多いからだ
今回の県大会は豊橋市の神野新田という
貿易埠頭で二週間ほど前に長距離陣で試走している。
そのときは風雨ともに強く街路樹が大きく首を振る
ロード状況だったから 雨は別にして
風の影響を意識したレース運びを余儀なくされそう。
そんな印象を持ったのだが 今日は
おだやかな無風でのレースになりそうだ。
OBの先輩達だが 普段の練習で顔出しや
差し入れをしてくれるから 何人かの顔は知っていたが
初対面の先輩が多く なにげに怖面に見えたりする。
これだけ集まると さすがに緊張するなぁ。
片っ端から挨拶しまくり
その都度 キツイ激励を受ける。
控えめな朝陽が昇り始め いつもの朝練の
風景になっていた。
正午スタートに合わせて移動の準備開始。
部員達はOBの先輩達の気合の挨拶に続いて
車に荷物を詰め込み 決戦の地
豊橋神野埠頭へ向かう。
試走とは まったく違う風景を車窓にしながら
穏やかな初冬の港にカモメの群れに
歓迎されながら到着していた。
そんな のどかな風景に拍子抜けだ。
しかし 少しずつ その風景が変わる。
他校の駅伝チームが ぞくぞくと
終結してくるからだ。
その中で 一際目を引くのが「CK校」や
「MD校」の有名私学だ。
大型のスクールバスに 部員が
お行儀良く乗っている。
全員スクールカラーの同じユニフォーム
そして 口にはマスクをしている!「何でだ?」
不気味度のボルテージは一気にアップする!
「何だか それだけで 強そうだ!
そのマスク反則やぁ!」
有名私学は陸上長距離陣だけで
5チームぐらい編成できる部員数がいる。
上位2校以外の「AC校」や「TH校」の私学も
例外ではなく部員は多い。
それに対しウチの高校は試合規定の
ランニングシャツ以外揃いのユニフォーム
なんかないしOBの先輩達が協力してくれないと
試合会場にも辿り着けない。
しかも去年に至っては 短距離陣から1人
レンタル代走での参戦だった。
S先輩が言う「今年は人数的に余裕だ〜
補欠が1人確保できたんやし〜」
とニャリとする。
補欠とはナオカズの事なのだが・・・
でも 「こんな台所事情で よくやってるよなぁ〜」
他人事のように感心してしまうよ まったく
特待制度や部活留学 練習環境の違いはあっても
練習内容や気合では絶対に私学に負けていない!
去年の駅伝県大会は強豪ひしめく愛知県で3位
公立高校でトップだった。
そのプライドだけが このチームを強く支えている。
高校駅伝は 42.195kmを7人が襷で
つなぎトータルタイムを競うと同時に
各区間での個人記録も競う競技。
全国どの県でも各区間の距離がまったく同じなので
コースや気象条件そして駆け引きによる
多少のタイム差は出るが
全国ランキングや区間ランキングが
ハッキリ分かるシビアな競技でもある。
どこの監督も他チームの前年タイムや
選手の入れ替わり 自チームの現在の
レベルを勘案して戦略を練る。
我 KG駅伝チームは監督が前年の不慮の事故死で
不在になった関係からS先輩が監督を代行し
ここまで引っ張ってきた。
レース前のミーティングが始まる。
そのS先輩が緊張した面持ちで
こう切り出す。いつもより低いトーンで。
「オマエが未知数だ!」
「全国大会もオマエ次第だ!」
と言って俺を指差す。
「えっ オレっすか?」
と俺もオレを指差す。
周囲の視線が横顔に痛い。
レース前にそのプレッシャー
はマジ勘弁してほしい。
それもそのはず 陸上部は夏休みの合宿を
長野県の霧が峰高原で行う。
この低酸素の高地で徹底した走り込みをし
駅伝シーズンに備えるのだが 俺の場合
夏休みは自転車で違うロードレースをしているから
走りが読みにくい そして他の部員は
俺のワガママな行動が面白くないからイジメたくなる
その気持ちは分かるが・・・
「そ、それ以上言わないでS先輩!」と目で訴える。
もし霧が峰をサボってる部員がいるなんて
OBに知られたら
そのまま埠頭に沈められるかも・・・
ミーティングは熱を帯びる。
「前半が勝負だぞ!」
「前半どれだけ稼ぐかで決まる!」
と 俺をチラッと見る。
高校駅伝の場合 第一走者は花の1区と呼ばれ
各チームがエースを投入し先行逃げ切りの
レース運びを描く。
そして2区は何故か俺だ。
このチームの第一走者はS先輩だ
昨年の大会で1区の区間賞を獲得している
つまり愛知県で いやその上の東海4県大会でも
1区の区間賞を受賞している。つまり
1番速く第二走者にタスキを繋いでいるのだ。
今年は?
前日の事
新聞のスポーツ欄にレース予想が掲載されていた
『MD CKの台頭が顕著』
『実力拮抗 花の1区は激戦模様』
『KG F君(S先輩)苦戦か?』・・・・・
と活字が面白おかしく躍る。
その下馬評からするとS先輩は2位〜3位で
俺にタスキをつないでくれるはずだ・・・・
漠然としていたレース展開が俄然
現実味を帯びてくると同時に想像を絶する
重圧がのしかかってくる。
気付くとヒザがガクガク震えだし
逃げ出したい衝動に駆られる・・・・
ミーティングが終了し
各自ウォーミングアップに入る。
2時間以上のタイムラグがあるので
各自 自分の仕上がり時間から
逆算した時間にアップに入る。
レース展開情報入手やタイムキープ
荷物管理をしてもらうために
各選手に世話係が付いてくれる。
俺には砲丸投げのボーッとした
1年生の選手が世話係に付いた。
区間によって距離が違い
審判団のタイム管理上 スタートと
各区のタスキ受け渡し
そして 栄光のゴールは同じ地点となる。
そのスタート地点が徐々に
慌ただしくなって緊張の度合いが増す。
そして 関係者以外 遠ざけられる。
1区の孤独が いよいよ序章へと進む。
ストップウォッチの時の刻みに
合わせるかのように心臓が共鳴している。
運営委員や審判団 先導の白バイ隊が
最終打ち合わせをして持ち場に着く。
出走順を前年の順位で整列させている。
1区のランナーがスタート地点で
一斉にウインドブレーカーを脱ぎ捨てては
付き人に丸めて渡す。
スタート3分前なのが遠目にも分かる。
各自 タスキの結び目を入念に確認し
軽くジャンプしたり屈伸運動をする。
そして
全1区のランナーが整然と並び
前傾姿勢で静止する。
スタート30秒前だ。
遠目にカウントダウンの声が
聞こえないから 心臓に悪い。
もう直視できる状態じゃない・・・・
カモメのカン高い鳴き声と
時折岸壁に打ち寄せる波の音
それしか聞こえない。
一瞬の静寂・・・・「パァーン」
乾いたピストルの音だけが埠頭に響き
地響きと共に極限まで鍛えあげられた
肉体の集団が走り抜けていく。
初めて目の当たりにする想像以上の風圧と
息遣いに圧倒される。「さすが1区」
ランナーの通過に合わせて どの学校も
部員や応援父兄も含めて移動し勝負所や
ランナーが1番苦しむであろう場所に陣取り
スクールカラーや学校名の幟
を立てて 声を限りに応援し続ける。
1区が走り去ってから
どれくらい時が経っただろう・・・・・・・
俺の付き人も どこに行ってしまったのか不明で
レース情報が入らない状態だ。
下手すると もう何日も経過してしまった
静かな休日?って錯覚にも陥いる。
「ダメだ ダメだ 闘争心を前面に出さないと!!」
焦りだけの時間は悪戯に経過する。
意識が薄れ寄せては引く・・・
日々限界を極める事を自らに問いかけた そんな練習を
無理やり脳裏から引きずり出し 閉じたまぶたに投射する
「はっ」
かすかだが 遠くに ざわめきや声援が聞こえ
その声が徐々に近付いてくる ほどなく先導の
県警パトカーや白バイが肉眼で捉えられる距離まできた。
「どこがトップだ!!?」
目を凝らして声援が上がる方向を見る。
長身に細身で短髪
「CK K田だ!!」
番狂わせが目の前で展開されている!
その50m後方を紫色のランニングが追っている
「MD A田だ」
曲がりの多いコースで3位が見えてこない。
「ヤバィ! 離され過ぎている!」
2位から約200m離されて真紅のタスキが見える
「S先輩だ!」
しかし どこの学校か不明だが
他の選手と並走中だ。応援しないと。
俺は有らん限りの声で叫んだ
「先輩ファイト!」
「先輩ファイト!!」
もう 応援じゃなく絶叫だ。
S先輩の表情が捉えられる距離まで近付いた。
俺はひたすら叫び続ける。
苦痛に顔が歪む先輩が
俺に何か叫んでいる。「なに?」
何を叫んでいるか聞き取れないが
次の瞬間 全身から血の気が引いた。
「俺 第二走者や! ここにおったらアカンやん!」
埠頭の反対側で ランナーである事を忘れて
応援に没頭していたのだ。
俺は力の限り走った。
歩道の内側から最短距離を対角線上にひたすら・・・
タスキ受け渡し地点では 当然
大騒ぎになっていて陸上部の後輩達が俺を探している。
大会委員がハンドマイク片手に「KG校!」「KG校 棄権ですか〜」
と割れんばかりの絶叫だ。
1位と2位はすでにタスキをつないだ後だった。
俺は手を振りスタート地点に着くと同時に
ウインドブレーカーを脱ぎ捨てて
大会委員にランニングの「KG校」の文字と
それに縫い付けられたゼッケンを見せて
スタートライン上で待機した。
大会委員が怒って何か言っているようだが
もう 理解出来る状況にない。
タイム読み上げではスタートから30分は過ぎている!
かなり遅れている!何を考えていいのか
頭の中の整理がつかない・・・
受け渡し地点手前の曲がり角に視線を飛ばす。
次の瞬間 S先輩の姿を捉えた!
計測審判員のタイム読み上げからすると
1位通過から40秒ぐらい離されている計算だ。
タイムだけは体に染み付いて離れないから不思議だ。
最後の力を振り絞り 俺にタスキを託し
S先輩は そのまま倒れ込んだ。
信じられない光景・・・だった・・・
昨年の先輩が記録したタイムから3分半ぐらい
大きくタイムを落としている
しかも ほぼ同時にタスキをつないだ豊橋のTK工業に
3秒差まで追い上げられての3位だった。
バタバタのタスキリレーだったから
緊張で硬くなる事もない走り出しだったが
アップをしないままの冷えた全身は重くキレがない。
足は前に出ず腕の振りは
未だかつて経験したこともないほど鈍い。
タスキを受け取った直後からピタッと後方に
ピタリ付いていたTK工業には1k地点で抜き去られ
こだわり続けた公立高校1位の座も危うい状況になり2k地点
で岡崎のOJ校にもかわされて 現時点で5位になってしまった。
「これ以上順位を下げるワケにはいかない!意地でも抜き返してやる」
こんな時だと言うのに昨日のN美との会話を思い出していた。
その会話を発奮材料にして未知の力を発揮
順位を上げるのがドラマ的な展開なのだが現実は厳しく
まったく差が縮まらない。そして意識さえ薄れていく。
真っ白い空間を もがき苦しむが身体は面白い程の スローモーションだ。
俺も倒れ込むように第三走者 1年生のゼンイチにタスキをつなぐ。
その後座り込んで しばらく放心状態。。。。。
何人かのメンバーの応援をしたはずなのに
自分が走り終えた後の記憶がまったく無い。
順位変動は何度かあったようだが 2時間23分31秒
かなり悪いタイムでの惨敗だった。
最も辛い思いをしたのはS先輩だったろう・・・
このタイムでも県によってはトップ通過で
全国大会に出ることも出来るのだから不思議な感じだが
愛知県で5位だから 当然全国大会には行けない。
俺が順位を下げた結果 それがそのまま結果として残った
ただ個人的にこだわった公立高校トップは結果的にキープしたが
今となってはどうでもイイ話。
ただ「くやしい」ひたすら「くやしい」
唇をかみしめるだけの俺。
野球の甲子園 サッカーの国立競技場
ラグビーの花園 そして駅伝の京都
全国の高校生が 目指す場所こそ違っても
ひたすら ひたむきに追い求めるそれぞれの栄華。
頂点で絶賛されるのは1校だけだが
試合の数だけ苦悩があり絶叫があり賞賛があり
そして熱い歓喜の涙や賛美がある・・・・
県駅伝の表彰式で5位入賞として学校名を呼ばれる。
自然と涙が溢れてきて 早くこの場から消え去りたい思いだ。
後悔する事ばかりが次ぎから次へと思い出され いたたまれない。
6位までが入賞で その上の東海大会に出場する権利が
得られるのだが嬉しくもない。
全国大会の夢が崩れ去ったのだから・・・
穏やかな午後 初冬の空に時折吹く埠頭の風に
カモメの鳴き声が乗って届く
遠くで貿易船のリズミカルなエンジン音が低く響いている。
この場所で 後悔ばかりの 高校2年の冬は終わった。
と同時に その後 数十年 陸上競技から離れる事になる。