あの日の放課後と臆病な私たち
窓からさす夕日が教室を照らす。
教室には私と山田しかいない。私たちは本日の最後の日直の仕事である日誌をだらだらと書いている。といっても、日誌をかいている山田の机の横にイスを持ってきて、山田が書いているのをぼーっと眺めているだけなのだが。
「なあ、山田」
「……なんだよ。」
山田はめんどくさそうに手をとめ、こちらに目を向けた。山田と目が合った瞬間、私は声をかけてしまったのを後悔した。しかし、そんな心情とは裏腹に、私の口は勝手に動いていた。
「かりんのこと、聞いた?」
山田はじっと私を睨んだ。私を責めるような目つきだ。
「…………ああ。」
山田はため息をつくようにそれだけをこぼして、視線を日誌に戻した。
今朝の出来事を思い出す。
朝一番に私の机にやってきたかりんは、恥ずかしそうに頬を赤く染めながら、でも目は興奮できらきらさせて、私にこう言ったのだ。
――――――後藤と付き合うことになったと。
その時の私は、何と答えたのか。
急激に体温が引いていったのに、やけに心臓の鼓動が聞こえていた気がする。
辛うじて、引きつりながら笑顔は返したと思う。へえ、良かったねとでも言ったのか。
刺すような胸の痛みに耐えて言葉はあまり出なかったはずなのに、そんな私の様子になど気づくことなく、かりんははしゃぎながら昨日の告白の流れを、一語一句漏らさず私に伝える。
なぜ?なんで?
私はずっと後藤が好きだったのに。
1年の時に席が隣同士だった。
初めて話した時からやけに気が合い、それなりに話していた。普段はお互いそれぞれ同性の友人を優先していたが、後藤が入っている野球部の応援に行ったり、私が入部している美術部の展覧会を後藤が見に来るほどには、仲が良かった。休みの日に二人で遊んだこともある。
もちろん、お互い気の合う友達としての付き合いだ。
しかし、そうしているうちにいつの間にか私は後藤のことを好きになってしまっていた。
登校時に肩を叩きながら「よう、木村」と声をかけ、にかっと笑った顔。
苦手なシイタケが弁当に入っていた時の嫌そうな顔。
野球練習の時に見せる真面目な顔。
「お前、そんな短いスカートはいてっと見えるぞ!」と注意しながら真っ赤にして視線をそらした顔。
2年になり、クラスが変わっても、気持ちは変わらなかった。
でも、この心地よい関係が変わるのが怖くて、気持ちを伝えるつもりはなかった。
だから、新学年になってからできた親友のかりんにも、後藤が好きだと伝えていなかった。よくモテていたかりんが、さほどイケメンでもない後藤を選ぶと思っていないこともあり、あえていうほどのことでもないと高をくくっていた。
それが、まさかこんなことになるなんて。
そのあとのHRや授業も全く頭に入らず、ひたすら、過去のことを悔いていた。
後藤とかりんを引き合わせたのは自分だ。全く接点のなかった二人は、私という友人によって知り合えた。まさか二人が私の知らないところで関係を築いていたなんて、全く気づかなかった。
そして、この関係がずっと続くとのんきに思っていた自分をひたすら責めた。
目の前にいる山田は、2年で同じクラスになった。話すようになったのは、山田が後藤と幼馴染だかなんだかで、後藤がよくうちのクラスに遊びに来ては山田とつるんでいたからだ。自然と、私もかりんも山田と話すようになった。
山田は、かりんのことが好きだった。
別に直接本人から聞いたわけではないが、態度でまるわかりだった。
かりんが近づくとふっと息をとめ、話しかけられても目を合わせず「ああ」とか「そうだな」としか返さないくせに、離れていくかりんの後ろ姿を切なそうな目で見つめるのだ。
そんなに気になるならさっさと告って玉砕すればいいのに、うざいやつ。
そう思わないでもなかったが、私は山田を嫌いになれなかったし、同情もしていた。
後藤を思いながらも結局黙っている私は、山田と同じ穴の狢だったから。
かりんも後藤も周囲に言いふらしはしなかったと思うが、学校一の美少女と平凡な野球少年の関係は、その日のうちに学校中に知れ渡っていた。
かりんの今朝の告白にショックを受けつつも、放課後にはわりと落ち着いた私は、目の前で日誌を書く山田のことをようやく思い出したのだ。
そして、傷を抉ると分かっていながら、聞かずにはおれなかった。
「で、どうすんの?」
「何が。」
「かりん、まだ間に合うかもしれないよ。」
ピクリ、と山田の手が反応した。
なにが間に合うというのか。
自分で言っておいて反吐がでる。あんなに嬉しそうにしていたかりんが、今更山田の告白ごときで後藤と別れるはずがない。今更告ったところで遅すぎる。山田が傷つくだけだ。
そんなこと分かり切っているのに、つい言葉が出てしまった。
私は多分、山田に期待している。
自分ができなかったことを代わりにさせようとしているだけだ。
それで山田が傷つこうとも、関係ない、と。
全く無責任に、私は山田に非情なことを言っている。
「後藤が峰岸と付き合うことと、俺は、関係ない。」
そう、私たちは関係ない。
後藤がだれと付き合おうと、かりんがだれと付き合おうと、本人たちの意思であり、私たちには関係ないのだ。
私たちは彼らの保護者でも、恋人でもない。
ただの、臆病な友人なのだから。
「そっか。そうだよね。」
私は頬杖をついて、山田が書き終わるのをじっと見ていた。
さらさらと、やや角ばった、でもバランスのとれた文字を山田はひたすら綴っていく。
日がまもなく沈むのだろう。
教室がより真っ赤に染まった。
「ねえ山田。うちら付き合おっか。」
朝からの衝撃で私は頭がおかしくなったのかもしれない。
または、山田に心底同情したのかもしれない。
なぜ自分がそんなことを口走ったのかは分からない。そんなことを言うつもりは、一秒前の自分にだってなかったし、言ってしまった今の自分もそんなつもりは微塵もなかった。
「…………」
山田は虚をつかれた顔で、こちらを見つめた。口が開いては閉じて、何かを言おうとしているが声がでないようだ。ぱくぱくと鯉みたいなやつだな。私はなんだか可笑しくなって、笑いながら、机に身を乗り出して山田の顔を見た。
振られることもできず、恋すら始められなかった私たち。
臆病者同士、お似合いじゃないか。
今更そんなことをのんきに思っていた。
山田に恋愛感情は一切ないと断言できるが、なぜかこの時の私は引き寄せられるように山田に近づいて
いった。
そういえば、山田から返事聞いてないな。
ふと思い返したが、まあどうでもいいやと目をつぶり、唇を山田に押し付けた。
私たちは、真っ赤な教室の中で馬鹿なキスをした。