カワセミ
一
「 親愛なる貴方へ
始めに、此の手紙を書き終えて次の夕暮れを迎えます前には、恐らくわたしは二度と鳴き喚く事も無いであろうという事を伝えておかなければなりません。此れは、如何足掻いたって揺るがしようの無い事実で在ると同時に、生涯を通じて此の身に課せられた運命なのであります。又、一見理不尽とも思える其れは、わたしの内に燃ゆる炎を最後の最期に煌かせてくれたのです。ですから、如何か、わたしの懺悔をお聞き下さい。如何か、其の美しい声を、心を、汚す事の無い様に。
夕蝉 」
*
此の様に書かれました手紙を両の掌へ乗せ、私はと或る川の前にて容赦なく照る夏日を避けたベンチへ腰を下ろして居ります。
眼前に反射る朧げな光に記憶を眺めながら、こうして書留を残して居るのです。齢は四十五にもなろうという時分に有りますが、人の命も此処まで来ますと如何も忘れようと思う事ばかりが記憶に残り、覚えておかねばならぬ事に限って皆知らぬ間に彼方遠くへ行ってしまう様です。
きっとこうして居る間も、一つ、又一つと足早に去って居るのでしょう。
過去への執着などとっくに拭い去り、今になって取り戻す積もりなど毛頭ございませんが、唯一、私のみが知り、他の誰でも無い私が残さねばならぬ記憶が在るのです。
此の書留は彼への敬意と憎悪を著す物で在ると同時に、或る意味、私への永遠の勧告でも在ります。此の息の根が止まりました後も誰が読む訳でも無く、只其処へ在る事に此の意義は在り得るのです。彼が此処へ存在した証。
そうは言いましても、彼の生き様を目の当たりにした訳では無い上に、断片的な情報を紡ぎ上げる程の度量など私の様な野人には備わって居りませんので、此の件に関わる一連の出来事を書き落とす事と致します。
*
すっかり色褪せ始めた蛍光灯に照らされる部屋に、一人秋の隙間風に吹かれながら夫の帰るのを待って居りました其の時、私の元に一つ、包みが届きました。丁寧に糊付けされた其の封を開けますと、其処には何やらほんのり鉄臭い空気と共に、先の手紙と、冊子が収められて居りました。差出人の名は何処にも記されて居りませんでしたので初めは気味が悪くって仕様が在りませんでしたが、其の内容や呼称からして、其れが誰に因って書かれた物なのか間も無くはっきり致しました。
実に七年間、彼の言葉に触れる事は在りませんでした。
当時私も相応の年齢になり、既にと或る男性と家庭を築いて居りました。夫婦仲は悪いという訳では無く、寧ろ、世間には鴛鴦夫婦とさえ評判される程でございました。夫は他の男の影が在るのを酷く嫌いましたので、其処へ此の様な文書が来たとなると家庭に波風が立つ事は明白でありました。故に、始めはそれを目にする事さえ躊躇いました。
しかし何分、其の文面には何処か只ならぬ彼の意志を感じましたので、其のまま放って置くというのは、少々、気に掛かりましょう。
其に、恐怖と言う物には、怖い物見たさと言いますか、人々、殊に若い者程魅きつける何かしらが有りましょう。
私は夫婦生活に一片の不満はございませんでしたが、如何にも慣れと言う物に襲われ始め、丁度刺激を欲していた所だったのです。夫が仕事へ向かいますと私はこそこそと冊子を取り出して、少々読み進める事と致したのです。
*
私が彼と初めて出逢ったのは、二十歳の夏の事でした。
当時私は、可能な限り多くの仕送りをしようと実家から遠く離れた広島の地に暮らし、小さな町工場で奉公をしておりました。其方の社長は、盆と正月になりますと決まって実家へ帰省をせよと仰り、往復分の電車賃まで出して下さったので、私は家計に気兼ねする事無く、一年に二度は実家のある島根の田舎の方へと顔を出す事が出来ました。
実家では、母と私の二人で暮らして居りました。父はまだ私が幼い頃、先の大戦中に広島で大惨事があったと聞き、其方へ駆けつけた際に病に侵され、暫くの療養を経た後、息を引き取りました。
父の死後、母は私を養う為に必死で銭を稼ぎ、如何なる苦痛にも耐えて居りました。
私はといいますと、父が病を此方へ持ち帰ったという噂が近辺に在りましたので、それは理不尽な差別を食らって日々を流して居りました。
故に、私には心の友と呼べる者が皆無と言ってよい程に居らず、帰省を致しましても母と数少ない親類を除けば態々顔を合わせる者など皆無でございました。
歳を食った母に代わって、半年の間溜まり込んだ家の重労働を済ませてしまいますと、特に時間を持て余す事となりましたので、私は決まってと或る川を訪れました。
其処は、私の知る中で最も美しい場所で在り、父の代わりの様な存在でも在りました。父が亡くなった時、私が幼過ぎた故か、父という人間が恰も存在しなかった様に感じられたのですが、何時、如何なる時も力強く抱擁してくれた其れは、実に父としての役割を果たしてくれたのです。例えば、一粒涙を其の流れに落としたならば、大河となって哀しみなど洗い落としてしまうのでした。
また、時には川面を光が揺々と踊り、優しさを持つ一面をも兼ね備えていたのです。
盆も最終日を迎え、夜行列車に乗る前に一目見納めておこうと、其の日も私はぼうっと対岸の林の方を眺めに其処へ参りました。
川の縁に盛り上がった土手には、少し湿った風が脇の方を心地好く撫でて行く。
其処で私は記憶と感情を整理すると共に、次の夏へと心を向かわせる準備を進めて居りました。
―ヒグラシの声。
私が何時も座って居りました木陰へふらふらと歩みを進めますと、其の奥には一人の青年が、夕陽と水面に映る光に混じって佇んで居りました。彼は何かを探す様な、或いは誰かが現れるのを今にも待ち侘びる様な眼をして、辺りをきょろきょろと眺めて居りました。
私が二、三滴ほどの勇気を精一杯振り絞って「何かお探しですか」と彼に声を掛けました所、彼は者も言わずに此方をじっと見つめました。長年、失くして居った物をひょんな所で見つけた様に。
私が呆気に取られてきょとんとして居りますと、突如彼は、握手と言うよりは感触を確かめる様に、純白に近い色をした其の痩せ細った手で私の手を取りました。
情けの無い事に、私は殆ど身動きを取る事も、口を動かす事も出来ずに居ったのですが、少しの沈黙を挟んだ後、彼は瞳に涙を浮かべてすっと手を離し、力の抜けた様に其の場へ座り込んでしまいました。私も私で、如何対処したものか困り果て、彼と同様、其の隣へ腰を抜かしてしまいました。
其れでも尚、彼は沈黙を破りませんでしたので、私はその場の空気を紛らわさねばと、何か丁度取っ付き易い話題がないか模索して居りますと、頭上から聞き慣れた虫の声がしましたので、私はすぐ様飛び付きまして、
「ご存知ですか。彼処で鳴いている蝉、名をヒグラシと言うそうですよ」
と咄嗟に申しましたが、口に出した傍から何も小童でも知って居る様な事をお尋ねしたのは流石に不味かったと後悔して居ったのですが、彼は其れでも、ウンともスンとも返事をせず、只、黙りこくって居ったので私は続けて、
「声が何処か、淋しそうじゃないですか」と尋ねますと、ようやく、ゆっくりとした口調で、そうですか、と言って、大きく呼吸を一つ置きましてから、
「とても綺麗な声ですね」
と微笑みました。彼は其の手で涙をぐいっと拭ってから此方を見てやや悪く並んだ白い歯を見せましたので、私は上手く話を繋ごうと、
「実は、此処だけの話、彼らが鳴いてる時というのは、あの世の方々が此方へ戻って来て居る証拠なんだそうですよ」
と如何にも信じ難い法螺話を、お道化た様に持ち出しました所、彼は其れを疑う素振りすら見せず、しっかり頷いて話に聞き入って居りましたので、私はもう、実に拍子抜けした顔をお見せしてしまった事と存じます。
―蝉の飛び立つ声。
其処には遠くから私をせせら笑う蝉の声のみが響き渡っておりましたので、彼も顔を下へと向けてふっと笑って居りました。
この時既に私は、彼の湛える不思議な空気に魅かれていたのかも知れません。
私は、ゆっくり彼と打ち解け合いました。話を伺った所、如何やら彼は絵描きを職とし、其の題材を探して居たのだそうです。そうして、ようやく美しい場所を見つけた所へ夕陽に照らされた一人の女性が現れたので、さぞかしお麗しいお方だろうと近づいて手を取ってみると、何んだまだあどけなさの残る、大して年も変わらぬ方だとすっかり気落ちして其の場に座り込んでしまったと、腹を抱えながら仰って居りました。私は失礼な事を言われるのには慣れて居りましたが、其れ程迄に無邪気で面白そうに言う者は初めて出会いましたので、何んだか私も釣られて笑ってしまいました。
―川のせせらぐ声。
其れからというもの、私は盆になりますと必ず其の場所で彼と出逢い、言葉を交わしました。其の度、私たちは各々の名を、名乗る事も、互いに尋ねてみる事も有りませんでした。
只、やあ、と言ってみたり、機嫌を伺ってみたりで会話は始まりましたので、強いて呼称を用いるのは、「貴方」という言葉くらいのものでした。故に、私は彼の事を心で思い起こす際には「彼」という言葉のみで其の人を表すのです。
時には、彼を私の実家の方へ招いた事も有りました。若し彼が盆以外にも其処を訪れる事が有るならば、一人暮らす母の元を訪ねて貰おうと考えたのです。その旨を彼に尋ねると、二つ返事で快諾してくれたのです。母も息子が増えた様だと喜んで居りましたので、実に一石二鳥でありました。
母を交えて三人で言葉を交わした際、彼も私と同様、母へ送る金を仕立てるべく離れた遠い地へ絵を描きに行っては其れを売り、歩き回って居るのだとも言っておりました。
今になって考えてみますと、盆以外に於いて彼が何処で何をしていたのか全く以て不明で有りました。又、住所等も定まらぬ者でしたので、連絡を取る事も一切有りませんでした。けれども、盆になりますと必ず逢う事が出来ましたので、其処には一切の不満は在りませんでした。
―風に乗る線香。
彼と出逢ってから七度目の盆、私は其の姿を一度も見る事は有りませんでした。母にも彼が其方へ来ていないか尋ねてみましたが、
一年来顔を見ていないという事でした。私は、彼の絵描きの職の方がようやく軌道に乗ったから、今年は此処へ来られない程に忙しくなったのだ、そうに違いないと思う事に致しました。
しかし、明くる盆も、其れ以降も、彼はぱったりと消息を絶ったのです。
私は少なからず、他責と後悔の念を覚えました。其の再会は決して約束などと言った大層な物では有りませんでした。けれども、揺ぎ無い暗黙の了解であると信じて、一片の疑念をも抱く事は無かったのです。
彼は、如何して一つも連絡を寄越さないのか、しかも人を待たせていると知って居りながら。しかし一方で、其れは取り決めでは無かったのですから、単に私の思い過ごしで有ったとも言えるのです。
ええ、当然で在るという事にすっかり油断して居りました故に、其れを機として、彼との縁は一切途絶えてしまったのです。
それから幾分か歳月が過ぎ去り、私は新たな恋を致しました。其の御相手というのは現在の夫に当たる人なのですが、私が工場に勤め始めて数年が経ちました頃に訪れた縁談の御相手だったのです。其れは急な話で在ったので一度は私もお断りしたのですが、夫は諦めず私に近づこうと必死になって下さったのです。私もそろそろ相応の歳になろうという時分でしたので、改めてお付き合いをさせていただく事と致したのです。
夫は、尾道と言う町に在る造船会社の跡取り息子に当たる人でした。其の会社は日本の規模で見るとそう大した会社では無かったのですが、広島の東の方では或る程度名の知れたものでした。
当時夫は、行々は会社を継ぐ者として馴染みの会社へ武者修行に出て居る身分で在りましたので、私も先方の会社の在る岡山の方へ移る事となりました。
其の会社では、夫は例え跡取りとは言え一会社員で在りましたのでそれは忙しい日々を送って居りました。
それでも夫は家では決して嫌な顔など一つも見せず、私に不平不満を吐く事も有りませんでしたので、私は、所謂、幸せな家庭に在ったのだと存じます。
そう言った忙しくも緩い日々に私も溶けて行き、次第に彼の事などすっかり思考から外れ、纏わる記憶も薄れつつ在ったと言う其の時、何の前触れも無しに例の包みはやって来たのです。
二
先ず始めに、私は「前書き」なる部分を読みました。
其処には、彼の生い立ちから私に出会う迄の経緯が書かれておりましたが、其れは、通常の人の物とは違う、何処か特異な雰囲気を醸し出して居りました。
*
「 前書き
懺悔を始めます前に、先ずわたしの生い立ちについて述べる必要があります。
貴方はきっと驚かれるかも知れませんが、わたしは「二度」この世に生を受けました。一度目は、蝉として。二度目は、あなたのよく知る人間として。通常ならば蝉のまま生涯を終えれば其れ限りと言うのが道理でしょうが、如何言う訳か、わたしは自然の摂理を犯し、今もこうして机に伏して居のです。
また、何も何時しかの貴方の様にお道化ている訳では有りません。只、紛れの無い事実なのです。それこそ、貴方と言葉を交え、心を通わせる間も、ずっとその記憶と共に在ったのです。何時だったか、蝉についてお話をした事が有ったでしょう。実の所、其れもわたし自身の体験談だったのです。
第一、嘘を吐くので有れば蝉という取るに足りぬ存在ではなく、獅子や虎などもっと栄えの有る者を選びます。
そうだ、此処では、現世のわたしでは知り得ぬ情報を追ってお話しする事に致しましょう。そうすれば貴方も少しばかりは信じてくれる事でしょうから。
さて、蝉の頃の記憶と言っても、生涯の大半は土の中で過ごしましたから、そんなに見栄えのあるものでは有りませんでした。そうそう、一つ貴方にも忠告しておきたい事が有るのです。世間一般では、蝉とは地上に出ましてから一週間で命を失うという儚い存在と思われがちですが、実を言いますと、通常の者ですと一か月程、長い者で有れば二、三か月は生きられるのです。
又、地上では喧しい程の声を上げて、其の存在はかなり目立つものでは有りますが、土の中では実に地味であり、其の目も退化してしまって居るので、幼い頃のそれらしい記憶というのは皆無に等しいのです。
今思い返しますと、人間の生活に慣れてしまった身には、あの様な見苦しい生活など二度と体験したくないものです。
羽化をそろそろ迎えようという時分になりますとようやく視界がはっきりと現れるのですが、其の時の記憶というのも酷く悲惨で有りました。
土の中とは申しましても、其処は地上と何んら変わりの無い非常に危険な場所なのです。
ええ、決して忘れませんとも。近くに在る木の根から養分を頂いて居りましたその時、地崩れと共に、突然あの醜い顔はわたしに近づいて来たのです。其奴はその悍ましい爪を以て、あわやわたしの腹を食い千切らんとして居りました。
わたしはこんな所で犬死などしたくない、何んとしても地上を飛び回ってやるのだと、それはそれは、其の小さな頭を絞って、死に物狂いで必死に其奴を説得しました。わたしは栄養不足で痩せ細っている、其れに加え、寄生虫までわたしには宿っている。わたしを食らっても何んら得など無ければ、食らったが最後、寄生虫が其の数を増やしながら徐々にお前の体を蝕んでゆくだろう、と。そう言うと、彼奴は唾を吐き、踵を返して去って行きましたよ。
故に、今でも残って居るのは感情的な記憶ばかりなのですが、只、その中でも強く、鮮明に覚えて居りますのは、孤独と恐怖ばかりなのです。
さて、其の様な暗くジメジメした生活を終えまして、わたしは見事、羽化を迎える事が出来ました。
地上に出た其の時、わたしは筆には話せられぬ程の驚きを覚えました。地上に出たばかりには、薄明りと言えども長らく暗闇に慣れた其の目には十分に明る過ぎ、周囲の事など一つも見えなかったのですが、次第に環境に慣れてきました時、至る所で仲間が羽化をするのを目の当たりにしました。孤独な者とばかり思っていたわたしは、涙などと美しい物を流す事は出来ませんでしたが、生まれて初めて心が実に震えるという事を知りました。
一晩が経ちまして、無事に空へ飛び立ったわたしは其れから約一か月、輝かしい生活を送りました。勇ましく上げる声、堂々たる羽。嗚、あなたにもその其の姿をお目に掛けて貰えていたのならば、きっと褒めていただけた事でしょう。
わたしは所謂、ヒグラシで在りました。故に、暑苦しい日中は怠け、比較的涼しい暮れ方になりますとようやく鳴き出すという事が日課で有りました。又、わたしは其れにも増して不摂生な生活を極めて居りましたので、時には明け方に目を覚まして鳴き出す事も有りました。
其の日も、わたしは日の出を入りだと勘違いをし、寝起きに弱々しく鳴き始めて居りました。しかし、其の日はやけに日差しが厭にわたしを照りつけて来ましたので、すぐ様木の背に隠れて再び寝る事に致しました。今となって考えますと、其れさえもわたしが精密な命の歯車を狂わす事となった原因であると思えるのです。
わたしが眠って数時間か経った頃でしょうか、背を激しい痛みが襲い、耳を断ち切る様な烈音と共に、業火を乗せた風が脇の方を駆け抜けて行きました。其れは、一瞬の間に有る限り全ての木々、建物を焼き尽くしたのです。わたしはと申しますと、獅噛みついて居りました木の側が裏側で在りましたので、間一髪命を長らえる事が出来たのです。表に回って其の面を見てみますと、それは酷く、きゅうと背を曲げて老婆の様になって居りました。裏側だけが何事も知らぬ世界をして居ったのです。
周りに耳を傾けますと、先程までけたたましく鳴いて居りました同胞の声が聞こえて来ませんでしたので、わたしは不安に思って辺りを偵察してみる事に致しました。
しかし彼らの姿は其処に無く、代わりに、其の影たちが木々に写されていたのです。将に業火に焼かれた地獄絵図で在りました。
耳も口も言う事を聞かなくなった体は、思考を巡らす事も出来ず、只空を漂って居りました。始めは羽から、終には末端の節々さえ其の自由を失いました。既に感覚など失って居りましたので気付きませんでしたが、恐らく、始めに羽に大傷を負って居ったのでは無いかと思います。
そうしてわたしは地べたへ枯葉の如く落ちて行き、仰向けに倒れ込んでしまいました。
幾分時間が経ったのでしょうか。意識も遠のいて行き、流石のわたしも命が終えるのを予感した其の時、此方へ一人の男性が駆け寄って参りました。彼は、私に向かって何かを語りかけて居りましたが、何分、蝉と人間で在りますから、互いの言葉が通じる筈も有りません。しかし彼は、どうやらわたしが生きて居ったのを必死に応援してくれていた様に感じられました。顔を歪め、くしゃくしゃにしながら声を張り上げて。
わたしも何とか体を動かそうと致しましたが、遂には足先を動かす力も無くなって居りました。
すると彼は、其のごわごわした手でわたしを優しく包み上げ、近くに在った焼け焦げた木の下へ埋めてくれたのです。
わたしは蝉と言う身分で何れ程有り難い事をしていただけたのでしょう。
他の蝉等など、地べたで死に絶えてゆくのが運命というのに、彼の慈悲のお陰でわたしは、尊厳を以て美しく死を迎える事が出来たのです。
嗚呼、彼の名を聞く事さえ出来れば、わたしは現世にあれ程苦悩に悶える事は無かったのに。
命を狙われる事は有っても、其の命を想ってくれる者が居るなどとどんな蝉が予想しましょうか。きっと彼自身も其の様な振舞いを出来る程余裕が有った訳では無かろうに。
異種とはいえ、彼は実に天晴な方でした。わたしは次第に霞んでゆく視界の中で、温もりを感じながら、彼の顔をただじっと眺めておりました。
*
其れからわたしは、第二の生を、貴方もよく知る「わたし」として授かりました。
貴方にもわたしの過去に関しては殆どお話しした事も無いでしょうから、貴方に出逢う迄の一連の流れをお話し致しましょう。
実の所、わたしは近頃に至る迄長らくの間「前世の記憶」という物を欠片も存じませんでした。現在は明確に、且つ細部まで思い出せますので、其れを踏まえてのお話となります事をどうかお許し下さい。
「世間」という物は、二度もこの世に生まれて来たわたしを拒絶しました。そう、きっと、本来で在れば此の存在は来たるべき物では無いと判断したのです。
其れ故、幼少期に於いてわたしの体は非常に脆く、それこそ、放って置いたら勝手に崩壊してしまう程、病に侵され易い質でした。
しかし、わたしは今こうして机に向かっている瞬間も確かに存在し、貴方に出逢う事も出来ました。其れは、一概に幼き日々に常に両親の支えがあったからだと言えるでしょう。
彼らは何の躊躇いもなく、親の殻を借りなければ生きては行けぬ仔虫に、其の慈愛を注いでくれたのです。
そうしてわたしは第一の困難を何んとか乗り越えた訳ですが、此の「世間」という物は如何してもわたしを生かして置きたく無かったのでしょう。容赦する事無く、更なる苦難を押し付けて来ました。
わたしは其の体質ゆえ、外に出て他の者と遊ぶという機会が殆ど有りませんでした。従って肌は青白くなり、其の裏側では不健康を物語るかの如く、骨という骨が浮き彫りになって居りましたので、わたしという存在は快活という言葉の実に正反対に在りました。
そうしますと、わたしは周囲の者から否応無く目立つ事となりました。当然其れは悪い意味での際立ちで在りましたので、彼らは自らとは異なる者には制裁を下すべく、わたしへ有らゆる罵声を掛け、輪の中から弾き出そうとしました。
其れに抵抗する程の体力も気力も、わたしは持ち合わせて居りませんでしたので、流れに逆らう事も無く、見事なまでのあぶれ者となりました。
すると、暇の有る時は相手となる者も居りませんでしたので、読書や絵描きへ没頭する他有りませんでした。けれどもわたしは、其れをするのが特段嫌いで有った訳では無く、寧ろ性に合った趣味で有りましたので困った事も無かったのですが、やはり其れを不服に思う者が居りました。
此処に至る迄、わたしは様々な不条理に尽く抗って来た訳ですが、其れで終いとは問屋が卸しませんでした。
「世間」とやらは遂に、わたしを根本から壊してしまおうと考え、唯一の拠り所で在った「家族」に狙いを定めたのです。私を狙えば良いものを、他人に、しかも両親に害を為すとは、非常に許し難いものです。
父と母は、結婚当時は互いにあれ程深く愛し合って居たにも拘らず、わたしが高等学校に入学した頃でしょうか、其の悪戯に依って引き裂かれてしまいました。
原因は、恐らくわたしに有ったのだと思います。
当時、彼らはわたしの進学に関してしばしば揉める事があったのです。父はわたしを中学の卒業と共にすぐ働かせるべきだと、母は本人の望む様に歩ませるべきだと主張し、互いに一歩足りとも譲しませんでした。わたしは、可能で有れば進学をと考えて居ったので、結局父の主張は折れる事となったのです。
しかし、其れをきっかけに父は家に居る事の意義を見失いました。
彼も、わたしを想っての行動を取ったのですが、其れを理解されなかった事が相当心に痛かったのでしょう。次第に其の顔から気力は抜けて行き、其れ迄の優しさを想像できぬ程に気性は荒れ、最後は母とわたしの元から離れて行ったのです。
其の後の父の行方は全く知りません。しかし其れでも尚、母は愛を以てわたしを養ってくれました。わたしも母を苦しませまいと何度も退学して働こうとはしたのですが、其の度に母は形相を変えてわたしを叱りましたので、如何にか生計を助けようと、卒業すると間も無く、職に就く事にしました。しかし、体付きは取分け酷く、肉体労働も碌に出来ませんでしたので、唯一の特技で有りました絵描きを職とし、各地を巡るようになったのです。
そうして一年と半年程が経った頃、あの夕陽に出逢う事となりました。
*
此れがわたしの生涯の顛末となりますが、其れを踏まえなければ如何しても此れからの記述に理解が及ばないと思うのです。ですから、今は不思議と思われても、せめて日記を読み終える迄はどうか記憶の隅にでもお留めになって下さい。
そう言えば、先程述べました追々お話しすべき事が在りましたね。先ずは其れに関して触れようと思います。
わたしも其の事実を初めて知った時は非常に驚き、運命という物に此の身を救われた様な気がしました。
其れは、貴方の実家を訪れた際、と或る写真を目にした際の事でした。其の薄く擦り切れそうな紙には、わたしの両の目の奥の方を痺れさせ、再び熱く焼き上げるものが在ったのです。
先に述べた様に、わたしはと或る男性に最期を看取られました。彼の深く彫の入った顔や、火傷の跡を中指から小指にかけて残しつつも、火鉢の様に温かい其の大きな手は、例えわたしが記憶を失う事となっても、決して忘れられない様に目の裏側の方に深く焼き付いておりました、前世の記憶が無かったとは言えども、其れは無意識に記録されて居ったのです。
ええ、貴方もそろそろ察しのついた頃でしょう。
あの時わたしを掬い上げたのは恐らく、貴方の父君、其の人だったのです。
彼の顔を見た途端、私の中で全てが蘇りました。
今迄の災難が此の一瞬へ伸びた無数の糸の様に、「世間」の意図する様にわたしは貴方の下へ導かれたのだと悟りました。
顔を知っていたというのは証明しようが有りませんが、其の手の特徴や触れた感覚などは一つの証拠となりましょう。どうです、此で少しは信じて貰えたでしょうか。
又、此の様な事を今になって文書で貴方にお伝えするのはわたしとて申し訳無いのですが、決して意図して隠そうとした訳では無く、唯、機会を逃し続けただけなのだという事をどうかご理解下さい。
*
此れを読み終えた時、わたしは酷く騙された様な気が致しました。
人というものは、そうする積もりは無かったと言われると、自分の中に少しでも疑問に思う所が在れば更に膨らんで行くのが道理でございます。
御存知の様に、私には父に関する記憶が殆ど有りません。彼が私の実家を訪れた際に其の胸を話したにも拘らず、父の父の情報を黙って居ったのには少なからず納得が行きませんでした。母が彼に話したのだろうという筋も在り得ません。と言うのも、父が亡くなって以降、母が父に関する話題を口に出す事は一度たりとも無かったのです。娘の私が幾ら訪ねてみましても、結果は同様でした。其の様な母が、他人に話す事など無い筈です。
其れに加え、彼の話には妙に信憑性が在ったので、余計に疑心が湧き溢れたのです。
私が数少ない父の記憶の中で最も明瞭に覚えて居りますのは、其の手でした。
生前の父は、遠出の仕事から家へ戻りますとしばしば私を連れて其処らを日が暮れる迄ゆっくりと歩いて回りました。
其の散歩の間、父は私に色んな事を尋ねました。調子はどうだとか、母さん私を淋しくさせて居らんかとか。
其れに対する私の受け答えの程は全く欠片も記憶に在りませんが、丁度私の顔の横に在った其の手の方を見ながら話をしていた事は覚えて居るのです。
又、父が病で床に伏して居った際、私が其処へ参りますと父は枕の上で頭を転がして此方を向き、弱々しく頬を緩ませながら手を差し伸べてくれました。
故に私が父を思い出す時というのは、其の顔を頭に思い描くよりも、其の手に有った感触や温度、湿り具合いといった温もりを此の手に感じる方が多いのです。
―懐古主義。
確かに、此の手で握った父の掌には、大抵の者が持ち合わせる筈も無い程の、大きな火傷の跡が確かにございました。
ですから、彼は其の情報を如何やって手に入れたのか、それは父の生きる時代に彼が生きて居ったとしか考えられないのです。
私は、精々「あの世」くらいの存在を信じる事は出来ても、霊や蘇りなどと言う極めて現実味に欠ける物は心の底から信じて居りませんでしたので、非常に不思議な感覚に襲われました。
とは言え、其の感覚が嫌だったと言う訳でも無く、寧ろ緩み切った日々の惰性に生まれる退屈を凌ぐには持って来いの刺激で在りましたので、私は包みごと押し入れの奥の方へ押しやりながら内心喜びに微笑んで居りました。
きっと其れが抜け切って居らんかったのでしょう。夫は帰宅して早々、何時もと何かが異なる事に気付いて「大丈夫かい、顔が林檎の様に紅くなって居るよ」と私に言って冗談混じりに心配をしてくれました。私は、夫の知らぬ旧知の男から手紙が来たと言う事も出来ませんので、只「ありがとう。でも今日は特別暑かったでしょう、其れで顔が火照って居るのよ」と誤魔化しました。夫は、何か有ったら何時でも相談してくれ、と優しさを私に見せてくれたのですが、其の奥では私を勘繰って居ったに違い無いのです。
其の晩は昼間の残暑と打って変わって急に冷え込み、隙間風も昨日に増して其の猛威を振るい始めましたので、夫は押し入れから掛け布団を取り出そうと言いました。其れに加えて自ら押し入れを開けようとしたものですから、私は焦って「布団くらい私が出して並べておきますから、少し風に涼んでいらして下さい。あなたも最近お疲れでしょう」と気遣ったふりをしながら、半ば強引に其の手を止めました。そう、丁度其の頃は金木犀も香りを漂わせて居りましたし、夫も其れが気に入って居る様子でしたので何とか上手く押し切る事が出来ました。
布団を並べてしまいますと、夫は明日の朝も早いからと、そそくさと其の中へ潜り込みました。私はと言いますと、時たま隙間風に乗って来る花の香りも在って余計に熱が一向に止みませんでしたので、殆ど一睡も出来ませんでした。
翌朝になりましても、布団を体に巻き付かせる様に悶えつつ、次に如何やって夫を誤魔化そうか、其ればかりを考えて居りました。けれども答えは出ず、夜明けも近くなって来ましたので、私は其処を飛び出して朝の支度を始めました。それから暫くして、夫もとぼとぼと目を覚まし、おはようと一言呟いてから朝刊を取りに行きました。
考え事をしている時というのは、動きも鈍くなり、口数も減るものですが、私は普段からあんまり物を言う質では在りませんでしたし、其の日は朝がとても早かったので、夫から見れば至って普通な朝で在ったと思われます。
其の朝、夫は何やら会社で大口の取引が有るからと、かなり足早に支度を済ませて居りました。私がどんな顔をしているのか、そんな事など構う様子も無く、目の前に出された御飯と夫好みに作られた味噌汁を口へかき込みながら、縦に並ぶ活字を睨み付けて居りました。私としては、少し淋しい気がしたのですが。
食事を済ませて夫が着替えるのを手伝いますと、若夫婦の住む隣の部屋からトントンとまな板を叩く音が聞こえて参りましたので、夫は「もうそんな時間か」と言って仕事へと向かいました。
私は、何せ久しく胸を焦がす夜を過ごして居りませんでしたから、其の日は洗濯や掃除など、何をするにも頭がぼうっとして手が付きませんでした。
従って、私は外から入って来る音を眺め、窓の奥の方に立つ煙突から溢れるガスで少し酸い味を帯びた空気を吸っておりました。
私が勤めて居りました工場の周辺にも、此れに似た、けれども更に刺激の効いた空気が何時も漂って居りました。
―緑に染まる川。
日も暮れて再び部屋を冷風が出入りし始めましたので、洗濯物を家の中へ取り込もうと腰を上げようとした所へ一つ、電話が鳴りました。
受話器を取って「もしもし」と申しますと其処からは聞き慣れた様な、けれども誰の物か判別できない低い声で、「お忙しい所失礼します。宮下様のお宅で間違い無いでしょうか」という、呻きに近い言葉が漏れてきました。私が「失礼ですが、何方様でしょうか」と尋ねますと、其の相手は私のよく知る名を名乗りました。
広島の、町工場の社長だったのです。
始めに誰だか分からなかったのは、社長は何時も作業場に声を響かせて居ったにも拘らず、其の日はやけに沈んだ其れをしていたからだと咄嗟に判断いたしました。
そして、何やら様子がおかしいと感じました上に、彼方から電話が掛かって来る事も久しく有りませんでしたので「これは失礼しました。お久し振りです、社長。今日は如何言った用件で」と神妙に尋ねてみますと、社長は更に声を押し殺して、「ついさっきなんじゃがな、ほら、居ったじゃろ、あんたの世話をよう見とった健さん。健さんがな、ようよう息を引き取ったんじゃ。」と、逸る息を抑えながらそう答えました。健さんというのは、私が工場へ勤め始める以前から社長夫婦と三人で工場を支えていた頼りになる方で、遠方の地で身内の居らぬ私の面倒をよく見てくれたのです。私も健さんの事を兄さんと呼び、慕って居りました。
故に、兄さんの死を告げる其の報せは、家族を一人失う事に同義で在り、たるんだ頭に衝撃を与えるには十分過ぎる程で在りました。
しかも、兄さんは実に快活な人物で在りましたし、社長より若く、当時はまだ其れ程歳を食って居らぬ筈だったので、何とも呑み込めぬ話で在ったのです。
―金木犀。
社長は、詳しくは後で話すからと、葬式の場所と始まる時間だけを言って其の電話を切りました。
私は如何にか意識を現状に追いつかせねばと感情を抑えました。そして、夫が帰る頃には事情を説明してから直ぐに其処を発てるよう、荷造りを始める事にいたしました。
嫁入り道具として唯一母から譲り受けました箪笥から、夫と私の礼服を取り出し、それから数珠を手に取りました。
すると、丁度其処へ疲れ果てた顔をした夫が帰って参りました。忙しい時分に酷とは存じましたが、夫へ先の電話の旨を伝えました所、夫は「そりゃあ、災難だ。まさかあの健さんが。僕も君に付いて行って遣りたいのは山々なんだけど、明日も、どうしても外せない仕事が在って。其れも、ウチの会社の今後が左右される程のね。本当に申し訳ない」と顔の疲れに申し訳無さを一挙に塗り替えて、そう申しました。
実を申しますと、出来れば夫も一緒に来て欲しかったというのが本心だった訳ですが、夫に落ち度は無く、寧ろ必死に働いてくれる事に感謝をせねばならず、ぐっと其れを胃の隅の方へ留めました。夫には「私も道中は一人で淋しいかも知れないけれど、向こうへ行けば皆さんがいらっしゃるし、大丈夫よ」と伝えて。
夫は私が其処を発つ準備を進めているのに気が付き、葬式に不慣れな私に代わって、慣れた様子で必要な物を揃えてくれました。(此れは後に聞いた話なのですが、夫は御義父様に連れられ、多くの会社関係者の式へ足を運んだそうです。)
手早く準備を済ませますと、道中で時間を潰すのに、何か、現在を忘れて没頭出来る物を持って行くと良いと言いました。
私には、現在を忘れて、という言葉にとても引っ掛かる物がございました。
私は、辺りをくまなく見回してから、此れと言って丁度良い物が無いから何か探してくれないかと夫に尋ねました。すると夫は、それなら僕の持っている本を一つ貸して上げよう、と押し入れとは反対の隅へ置いて在った本棚の前へ行きました。其の瞬間、私は再び何かを探す振りをして、ひたすら無意識に、押し入れの包みを、素早く、荷の中へ詰め込んでしまいました。
夫に見つからぬよう、其の手は荷の中を確認するかの如く。
幸い、ピンと張った場の空気のお陰で、夫が私の動悸が早まって居る事に夫が気付く事は在りませんでした。
夫はこういう時は此奴がお薦めだと、一冊の時代小説を差し出しました。私が、ありがとう、と言って其れを受け取り、水を一杯だけ飲んでから玄関へ向かいますと、夫は最後に、「電車賃の他に腹を満たすのに何か弁当が要るだろう此れでのお金で買うと良い。ああ、其れと、父さんの香典も要るな。此れも持って行ってくれないか」と財布から其のお金と、香典袋を一つ持って来てくれました。
私は其れを少しがさつに荷の中へ詰め込んで、足早に駅へ行きました。
*
列車は始めの二駅程を、酷く遅く走っている様に私には感じられました。
其の余りにも長い時間の中で私は間も無く耐えられなくなり、荷物を引っ掻き回して包みから此の冊子を取り出しました。
此の冊子は、有らゆる雑念を紛らわせてくれる様な、其れで居て私を何時も脅かす引力を持って居るのです。
其の時も、私は吸い寄せられる様にページを捲り始めて居りました。
其処には、手紙や前書きの文章とは一風変わった形式で、彼の告白が綴られて在りました。
*
「八月十二日 木曜日
此の日は、又一つ新たな感動を得ました。
貴方は、夕陽を背に纏い、川の煌きの一部となって、実に生き生きとした様子をして居られました。
出逢い頭に軽く会釈をし、取り留の無い世間話を交わすと、貴方は此の一年間に何を成し遂げ、次に何を目標として居るのかを語られました。
わたしは、「貴方は此の一年でどんなをしたの」という問いに、只、絵が昨年より何枚多く売れただとか、実に気に入る絵が一つも描けなかった等という、精無い受け答えを繰り返すのみでした。
そうして、わたしには此処でも貴方に懺悔しなければならぬ事が有ります。
実は此の時、わたしには口に出さねばならぬ事が有ったのです。
そう、此の時既に、わたしの命の炎はじわじわと消え始めて居ったのです。
幼き日に躱し切ったとばかり思っていた居た病は、知らぬ間に、わたしの身体を静かに蝕み続けて居ったのです。気付いた頃には、時既に手遅れ、其奴はわたしの胃袋にキリキと大穴を開け、春の節分を迎えた其の日、わたしにドッと血反吐を齎しました。
貴方に伝えたかったのだけれど、出来なかった。
ええ、わたしは施しようの無い阿呆で在ります。不孝者で在ります。
貴方に出逢ってから初めて幸せという物を知り、そして其の甘い蜜に浸かり過ぎたのです。
貴方も知っている事でしょう。手塩をかけて育てられ、穂を多く付け過ぎた稲は其の重さに自ら耐えられなくなり、やがて倒れ行くのです。そうして、一度でも水に潜ると、二度と救いようの無い雑草となるのです。
わたしが医者に掛かった時には、残りは長く保って半年という事でした。
わたしは、貴方に逢う迄は決して息絶えてなるものかと日々を過ごし、生き抜いてみせました。
体には鞭を打って絵を描き、脳には砂糖を舐めさせ目を開きました。
それから、貴方にだけはどうしても見せたい景色が有ったのです。其れを完成させるまでは絵を描かなければなりませんでした。
しかし、貴方と再び見える迄にわたしは其れを完成させる事が出来なかった。
嗚呼、此の様な、惨めで哀れな臆病者如何かお許し下さい。
恐れる余りに、瞬間、わたしには自身の事しか考えられなかった。貴方を想う気概が有ったのならば、其処で言葉を振り絞るべきだった。
其れなのに、わたしは貴方の前から其のままを消してしまった。
きっと、優しい貴方の事です、其の様なわたしの為に心を痛めてしまったのでしょう。
ですが、わたしは決して貴方を欺こうなどとした訳では無い事を此の場を以って弁明させて欲しいのです。 」
*
此処で一度、わたしは紙を捲る手を止めました、と申しますのも、其の際に何やら違和感が在りましたので、紙の根元の方を見てみますと如何やら幾つかのページが破られておりました。
試しに次の本文を見てみますと、其処は既に異なる日付で書き始められておりました。
私は、如何にも此れでは読み進める事が出来ないので、一度、先の内容を振り返ってみる事に致しました。
当時の記憶は、自分でも驚く程に、かなり鮮明に残っておりました。
先ず、其処に書かれて居ります日付や曜日なんかもはっきりと覚えて居りましたので、其れが彼との、最後の盆で在った事が解りました。
其の日は酷く夕陽が照って居り、反射する光がやけに目に付きました。故に、私と彼は木陰に身を委ねて腰を下ろして居ったのですが、其処らでは蝉の声が喧しくこだまして居りました。
彼が病弱だったというのは、確かに、思い返してみますと其の頬は痩せこけ、少し骨ばって居った様な気が致しました。
しかし、何せ一年に一度のみ逢って居りましたので、私には異変を感じ取る事は出来ませんでした。
増してや、彼の命に危機が迫っているなど縁起でもない事を考えようともしませんでした。彼も彼で、其の様な素振りは全く見せませんでした。
其の日は彼が仕事の話を持ち出したのをきっかけに、私もようやく工場での作業にもかなり慣れ始め、次の年迄には正式な社員として雇って貰えそうだという事等、普段以上に彼とは様々な事を話しました。
其の他にも、ええ確か、其の年の春に初めて夫と正式に顔を合わせたのですが、其れも彼に話しました。
私も其処其処女盛りを迎えて居ったのですが、何せ一文でも多く稼がねばと身を粉にして働き詰めて居った訳ですから、其の様子を見兼ねた社長は、此れは一つ、良い話を持って来て遣るのが道理だと、知り合いの経営する造船会社の跡取り息子を私へ紹介してくれたと言う次第でした。
社長は其の縁を如何するかは私に一存を委ねると仰って居りましたが、一方で、知り合いの会社とは言え先方はウチの会社に取って大口の取引先で在る事に変わり無く、其の縁談は自らの一存で自由に決断できる物では無い事を、私は俄かに察して居りました。
私としては、社長のお気持はありがたく存じて居りましたものの、正直な所、よく知らぬ者に身を任せるのは如何も不安でなりませんでした。此の葛藤を、私は、将来夫となる其の御相手と顔を合わせ、お話を幾つか致しました後も、何度も繰り返しました。何んだか、私の背に多くの人の運命を負わされた様で。(当時は社長の事が酷くお節介に感じられたものです。)
先にも述べました様に、結局、其の話はお断り致しました。しかし其の決断は一筋縄では行かなかったのです。
先ず、社長に其の旨を伝えました所、始めは断固反対の立場を取っていらして居りました。姉さん、と言うのは社長の奥様の事なのですが、彼女も同様の立場で在りました。如何して此の様な良い話を断るのか、勿体無い事極まりない等と私の将来を想って説得しようとされましたが、其の顔の裏には如何にも焦りが見え隠れして居りましたので、私も段々と意固地になって行ったのです。
―揺々と泳ぐ鯉。
其れから、此の一件は二、三日程続いたものですから、私はその間何度も折れそうになりました。けれども最後まで気を保つ事が出来ましたのは、一概に、兄さんの御蔭と言えるでしょう。
兄さんは終始私の味方をしてくれた唯一の人物で在り、又、其の一声に由って此の件は丸く落ち着いたのです。
そう、兄さんは、会社や自分の事は大丈夫だから私の思う様にしたら良いと、社長や姉さんの前で啖呵を切ってくれたのです。
言葉の力と言うのは大きなもので、何にも動じぬ其の太く重い一言に、終には社長も私の言い分を受け入れてくれました。
此の一連の流れを話して居る間、私は無意識の内に木陰を出て、其の辺りを歩いて回って居りました。其れにようやく気が付いたのは、話を終えても彼が返事を一つも寄越さなかった事に違和感を覚えた時でございました。
いや、若しかすると彼は私の話を殆ど聞いて居なかったのかも知れません。と申しますのも、私が取り繕った様に彼の方を向き直してみますと、其処にはじっと此方を向く背中が在るのみでした。彼は、木の幹や枝の方を見上げて、此方にはまるで意識を向けて居らぬ様な感じが致しました。
―蝉の声。
其の時の彼の表情を、私は思い出す事が出来ませんでした。(現在も一つも思い出せませんが。)日向に居た私からは日陰の彼がはっきり見えた筈なのに。
彼は陰にへばりついてばかりで、私は陽に揺らめくだけで。
私は考え事をすると自分が何処に居るのか忘れてしまう質の様で、其の時点で私が電車の中に居る事さえもすっかり頭から離れて居りました。ええ、勿論、人目を憚らず冊子を広げて居った事も。
そうして私は突如不安に駆られました。其の筈は無いのに、誰かに見張られて居る様な気がして、直ぐ様手中に在った其れを隠さずには居られ無くなりました。
窓の奥を飛び交う、無数の電灯。
私を睨みつける、私。
出来るならば、いっそ其れを燃やしてしまおうとさえ考えました。
―水滴の落ちる音。
いいえ、違う。違うでしょう。
消し炭に再び火が燃ゆる事など。
何の為に其処へ座って居たのか、いい加減恥を知れ。
此処で一つ、申しておきましょう。此の葬式に関する一件につきまして、私が袖を濡らす事は一切在りませんでした。
嗚呼、私は何んという無礼を働いたのでしょう。兄さんに顔向けも出来ません。
薄情者。
私は過去に置いて来た色恋沙汰に現を抜かし、現実から目を背けたのです。
*
其れから私は気を紛らわそうと、窓から此方を向いて居る情けない面と只管睨み合って居ったのですが、如何やら気付かぬ間に眠って居りました。
正に寝堕ちと言う物です。
身体は非常に素直な物で、究極には意思などさて置いて快楽には実に忠実なのです。
頬を抓って意識を取り戻しますと、電車はすでに広島へ到着しようとして居りました。
広島駅の手前に来ますと、電車は速度を段々と落として心地好い揺り籠となるのですが、私はキュウっと体を縮め、喉を潰して呻き声を上げました。
其れは何時もの事では在ったのですが、其の日は特に、もっと浸って居りたかった。延々と揺らし続けて居て欲しかった。
しかし私の願いなど知る由も無く、電車は次の乗客を乗せんとばかりに大きく息をぶすうっと吐き、早く去ねと急かして来ましたので私は渋々席を立ちました。
構内へ降りますと、其処には嗅ぎ慣れた空気と、すっかり変貌を遂げた駅の姿が広がって居りました。
階段に少し躓きながら改札に足を運んで居りますと、其処には愛すべき、汗と排気の混じった酷く臭う香りを乗せた風が、私の顔を撫で回して行きました。
しかし、其処に在る筈の、人混みの中でもはっきりと見えた、此方へ大きく手を振る姿は無く、只、まだツヤの有る看板の下に長短、濃淡様々な頭が行き交うのみでした。
―ほら又、懐古主義。
其の代わりに、小さく、大分白くなった頭を綺麗に結い、此方へ軽く微笑む姉さんの姿が在りました。
私が社長の奥様の事を姉さんとお呼びして居りましたのは、彼女が実に男勝りな方で、又、知り合い等からそう呼ばれるのをとても気に入って居られたので、私も其れに便乗した次第でございます。
彼女は相変わらぬ様子でございました。早口で、其の顔は実はお面か何かで、其の裏にはひげを生やし散らかした顔が控えているのではと感じる程声を張って。
其れに加えて、其の晩はやけに表情が明るく、笑顔の多い、そんな印象を受けました。
「よう帰ったねえ。長旅ご苦労さん」
「いいやあ、うちはまだ若いですから、こんなん大した事なぁですよ」
「何んじゃ、が年寄りみたいな口をきいてから。まだまだ負けとりゃせんでぇ」
「もう、姉さんにゃあ敵やしませんよ」
「おう、そりゃそうじゃ。はっはっ。」
其れから此処で一つ、咳払い。世間話の終わる合図です。
「そりゃあそうと、近くの駐車場へ軽トラが停めて在るけ、はよ行こうか」
私は思わず、エッ、と驚きを零してしまいました。
「どしたんや」
「いや、何時も迎えが来る時ゃあ、近くの八百屋の、郭さんのとこへ預けとったけん」
「ああ、郭さんなあ。実は此の前、二年くらい前じゃったかなぁ、癌で、亡くなっちゃったんよ」
「そうじゃったんですか。ほんま、、、」
「なあに、心配せんでええけんの。儂ゃあまだ死にゃあせんけぇ!はっ、はっ」
私達は駅から少し歩いた所へ在った駐車場へ向かい、まだ砂利の残る地を踏み締めながら軽トラへ乗り込みました。
「兄さん、皆んなより早よぉ居らんくなって、、、」
「彼奴はなあ、ほんま威勢が良過ぎる言うか、死ぬ時も急に逝ってしもうたわ」
「何が原因じゃったんです」
「いやあ其れがな、其れも彼奴らしい言うか、子どもを助けた代わりにな」
「エッ、何処でえ」
「ほら、工場の皆んなでよお三次の方へ泳ぎに行っとった川よ。彼処は岸の方はええけど、ちょっと流れが急な所が在るじゃろ。其処へ流された子どもが一人居ってな、其の子を助けに行ったきりよ」
「エッ、、、」
私は、何んだか夢を見て居る様で、話を掴む事が出来ずに居りました。
「それじゃあ、まだ、兄さん、見つかっとらん言う事ですか」
「いいや、見つかるには見つかったんじゃが、其れも儂らの前から居らんようになってから次の日よ。下流の方で」
「ああ其れと、子どもは」
「無事じゃったよ」
「不幸中の幸い言うか、、、」
「ほんまよ。此れで其の子が助かっとらんかったら」
私もゾッとしました。
「まったく、彼奴らしい死に様よ」
「ええ、まったく、です」
*
駅から南の方へ、車は戦後とはすっかり変わり果てた街並みを駆け抜けて行き、平和公園を少し過ぎた所に在る川の近くへ、工場は在りました。
先代の社長、詰まりは社長の御父様に当たる方が戦後に其処へ工場を開いた訳なのですが、戦前はもっと川の縁の方へ在ったそうです。ええ、其れは先の爆弾ですっかり更地になってしまったそうです。
社長も先代も生き残る事が出来たのは、其の日は鉄の代わりになる木材を探しに世羅の方へ赴いて居ったからだそうです。
其れから、広島で惨事が在ったと聞いて飛んで戻った時には、其処は既に真っ黒な地獄と化し、残って居った家族は皆、跡形も無く消えてしまったそうです。
社長はまだ若く、自分の知らぬ土地に膝を落としてしまったそうなのですが、其の隣で先代は、広島が死ぬ筈など無い、何れ復興する時が来る、其の時に自分達工場の者がへこたれて居ってはいかんだろう、と崩れた街を見て激を飛ばしたそうです。
先代の読み通り、広島は誰もが予想出来ぬ速度で活気を取り戻し、現在の姿へ至ったのです。
現在では建設や造船の会社へ少しばかりも部品を納める様になりましたが、先代の意向で、其の工場は街の何んでも屋の様な、そんな特色が私の勤め始めた頃にも残って居りました。従業員を雇わず、身内で仕事を回すのも先代の意向だという事でした。因みに私が其処へ勤める事が出来たのは、父と先代に親しい交流が在ったらしく、其の娘が仕事に困って居る様だったらうちへ来い、と社長が御達しを下さったからです。
―真っ黒な顔に浮かぶ綺麗な歯。
父は、機械技師を生業とし、腕も其処其処有った様で、戦前は島根だけで無く、広島や岡山の方へ機械の調子を見て欲しいと依頼を受け、忙しく足を運んで居りました。故に、父は家を空ける事が多く、家では母と幼い私の二人のみで一年の殆どを暮らして居りました。
―シャッターを上げる重い音。
夏になりますと、工場が川の近くへ在った為に湿気が酷く、作業場は蒸し風呂の如く暑くなり、首に掛けた手拭いを絞ると汗が滝の様に流れ落ちた事を記憶して居ります。其れから、其の時に頂いた麦茶の味を現在も忘れる事など在りません。当時はまだ冷蔵庫も在りませんでしたから、よく冷えたとは言い難いものの、姉さんが砕いて下さった氷が何んとも言えぬ極楽心地を生み出して居りました。
*
工場へ着くと、辺りはすっかり暗く静まり返って居りましたので其の様子を詳しく窺う事は出来ませんでしたが、辺りに立ち籠める線香の香りが通夜の在った事を物語って居りました。
作業場の奥には硝子戸を挟んで社長夫婦の住む居住部分が在り、其の晩は通夜の片付けや明日の葬式の準備を引っ切り無しに右往左往する影が一つ、硝子に映って居りました。
姉さんは戸を開けて彼方側で何やら話した後、今は中は散らかって居るからと、作業場に在った休憩に使う椅子へ腰を下ろしておくよう勧めてくれました。其の椅子は、何時も誰かが我先にと其の疲れ切った体を投げかける為に酷く脚が曲がり、或る種の揺り籠の様でした。其の椅子にも又、電車の其れに似た感覚が在って非常に心地好い物だったので、私は再びうとうととしてしまった訳ですが、筋の通った声が其の場に響いて私の頭を貫いたものですから、私は瞬く間に目をカッと見開きました。
辺りを見渡しますと、姉さんが例のお茶が入ったコップを両手に、灯りの方から此方へ歩いて居りました。
「どしたん、そんな顔して」と姉さんが笑い、「姉さんの声が余りにも大きかったもんで」と返しますと、「なんじゃあ、何時もの事じゃろ」と少し濡れた其の硝子を私の頬へ押し付けました。
私は其れを一口に飲み干して、其れから、其のお茶は、少し塩っ気が在ったのだと初めて気が付きました。
空になったコップを眺めて居りますと、私は無性に川の縁を歩きたくなりました。久しく川に面と向かう事が無かったのも在りますが、其れ以上に、何んだか、空白になった、満たされない其れを見て居られ無くなったのです。
川は、私にとって父の代わりの様な存在で在りました。
母は仕事を終えて帰って来てからは私の相手をしてくれたのですが、日中は仕事へ行かねばなりませんでしたから、其の間私は家に一人で居るか、若しくは近所に在った川を訪れました。其の川は、幅や水深なぞは大した事は無く、江川の分流の其の又分流と言う、それはちっぽけな小川で在りました。けれども当時の私には、其の小川でさえ大河にすら思われたのです。其処へは辛い事なんかが在るとよく訪れたのですが、いつ何時も其れは私の涙を受け止め、優しく、力強く、抱擁してくれたのです。
其れからしばらくして、母と私は住まいを移しました。父と過ごした場所を離れたく無かったのでしょう。母は出来るだけ身を削って其処へ居ようとしましたが、遂には僅かながらも父の残した遺産も底を突き、他所へ移る他無くなったのです。
私は次の土地へ行っても、川が其の近くに無いか探し回りました。既に、其れが私の一部となって居ったのです。
―仄かな潮の香り。
広島市内に在る太田川は海に近い為、真水と塩水の混ざった、所謂汽水域と言う物に当たります。故に、川へは海へと出て行く為の船が幾つか浮かんで居り、其の腹が波に打たれて「タ、ポン」と音を鳴らすのです。私は其の音がとても気に入って、話し掛ける事もしばしば有りました。
其の日も、私は人気の消えた川縁へと下る階段に腰を下ろし、其の腹太鼓に耳を傾けながら、月の灯りに照らされた水面の方へ意識をぶっきらぼうに投げつけて居りました。
私は丸々とした月を見て、兄さんがお酒に弱いくせによく飲んでは、一発芸と称して腹太鼓を披露して居りました事を思い出して居りました。初めは正直下品だと感じて居ったのですが、慣れると其れは本当に可笑しくって、何処から其れ程迄の爆音を鳴らして居るのか、不思議で仕様が在りませんでした。姉さんは其れを見て、ウチには狸が二匹居ると社長の方をちらちらと見ながら笑い、更に社長は其れに気付く事は無かったので、私は姉さんと目配せをしたものです。
今思えば、其れこそが幸せだったに違い在りません。
其の夜私は、船が揺れるのに合わせて静かに腹をタ、ポンと叩きました。
三
私が工場へ戻りますと、シャッターは開いて居りましたが、硝子戸の奥も落ち着いた様ですっかり静まり返って、薄明るい灯りが零れて居りました。
「只今帰りました」と呟いて戸を開けますと、其処には誰も居らず、其の代わり、食卓の上には私が何の部屋で寝たら好いか、其れから其処に荷物も置いて在るから安心してくれと書いて在りました。実際、其処へ行ってみると隅の方へ荷物がひっそりと置いて在り丁寧に布団も敷いて在りました。
其の時、ようやく私は自分が酷く疲れて居る事に気付き、脱ぎ捨てる様に服をさっさと着替えてしまって、其れからは倒れる様に布団へ潜ってしまいました。
―シャッターの揺れる音。
どれ程眠ったのでしょうか、目を覚ました時には既に表の車通りも多くなって居り、シャッターががたがたと揺れて居るのが聞こえて参りました。
強張った身体を伸ばして居間の方へ行きますと、其処にはすっかり喪に服した社長と姉さんが居りました。おはよう、と挨拶を交わしますと社長は、「もう直ぐ人も来るから朝飯をかき込んで来い」と、懐かしい言葉を述べました。
少し嬉しい気を抑えて、食卓の上に在った御飯と味噌汁を急いで飲み込み、寝癖や服装を仕変えてしまいますと、表では丁度参列者の方がいらして居りました。
最後に体裁を整えて私も表へ出ますと、其処では姉さんが受付を始めて居り、社長は参列者の方々を式の開かれる地域会館へ案内をして居る所でした。姉さんは私に、社長と同様、参列者の案内を頼まれましたので、私は次から次へと訪れる人々を忙しく案内して居りました。
案内を始めましてから小一時間程経った頃でしょうか、名簿が埋まったのを見て姉さんと会館へ行きますと、其処は、兄さんの人格が表れたと言うべきでしょう、憂う顔で一面埋め尽くされて居りました。涙を浮かべる方も多く、兄さんは実に愛された人で在った事を物語って居りました。
―装束の香り。
私達も前列へ腰を下ろし、お坊さんも来られて頃合いとなると、社長は立ち上がってお坊さんや参列者の方へ挨拶を述べました。
兄さんは、先の災禍で家族や親類を失った所謂戦争孤児と言う者で、先代が養子として受け入れられました。故に、葬式は全て社長が取り仕切って居ったのです。
悼辞が終わり、其れからお経が始まりますと、ちらほらとすすり泣く声が聞こえて参りました。
私はと言いますと、如何しても兄さんが亡くなったと言う事に実感を持てず、何処からか嘘の様に元気に腹を出して現れるのでは無いかと、首を動かさない様にして待ち侘びて居りました。
しかし勿論、兄さんが現れる筈なぞございませんし、私の期待などさて置いて式は終盤へ差し掛かりました。お経が終わりますと、次は棺桶を後ろの方から仰いで居ったのですが、其の時、私は今後も忘れる事は無いで有ろう、強烈な光景を目の当たりにしました。
最後に私達三人が拝むという時、突如、常々一度たりとも弱音さえも吐かなかった姉さんが、大声を上げたと思うと、其の場へ崩れ落ちてしまったのです。其処に日々の面影は無く、子どもの様に小さく背中を丸め、顔を棺の縁へ押し当てて居りました。
此の時、私はようやく、嗚呼、兄さんは死んでしまったのだ、還らぬ人となったのだと理解致しました。
外には、雨が小さく振って居りました。
*
式が終わりますと、お坊さんをお見送りしましてから、棺を山の方に在る火葬場へ移しました。其処からは、何んと言いますか、非常に無礼とは存じますが、何事もそそくさと終わってしまった様に感じられたのです。追いつく事の出来なかった現実にようやく意識が付いて来て、少し疲れて居ったのだと存じます。
火葬が終わると、次は会館へ戻って食事を致しました。とは言え、私と姉さんは皆様にお酌をしながら挨拶をして回り、社長も一人一人へ雑談を交えながら挨拶をして居りました。
実は、私は此の間が最も苦痛で在りました。
と申しますのも、皆様が兄さんの話へ花を咲かせて居るのを聞いて居る内に、私には他の者へ話す事の出来る様な兄さんとの思い出が無い事に気付かされたのです。ええ、実に拷問の様な時間で在りました。
全く、其れでは兄さんも浮かばれないだろうに。
一方で、食事が済み、ぼちぼち参列者の方々も帰路へ着き始めました時、思いがけぬ事も在りました。
其の食事の場には兄さんの知り合いやらが集まって居たものですから、其の殆どがご年配の方だったのですが、其の中に一組、明らかに浮いた存在が在りました。恐らく二四、五歳程の女性と、其の息子と思しき少年が居心地悪そうに隅の方へ座って居ったのです。(父親は其処へ居らぬ様でした。)
ええ、其の少年こそ、兄さんが命を懸けて紡いだ命でした。
其の親子は、皆が帰った頃を見計らって私達の方へやって来ました。少年の方は何処かブスッとした表情をして居り、母親に手を引かれて此方へ来たという様な感じが致しました。
母親は、其の少年の名前を呼ぶと、深々と頭を下げさせ、本人も涙を浮かべながら其の背中が見える程に頭を下げました。
姉さんは其の姿を見て、笑顔を浮かべて頭を上げる様言って居りましたが、きっと一番泣きたいのは姉さんでは無かろうか、と考えて居りました。
其れと、少しばかり少年にも同情の念が湧きました。と申しますのも、私自身も何かしら重い荷を背負った幼少期を過ごしましたので、本人も此れから気付いて行くで有ろう少年の責務を考えますと、何んだか遣る瀬無い気持に至ったのです。
其の際、機嫌こそは余り好ましくないものの、元気そうにして居る少年の姿を見た社長は微笑みを浮かべ、彼の耳元へ何やら囁いて居りました。
*
母親は本当ならもっとお詫びをしたい様子でしたが、如何やら晩の内に帰らねばならなかった様で、後日改めて伺わせていただきたい旨を述べ、最後まで深々と頭を下げながら少年の手を引いて去って行きました。
親子を見送りますと、姉さんは「片付けは明日でも大丈夫じゃけえ今日はもう休もう」と提案しました。社長も其の日は本当に気疲れしたらしく、其れには賛成の様でしたので私も其れに賛成する事に致しました。
工場へ戻りますと、先ずは食事を済ませようという事になりました。皆様の話し相手を務めて居りますと、私達には食事をする余裕もなかったのです。
食事の用意は私の働いて居る頃から女の仕事と決まって居りましたので、姉さんに「今日は何を用意しましょう」と尋ねてみますと、「今日は、冷蔵庫に在るもんでええじゃろう。御飯も朝炊いたのが残っとるし、其れにしょうやあ」と答えました。嗚呼、此処にも時は流れて居ったのだと、私は尽々痛感致しました。
一番疲れているのは姉さんだろうに、其れにも拘らず、姉さんは私へ、食事の準備は自分がするから横になって休んで居ってくれと言ってくれました。
姉さんはそうと言ったら中々折れぬ人でしたから、私はお言葉に甘えて居間へ少しばかり横になる事と致しました。
其処には既に社長が大の字になって鼾をかいて居りましたので、私は其の邪魔にならぬ様に足を延ばし、部屋をぼんやりと見渡して居りました。
部屋の中は、昔と何んら変わらぬ物も多くございましたが、クーラー等、幾つか見慣れぬ物も確かにございました。
其れから、其の居間には壁へ時計が掛かって居ったのですが、其の隣には、一人の若き女性らしき人物が日向を駆け回る、何処か懐かしく、私の知っている様な景色が背景に描かれた絵画が在りました。其の瞬間、私は殆ど確信に近い、疑念を抱いたのです。
―茶碗のぶつかる音。
其処へ丁度、姉さんが料理を一挙に乗せたお盆を持って来ましたので、私は社長を揺すり起こしてから、部屋の横の方へ立てかけて在った食卓を取り出しました。
其の上に料理皿が乗せられると、社長の食べ始めるのを機に黙々と食事をするのが其処の取り決めで在ったので、私は手早く食事を済ませてしまい、二人が食べ終わるのを今か今かと待ち焦がれました。
其の様にそわそわする私の姿を見兼ねた社長は、「如何した。何か言いたい事でも有るのか」と私に話す事を許して下さいました。
私は先ず、「社長の後ろに掛かって居る絵の事なんですけれど、何処で買われたんです」と尋ねますと、「一昨年、宍道湖の方へ夫婦旅行をしに行った時じゃったかの。遊覧船に乗ろう思うて船小屋へ行った時、其の隣で売られとったんじゃ。他にも幾つか在ったんじゃが、此れが一番ええと思ってな」と答えられました。続けて私は、「其の絵、売って居たのは私くらいの男じゃあ無かったですか」と聞いた所、「いいやあ、男じゃ無しに、色の焼けた女の人じゃったと思うで。何んじゃ、知り合いなんか」と仰られました。
宍道湖、島根、女性、、、。
私は、親の血でしょうか、話を聞けば聞く程、其処へいち早く駆けつけなければならぬ、そんな気が致しました。
「ええ、そんな所です。実は、社長、私は其処へ今直ぐにでも行かねばならんのです。
けれど、其のお金が私には在りません。ですから、如何かお願いします。私に其処へ行って帰るだけのお金を貸してやくれませんか。岡山へ帰ったら直ぐに返しに来ます。社長、後生です」
気付くと私は思いのままに口走って居りました。傍から見れば突然訳の分からぬ事を騒いで居る様にも見えた筈です。けれども社長は箸を置き、此方をじっと向いてこう言いました。
「如何してもなのか」
「二言は在りません」
続けて姉さんも、
「健さんじゃったら、きっとどんと背中を押すじゃろう。うん、そうじゃ、そうじゃ」
と後押しをくれました。兄さんの意思は、此処へ残って居りました。
「よし、其れじゃあ行って来い。金は返さんでええ。今までこっちも世話になったけえのお」
と社長。
「ありがとうございます、社長。何から何迄。何んとお礼を言ったらええか」
「礼なんていらんよおね。ほら、そうと決まったら直ぐ準備した方がええじゃろう。駅まで送ったげるけ、荷物纏めてきんさい」
と姉さん。
今考えますと、二人には相当な迷惑を掛けたと存じます。
其れから私は直ぐに服装や荷物を纏め、姉さんの運転する軽トラへ飛び乗りました。
*
駅へ着きますと、丁度松江の方へ行くバスが一五分後に発車する様で在りましたので、私は急いで其の切符を買い、姉さんにしっかり挨拶をしてから荷物を両手に抱えて乗り込みました。
バスの道中は真っ暗で何も見えやしませんでしたので、私は大人しく現状を分析して居りました。
先ず、彼について。彼は冊子の内容からして其の時点で生きて居るというのは考えにくいものでした。
次に、例の絵について。あの絵は、まず私と彼が逢って居った場所に違い無いと考えました。其れと、其の絵は彼が描いた物では無いかとも十分考えられました。
其れから、絵を売って居った其の女性について。彼女に関しては全く予想がつきませんでした。何者で、如何して其の絵を売って居ったのか。考える程、謎は深まるばかりでした。
松江迄の道中は想像して居った程長い物では無く、其れ等を考えるだけ考え尽くしました頃には、既に高速道路を下りて目的地へ到着しようとして居りました。
当然、到着も真夜中でしたから、其の晩は松江の駅の近くへ在った、当時流行り始めて居りましたカプセルホテルへ宿泊する事に致しました。
夜が明けますと、私は朝一番に宍道湖へ向かい、社長の言って居られました遊覧船乗り場を探す事に致しました。其れは、松江駅から見て神社の在る方とは反対側に在る、其れでした。当然、気が逸って朝一番に行ったものですから其処には女性の姿どころか、絵なぞも置かれて居りませんでした。
私は気の赴くままに動いた事を少し後悔しつつも、しぶとく日陰へ立って待って居りますと、帽子を被った女性が絵画の様な物を其の乗り場の近くへ並べ始めました。
私は彼女が其れ等を並べ終えるのを待ってから、思い切って思いの丈を尋ねてみる事に致しました。
*
私は、初めは絵を見る振りをして近づき、其れは彼女が描いた物か尋ねました。彼女は、いいえと言い、続けて、其れは知り合いの男性が描いた物だとも言いました。私の疑念は揺るぎの無い物へと変わって居り、彼女へ、彼からの包みを見せる事に致しました。
すると彼女は、少し驚いた表情を浮かべましたが、直ぐに其の目は冷たい目線へと変わり、
「ふうん、あんたが、ね」
と呟きました。其れから私をじろっと睨んで、
「如何して此れをうちに見せるかなあ。あんた、ど突かれたいんか」
と喧嘩口調へ変わりましたので、私は思いの外の行動に焦り、
「いいやあ、そんな積もりなんて。只、確めたくって」
「何を確かめる言うんよ。うちは、あんたに負けたんじゃ。其れ以上のもんで在るかい」
と言いましたので、私は何が何んだかさっぱり解らないという顔をしたのを見て、
「あんた、其れ、まだ読んで無いんか。ちゃんと最後迄見たげるのが道理じゃろう」
と言いました。私は、確かに何も言い返す事が出来ませんでした。冊子の大半が綺麗に破られて居り、残りの部分も幾つか抜き取られて居る所が在り、其れ程の量も在りませんでしたので、つい其のままにしておいたのです。ですから、私は其の場でまだ読んで居なかった部分を読み進める事に致しました。其処には、其れ迄とは売って変わって、比較的短い文章が綴られて居りました。
*
「八月一三日 金曜日
貴方は生来、わたしの太陽で在りました。
其れ故、やはりわたしは貴方に相応しく無いのです。荒んだわたしの情景が、其の美に伝染ってしまうから。
貴方には、わたしなぞよりもっと良い人が居るでしょう。
嗚呼、遂に奴がわたしを食い尽くさんとして居るのだ、今更。
わたしは耐えられません。
貴方に嘘を吐き続けて居るくらいなら、いっそ、此の命を絶ってしまった方がマシと言うものです。
ええ、貴方の心が、わたしの所為でくすんで行くのが手に取る様に解るのです。
其れなのに、貴方は、今日、わたしの居る将来を語られました。
恐れて居た事が起きてしまった。
今のわたしに明日と言う物は無いのです。
非常に尊い物ですから。
今の卑しいわたしには、其の様な輝きなど近づく事すら許されませぬ。
孤独を憎み、孤独を愛す。
此れ、隣人愛なり。
私は生来、卑怯者で在りました。
誰かを愛する事なぞ、到底私には出来ない所業だったのです。
嗚呼、貴方と、川の彼方側で出逢って居たのならば、もっと違った道を辿る事が出来たのかも知れません。
けれど、私はもう直ぐ行かねばならぬ様です。次は、もっと素敵な出逢いを用意しておきますから。
此の泣き喚きが、わたしの最期の、愛の表現でございます。
*
其れを読み終えた時、私は、彼女に何んと言う事をしてしまったのか、瞬時に理解致しました。其れも、言葉も出ない程に。
「なんじゃ、だんまりか。ふん、何んでこんな女に、、、。ああ、もうええわ。あんたの顔ももう見とう無いわ。早よどっか行ってくれんか」
「最後に一つ、、、」
「あ、何んじゃあ」
「其の絵、彼の物なんですか」
「ああ、そうよ。彼がうちに唯一残してくれたもんじゃ。此れを売って、少しは生計の足しにしろって。最期に言っとったわ」
其れだけ聞くと、私は一目散に岡山へと戻りました。松江へ向かって居った時の勢いなぞ、何処かへ行ってしまって。
帰りの道中、私は考えました。
私が、私こそがモグラだったのでは無いかと。湿った陰に生き、日の当たる地上では長く生きられない。
多くの者を傷付けるだけで、不幸にしてしまった。
其の日は日付が変わろうという時になって岡山に帰ると、其処には一山終えた夫が、私の帰りを待って居りました。彼は、私を優しく抱擁してくれました。其れから、心配して居たとも。如何やら、帰りが遅いので広島の工場の方へ連絡を取ったそうです。私は、夫まで傷付ける訳にはいかないと考え、いっそ洗いざらい一連の出来事を夫に話してしまいました。
すると夫は、何も言わず、只、良いんだ、此れで良いんだ、と私を抱いたまま、そう言い聞かせました。
此の時初めて、私の頬を水滴が伝って行くのを感じました。
四
此れが私の持つ、彼の出来事に纏わる一部始終なのですが、結局、私は彼の思う程の人間では無かったのです。
私は、彼の思う様な日向に煌く水では無く、寧ろ彼の幸せになる大事な機会を無駄にしてしまった。
そうして彼の執着を生み、業を増やしてしまった。其れは私が止めなければならないのです。業の在る限り、転生は続きますから。
―ヒグラシの声。
嗚呼、次は川に住む綺麗な鳥にでもなってみたいものです。




