交差 3
「いつの間にか傷が?」
昼休み、女子数人でお弁当を食べている時に、美空は、八雲綾香に質問してみた。八雲は、少し天井を眺めて考えた後、ぽんと手を打った。
「私の部屋の液晶テレビなんだけど、丁寧に使っていたはずなのに、気が付いたら画面に傷があったよ。このくらいの傷が。びっくりしちゃった。そんな感じ?」
八雲は、両手で三十センチ程の幅を作って答えた。
女子の一人が、驚いた様子で八雲に質問する。
「そんな大きな傷が入るって……テレビ何インチなの?」
「六十だよ。パパはケチだから、安くなってきたサイズしか買ってくれないのよ」
「六十……。そ……そうなんだ……」と八雲に返すが、その女子の声は掠れていた。
別段と驚く様子が無かったのは、美空と風早琴乃だけだ。ただ美空は、テレビのサイズの話など耳に届いていない様子だった。
ペットボトルのお茶に口を付けた風早は、今教室に入って来た男子に気づき、美空の肩をぽんぽんと叩いて言う。
「水野君に聞いてみれば良いかもしれません。噂では、あの方は中学生の時、全国模試で三位だったとか」
「賛成! あの人なら何でも知ってるよっ!」
八雲も、指をぱちんと鳴らして風早とアイコンタクトした。
「でも……あの……水野君とは……」
美空は、罰が悪そうに俯く。昨日、水野からの告白を断ったばかりなので、当然の反応だった。八雲や風早はそれを知っているはずなのにと、美空は不思議に思う。
そんな気持ちを当然のように察している八雲は、人差し指を振りながら美空に言う。
「まだ次のクラス替えまで半年もあるんだから、ずっとぎこちない関係 辛いよ」
すると、風早も援護射撃を放つ。
「友達、で良いのじゃありません? 相談ですよ」
二人に説得された美空は、しぶしぶながら水野の元へ向かった。その後ろでは、八雲達が「がんばれ~」と囁いているのだが、それはどうやら水野へと向けられているようだった。
「ちょっ…………と良いかな、水野君」
美空が照れながら言うと、水野はひどく驚いていた。一緒に入って来た水野の友達は、気を利かせて、逃げるようにして教室から出て行った。
美空達は、教室中央の水野の席へと移動し、美空は隣の空いた席へ座る。
最初は照れながら美空の話を聞いていた水野だが、次第に真面目な顔となっていた。その真摯な態度に、美空は、陸の家の事、幼馴染の陸についても少しだけ話をした。
「実際に、ソレを見せて欲しいな。他にも、身の回りで変わったことは無かったかい?」
そこまで言った水野は、はっと顔色を変えた。
「あっ! ……け……決して、井口さんの家を知りたいとか、そんな理由じゃなくて……」
「変わった事……」
考えていた美空は、昨日の晩に、陸の家が一瞬だけ見えた事を水野に話してみた。
「な…なんてねっ! 目の錯覚だよねっ! エヘヘ……」
照れ笑いをする美空とは対照的に、水野は真剣な眼差しで美空に聞く。
「今まで、同じような幻覚を経験したことはあるかい?」
美空は、即座に首を横に振った。
水野は、腕組みをし、指に顎を乗せながら言う。
「僕も、見間違い程度ならたまにあるけど、そこまでの大きな錯覚はまだ無い。異変と幻覚、……偶然が続けて二度起これば、これは必然なのかもしれない」
美空も、下唇を噛みながら頷く。
水野は、黒板の上の時計で時刻を確認し、美空に言う。
「是非、すぐにでも、良ければ今日の放課後にでも見に行きたいんだけど……あっ、決して井口さんの家へ行ってみたいとか やらしい意味じゃなくて、あの……なんと言うか……」
しどろもどろの水野は、ごまかすように視線を反らし、開けたままの教室扉から、先ほど出て行った友人が戻って来ないかと願った。
すると、その扉から、体格の良い男子がお腹の肉を揺らしながら入って来た。手にはコロッケが入った紙袋がある。
「うめ~! このコロッケ! 職人の味っ!」
林田仁志が満面の笑みで足を止めて言うと、その背中を押す両手があった。
「早く入れよ。しかし、昨日も今日も同じ食堂のコロッケを食べているってのに、良く毎日 感動出来るな」
入って来た陸は、教室を見回した。
「なんだ。誰もいないな。いつもの事だけど」
教室は、がらんとしており、日の光が差し込むのが余計に寂しげに見えた。
陸と林田は、適当な空席の机の上に腰かけた。
「林田、お前 昼飯 何食ったんだっけ?」
「え? 見てたでしょ? ラーメンチャーハンセット 大盛だよん。あと、豚汁っ!」
「いや……あれは俺の幻覚だったんじゃないかって思ってな……」
陸は、五つ目のコロッケを頬張る林田から、眉をひそめて目を反らした。
「で、どうだったのよん? OKしたの?」
「は? 何が?」
陸が目を戻すと、林田はコロッケ一個を口にくわえて、紙袋を丸めながら陸を見ていた。
「ホイラのアンテハ、ひんひんキャッチほ。三ひ間目の休み時間 風早琴乃と、ほっそり教室からへて行ったへしょ? 告られたんでほ?」
「お…お前……。ほんとその図体に似合わず、パパラッチが得意だな……」
ため息をつく陸に、林田はくわえていたコロッケを少し千切って、その欠片を差し出す。
「オイラと相沢の仲じゃん!」
「……取りあえず、保留、待ってもらった。これも遠慮しとく」
陸は、コロッケを押し返した。林田は、間髪入れずに欠片を口に放り込み、ごっくんと飲み込む。
「うっめぇ。んで、損する訳じゃないし、付き合うくらい別に良いじゃん。風早の外見は好みなんでしょ?」
「まあ、悪くはないけど」
陸は、机に腰かけたまま伸びをし、窓の外を見る。そんな陸の頬に、丸めたコロッケ袋が当たった。陸が林田を見ると、細い目でじっと陸を見ている。
「はっきり言うけど、幼馴染だっけ? 死んだ子に義理立てしても仕方ないと思うよ」
「………たまに正論言うよな。お前」
陸が少し感心した表情で見ていると、林田は頬をすぼめて丸顔をごまかし、キメ顔を作った。
「早くオイラに、風早の友達を紹介してねん」
「やっぱそれな」
呆れた様子の陸だったが、心にかかった錠前が、一つ外れた気がした。
まだ食べ足り無かったのか、林田はポケットから売店で買ったチョコレートを取り出した。その赤茶色の箱を見て、林田は何かを思い出したようだった。
「そいや、聞いた? 今日、八雲が来てたらしいよん。教室には来なかったけど」
「八雲? 八雲綾香か? あのヤンキーの」
陸は教室の最後尾の席を見る。そこは八雲綾香の席なのだが、彼女が座っているイメージが全く湧かない。思い出すのは、明る過ぎる茶髪だけだ。
「なんかさぁ、このクラスってロクなのいないんよね。オイラと相沢ちんだけが普通って感じ」
「んなこと無いだろ。まぁ、まとまりは無いのは間違いないけど」
陸は黒板上の時計を見た。昼休みは残り十分だと言うのに、まだ誰も戻って来ない。他の生徒がどこで何をしているのか、陸達にもさっぱり分からなかった。
「リーダー的存在がいないんよね。大抵クラスに一人はいんのにねぇ」
「……そうだな」
陸の頭には、いつもクラスの中心となっていた美空の姿が浮かんだ。それを吹き飛ばすかのように、陸は目をつぶって頭を振り、林田が持つ板チョコに手を伸ばして、折って欠片を口に入れた。ふぅっと一息ついていると、隣から強烈な視線を感じたので見ると、林田がムンクの叫びのような顔になっていた。
「チョコはあげるって言って無いのにぃぃぃ」
教室に、林田の切なそうな声が響き渡った。